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2024.08.22

江戸時代の「大人向け小説」黄表紙と洒落本に書かれていたものとは?

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江戸時代、大きく花開いた文化と言えば、出版文化でした。それまで書物といえば、公家や武士といった上流階級の人々の読みものでしたが、江戸時代後期になると、絵を主とした小説がたくさん発刊されるようになります。それらは草双紙(くさぞうし)と呼ばれ、男女の色っぽい話や遊里を描いた大人向けの小説として、大人気となりました。

現代にも通じる男女の色恋沙汰を描いた黄表紙

いつの時代もゴシップ誌や色恋沙汰を扱った雑誌はよく売れるものです。江戸時代、地本問屋の鱗形屋孫兵衛(うろこがたやまごべい)が、安永4(1775)年に刊行した恋川春町(こいかわはるまち)※1の『金々先生栄華夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』も大ヒットを飛ばします。

これは田舎の貧しい若者が都会に出て、商家に奉公するうちに金銭を得て、吉原通いに目覚め、後に遊里に溺れ、全てを失うというところで、夢が覚めるといった荒唐無稽な酔狂話でした。後に、式亭三馬(しきていさんば)が草双紙の変遷を「恋川春町一流の画を書出して是より当世にうつる」と指摘しているように、この作品が出版の大きな分岐点となります。

※1 江戸後期の戯作者 (げさくしゃ)、狂歌師であり、勝川春勝に私淑し、浮世絵師としても活躍。狂名を酒上不埒 (さけのうえのふらち)とした。

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『金々先生栄華夢』恋川春町 国立国会図書館デジタルより

これに続いたのが、春町の友人で、武家出身の戯作者であった朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)※2です。彼の書いた『親敵討腹鞁(おやのかたきうてやはらつづみ)』に、春町が画を描いて、安永6(1777)年に出版。この二人が、洒落と機知にとんだ風俗小説を次々と生み出し、一世を風靡していきます。知的な武家出身の作者が書いていたこともあり、絵は当代きっての浮世絵師たち、鳥居清長(とりいきよなが)や北尾重政 (しげまさ)、喜多川歌麿(きたがわうたまろ)、歌川豊国(うたがわとよくに)らが描き、今でいえばベストセラーとなります。表紙が黄色であったことから、後にこれを黄表紙と呼ぶようになり、文化3(1806)年までに、2,000種もの黄表紙が発行されました。

※2 江戸後期の戯作作者であり、狂歌師。秋田佐竹藩の藩士。寛政の改革以後は筆を絶つ。

敏腕プロデューサー蔦重も黄表紙で大儲け!

2025年大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢話(つたじゅうえいがのゆめばなし)』の主人公である蔦屋重三郎は、歌麿や写楽を売り出したプロデューサーとして有名ですが、彼の本業はもともと小さな貸本屋でした。それが吉原のガイド本「吉原細見」の成功で地本問屋の仲間入りをします。さらには安永9(1780)年に、黄表紙の出版へと進出。ここでも敏腕プロデューサーとしての能力を発揮し、山東京伝に『夜野中狐物(よのなかこんなもの)』を、『虚言八百万八伝(うそはっぴゃくまんぱちでん)』の序文を大田南畝などの人気の文人たちに書かせたのです。これが江戸の一般大衆に受け、大ヒットを飛ばします。

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黄表紙と洒落本、2大ジャンルは何が違うのか?

黄表紙と並び、大人のエンターテインメントとして人気を呼んだのが「洒落本」でした。黄表紙が当世の事情を描きながら、どこかおとぎ話のようなストーリーとなっていたのに対し、洒落本は、吉原などをはじめとする遊里での習慣や風俗、客と遊女のやりとりなどの会話を主として書かれた現代の小説に近い読み物でした。現代では、「洒落」というと、洗練された身なりやユーモアなどの意味あいが強いですが、当時は、今以上に、人間の日常の姿や行動、言語などの都会的な風俗を象徴する言葉だったようです。

洒落本は最初、教養人のための本だった

洒落本は、「通書(つうしょ)」や「粋書(すいしょ)」などとも呼ばれていました。これは遊里での遊びは、粋であり、通(つう)でなければならないと言われていたからです。もともと洒落本は、中国の遊里文学を真似て、漢文体で書かれたことが始まりといわれ、遊里での出来事を古典や故事になぞらえて、滑稽に面白く描いた、いわゆる武士階級や家柄の良い、教養の高い人たちが読む、通好みの本でした。

会話を主とした文体により、一般大衆化へ

会話形式での文体が確立され、小説としての形態となったのは、明和7(1770)年の江戸版『遊子方言 (ゆうしほうげん) 』が始まりと言われています。これは漢籍の『陽子方言』をもじったものでした。田舎老人多田爺(いなかろうじんただのじじい)という匿名で書かれたこの小説は、この著者名からして、当時の洒落本がいかに滑稽だったかを表しています。ストーリーといえば、「通り者」の34~5の中年男性が、20歳そこそこの人柄の良さそうな若者を本物の色男に作り上げようと、吉原へ連れて行きます。そこで繰り広げられる引手茶屋や遊里でのやり取りが、詳細に描かれているのです。さらに、身分の低い通り者は、引手茶屋でぞんざいな扱いを受け、ようやく新造女郎を買うことになりますが、そこでもすっぽかされるなど、さんざんな目に遇います。一方、若者は、客待ち女郎にもてまくり、通り者を驚かせるというオチに。このような遊女とのやり取りや吉原での様子などを面白おかしく描きながら、読むものの憂さ晴らしとなる、まさに現代の小説と同様の楽しみがあったのです。

『青楼絵抄年中行事. 上之巻』 喜多川歌麿/国立国会図書館デジタルコレクション

寛政の改革以後、黄表紙や洒落本は取り締まりの対象に

田沼意次が失脚し、松平定信が政権を担うと、質素倹約を奨励し、浮き世のムードを取り締まるべく、出版規制が強まっていきました。それに逆らうようにして、蔦重は、政府批判に関心が高まるや、時事に取材した黄表紙を次々と出版。これが大衆に大当たり、蔦重をさらなる成功へと導きます。しかしその反動は大きく、寛政2(1790)年に、出版に関する取締りの御触れが出され、見せしめとして蔦重と山東京伝は処罰されてしまうのでした。

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その後、黄表紙や洒落本は、教訓や戒め、人情話を主とした内容へと移り、曲亭馬琴 (きょくていばきん)や十返舎一九 (じっぺんしゃいっく)、式亭三馬らが主流となっていきます。

2025年の大河は、本屋と作家が熾烈な市場競争を繰り広げる?

2025年に大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の鱗形屋孫兵衛を片岡愛之助さんが、朋誠堂喜三二を尾美としのりさんが演じると発表されています。芸達者なお二人が横浜流星さん演じる蔦屋重三郎と、どんな風に丁々発止を繰り広げていくのか、今から、とても楽しみですね。

アイキャッチ画像:『金々先生栄華夢』恋川春町 国会デジタル図書館より

参考文献:『黄表紙・洒落本の世界』水野稔著 岩波新書/『江戸の本屋さん』今田洋三著 NHKブックス/『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館