どうして奄美大島に心惹かれるのか。
島に滞在しながらその理由を考えてみた。
都会暮らしなら、大自然やゆったりした島時間に憧れるのもまだ分かる。だが、既に私は同じ九州地方に移住した身。鹿児島県ではないが、海と山を近くに感じる生活を満喫中だ。それなのに、どうしてと考えこんだ。
思い当たる理由は1つ。
それは、奄美大島の持つ「複雑な歴史」だ。
じつは「日本書紀」にも「アマミ」として登場していた奄美大島。だが、その後は琉球王国、薩摩藩に次々と支配され、敗戦後は米軍の軍政下に置かれるなど苦渋の歴史がある。島は、統治者が変わるたびに異文化の影響を受け続けた。そうして育んだ独自の文化に、強く惹きつけられているのかもしれない。
なかでも、島の特産品である「黒糖焼酎(こくとうしょうちゅう)」には驚いた。黒糖と米麹(こめこうじ)から造る蒸留酒なのだが、その起源は米軍統治下で造られた酒だといわれている。現在は、文字通り、奄美群島でしか造ることができない「地域限定の酒」なのだ。
そんな黒糖焼酎を昔ながらの「甕(かめ)仕込み」で造る酒蔵があるという。
それがコチラ。昭和26(1951)年創業の「富田(とみた)酒造場」である。
ということで「知る旅―奄美大島」の第3弾は「黒糖焼酎」について。
黒糖焼酎の始まりから、たどってきた複雑な歴史まで。もちろん、富田酒造場の「甕仕込み」の伝統技法も含めて、早速ご紹介しよう。
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甕仕込みの独特のスタイル
富田酒造場は、奄美大島の中心部といわれる名瀬(なぜ)市内にある。場所は、飲み屋が軒を連ねる「屋仁川(やにがわ)通り」のすぐ近くだ。
地図を見ながら、こんな繁華街の中にホントに酒蔵が……? と訝しんだが、無事に建物を発見。裏手には商品名にもなっている蘭舘山(らんかんやま)があり、山裾に建つ蔵である。なるほど、想像よりもだいぶ小さく、全てがコンパクトだ。
「ここら辺は繁華街で(蔵を)拡張することができなくて。発酵させる大きなタンクを置く場所がないんですね。で、結果的に残ったのが甕仕込みの製法なんです」
そう話すのは、(有)富田酒造場の代表取締役「富田真行(まさゆき)」氏だ。弟と従兄妹(いとこ)の3人で焼酎造りを行う家族経営の蔵元である。
「お米があって、その上に黒糖が乗ってるっていう、どんぶりのような形なんで。うちの親父は『どんぶり仕込み』って言ってたんですけども。正確には『すっぽん仕込み』。奄美群島の中でも今、2蔵しか残っていない古典的な製法です」
「すっぽん仕込み」とは、1次と2次の仕込みに同じ甕を使う製法のことだ。ちなみに、富田酒造場が使う大甕は540Lのサイズのもの。創業当時より同じ甕を使っており、既に70年以上が経つという。
ここで簡単に黒糖焼酎の製法を説明しよう。
黒糖焼酎の原料は「米麹(こめこうじ)」と「黒糖」だ。その工程は大きく3つに分かれる。「酒母(しゅぼ)造り(1次もろみ造り)」、「2次もろみ造り」、そして「蒸留」というステップだ。
まず、仕込み前の準備段階では、蒸した米に種麹(たねこうじ)を散布し、44時間発酵させて「米麹(こめこうじ)」を造る。米1粒1粒に菌糸がはぜこんでいく中で麹が熱を持つため、風で冷やして温度を管理する。
こうして出来上がった米麹を甕の中に入れるのが第1工程だ。仕込み水、そしてアルコールを造るための酵母菌と共に1週間発酵させ、土台となる「酒母」を造る。ちなみに、富田酒造場の麹は「黒麹(くろこうじ)」。沖縄県の泡盛で使われている麹と同じで、黒糖焼酎造りで使うのは珍しいようだ。
次に、黒糖を溶かした「黒糖ジュース」のような液を、甕の上から直接流し込む。今度は2週間発酵させ「もろみ」を造る。
「米麹のすぐ下には液面があって、液中では黒糖の糖分が分解されアルコールになります。糖分をむしゃむしゃ咀嚼して、ポコポコ分解したものがアルコールです」
同時に炭酸ガスが発生するため、朝と夕方の1日2回、撹拌するという。これが第2工程である。道理で、先ほどよりも甕の中のカサが増し、微妙に茶色みを帯びているというワケだ。
富田酒造場の大甕は全部で32個。同時に仕込みを行わず、8個ずつ4グループに分け、時間差をつけながら仕込みを進めていく。輪唱のように後から追いかけるイメージだ。それにしても、同じ工程を何度も繰り返すとは。黒糖焼酎はなんと手間暇かかるモノなのかと思ったが、他の蔵はそうでもないらしい。
「基本的に黒糖焼酎は、12、1月から春先の3、4月ぐらいまで。4、5ヶ月間ぐらいで、1年間分の酒を造るのが一般的なんです。うちの蔵は1つの甕の中に3週間入りっぱなしで、生産量がちょっと低いんですね。だから1年を通して造ります」
確かに時差式の「すっぽん仕込み」でなければ、大きなタンク1つにまとめて発酵させ、連続生産も十分可能だ。生産性の低さが弱点ともいえる富田酒造場の「甕仕込み」。だが、一方で見逃せない長所もある。
「創業してから70年以上、ずっとこの甕を使い続けているので、甕の中のくぼみとかに業界の言葉で『蔵つき酵母』って言うんですが、なんか『真っ黒黒すけ』みたいなイメージの酵母菌達が甕の中に残り続けてアルコール発酵してくれるんです。目に見えないので、スピリチュアルっぽい感じになるんですけど」
まさに、ここにしかいない、富田酒造場の貴重な酵母菌。彼らが独特の味わいを醸し出してくれるのだとすると、甕仕込みを続けるのも頷ける。
蒸留で黒糖焼酎の糖分がゼロになる?
「酒母から数えて合計3週間経つと、甕それぞれに大体15%(アルコール度数)ぐらいのアルコールが造られてます。1次、2次の工程は、菌のお手伝いをする補助作業ですが、最後の第3工程の蒸留では一番人の手が入るんです」
いよいよ第3工程の蒸留である。
黒糖焼酎は、アルコール度数が30度前後の酒である。そんな高濃度のアルコールを抽出するための仕組みがコチラ。まるで実験装置のように複雑だ。
2週間かけて造り上げた「もろみ」をホースで吸い上げ、蒸留タンクの中に流し込む。ボイラーで作った蒸気熱を中に直接当て込み、沸騰させるという。
「水は100度で沸騰するのに対して、アルコールは80度弱で沸点を迎えます。その沸点の温度差を利用して、より高濃度のアルコールを抽出しようという考えが蒸留の仕組みなんです」
だいたい1時間ほど蒸気熱を入れると、温度が80度に達するという。その時点でアルコール分だけが蒸気となるため、冷却水が張り込まれた通路をくぐらせて、再び液体に戻す。まさに「結露」するようなイメージだ。
「ガラスの円柱の下の方から、液体に戻ったアルコールが泉のようにワーッと湧いてくるんです。最初はアルコール度数が70~60%後半になります」
さらに温度が上昇し続け100度に達すると、今度は水分も蒸発。湧き出るアルコールにも水分が含まれるため、アルコール度数も次第に下降していく。大体2時間半から3時間で、最後に湧き出るアルコール度数は20%弱ほどに落ち着くのだという。
「全体で平均してアルコール度数が40度強の黒糖焼酎の原酒が出来上がり、それを調整していきます。2甕を一気に入れて、全部で16回の蒸留を行います。32個の甕で1つのお酒になるので、大体4,500Lぐらいですね。出来上がるまで約33日間。これを年間10回転ほど行うのが、うちの蔵の大きな流れです」
ここで、いきなりだが。
富田氏は黒糖焼酎についての「ある誤解」を解きたいという。
「『黒糖焼酎』という名前からして、糖分が高いというイメージを持つ方が多いんですが。そもそも黒糖の糖分を栄養源にアルコールを造るので、発酵している段階でどんどん糖は減るんですね。さらに蒸留を行うと、糖分は一切沸騰せず、気化しないんです。だから黒糖焼酎という名前なのに糖分が含まれていません」
つまり、黒糖焼酎は「糖分ゼロ」。
メーカーによっては、糖分ゼロのポップを付ける場合もあるという。それほど、アピールしたいポイントなのだとか。
「やっぱり今、ヘルシー志向なので。糖を気にされて手に取られない方が多いのは残念だなって。これが黒糖焼酎業界の中では課題になっていて、見学に来られた方には必ず『糖分ゼロ』をお伝えしています」
黒糖焼酎の原材料事情
驚きの糖分ゼロという黒糖焼酎。
その原材料である「黒糖」だが、じつは奄美大島が歩んできた歴史と深くリンクする。
「黒糖焼酎は奄美群島でしか造ることができないと定められてまして。特権といえば、特権です。逆にいえば、これしか造れないというか。ちょっといびつな状態でして」と富田氏。
今でこそ奄美大島は「黒糖の島」というイメージだが。これも薩摩藩の支配下で強制的に様変わりしたまでのこと。ただ、当時の黒糖は、島の人たちが口にできる食べ物ではなかった。もちろん、酒造りに転用するなど言語道断。明治時代以降も、奄美大島の人たちは黒糖を本土へ送り出してきたのである。
▼奄美大島の壮絶な「黒糖地獄」。
江戸時代には「黒糖地獄」の歴史も。奄美大島の黒糖沼はあまりにも深かった!
だが、敗戦後に事態は一転する。
「アメリカ統治下の時代に、黒糖を本土へ送るとなると、輸出する形になってしまう。そこで、日本国内には送り出すことができず、島の中で黒糖がたくさん滞留してしまいます。どんどん腐っていく黒糖を何か転用できないかと始まったのが黒糖のお酒。黒糖酒だったんです」
奄美大島では、かつての琉球王国の影響もあり、焼酎の一種である「泡盛(あわもり)」の製造がさかんだったとか。酒造りの技法も知っているのだ。だったら、余りある黒糖を使って酒を造ろうと、黒糖酒造りへと動き出したのである。
昭和28(1953)年、奄美大島は日本に復帰する。
「島の人たちは、大島紬(おおしまつむぎ)や黒糖酒をどんどん売ろうとします」
そこで問題となったのが、焼酎のルール。
じつは、焼酎のなかでも「本格焼酎」と呼ばれる酒には条件がある。酒税法によると、国税庁が指定する材料を使用しなければならないのだが、当時、黒糖は原料として認められていなかった。そのため黒糖酒は「スピリッツ」に位置づけられてしまったという。いわゆるウイスキーやラム、ブランデーなどの類だ。
輸送費もかかるなかで、税率も高く設定されており、なかなか売れない。富田氏の話では、当時の焼酎組合を立ち上げた人たちを中心に運動が起こったのだとか。その結果、「黒糖」と「米麹」を併用し、奄美群島内で造るという条件つきで、黒糖酒を「黒糖焼酎」として認められるに至ったそうだ。これが、黒糖焼酎の起源だという。
ちなみに、富田酒造場が使う黒糖は9割が沖縄県産のモノ。奄美大島でも黒糖は生産されているのだが。奄美大島の蔵元では、沖縄県産の黒糖を使用するところが多いという。これには政府の補助金との兼ね合いがある。
「当初は地元の黒糖を使ってたんですけども、昭和47(1972)年に沖縄が日本に復帰しまして。(沖縄が)なかなか経済的に厳しい中で、復興の一助になればっていうことで。補助金の方向付けをしたと聞いています」
国と沖縄県による補助金制度で、沖縄県産の黒糖の方が安く手に入るのだ。
「奄美群島の黒糖を使おうにも供給量もそんなにないですし、輸送費を含めても沖縄産と比較して4倍ぐらいの価格差があって、なかなか難しいですね。沖縄産の黒糖は、波照間島(はてるまじま)とか与那国島(よなぐにじま)とか。8つの島で作られていて、それらがランダムに届きます」
組合を通して購入するため、特定の島の黒糖を指定することはできず、届いたものをその都度使う方法だ。1つの島だけの時もあれば、4つの島の黒糖をブレンドすることも。
「島によっては少しミネラル分が強いというか、ちょっとえぐみを感じたりとか、すごくコクがあったりとか。基本的には甘いんだけども、その微妙なニュアンスの違いがそれぞれ島ごとにあって、それが味わいの違いになったりします」
まさに、あるがまま。
基本的には届いた黒糖を、最大限の努力で「自分たちの蔵の味」に寄せていくという。ずっと同じ銘柄を飲み続けても、少しずつ味わいが異なり、それはそれで面白い。
なお、年に1回だけ地元の奄美群島の黒糖を使用して造る銘柄もある。商品名の「まーらん舟(せん)」は、かつて琉球の島々および日本との輸送に使われた、帆で走る木造船の名前だ。
「『地のモノ』を使って地酒として表現することが多い中で、黒糖焼酎はすべて『他所』、つまり島の外から買ってきたモノばかり。いびつな構造が地酒として定着してしまったんです。奄美群島の『徳之島(とくのしま)』の黒糖を使用して、少しでも還元できればいいかなと思って始めた銘柄です」
止まらない「焼酎」への熱い思い
黒糖は沖縄県産が9割だ。一方で、使用する米はというと、鹿児島県産のうるち米。ここにも、富田酒造場のこだわりがある。
じつは、黒糖焼酎造りでは、タイ米を使用する蔵元がほとんどだとか。というのも、タイ米の方が米麹を造りやすく、他の原材料の味を引き立たせることができるからだ。ちなみに、沖縄県産の地酒である「泡盛」もタイ米を使用するのが一般的だ。
「うちの場合はうるち米なので、少し重厚感のある味わいになります。黒糖焼酎は、麹を必ず併用しましょうっていう条件なので。黒糖の香りもするけど、麹の香りもしっかり感じられる、2つの原料でできているコトを、僕たちの蔵としては表現したいなと思ってます」
そんな富田酒造場の代表銘柄は「龍宮(りゅうぐう)」。どのような味わいか、少しだけ紹介しよう。
「僕らっていうか、島の人たちは焼酎をストレートで飲むことがほとんどないんです。水やお湯で割ったりとか、ソーダで割ったりとかして、『食事中からぐいぐい飲む』みたいなのが一般的なんです」
おっしゃる通り水割りで……と言いたいところだが。あいにく私はロック派。自宅で鍋のお供にグイッと「龍宮」をいただいた。
個人的な感想だが、意外にもトロッとした甘さの美酒。糖分ゼロとかなりアピールされていたので、スッキリなキレを予想していたが。私の予想を十分裏切る味であった。もちろん、良い意味でである。これで糖分ゼロとは信じ難い。確かに焼酎にしては飲みやすく、富田氏の言う「ぐいぐい」の意味を3杯目あたりから実感。
これなら、焼酎を「苦い」「穀物臭い」と敬遠する人にも、自信を持っておススメできそうだ。だが、富田氏曰く、なかなかこの「敬遠の壁」は厚いのだとか。実際「焼酎」というワードに頭を悩ませた時期もあったという。
「ホントは、焼酎って面白い飲み物なんです。原料が違うと、香りや味が異なって、それが『多様性』に繋がるし。最近は地域限定のクラフトビールとか流行ってるんですけども。黒糖焼酎も奄美群島でしか作れない『ローカルさ』があるし」
ここでまさかの、富田氏の「焼酎愛」が止まらず暴走。
「『ヘルシー』もそうだし、うちみたいに小さい蔵が多いので『クラフト』とか。ホントは若い方とか、そういったのが好きな感度高めな方が好みそうな内容ばかりなんだけど……。ただ、あまりそれを語り過ぎるのも、それはそれでカッコ悪いと思っています……」
そんなパワーワードがちりばめられた黒糖焼酎だが。すべては「焼酎」という言葉で相殺されてしまうという。
「『焼酎』っていうイメージが、年寄りくさい、悪酔いしそうって。ネガティブに捉えられてしまって。だから一時期、『焼酎』をやめて『奄美大島の地酒』みたいな表現の仕方をしてたんです。でも、本来であれば、やっぱり黒糖焼酎は奄美大島でしか造れないものですし、それは違うなと」
ただ、最近になって、そんな富田氏の悩みも打ち破るような面白いムーブがバー業界で起きているという。
「バーテンダーの中でも焼酎をチョイスし始める方が増えてきて。日本固有のカクテルがなかったよねって。黒糖焼酎は、サトウキビから造る蒸留酒の『ラム酒』と同じ。モヒートとかラムコークは世界的に飲まれてるカクテルなので。黒糖焼酎で日本固有のモヒートだったりとか、それが世界的に広がったり。可能性はすごくあると思っています」
展望は広がるばかり。
こうして明るい話題を最後に、取材を終えた。
取材後記
とにかく、正直な人だった。
取材する私の方が、ここまで全部さらけ出していいのかと心配するほどに。
「甕仕込み自体も意図的に続けてきたっていうよりも、どちらかというと、創業してから70年以上、売れてない時期の方が圧倒的に長かったので。新しい機材を置く場所も、無理に導入する意識もなかったのが、多分正直なところだと思ってます」
その人柄なのか、蔵元の方針なのか。
いやいや、まさかの甕にずっといる「クロスケ?」の仕業なのか。
飲みだすとクセになる味わいに脱帽である。
奄美大島の歴史と共にある黒糖焼酎。
是非とも一杯。
あなたも奄美大島スタイルでいかがだろうか。
基本情報
名称:有限会社 富田酒造場
住所:鹿児島県奄美市名瀬入舟町7番8号
公式webサイト:https://www.kokuto-ryugu.co.jp/