1603年に刊行された「日葡辞書(にっぽじしょ)」をご存知だろうか。
日葡辞書の「葡」とは、ポルトガル語という意味。つまり、当時の日本で使われていた言葉をポルトガル語で説明した辞書である。
さて、ここで疑問が一つ浮かぶ。
どうしてポルトガル語なのか。
1603年といえば、ちょうど徳川家康が征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命された年である。今でこそマイナーと思われがちだが、ポルトガルは非常に重要な国であった。というのも、鉄砲が伝来したきっかけもポルトガル人。そして、忘れてはならないのが、当時の日本で雨後の筍のように一気に広がり、そして弾圧の対象となったキリスト教。この布教のために日本に渡ってきたイエズス会の宣教師は、ポルトガル語を使用していた。つまり、簡単にいえば、キリスト教布教のために作られたのが「日葡辞書」なのである。
戦国時代の日本では、実際にどのような言葉が使われていたのか。イエズス会宣教師からみた日本の文化が少しだけわかるかもしれない。
日葡辞書の驚くべき完成度
キリスト教の禁教政策の結果、日葡辞書の現存数は少ない。これまで英オックスフォード大学の図書館、ポルトガルのエボラ公立図書館、フランス国立図書館に所蔵された3冊しか確認できなかったが、2018年10月にブラジル・リオデジャネイロの国立図書館での保管が確認された。これで、世界で所蔵が確認されているのは4冊となる。
それにしても、その完成度は凄まじい。1549年にキリスト教が伝来してから54年後に、日葡辞書が刊行されている。『邦訳日葡辞書』によれば、見出し語で計算すると本編が25,967語、補遺が6,831語あるとのこと。重複しているものを除くと、総数は32,293語にまでのぼるという。たったの54年間で、日本語がこれほどまでに網羅されているのには驚きだ。
特に、話し言葉に関しては、方言の存在が頭を悩ませたようだが、当時の日本では「京都語」を標準後とする意識が強く、イエズス会もこれにならっている。また、正確な日本語が求められ、有識階級の人々をも納得させるだけの表現力を身に付けるために、平家物語や伊會保物語(いそほものがたり)を要約して、話し言葉の基準にしていたようだ。
もとは宣教師個人の覚書程度のものであったが、イエズス会の布教自体が組織化されるにつれ、日本語教育に必要な語学書の編纂が進められた。特に、日本でキリスト教弾圧の政策が行われてからは、辞書の刊行が急務となっていたようだ。というのも、日本に渡ってすぐに布教が始められるよう、外国にいる間に日本語の習得が迫られたからだ。その切迫性が、日葡辞書の膨大な言語収録を可能にしたのだろう。
宣教師の重要な職務とは?
さて、宣教師の主な職務は2つ。聴罪師と説教師である。
聴罪師とは、信徒の告白を聴いて教導し、祈りを与えることを行う。そのため、信徒の告白を理解するには、正確な日本語よりも、実際の話し言葉が重要視された。例えば、日葡辞書の中には、近畿地方の方言をCami(上)、九州地方の方言をX.Ximo(下)との表記がある。これは、京都語を標準語としながらも、布教がおおかた九州地方を占めていたため、その言語に重きが置かれていたからだ。例えば、「寝タマガリ(ネタマガリ)」はびっくりして目を覚ますという意味とされ、九州地方の方言と思われる。
また、卑語という表記もある。日葡辞書には、B.Baixo(下品な)との注記が見受けられるが、これは卑俗な語だけでなく、品位の劣った言い方をも含めていると解される。例えば、実際に卑語として指定された約90語の中には、「体(カラダ)、反吐(ヘド)」など、一般通用語も含まれている。さらに、女性の間で盛んに使われていた「召物(メシモノ)添筆(ソエフデ)」なども、宣教師の立場から遠ざけるものとして、卑語に指定されている。なぜか、幼児語である「トト(父の意)、カカ(母の意)」も同様である。
一方、現在では普通に使われている「恋(コイ)」は、当時、神の愛と区別するものとして、「男女間の淫らな情欲的なもの」として卑語に分類されている。日本の僧侶や武士の間に見られた「男色(ナンショク)」に限っては、「口にすべきでない罪悪に関わるもの」との説明まで加えられている。
豊富な使用例に脱帽
さて、日本語だけに限らないが、言葉は一様に難しい。というのも、言葉そのものと使い方が大きく乖離するからだ。この点、日葡辞書は、その適用方法も親切に記載している。
例えば、「渡リ合ウ」の語を、「通行するものが出会う」というよりは「敵に出会って互いに斬りつけ合う」という場合に限って使うのが正しいとの解説がついている。
また、「糞(フン)」の語を、兎(うさぎ)のは「落シ(オトシ)」、鷹(たか)のは「ウチ」、犬のは「穢シ(ケガシ)」、狸(たぬき)のは「溜メ(タメ)」、鳥のは「返シ(カエシ)」、馬のは「肥(コエ)」と使い分けることを指摘している。
なかなか興味深いのは、「手(テ)」の用法だ。その解説例は非常に多岐にわたる。例えばそのうちの一つ、「手を失ふ」に関しては、「誰か人から得ていた助力、あるいは信頼を失う」という用法よりももっと正しい本来の用法があるとしている。それが「戦争の際、敵を攻撃するに当たって、自分に援助するはずになっていた軍勢が、やって来ない意」と説明されている。
一方で、現代では使用しない「手をつくぬる」という語も、「服従する、憐れみを乞う、あるいは何か物を得るために卑下して追従する」と説明されている。
日葡辞書を読んでいると、当時の生活状況がどのようなものか、なんとなくだが見えてきて面白い。驚いたのは、糞の種類の多さだ。これだけ使い分けていたのかと、それだけでも新しい発見がある。
なお、特筆すべきなのは、やはり用法の説明だろう。特に「手を失う」の用例など、いかに戦国時代において、味方と思っていた軍勢に裏切られることが多かったのかが想像できる。日葡辞書からみえてくる戦国時代。それだけでも研究資料としての価値は高いといえる。その上、現在確認されている残存数は僅か。
日葡辞書。世界のどこかでひっそりと眠っているかもしれない。
参考文献
『邦訳日葡辞書』 土井忠生ほか編訳 岩波書店 1980年5月