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Gourmet
2021.11.23

「その辺の草」もおいしく食べちゃう!万葉集から当時の食事内容を探ってみた

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牛乳を煮詰め奈良時代のチーズ・蘇を作るのがブームになったのは、2020年前半のこと。このブームをきっかけに、当時の人々がどんな食事をしていたのか気になる方もいたのでは? 気になった筆者は、地元浜松市にある万葉の森公園内にある万葉亭で行われた、万葉食(奈良時代の食事)作りのワークショップへ参加しました。

このワークショップの目的は、万葉集に書かれた料理を元に実際に万葉貴族が食べていたであろう食事内容を、地元・浜松産の食材を調理し再現して食べること。万葉貴族とは主に奈良時代の貴族を指します。彼らがどんな食事をしていたのか、現代に生きる万葉集を舌で感じてきました!

千年以上昔の料理って、どんな味がするんだろう!

万葉集って、そもそもなあに?

まず、こちらの写真をご覧ください。

貴族の万葉食・初夏の膳 / 万葉の森公園内の万葉亭にて筆者撮影

旅館の食事のように見えるかもしれませんが、これがワークショップ当日に食べた貴族の万葉食・初夏の膳です。パッと見たところ白身魚や天ぷら、汁物にゼリーのようなものまで並んでいますよね。これらの食材がすべて万葉集に載っていたなんて……。

ヘルシーでおいしそう! くるみが気になります♡

いったい万葉集とはどんな歌集なんでしょう。気になったので少し調べてみました。

万葉歌は日本最古の和歌集

万葉集とは、今からおよそ1,200~1,300年ほど前の飛鳥~奈良時代にかけて詠まれた和歌が収録されている、日本最古の和歌集です。歌人は天皇・皇族や貴族から無名の庶民までさまざまな身分階層に生きた人たちで、彼らがそれぞれの思いの丈を込めて詠んだ和歌を集めました。4,500首以上ある収録歌は20巻に割り振られ、原文は万葉仮名と呼ばれる漢字で記されています。

最初の和歌は雄略天皇の長歌です。
詳しくはこちらの記事をどうぞ▼
お嬢さん名前教えてよ~♪奈良時代の和歌集『万葉集』は天皇のナンパから始まるって知ってた!?

万葉集の意味ですが、これはその名前のまま「万(よろず=とても数が多い)の言の葉(歌)を集めた」からとも、「万代の世まで伝えられる歌集」からとも云われています。編纂者は大伴家持(おおともの やかもち)とされていますが、彼を中心に複数人で編纂したのではないかとも考えられています。いずれにしても昔のことすぎて、確かなことは伝わっていません。

万葉歌の特徴って?

万葉集に収められている和歌は、その内容から雑歌(ぞうか)と相聞歌と挽歌に分けられ、これを「三大部立て」と呼びます。相聞歌は手紙の遣り取りのように相手に対して贈る歌のこと。一番多いのは男女間の恋愛時に詠んだ和歌ですが、家族や同僚、友人、同性・異性間での贈答もOKです。挽歌は死者を弔ったり追慕した歌で、雑歌は相聞歌と挽歌以外の内容が書かれたもの。「三大部立て」の中では、この雑歌が一番多く収録されています。

セクシーな歌や、三角関係を匂わせるような歌もあったようですね。

和歌の長さは何種類かあり、短歌(五・七・五・七・七)が全体の9割以上を占めます。「短い歌ということは、長い歌もあるの?」と思われる方もいますよね。そうなんです、万葉集にはもっと長い長歌と呼ばれる歌があるんです。この歌は五・七・五・七・五・七・五・七……と何回か五・七を繰り返した後に、五・七・七で結ぶため、その長さは作者次第。
あまりの長さからか万葉集の解説本によっては途中部分が省略されることも。長歌の後には注釈や要約のため反歌(短歌)が添えられています。このほかに旋頭歌(五・七・七・五・七・七)と仏足石歌(五・七・五・七・七・七)があります。

万葉集の歌人は男女問わず年代も幅広く、居住地は都のあった奈良周辺だけではなく東は陸奥(みちのく / 現在の東北地方)から西は九州まで、当時の政権が治めていた範囲内に広がっています。なかでも額田王(ぬかたのおおきみ / 額田女王とも)、持統天皇、大伴家持、大伴旅人(おおともの たびと)、山上憶良(やまのうえの おくら)、大伴坂上郎女(おおともの さかのうえのいらつめ)柿本人麻呂(かきのもとの ひとまろ)や山部赤人(やまべの あかひと)などが有名です。

万葉集の中から食材を探そう!

4,500首以上の歌から成る万葉集の中には、動植物の食べ物を含んだ和歌が多くあります。そのため今回のワークショップで作る、万葉貴族の食事内容に取り入れられていないものも。

まず植物性のものですが、現代でも食べられている五穀(稲、麦、粟など)や果実(桃、栗など)のほか、ワカメ、瓜、芹、芋など多種にわたり詠まれています。

“梨棗 黍に粟つぎ 延ふ葛の 後も逢はむと 葵花咲く”
巻16-3834 作者不詳
(なしなつめ きみにあはつぎ はふくずの のちもあはむと あふひはなさく)
現代語訳(意訳):梨や棗、黍に粟が次々と実るように、一度は離れた葛の蔦がまた繋がるように、また貴方に逢いたい。逢える日は嬉しいっ。

筆者はこの歌にある棗の実を子どもの頃に食べましたが、カシュカシュとした歯ごたえでリンゴのような味だったのを覚えています。ただ小さな果実なので、残念ながらお腹いっぱいになるまで食べた記憶はありません。美味しかったなあ、棗の実。

こちらは椎の葉です。

万葉食のリーフレット(A5サイズ)と椎の葉 / 万葉の森公園内にて筆者撮影

「椎の葉といえば有間皇子(ありまのみこ)の和歌!」という古代史ファンの方もいるのではないでしょうか。

“家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る”
巻2-142 有間皇子
(いえにあれば けにもるいいを くさまくら たびにしあれば しいのはにもる)
現代語訳(意訳):家にいれば食器に盛る(神へ捧げるための)ご飯を、旅の途中なので、椎の葉に盛っている

椎の葉の大きさは、A5サイズのリーフレットの長辺3/4程度なので、ここから推測すると15~16センチ。葉の生育状態により大小ありますが、あまり大きくないですよね。有間皇子はこの葉に神へ捧げるご飯を盛り付けながら、都に残してきた妻への思いを募らせたと云われています。椎の実も食用可能ですが、これは固い殻を剥くのが手間なんですよね。

わかる~! 焼き栗好きですが、殻をむくのが面倒で……。

動物性のものとしては鳥獣類(鹿や猪、雉や鴨、鶉、鶏など)や魚介類(鯛や鮑、蜆など)が。肉食の禁止は万葉時代から段階的に行われていましたが、滋養強壮剤として食べることもあったようです。牛や馬は当時から家畜として飼育されていました。そして魚介類は海に面した地域から都への貢進物(献上品 / 高い身分の人に差し上げる品物)として運ばれたため、周囲を山に囲まれている奈良の都でも食べることができました。万葉人は実にさまざまな食材を味わっていたようです。なかなかのグルメっぷりですね。

万葉食の調理法ですが、食材を茹でたり蒸したりすることが多く、貢進物として地方から届いたものは塩漬けされていることが一般的でした。また調味料として、豆や麦など穀物から作る穀醤(こくひしお)や魚から作る魚醤(いほひしほ)など、醤(ひしお)と呼ばれる発酵食品も。

秋の七草も、万葉集の山上憶良の歌が起源と言われています!

万葉食全貌紹介

お待たせしました! ワークショップ当日に食べた貴族の万葉食・初夏の膳に、料理名を書き添えた物がこちらです。

貴族の万葉食・初夏の膳 / 万葉の森公園内の万葉亭にて筆者撮影

貴族の万葉食に並ぶのは貢進物の魚介類!

まず日本人の主食とも云える米飯ですが、奈良時代に食べられていたのは古代米の赤米(あかごめ / あかまい)でした。当時、米飯を食べることができたのは、皇族や貴族などごく一部の人間だけ。庶民たちは前出の五穀を中心とした食生活でした。

白身魚はクマザサを巻いた蒸し鯛です。「奈良の都は周囲を山に囲まれているのに、どうして海の幸が!?」と疑問に思いませんか? さらに御膳の手前右端の椀に並ぶ羹(あつもの / 野菜や貝などを煮た吸い物)の中身はアサリで、藻類の酢の物に用いられた にぎめ(アオノリ)や、心太(こころぶと)を固めた天草も海産物です。

実はこれら魚介類は、海に面した国々からの貢進物なんです。赤米も周辺諸国のひとつ・但馬国(現在の兵庫県)から税として納められていました。どうしてこのようなことが分かるのかと云うと、それは貢進物に荷札として付けられた木簡に産地が記されていたから。
にぎめとともに藻類の酢の物に入っている ぬなは(ジュンサイ)は、現在の奈良県では絶滅危惧II類ですが、当時はあちこちの沼で採れていたのかもしれません。

気になる味はというと、「おいしくない」と聞いていた赤米は、炊き方が良いのか見た目の印象が強いのか、赤飯のように感じました。赤米を炊いたのはスタッフの方なので、美味しく食べられる工夫をしていたのかもしれません。藻類の酢の物に入っていたジュンサイの味ですが、残念ながら筆者の中ではアオノリの味に負けてしまい、すっかり霞んでしまいました。

次に万葉集に詠まれている鯛の醤酢(ひしおす)を。

“醤酢に 蒜搗きかてて 鯛願ふ 我れにな見えそ 水葱の羹”
巻16-3829 長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)
(ひしほすに ひるつきかてて たひねがふ われになみえそ なぎのあつもの)
現代語訳(意訳):潰したノビル入りの醤酢に鯛をつけて食べた~い! もうミズアオイの吸い物は見たくな~い!!

醤酢の醤とは今で云うもろみのようなもので、それに酢を合わせた調味料が醤酢です。この歌には、さらに潰した蒜(ノビル)が入っていることから、しっかりと刻んで加えました。

うん、美味しい!! 蒸し鯛だけではどことなく物足りないような気がしましたが、小皿に入れた醤酢をつけることで鯛の味が引き立ち、美味以外の言葉が見当たりません。都が山に囲まれているにもかかわらず、そこに暮らす万葉貴族たちは美味なる海産物を意外と多く味わっていたようです(※奈良時代、鯛は塩漬けされて貢進物として都へ届いたようです)。

皇族・貴族ならではの贅沢な食事だったんですね!

一方、水葱の羹はミズアオイという水辺の野草を煮た羹のこと。ミズアオイは絶滅危惧II類ですが、意吉麻呂に「見たくない」とまで詠まれていることから、当時はあちこちの水辺に生え、羹として頻繁に食卓へ上がっていたのでしょう。

謎の調味料“くき”の正体は……

小鉢は、わらびと蒜(ノビル)の須々保里(すすほり / 漬け物)です。わらびは塩漬けにすることで、1カ月から1年ほど食用可能に。これに熱湯を注ぎ塩気を減らしたものを食べましたが、ご飯が進む塩辛さでした。

大根のくき煮(「くき」は豆偏に支)は、大根とタケノコの一種・淡竹(ハチク / ハチコとも)と干し椎茸とを、くきと呼ばれる大豆を素にした調味料で煮たものです。

現代でくきに近い食材は、寺納豆(京都の大徳寺納豆や浜松の浜納豆)のように、固形状の納豆と考えられています。なぜ糸引き納豆ではなくて寺納豆なのかと云うと、それはくきが武蔵国(現在の主に東京都)や相模国(現在の神奈川県)からの貢進物だったため。当時、武蔵国や相模国から奈良までは約1カ月ほどかかりました。冷蔵設備のない時代のこと。その間、腐らずに保存可能な状態で都まで無事に運べる納豆は? と考えたとき、寺納豆が現代では一番近いんですよね。さて肝心な味はというと、特に美味しいとも不味いとも思えず、……微妙でした。

万葉植物の天ぷらって、その辺の草!?

万葉食にも揚げ物はありました。

万葉植物の揚げ物(皿の奥側)・手前の2品はお浸し / 万葉の森公園内の万葉亭にて筆者撮影

今回、筆者がワークショップで作った初夏の膳では、あふひ(フユアオイ)やお茶の芽、月草(ツユクサ)、こも(マコモダケ)などを、ごま油で揚げました。「奈良時代にごま油が!?」と驚かれるかもしれませんが、ごまの歴史は古く縄文遺跡から出土するほど。食用としては6世紀半ばの仏教伝来と関係があるようです。万葉集に詠まれた植物の多くは、いわゆる「その辺の草」。彼らはその中から、食べて美味しい植物を選んでいたんですね。

食材となる万葉植物(一例) / 万葉の森公園内および自宅にて筆者撮影

ツユクサは万葉集では食べ物として詠まれていないようですが、これが天ぷらにするとサクサクとした食感でなかなか美味しいんです。調べたところツユクサにはクセや灰汁が殆んどないので、若芽はサラダや和え物、炒め物にも向いているそう。このワークショップに参加して以来、庭に蔓延っているツユクサを見る目が変わったことは、家族にはナイショです。

万葉集でツユクサは、花の汁を染料として用いた歌が残っています。

“月草に 衣ぞ染むる 君がため 斑の衣 摺らむと思ひて”
巻7-1255 作者不詳
(つきくさに ころもぞそむる きみがため まだらのころも すらむとおもひて)
現代語訳(意訳):ツユクサで着物を染色中なの。貴方のために色模様の美しい着物に仕立てたくって。

デザートには牛乳を煮詰めたアレも

さてデザートですが、これは木の実やフルーツのほか、牛乳を煮詰めた“蘇”などが。蘇も貢進物として、近江国(現在の滋賀県)から生蘇として届いたようです。牛乳は蘇にすると日持ちが良かったため、保存食として万葉貴族が食べていたと思われます。
蘇について、詳しくはこちらの記事をどうぞ▼
藤原道長も食した古代の乳製品作りに2時間チャレンジ!今こそtake it 蘇!蘇!

さらに唐菓子の索餅(さくべい)も。このお菓子に見覚えのある方は、長崎や横浜などの中華街で見た、またはお土産としていただいた可能性があります。というのは、索餅の原型は「麻花兒(マファールー)」と呼ばれる中華菓子ではないか、と伝えられているから。味も食感も、ほぼ麻花兒でした。

万葉集の時代と(ほぼ)同じお菓子が今でも売られているなんて、ビックリ!!

麻花兒はとにかく硬い揚げ菓子です。索餅はそれを受け継いでいるからなのか、試食時間内にギリギリ咀嚼できるかどうか、というくらい硬い食感でした。奈良時代の人々は歯が丈夫だったんだなあ……。

長屋王の食事はもっと豪華だった!?

さて、今回筆者が味わった万葉食は貴族の膳です。これだけでも充分豪華だと思いますが上には上があるもので、天智と天武、両天皇の孫にあたる奈良時代の皇族・長屋王の食事はもっと豪華なんです。

その内容はご飯以外に、焼きタコ、茹でエビ、煮干しカツオ、アワビのウニ和えなどの魚介類が。意吉麻呂が嘆いた羹の中身は鴨と芹です。さらに鹿肉の醤和えと塩辛も。里芋と山菜の煮物、茄子と瓜の醤漬けやデザート(蘇、季節の木の実など)も並んだそう。
これら長屋王の食卓に並んだ食品は、主に地方から貢進物として納められたものです。タコにエビ、カツオ、アワビ+ウニ、鹿肉に鴨肉……想像しただけで豪勢! これらの食事内容は、すべて長屋王邸跡から発見された木簡に記してあったんですよ。

めちゃくちゃグルメ~~!!

一方、庶民の食事内容ですが、万葉の森公園内にある万葉亭では次のように再現しています。それは黍ご飯に数匹の雑魚、くきを少々と須々保里、青菜入りの羹、そしてお茶。それだけです。前出のように、くきは固形状の納豆で須々保里は漬け物です。
ということは、おかずらしいものは雑魚だけ? お茶はまだ緑茶の製法が伝わっていないため、磚茶(たんちゃ / だんちゃ)を飲んでいたようです。※万葉の森公園内の万葉亭では、緑茶の葉を乳酸発酵させた碁石茶(ごいしちゃ)を提供しています。

今回紹介した食材以外にも、万葉集にはウナギや鮎、栗やハスなどさまざまな食材が詠まれています。飛鳥~奈良時代から人の世が移り変わり令和の時代になっても、人々から愛されている美味は案外多いのかもしれません。

<万葉亭の基本情報>
住所:静岡県浜松市浜北区平口5051-1(万葉の森公園内)
開館時間:9:00~17:00(公園は常時開園)
定休日:月曜日
万葉食作りのワークショップは不定期開催ですが、万葉亭では貴族の万葉食と庶民の食事を提供しています。
※万葉食は予約制です(原則として4人以上)
貴族の万葉食:1,200円、1,500円 / 庶民の食事:600円
ご予約・お問合せ先:万葉の森公園・TEL:053-586-8700(9時~17時受付)
万葉食について(浜松市HP)
万葉の森公園公式サイト

参考文献
『万葉集の基礎知識』上野誠・鉄野昌弘・村田右富実 編 KADOKAWA 2021年4月
『食事から日本の歴史を調べる 縄文~弥生~奈良時代の食事 (第1巻)』永山久夫・山本博文 (監修) くもん出版 2018年12月
『復元 万葉びとのたべもの 奈良時代にさかのぼる食文化の形成』樋口 清之ほか 著 みき書房 1986年4月