「ゲームやアニメで描かれているように女性も戦ってたの?」「戦をしていないとき武将たちは何をしていたの?」えっ…そこから?! なんて言わないで! 歴史の知識ほぼゼロな和樂web編集部スタッフが、ず〜っと気になっていた戦国時代の疑問を、歴史のプロに聞いてみました。
回答は、和樂webのライター・辻 明人さん。質問は、和樂web編集部(コパ子、きむら、とまこ)です。
【辻 明人さん プロフィール】
おさらい!戦国時代って何?
諸説ありますが「応仁の乱(1467年~)」が始まってから「大坂夏の陣(1615年)」が終わるまでの約150年間を指します。当時は足利将軍の力が弱まり、全国に戦国大名が現れて、誰でも野望を持つことができました。武士でなくても、実力と才覚次第で出世、あわよくば天下統一を目指せる。乱世をさまざまな武将たちが各地で奮闘していました。
(詳しくは「何をしたら天下統一なの? 戦国時代の疑問、歴史のプロに聞いてみました!」で解説)
女の人たちも戦ってたの?
― ゲームで女性のキャラクターが戦っているのを見たことがあります。当時は本当に女性も戦っていたんですか?
戦っていました。例えば、現在の三重県の武将・富田信高は、関ヶ原合戦の前に居城の安濃津(あのつ)城が西軍の大軍勢に攻められ、城の中にまで敵に入られて、あわや落城寸前に陥りました。大将の信高も奮戦中に敵に囲まれて「いよいよ、やばい!」という瞬間、一人の若武者が現れて敵をバババッと切り倒して、信高を救います。何者だろう? と信高が顔をのぞき込むと…なんと彼の奥さんだった! そんなエピソードがあります。これが実話なんです。
― ええ〜〜〜かっこいい!!
あとは、甲斐姫のエピソードも有名ですね。豊臣秀吉は小田原北条氏攻めにあたり、関東にあった北条方の城をほぼ全て落としたんですが、たったひとつ落とせない城がありました。埼玉県行田市の「忍城(おしじょう)」。『のぼうの城』の舞台です。
この城の城主成田氏長は、小田原に行っていて城を留守にしていましたが、家臣や親戚が城を守っていました。で、その氏長の娘が甲斐姫。これが美人のうえにもうめちゃくちゃ強くて。攻めてくる敵をバタバタ切り倒して寄せつけなかった話が秀吉の耳に入り、感激しちゃって「会わせろ!」と言って、最終的には自分の側室にしちゃったという伝承があるんですよ。
それから九州の武将、立花宗茂(たちばなむねしげ)の奥さんである誾千代(ぎんちよ)も強かった。関ヶ原合戦後、東軍の加藤清正が軍を進めてくると、誾千代が軍勢を率いて城の外に出た。すると清正が「やばい、誾千代が出てきた」と道を変えたってエピソードもあります。女性と戦いたくないというのもあったんでしょうけど、誾千代は相当強かったんでしょうね。
他にも伝説的なところでは、瀬戸内海の大三島に三島水軍という海賊の勢力があって、そこにいた鶴姫が何度も敵の大軍が侵攻してくるのを撃退しているし、戦場で戦ってないけど、大河ドラマになった井伊直虎みたいに城主になる女性も何人かいました。
いずれにせよ当時の女性たちは、どんなシチュエーションでも、いざとなれば「私も戦います」と言えるくらい、戦うための鍛錬と覚悟を持っていた。なんとなく、武将の奥さんといえば、着物を着て館の奥の方に座っているイメージが強いかもしれないけど…とんでもない! ひとたび何かあったらハチマキしめて、戦場に出られる。そういう人が多かったんです。
― 憧れます…!
ちなみに当時の女性は、江戸時代以降よりもずっと男性と対等だったようです。例えば大河ドラマ『利家とまつ』でおなじみの前田利家。加賀百万石を築いた武将ですが、金沢城から「さあ戦いに行くぞ!」となったとき、思ったよりも兵が集まらない。そこに奥さんのまつが来て、こんなふうに啖呵を切ったそうです。
「あんたねぇ…お金を貯めるばかりでなくて、そのお金で兵を養いなさい、っていつも私が言っているでしょう。ほら見なさい! ケチっているから兵が集まらないじゃないの? こうなったらもう…いっそのこと、お金に槍とか鉄砲持たせて、出陣しなさいよ!!」
それでもう利家がキ〜〜ッ! と怒りながら出て行ったというエピソードが残っています(笑)。とにかく、これくらい男性と対等に口を聞いていた。奥方は決して大人しく、奥にいるだけじゃないんですよ。
いわゆる男色はあったの?
― 武士同士の男色って…本当にあったんですか?
そういう関係は、珍しくなかったようです。前田利家も織田信長に、若いころ随分かわいがられていたらしくて。利家が晩年になってから「私は若い頃、信長公とね…」と話をしたら、みんなが「ええ!あの信長公と!?」と羨ましがったそうです。
― 信長は蘭丸ともそういう関係だったってアニメや漫画で見たことある気が…。
確証はないものの、それもあったのではといわれます。なんというのかな…当時のそういう関係は「衆道(しゅどう)」と言って、恋愛感情だけでなく、主人と家臣の絆を深めるようなニュアンスなのです。なので、ずっと続くというかんじでもないんですよ。割とあっけらかんとしている。徳川家康は井伊直政とそうした仲だったといわれているし、伊達政宗も自分の右腕だった片倉小十郎、その息子重綱といい仲だったようです。
― 小十郎じゃなくて、その息子!?
息子はえらい美青年だったらしい。大坂夏の陣のとき、伊達政宗と彼は一緒に出陣するんですけど、重綱が「ぜひ先鋒にしてほしい」と訴えると、「おまえのことは悪いようにしないから」と引き寄せて、ほっぺたにキスしたなんてエピソードもあります。でもこの重綱は本当に美形だったようで、小早川秀秋という武将が惚れ込んじゃって、追いかけ回したという話も残っていたり。
― 有名な武将たちもみんな衆道関係を持っていたんですね。
こういう話が全く残っていない人物もいます。豊臣秀吉です。秀吉は男にぜーんぜん興味がない。あるとき、まわりの男がみんな騒ぐような美青年を秀吉の家臣たちがみつけて、「これは殿下がどう出るか試してみよう」と、秀吉の前に連れて行ったんですね。秀吉はう〜んと顔を眺めるなり、ずかずかと近寄って「お前に姉か妹はおらんか?」と訊くだけで、指1本触れなかった。
― そんな美青年見てみたい!
たぶんね、今の「イケメン」とはだいぶ違うんじゃないかな。戦国時代の「美女」なんかも、ほんわかしたかんじではなく、わりとキリッとした人が多かった気がしますし。当時の美青年、見てみたいですよね。
戦っていないときは何をしていたの?
― それにしても、戦国時代はなかなか心が休まらないですよね…。
大変ですよ。のんびり眠れないですからね。当時はみんな寝る時も利き腕を下にして眠るんです。敵が襲ってきて片方斬られても、利き腕で刀を握れるから。常に緊張感があったと思います。
― そんな武将たちにも心休まるひとときや趣味はあったんですか?
娯楽といえば、能や幸若舞(こうわかまい)の鑑賞、囲碁、お酒を飲むこと。それから茶の湯です。
信長が特に好きだったのは鷹狩と相撲観戦。家康も鷹狩ですね。あと明智光秀が大好きだったのが連歌。しりとりみたいな感じで歌を順番に詠んでいく「連歌会」というイベントを開いたり。戦勝祈願の意味合いもあったそうです。だから光秀が本能寺の変の前に、京都の愛宕山で連歌会を開いたのは、験担ぎの意味があるんです。
ちなみに光秀は、その愛宕山で3回おみくじを引いています。ドラマなんかでは「凶」が出て、もう1回引いて…みたいに描かれることもありますが、3回引くのは、どうも当時のしきたりだったようですね。実は私も正月に2年連続「凶」が出てしまって。そろそろ本能寺の変ですかね〜。
― 戦国時代、武将たちは茶の湯をしているイメージがあります。
武将たちの間で茶の湯が広まった理由は、いくつか考えられます。ひとつは、信長は自分が認めないと、家臣は茶会を開けないというルールを定めていたから。そのために茶会を主催できるというのが、織田家ではひとつのステータスになっていたんですね。だから、いつか茶会を開ける身分になりたいという憧れができた。2つめは、茶道具。茶碗ひとつが国よりも高い価値をもつといった新たな価値観が生まれ、そのため土地をもらうよりも茶器をもらえないかという話も生まれてきた。3つめは密室であること。密談しやすいという政治的な理由もあると思います。
だけど…最大の理由は、いちばんリラックスできる空間だったからじゃないかと思います。刀を置いて、丸腰で茶室に入る。そうするとお客さんと主人は素の状態で対面できる。これ、当時はいつ寝首をかかれるかわからない日常の中で、茶室内だけは安全な空間が保たれているわけですよね? 初めてリラックスできるわけですよ。そこでお茶をいただく。お茶の成分も気分転換にいいですし、リフレッシュできる。おもてなしもしていただける。これはもう、ほっと一息つけたんじゃないでしょうか。たぶん切実な理由として、戦国武将たちが茶の湯を愛した理由は、そこだったんじゃないかなあと思います。
現代人も使える(?)武士語を教えて!
― 最後に…私たちも使える武士語を教えてください!
単に語尾に「ござる」をつけるだけだと取ってつけた感が強いので、当時彼らが使っていた表現をいくつか、教えます。「さんぞうろう」はぜひ、和樂web編集部で、高木さんに対して使ってもらいたいです!
「かたじけない」ありがたい
「ちと、厠へ参る」ちょっとトイレ
「あいや、待たれよ」あ、ちょっと待ってください
「大儀(たいぎ)であった」ご苦労であった
「よくもたばかりおったな」よくもだましてくれたな
「恐悦至極に存じ上げます」大変喜んでおります
「げに恐ろしきは女の執念」まことに恐ろしいものは女の執念
「確と(しかと)承知つかまつった」間違いなく承知いたしました
「これはしたり。拙者を疑うとは」私を疑うとは心外だ
「是非(ぜひ)に及ばず」仕方がない、やむをえない
「やんぬるかな。進退窮まれり」もうどうしようもない
「然(さ)ん候(ぞうろう)」さようでございます
「うぬ、何奴じゃ」お前は何者だ
― 辻さん、たくさんの質問に回答いただきありがとうございました!