「あの…突然、すみません」
考えるまでもなく、気付けば、本能的に声をかけていた。
約束の取材の時間は午前10時。しかし、思いのほか早く着いてしまったため、どうしようかと入口付近で様子をうかがっていたところへ、1人の男性がちょうど出てこられたのである。目を引いたのは、男性が手にする大きな紙袋だ。
「その、今、手に持たれている…そう、それです。すごく気になってしまって、つい、声をかけてしまいました…。一体、何をもらわれたのでしょうか?」
いきなり話しかけられた男性は、私の直球の質問に少し戸惑いながらも、紙袋の中の箱をコチラに傾けてくれた。
「はあ…。ゑびすさんの木彫りの像です」
「結構、大きいですよねえ」
「まあ…そうですね…」
「ちなみに、お高いモノなのでしょうか?」
「まあ…7万円したんで」
「…」
わお。「ゑびす様の像」よりも「7万円」という事実に気を取られつつ、教えてくれた男性にお礼を言ってその場を離れた。
再び、頭上の鳥居を仰ぎ見る。
そこには「恵美須神社」の文字が。
訪れたのは京都の中心街、京阪電鉄祇園四条駅から徒歩8分ほどの場所にある神社だ。毎年1月には四条通まで長蛇の列ができるという「10日ゑびす」で有名な「京都ゑびす神社」である。
じつは、コチラの京都ゑびす神社は、西宮(兵庫県)と大阪今宮神社(大阪府)と並んで、日本三大ゑびすと称され、参拝者からは「えべっさん」の名で親しまれているのだとか。
それにしても、どうして、人は「10日ゑびす」に熱狂するのか。
そもそも、「ゑびす様」とは、一体、どのような神様なのか。
今回は、知っているようで知らない「ゑびす様」について、コチラの京都ゑびす神社の見どころも含めてご紹介していこう。
お賽銭を投げ入れ始めたのは…まさかの参拝者?
お話をうかがったのは、京都ゑびす神社の禰宜(ねぎ)の阪本洋一氏である。
まず、最初に目についたのが、コチラの二の鳥居。
鳥居の中央部分にかかっているのは扁額ではなく、ゑびす様の福箕(ふくみ)だ。「箕(み)」とは、穀物の脱穀や選別、運搬などに使用される農具である。
社務所付近でお話をうかがっていたのだが、その最中に後方でチャリンと音がした。それも1度ではない。何度も、チャリンチャリンが繰り返される。振り返ると、信じられない光景が…。なんと、参拝の方が鳥居に向かってお賽銭を投げられていたのである。
「お賽銭を投げ入れて、入れば縁起がいいとか、願いが叶うとか言われています」と阪本氏。
確かによく見ると、鳥居中央のゑびす様の福箕に、何かが溜まっている。
下から見れば、お賽銭であるコトが一目瞭然だ。
「我々、神社側から始めたというワケではなくて、お参りの人が(お賽銭を)投げ入れてというところからなんです」
その歴史は、昭和52(1977)年に遡る。
当初、鳥居にかかっていたのは青銅製の扁額だったとか。しかし、戦時中に供出したため、二の鳥居には何もかかっていない状態が暫く続いたという。そこで、京都ゑびす神社の当時の宮司であった中川清氏が、お参りの人が親しみを持てるものをと、彫刻家の小山由寿(こやまよしひさ)氏(二科会員)に製作・奉納を依頼されたのである。
「元々は、かごの部分だけだったんですが。お参りの人がお賽銭を投げているところを、神社の者が尋ねたところ、入ったら縁起がええんやと言われまして。それで、入りやすいようにと網を取り付けて、さらに熊手も取り付けました」
「ほう。不思議なものですね。大体、参拝の皆さんは最初にここで投げられるんですか?」
「そうですね、目につくので。これなんやろって、お賽銭入ってるから入れよって。もしくは、神社の者に訊かれて、どうしたらいいんですかって」
なんだか、懐の深い神社だなあと、つい唸ってしまった。
やはり、この神社の御祭神である「ゑびす様」と関係があるからなのかもしれない。
あなたが知らない「ゑびす様」の真実
そもそも、私たちは「ゑびす様」という神様を知っているだろうか。
なんだかいつもニコニコされ、多分、鯛を抱えていらっしゃる…そんなイメージをお持ちの方が多いのかもしれない。
かくいう私も、そのうちの1人だ。
実際、コチラのゑびす様も、左手に鯛、右手に釣り竿をお持ちである。
そのお姿の通り、魚漁を好まれて、それを穀物などと物々交換されるという道を拓かれたため、「商売繁盛」の守り神とされているのだとか。
さて、「ゑびす様」の正式なお名前は「八代言代主大神(やえことしろぬしのおおかみ)」。大国主大神のお子であるという。
京都ゑびす神社の解説によれば、「ゑびす神」をお祀りするお社が西日本に偏在すること、大和民族以外の民族を指して「夷(えびす)」と呼ぶことなどを理由に、恐らく日本の先住民族の神様であったと考えられているという。なるほど。「七福神」の中で「ゑびす様」だけが唯一日本生まれというのも、合点がいった。
水と縁の深い神様であることから、古代から漁業や水難除けの神様として信仰されていたとか。実際、臨済宗の祖である「栄西」禅師は、唐(宋)へと渡海する際に海難危機に遭遇。しかし、厚く信仰されていた「ゑびす神」のご加護で救われた、そんな逸話も残っている。
そんな縁もあってか、じつは、コチラの京都ゑびす神社の縁起は、その栄西禅師と深く関わっている。
というのも、建仁2(1202)年、栄西禅師がこの京都ゑびす神社を建立されたからだ。建仁寺の建立にあたって、まずは「ゑびす社」を守護神として建てられたという経緯があるのだ。
確かにいわれてみれば、不自然なほどに臨済宗大本山「建仁寺」と「京都ゑびす神社」は近い。それもそのはず。明治時代の神仏分離以前まで両者は一体だったのである。その後、分離はしたが、現在も両者に交流はあるのだとか。
お肩をそっと叩いて念押しを忘れずに!
京都ゑびす神社の縁起を教えて頂いたところで、早速、お参りといこうではないか。
「まずは、真正面の本殿からで…?」
「はい。神社でしたら本殿、お寺でしたら本堂って。まずは主祭神、この神社で主にお祀りされている神様にご挨拶して頂いて、その後、お時間ある方は末社さんに回って頂いて…という感じです。最後に、御朱印とかを求めて頂くのが、基本の流れですね」
「この本殿の中はどうなってるんですか…?」
「じつは、我々も見たことがないんです…」と阪本氏。
取材を忘れて「へ?」と変な声が出てしまった。
「本殿の御扉(みとびら)が閉まっていますので。奥の扉ですね」
「この中にもう1つ扉があるんですか?」
「あります。ずっと閉めたままなんですが、大きなお祭り『10日ゑびす』に『20日ゑびす』。『5月の例大祭』とか。このときは、御扉が開きますが、どのような形でお祀りされているのか、ご神体はどういうものかが分からないんです」
「どなたもご存知ない?」
「代表の宮司は、代々世襲でして。宮司になられたときに、確か…見ることができるとか聞いたことはありますが…」
禰宜の阪本氏に色々と説明を受けながら、本殿の真正面に立った。
すると、何やら参拝の順序が書かれた立札を発見。
「ここのゑびす神社は、ゑびすさんがご高齢の神様で、お耳が遠いので、正面お参りのあとは、左奥へと回って頂いて…」
「ははあ。この参拝はセットなんですか?」
「正面でお参りして頂いても気付いておられない、もしくは聞こえていないということもありますので、ゑびす様のお肩を優しくたたく感じで『トントン』と。『ゑびすさん、お願いします』って、もう一度ここで念押しのお参りをして頂くんです」
「『10日ゑびす』のときも、皆さん、叩かれるんで、神主が祝詞を読み上げてても聞こえないくらいです。優しくって書いてありますけど、あまり関係ないみたいです」と苦笑する阪本氏。
ちなみに、この独特の作法は京都ゑびす神社だけなのだとか。
しかし、これも、神社側は一切関与していないという。
「先々代の宮司の幼少の頃から、みんな、トントンしていたと聞いております。最初はわからないようです。いつしか誰かが…みたいな感じですねえ」
お賽銭を鳥居に向かって投げるといい、肩をトントンと優しく叩くといい、なんだか全てに寛容だ。これも「ゑびす様」のお人柄あってのコトなのだろう。
「商売繁盛に笹持ってこい!」の由来とは…
さて、「ゑびす様」といえば「笹」。
「商売繁盛で笹持ってこい」の節は有名だ。
どうして「笹」が関係するのか、その由来を訊いてみた。
「1月10日はゑびすさんのお誕生日で。『10日ゑびす』は、ゑびす様のお誕生日でもあるんですが、海に帰られる日でもあるんです。一方で、『20日ゑびす』は海から来られた日のお祭りです。対となるんです」
「なるほど。あの『笹持ってこい』は京都発祥ですか?」
「『おささ』って『おさけ』…。『商売繁盛で笹持ってこい』って歌があるんですけれども。『おささ』って『おさけ』ですね。お酒を持ってお参りしにきなさいってことなんですね。音が一緒で『笹』が一緒になったんです」
「えっ?じゃあ、最初はお酒なんですか?」
「まあ、お酒を持ってきなさいみたいな感じ…ですね」
確かに、「笹持ってこい」のフレーズは、よく考えれば疑問だらけだ。笹を授与するのは、神社側である。それなのに「笹持ってこい」は、一体誰目線なのかと思っていたのだ。「ささ」と「さけ」が混ざったとなれば、理解できる。
なお、神社側が授与する『吉兆のお笹』は、正確には「吉兆の御影(おみえい)お笹」といわれており、御札の1つの形態を指すという。考案したのは、400年ほど前の京都ゑびす神社第十八代神主の中川数馬義幸氏である。
笹は真っ直ぐに伸び、常に青々と茂る。また、笹の葉の形状が小判に似ているとか、葉が落ちないなどの理由で、商売繁盛の象徴として定着したようだ。
「『10日ゑびす』って、すごい人なんですよね?」
「お参りの方がこの前の通りにずっと並んで、列が四条通まで出てしまうみたいです」
「芸子さんとか連れてくるのが、ステータスみたいな感じで。今もですね。毎年、連れてきはる方もいらっしゃいますね」
わお。長蛇の列を横目に、芸子さんを連れて京都ゑびす神社へ…。確かに、それは一種のステータスになるだろう。
「『10日ゑびす』は、夜にお参りする方が多いんですか?」
「やはりお仕事された方とか、お仕事終わりの方が来られるので。夜もすごく賑わいます。夜通し開いてますんで」
「ええっ? 24時間なんですかっ?」
「はい。1月9日に始まって、1月11日の23時まで。その間は24時間、神社は開いてます。巫女もおります。夜中にも来られます。場所も祇園なので、そういった方々も多いですね」(※コロナ禍前の状況です)
あれほど長い間、京都に住んでいながら全く知らなかった。仕事をされている方が少しでも参拝できるようにとの配慮。参拝者への寄り添うような姿勢が感じられた。
名刺やお財布が供養できるってホント?
境内をぐるりと一周したところで、「一の鳥居」付近へと移動した。ちょうど、京都ゑびす神社の鳥居をくぐったすぐ右手の場所となる。
阪本氏に最後に案内して頂いたのが、コチラの2つの塚である。
「財布塚」と「名刺塚」だ。
「これは、古い財布とか名刺とかをそのまま捨ててしまうって、やっぱり忍びないっていうので、先代宮司が、松下幸之助さんと紡績会社の吉村孫三郎さんにそれぞれお話をさせて頂き、賛同して頂いて作るに至りました」
「ははあ。なるほど、確かに名刺とかって…そうですね」
「古いお財布をこちらへ持ってきてもらうと、のちほど供養させてもらいます。名刺は、名刺感謝祭が9月にありまして、古い名刺もしくは取引で得た名刺を境内でお焚き上げさせてもらいます」
「結構、持ってこられますか?」
「財布はその都度供養させてもらうんですが。すごい数です。1日に10個とか、大体、2,3人の方が毎日持って来られるんで。週末は特に多いですね。ネットで見たっていう感じですね。財布は社務所にお持ち頂いて、お心持を収めて頂きます」
商売繁盛を祈願するだけでなく、それにかかわる財布や名刺も供養できるだなんて。
至れり尽くせりの「京都ゑびす神社」であった。
最後に
1時間弱の取材を終えてから。
京都ゑびす神社の禰宜の阪本氏に、ぶしつけだが、直球で訊いてみた。
「徳があるものなのでしょうか? 例えば、実際に商売が繁盛になったとか、そういう話は聞かれますか?」
「やはり、お礼参りに来られる方はいますので。先ほどもねえ。コチラ…」
「あっ、木像のゑびす様…」
取材前に入口でお話を聞いた男性は、この「ゑびす様」をもらわれたということか。
それにしても、ご立派である。
「お礼参りで、ですか?」
「いや、お礼というよりは、これから商売をするような方が持って帰られます。で、最初は3万円だったけど、商売が大きくなったんでって5万円、7万円と。自分が求められてうまくいったんで、知り合いにもっていう感じの方も、先日いらっしゃいましたね」
あの男性は、一体、どちらだったのか…。
確実なのは、「ゑびす様」とのご縁があったというコトだ。
実際、多くの方が「京都ゑびす神社」に参拝する。
これから商売を始める方、商売が上向きになられた方、お礼参りに来られた方。いずれも「ゑびす様」とのご縁を結ぶため。
つい、私も…と、決意新たにした。
取材前にお参りしたのだが。
今一度、心静かに「ゑびす様」にお参りしよう。
どうか、文筆業に関わるあらゆるご縁が結べますようにと。
基本情報
名称:京都ゑびす神社
住所:京都市東山区大和大路四条南
公式webサイト:www.kyoto-ebisu.jp