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Culture
2023.06.07

日本で最初に鉛筆を使ったのは徳川家康!「どうする家康」展で知る、天下人の意外な一面

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家康にどんなイメージをお持ちだろうか。倹約家でマジメ、遊び心のない将軍だと筆者は勝手に思い込んでいた。

しかし実際の家康は、多趣味で好奇心旺盛。世界中から珍しいものをたくさん輸入したそうだ。さらに普段使った茶道具はセンスがよく、利休の侘び茶とは一線を画していたとか。家康は、実際どんな趣味をもっていたのだろうか?「どうする家康」展を担当した三井記念美術館・学芸部長、清水実さんに聞いてみた。

尚、聞き手はオフィスの給湯室で抹茶をたてる「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。

日本で最初に鉛筆を使ったのは、家康? しかもメキシコ産

給湯流茶道(以下、給湯流):「どうする家康」展の図録に「家康は多趣味で好奇心旺盛」と書いてあり、意外だったのですが?

家康が使った鉛筆。日本で現存する最古のものだ。/重要文化財「鉛筆」/静岡・久能山東照宮博物館

清水実(以下、清水):家康は何をやっても成功して子孫も繁栄した。そういう勝ち組は、庶民の間では人気がないですよね(笑)。それでタヌキおやじなんて呼ばれて、いいイメージがないのでしょう。しかし実際は、海外の珍しいものを手元に置いていた面白い人なのですよ。だから図録にも好奇心旺盛と書きました。

給湯流:昭和の時代は学校で、江戸幕府が「鎖国」をしたと習いました。そのイメージが強く、家康が舶来品好きだったとは意外です。

清水:家康は朱印船貿易に積極的でした。秀吉が始めたというイメージが世間では強いですが、実際は家康が発展させたのです。東南アジアやヨーロッパ、中南米とも取引しました。貿易で家康が手に入れたもので面白いのが鉛筆。日本で最初に鉛筆を使ったのは、家康なのですよ。家康が愛用した鉛筆の芯は、メキシコ産の黒鉛です。

給湯流:なんと! 家康ってハイカラな人だったのですね。大変失礼ですが……鷹狩りばっかりして、海外にぜんぜん興味がない人だと思い込んでいました。

清水:家康は確かに鷹狩りがとても好きで、全国でやっていました。それぞれの土地を実際に見て、治水や城を作る際の参考にしていたようです。

給湯流:鷹狩りは、ただの遊びではなかったのですね。

東京駅「八重洲」の地名は、家康が雇った外国人の名前が由来?

清水:ちなみに、家康が貿易で求めたものベスト3は銃、火薬、そして香木だったのです。

給湯流:香木、それは意外です。家康は香道をたしなんでいたのですか?

清水:人を呼んで香道の会を開くというよりは、家康は自ら香料の配合をするのを楽しんでいたようです。他にも自分で薬を調合して家臣に与えたりもしていました。理系の人ですね。

家康が薬剤や香木などをすり潰し、こねたときに使っていた道具。乳棒の大きいほうは、頭部が水晶。中国からの舶来品らしい。/重要文化財「青磁鉢 附 乳棒」/明時代(15~16世紀)/静岡・久能山東照宮博物館

清水:ほかにも家康は、ヨーロッパ製の洋時計やコンパス、世界地図なども多く所持していました。家康は海外への関心がとても強かったと思います。

給湯流:家康は、儒教を導入して年功序列! などと言う古風で保守的な人と思い込んでいました。しかし、南蛮からの輸入品もどんどん取り入れていたのですね。

清水:これはスペイン王国から家康に贈られた洋時計です。1609年、フィリピンからメキシコにいくスペイン船が房総沖で遭難しました。家康が彼らを救助し、帰国の船を提供したのですよ。その謝礼でスペイン国王からもらったというわけです。

スペイン国王から贈られた時計。ゼンマイ式時打ち時計としては国内現存最古らしい!/重要文化財「洋時計」/1573年製・1581年スペイン・マドリード ハンス・デ・エバロ改造/静岡・久能山東照宮博物館

給湯流:家康、外国諸国に優しかったのですね。難破船を救助してあげたとは。江戸幕府と言えば、鎖国や外国船打ち払い令を出した内向きの団体だと思いがちですが、家康は海外へオープンマインドな部分もあったのですね。ぜんぜんタヌキおやじじゃなかった。

清水:ほかのヨーロッパ人とも家康は積極的に交流しています。関ケ原の合戦直前の1600年、大分県に漂着したオランダ船の航海士たちと会い、江戸幕府に仕えさせたのです。そのうちの一人、ヤン・ヨーステンは江戸城内堀沿いに屋敷をもらい貿易に従事しました。彼は日本人女性と結婚し、日本名は「耶楊子(やようす)」。東京駅周辺の八重洲(やえす)の地名は、彼の名前に由来しています。

給湯流:なんと、知りませんでした。八重洲ってオランダ人の名前からきてたのですね。

じつは家康、良いセンスを持つ茶人だった? 利休の「侘び」とも異なる渋い茶道具を愛用

給湯流:家康は海外好きだったことを中心にお話してきました。次に家康と日本文化について、お伺いしたいです。たとえば家康がもっていた茶道具など。

清水:戦で勝ったり負けたりしたときに、武将同士で贈答できるような由緒正しい名品を家康はたくさん持っていました。家康が権力を握ってから、いろいろな大名から贈られて自然に集まったのでしょう。しかし一方で、家康が普段使っていた茶道具も、独特のセンスが光るいいものがあります。

給湯流:家康がプライベートでどんな茶道具を愛用していたか、気になります。

清水:家康が亡くなった直後、家康の愛用品を息子の秀忠が全部保管しました。家康を神としてあがめるために、家康の手元にあったものを奉納する計画があったのでしょう。多くの遺品が久能山東照宮に残っています。そのおかげで家康がプライベートでどんなものを手元に置いていたか、わかるのです。たとえば、これをご覧ください。

家康が身近に置いて使っていた茶碗/重要文化財「天目茶碗」/静岡・久能山東照宮博物館

給湯流:天目茶碗(てんもくちゃわん)というと、キラキラした油滴の模様がついたものが有名です。しかし、家康が愛用していた天目茶碗は真っ黒なのですね。

清水:そうなのです。名茶碗を多く所有していた家康が敢えて、真っ黒で粗末な天目茶碗を自分の手元に置いていました。質実剛健といわれる家康らしい一品ですね。

給湯流:真っ黒な茶碗といえば、利休がプロデュースした黒楽茶碗(くろらくぢゃわん)がありますよね。それと似た感覚でしょうか……家康は、利休の侘び茶が好きだったのでしょうか?

清水:一見似ているように見えますが、違いますね。利休は商人で、都会のなかにわざと田舎風の小屋を作って「侘び」だと言っていた。侘び茶は、金持ちが大都会で敢えて田舎風を楽しむ贅沢な遊びです。一方、家康が好んだ真っ黒な天目茶碗は「渋い」。多くの武将の命を奪ってきた家康が行き着いた境地、武将としての渋さを感じますね。

給湯流:なるほど。今だと都心で稼ぐIT社長が、週末にわざわざ山奥でテントをたて手作りサウナを楽しんだりしています。利休たちシティーボーイがわざわざ田舎風を装った「侘び」も、テントサウナに似ているかもしれません。一方、家康の武士としての武骨な渋さは似て非なるものですね。

利休は、秀吉との仕事が辛すぎて「侘び茶」に走った?

給湯流:ところで「どうする家康」展(会場:東京・三井記念美術館)で、驚きの茶道具を見つけたのですが……。利休が秀吉の正室のために作った※花入(はないれ)です。

利休がキラキラ花入を制作/「波桐蒔絵竹二重切花入(なみきりまきえたけにじゅうぎりはないれ)」/東京・三井記念美術館

給湯流:利休が作る花入といえば、竹をサッと切っただけの超シンプルな侘びたデザインが有名です。しかし、こちらの竹の花入はとても豪華な蒔絵(まきえ)がほどこされていて驚きました。こんな派手な花入も利休は作ったのかと。

清水:じつはこの花入、「本当に利休が作ったのか?」とずっと怪しまれてきたものです(笑)。しかし古くからの記録もあり、三井家に残っていた道具なので私は利休が作った花入だと確信して展示しました。

給湯流:どんな記録が残っているのでしょうか?

清水:江戸時代初期の茶人、藤村庸軒(ふじむらようけん)がこの道具に「秀吉の正室・政所(まんどころ)様に贈った」と※箱書(はこがき)を残しています。利休が亡くなって割とすぐ書かれた箱書なので、私は信ぴょう性があると思っているのですよ。

給湯流:利休が作る茶道具は、絵や模様はつけず無地で侘びたものばかりだと思っていました。こちらの花入は秀吉の奥様に送るものだから、いやだけど模様を入れたのでしょうか?

清水:利休が工夫したというより、秀吉から頼まれたのでしょう、「俺の嫁に、キラキラ輝く花入を作ってくれないか。」と。

給湯流:「侘び茶」を極めたい利休にとって、引き受けたくない仕事ですね(笑)。

清水:利休は元々、侘び茶の人間ではなかったのですよ。大徳寺で色々修行していましたから、室町幕府が行なっていたような正統派のお茶も習っていたはずです。一番、格が高いといわれる※真台子(しんだいす)も利休は持っていましたから。利休が侘び茶を深めていったのは、秀吉に仕えてからです。

給湯流:黄金の茶室だ、豪華な蒔絵だ、と派手な茶道具を好む秀吉と仕事をするのが辛すぎて、利休は反動で侘び茶に走った可能性があると。利休と秀吉はセットなのですね。

清水:そういう側面もあったと思います。利休と秀吉はセットですよ。花入に蒔絵をほどこすならとことん豪華に作りたいと利休は意気込んだのでしょう。

給湯流:なるほど。格式高い道具も持っていた利休にとって、豪華な蒔絵の花入を作るのは自然なことだったのですね。もし明智光秀が天下をとって利休と仕事をしていたら、利休は侘びた道具を作らなかったかもしれない。もし利休が侘び茶を大成しなかったら今、日本に茶道は残らなかったかもしれない。歴史のいろいろな分岐点、本当に面白いですね。

※花入(はないれ):茶会で飾る花をいける器。

※箱書(はこがき):陶磁器などの工芸品を収める箱に、名称や署名、押印などをしたもの。作者自身ではなく、後世に伝わった際に来歴を知る人が書く場合もある。

※真台子(しんだいす):正式の茶会に用いられる四本柱の棚を台子という。茶道具を置いておく棚。江戸時代中期に真・行・草とランク付けが始まり、真台子はもっとも格式の高いもの。畳に直接、茶道具を置いて抹茶をたてる茶会は正式ではなく、「侘び茶」にあたる。

東京・愛知・静岡それぞれの会場で異なる展示が楽しめる「どうする家康」展

給湯流:最後に、全国3ヶ所で開催される「どうする家康」展、おすすめポイントを教えてください。

大河ドラマ「どうする家康」で若き家康が着た金色の甲冑。今回の企画では、東京・三井記念美術館だけで展示される。どうしても期間中に東京に来られない人は後日、静岡・久能山東照宮博物館へ訪れてください。/重要文化財「金陀美具足(きんだみぐそく」)/静岡・久能山東照宮博物館

清水:今回の展示物は、重要文化財や国宝が多いものですから長期間、公開できないものもあります。ですので、1つ、2つの会場でしか見られないものもあります。

給湯流:なんとか予定を調整して、全3会場回りたいです。

「大日本五道中図屏風(だいにっぽんごどうちゅうずびょうぶ)」一部/19世紀/東京・三井記念美術館

清水:東京の三井記念美術館は面積が狭いこともあって、たくさんの展示物を設置できません。そこで、ビジュアルで家康の一生が追えるように力を入れました。例えば「大日本五道中図屏風」は江戸から長崎まで、見渡せる絵地図屏風です。家康が亡くなって約30年後の景観で、岡崎城、浜松城、駿府城、甲斐・信濃、小田原城、関ケ原、名古屋城、久能山東照宮など、家康の一生をビジュアルでたどることができます。

給湯流:ほかの2会場はいかがですか?

清水:岡崎市美術博物館は家臣のものも含め、甲冑が多く展示されます。古文書に詳しい学芸員もいますから、おもしろい古文書もたくさん見られそうです。静岡市美術館は刀剣がいっぱい展示されますよ。刀剣ファンの方も楽しめます。

給湯流:どの会場も魅力的ですね。今日は、家康のイメージが変わるお話を聞けて、面白かったです。ありがとうございました。

*アイキャッチ画像:町人風の変わった家康像。真偽のほどはともかく、旧大名家が所持していた珍しい画像で、1925年に久能山東照宮に奉納された。/「徳川家康像」/静岡・久能山東照宮博物館

NHK大河ドラマ特別展「どうする家康」 展覧会情報

本展覧会では、NHK大河ドラマ「どうする家康」と連動し、徳川家康のほか、織田信長、豊臣秀吉など、様々な戦国武将にまつわる品々や、同時代の美術品・歴史史料などを紹介し、徳川家康と彼が生きた時代を浮き彫りにします。ぜひお出かけください。

●東京
三井記念美術館
2023年4月15日(土)~6月11日(日)

●愛知
岡崎市美術博物館
2023年7月1日(土)~8月20日(日)

●静岡
静岡市美術館
2023年11月3日(金・祝)~12月13日(水)

書いた人

きゅうとうりゅう・さどう。信長や秀吉が戦場で茶会をした歴史を再現!現代の戦場、オフィス給湯室で抹茶をたてる団体、2010年発足。道後温泉ストリップ劇場、ロンドンの弁護士事務所、廃線になる駅前で茶会をしたことも。サラリーマン視点で日本文化を再構築。現在は雅楽、狂言、詩吟などの公演も行っている。ぜひ遊びにきてください!