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2024.04.05

ぐつぐつ煮込み、染め上がったのは意外な色! 奄美大島の「泥染め」驚きの工程

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それはもう、幸せな時間だった。

開いた窓から吹き抜ける風は冬でも暖かく、雨が降る音さえ心地よい。顔を上げれば、濡れた緑の草木が目に入り、自ずと深く息を吸った。

それが計算されたものかは分からない。
ただただ、工房全体が「自然」と一体になっていたように思う。

バシャッと水のはねる音、鳥のさえずり、長靴がキュッと鳴る音、ザーッと流れる水の音、グエーッというカエルの鳴き声。色んな音が混ざり合い、訪問者の私を優しく包んでくれた。

工房の窓から見える景色

「知る旅ー奄美大島」
その最後に訪れたのは「大島紬(つむぎ)」発祥の地といわれる「龍郷町(たつごうちょう)」。この地に、大島紬特有の染色法である「泥染め(どろぞめ)」を担う工房がある。

先ほど「自然と一体」と表現した「金井(かない)工芸」だ。

泥で染める方法は世界にあれど、奄美大島の「泥染め」は固有のもの。偶然に「泥」で染まることが発見され、先人の知恵が積み重なり、今の形となった。今回は、そんな泥染めについて、驚きの工程はもちろん、様々な可能性を模索する金井工芸の作品と共にご紹介する。

※本記事のすべての画像は「金井工芸」の許可を得て撮影しています

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ホントの最初は、木を切るところから?

「『無』になるために、ここへ体験に来られる方もいらっしゃるんです」

体験とは、「泥染め」体験のことだ。教えてくれたのは、今回の取材先である金井工芸の金井志人(かないゆきひと)氏。歴20年以上のベテラン職人で、ご本人自ら「染色人(そめしょくにん)」と呼ぶ。

金井工芸の染色家、金井志人(かないゆきひと)氏

コチラの金井工芸では、手ぶらでの「泥染め」体験が可能。私もそれがお目当てで訪れたのだが、まずはその前に泥染めの内容と基本的な流れを説明しよう。

ざっくりいえば、「泥染め」は、2つの工程からなる。草木から採る染料で染め、その後、名前の通り「泥田(どろた)」の泥で染める。2段階の「染め」が合わさって化学反応を呼び、えもいわれぬ独特の色味が現れるのだ。

確かに、単純な原色ではない。渋みがかったその色合いならば、さぞ着物も映えるだろう。じつは、この泥染め、奄美大島が誇る最高級絹織物「大島紬」の染色法なのである。大島紬は非常に複雑な織物のため、分業で作られる。大きく分けても30以上の分業があるのだが、泥染めはその一部。生地となる糸を染める工程に当たる。

そんな泥染めのスタートは、まさかの染料作り。それも原材料の調達からだ。

「『車輪梅(しゃりんばい)』の木を採るところからなんです。車輪梅の染料って普通に売ってないので。『梅』って書きますけど、バラ科の植物で。奄美でも防風林とか垣根とか。あとは海風があるので、塩よけなどで使うことが多いですね。結構、自生率が高い植物です」

車輪梅の木

車輪梅、方言で「テーチ木」。この木を煮て染料を作る。車輪梅は奄美大島だけにある木ではない。東京でも、高速道路や公園の垣根などでよく見る木だとか。この画像の木でおよそ10年~20年物。堅い上に、成長が遅いという。なお、車道脇の車輪梅では泥染めには使えないのだとか。排気ガスを吸っているため、出る色も違うらしい。

「自分で山に入る前は、専業で切ってくれる業者さんがいたんです。でも、山仕事がなくなってきたり。あとは世界自然遺産もあって、採取地が狭まったりとか。以前より採取が難しくなっていますね」

それだけではない。この車輪梅の厄介な点は、ストックできないというコト。堅くて生木でないと切ることができず、乾燥すれば機械をも壊してしまうほどだとか。また、日数が経てば色素も抜けていくため、もって1、2週間だという。

「車輪梅を機械でチップにして。基本的にはこれをぐつぐつするだけです。2日間で18時間ほど煮て作ります。(燃料の)薪は、前回煮出し終えた車輪梅のチップ。だから、これも次に煮るときには薪になります」

煮る釜 / 煮込みの様子 / 煮出し終えた車輪梅のチップを入れる

じつは、薪として燃料にされた後も、車輪梅には使い道がある。例えば、鹿児島県独特の餅菓子「あく(灰汁)まき」には木灰が欠かせない。また、燃料にしない場合、畑の肥料や陶芸の釉薬(ゆうやく)、藍染めの灰汁、染める前の精錬にも使われる。ただ使って終わりではなく、ぐるぐると循環できる仕組みが整っている。

「昔の状況では、多分、もうそれしかなかったっていうかね。外から入ってこないから、あるものをどうやって使うか、みたいなものに特化していったのかなと。そういった知恵が詰まってる仕事ですね」

大島紬の泥染めには2つのゴールがある

ぐつぐつ煮た車輪梅の染料はというと。
その後、3~5日ほど寝かせて出来上がりだという。それにしても、びっくりするほどワインに似た色だ。それもそのはず。染料の正体は、お茶やワインに含まれている「タンニン酸」。どこかで見た色だと思ったら、柿渋(かきしぶ)に近い色合いともいえる。これだけでも、いい色に染まりそうだ。

出来上がった車輪梅の染料

「分類は『草木染め』に入るんですけど。普通、草木染めって色素が弱いので、熱をかけて煮染めみたいなことをするんです。けど、この染料は全部、常温で使います。常温でも結構色が濃く入るので」

草木染めというコトは、車輪梅ではない他の植物でも泥染めができるのだろうか。

「実際は他の植物でもできます。ただ、いわゆる伝統工芸品の大島紬の泥染めは、『車輪梅』と『泥』の化学反応の総称を『泥染め」』って言うんです」

そんな大島紬の歴史は1300年以上。奈良時代中期の「東大寺献物帳」に大島紬らしきモノが記録されていることから、一般的にそういわれている。その詳細を出水沢藍子著「かごしまの大島紬今昔」より一部抜粋しよう。

「『東大寺献物帳』に、『南島』から『七條褐色紬袈裟一領』が献上されたことが記録されている。南島は現在の種子島、屋久島、トカラ列島、南西諸島の総称であるが、この褐色紬(かっしょくのつむぎ)が、テーチ木などの草木により古代植物染色の技法で染められた、奄美大島の紬ではないかと推定されている」
出水沢藍子著「かごしまの大島紬今昔」より一部抜粋

それにしても、なぜ「車輪梅」なのか。
「1300年前から生地があって、島にある植物で染めてたっていうのは間違いなくて。(他の植物でも染めていたけれど)他ではできないものに特化していったんじゃないかなと。例えば、当時『黒』を天然で作るのが1番難しかったので、そこに合う採取できる染料を考えた時に『車輪梅』になったんじゃないかなと」

ただ、これも憶測の域を出ない話だ。
奄美大島は、その歴史上、統治されることが多かった。そのため、文献があまり残っておらず、古くを辿れないという。

大島紬には欠かせない車輪梅

染料の話はこれくらいにして。いよいよ「染め」の段階だ。

「『揉み込み染色』っていうんですけど。染料に染めるものを入れて染めます。熱をかけないので、その分、色が入る部分を手で揉み込んであげる。そういった染色法です」

工房の窓枠に目をやると、白い液体の入ったバケツを発見。デジャブか。いやいや、実際に、つい最近見たことのあるような。あれは、確か……と記憶を探ると、水間黒糖製造工場で見た「石灰」ではないか。

「車輪梅が酸性なので、アルカリの石灰と中和させながら染めます。タンニンが強いので、回数ごとにちょっとずつ濃度を上げていく。泡が出てくると思うんですけども、その間隔を見たりとかして判断します。1回1回(濃度を)測らないんですよ。職人さんの勘で常に調整しながら『黒』に染めていくんです」

染料を入れる / 揉み込む

「黒」?
どう見ても、車輪梅の色は暗めの赤だ。それが「黒」に染まるのか?

じつは、車輪梅の「タンニン酸」と泥の「鉄」の化学反応で、最終的に「黒」色となる。ちなみに、大きなたらいに染料を入れ、染めたいモノを「もみもみ」。これを1回とすると、黒に染めるには60~80回くらい必要なのだとか。

その都度、染料を調整し、途中で泥の染めを挟み込んでいく。20回の車輪梅の染めで、泥の染めが1回入るようなイメージだ。地道に染め重ねていくことで、次第に変化が生じる。まさしく「『黒』を作る」という言葉がふさわしいといえるだろう。

だが、「色が染まればゴール」とならないのが、大島紬の難しさ。じつは、他にもクリアしなければならない基準がある。

「大島紬だと、ただ色を黒にするだけが僕らの役割ではなくて。増量率も気にしないといけないんですよ。白い絹糸が黒になるぐらい色がつくわけじゃないですか。だからその分、糸が太るんですよ。で、その太り方とかにも規定があって、3割増量までっていう規定があるんです。その重さの『増量率』と、色目としての『黒』を、同時に着地させないといけないんです」

黒く染めた大島紬の糸。車輪梅の「赤」がこのような「黒」に変わる

職人次第で、着地のさせ方は異なる。そのため、大島紬の場合、1人の職人が最後まで染め上げるという。ちなみに、職人の「勘」は、およそ10年以上の歴がないと掴めないようだ。
 
「ある程度慣れてないと。『染め』に関してもですし、あとは糸の扱い方。シルクの糸は細かったりするんで。洋服になる生地は機械で織られるんで、ある程度遊びの部分っていうのがあって。でも、手織りする生地の糸は違うんです」

泥染めでマインドフルネスの効果?

大島紬の難しさを実感したあとは、いよいよ、念願の泥染め体験である。

まずは、染める「モノ」と「色」を選ぶ。工房でも手拭い、ハンカチ、Tシャツ、ストール、手提げかばんなどが用意されており、別途購入して染めることができる。私が選んだのは、ストールと手提げかばん(小)だ。

泥染め体験で染めるモノはコチラ。 ストール / 手提げかばん(小)

もちろん、染めたいモノの持ち込みも可能。着古した衣類や汚れがついてしまったスニーカーなど、「染め直し」という意味で泥染めをする人もいるという。

「元々、染色には衣類の染め直しみたいなものもあるので。汚したら捨てるとかじゃなくて、ちょっと染めてみようって。やっぱり日常の中に入ってこないと、この良さはなかなか伝わらないので」

次に色だ。色を選ぶ際は、実際に染められた見本があるので参考にできる。金井氏の一番のお気に入りの色は、藍染めの上に泥をかぶせた色合いの「藍泥(あいどろ)」。

「僕がやり始めた当時、色に名前がついてなかったんですよ。職人さんは黒を作るために染めているので、途中の色は特に見てないというか。で、その(途中の)色がすごい素敵だったんですよね。藍染めして泥染めするから『藍泥』っていう名前をつけたのが、20年前とかなんですけど。今、普通に『藍泥』という名前が動いてるのを見ると、作るってこういうことだと思って」

色見本(車輪梅のパターン) / 色見本(藍染のパターン) / 実際に染められた直後の「藍染」

私は、車輪梅の「柿渋」色と「藍」色に一目惚れ。間に白を挟んで3色使いのストールに決定。ただ、これだと泥で染める工程がないため、手提げかばん(小)を「車輪梅+泥」でグレーに染めることにした。

色を決定すると、下準備だ。
3色のストールの場合、真ん中の部分を染めずに白色のままで残す必要がある。そのため、蛇腹で折り込み、縛って袋とじにする。

泥染め体験の準備。 蛇腹折りしたストールを縛る / 染めない部分を袋とじにする

これで準備もバッチリだ。先に藍染め、そして車輪梅の順番だ。
金井氏の説明を受けながら、そろりそろりとストールを片手に持ち、染料につけていく。もう片方の手で空気を押し出すように生地をほぐし、しばらくしてゆっくりと引き上げた。その際に、上から少しずつ絞り、水気を切るのも忘れない。

なお、藍染めの場合は発色を促すために、酢酸につけて酸化させる。一方、車輪梅で染める場合、泥染めしなければ「焼きミョウバン」を入れるという。

「焼きミョウバンにはアルミニウム系の金属成分があるんですけど、入れると染料に近い色に割と残ってくれるんですよ。だから漬物とかにも焼きミョウバンを入れるんですけど。車輪梅の赤っぽい色をそのまま残すんだったら焼きミョウバンです」

ちなみに、染めている写真が一切ないのは、私が両手を使っているからだ(今回の取材にはいつものカメラマンが同行せず)。物理的にもムリだが、精神的にも余裕はない。

ただひたすら柿渋色の液につけ、手を上下に揺らす。目の前のコトに集中する。それだけだ。何も考えない。時折り窓から見える景色を眺めて、また布地を揉み込み、色をつけていく。

工房の窓から見える景色。以前はサトウキビ畑だったとか

気付けば、何もかもが頭から消えていた。染色のことも、色の具合も、取材のことも、昼食のことも。私の中には何もない。

あるのは、潔いほどの「無」。
「マインドフルネス」でいうところの「無になる」という意味を、今初めて体感したのである。

カエルと共に泥田で染め体験

無の境地が「知る旅―奄美大島」のラストを飾るとは。自分でも驚きである。

だが、これで終わりではない。
3色ストールは藍染めと車輪梅染めで完了だが、手提げかばんは泥で染める必要がある。私には「泥田」が手ぐすね引いて待っているのだ。少々の雨が降っても、カッパがあるから問題ない。泥の進入を防ぐため、膝上までの長靴を履いて。いざ泥田へ出発だ。

向かう途中で、のどかな鳴き声に気付く。効果音並みのリアルさ。一切リズムも狂わず、常に一定である。

「これってまさか……?」
「カエルです」と金井氏。

進んでいくと、泥田の一角に小さく囲われた場所を発見。どうやらそこに入るようだ。そばにはトカゲがもそもそ。カエルの姿は見えず、安心する。泥田にはアメンボのようなものが浮いていた。

膝上までの長靴を着用 / 工房の裏手にある「泥田」 / 左手の囲われた部分に入ることに

「コレって、昔の人はこのまま? 素足で?」
「ですね」と金井氏。

覚悟を決めて入る。

おう。
間抜けな声が出てしまった。思いのほか、泥田は深い。注意しないと足を取られそうだ。

「下に泥が沈殿していると思うんですけど。これを1回撹拌します。150万年前ぐらいの古代層が(幾つか)奄美にはあるらしくて。その古い地層の成分が水に溶けて泥染めができるみたいです」

泥の中で手提げかばんを揉み込む。両手で力をこめるも、中腰がきつい。もうそんな年かなどと思いながら、トカゲに気を配り、また揉み込む。工房の中での染めとは違って、自然との一体感が半端ない。自然の恵みを享受しているという感覚が、さらに強くなる。

泥田に入った上からのショット

ちなみに、この泥染めだが。
この方法を発見したのは偶然の出来事とされている。ただ、そのシチュエーションは見事にバラバラ。島役人から紬を隠すために泥の中に入れ、後から出したところ、美しい色に変わっていたとか。はたまた、ある婦人が着ていた車輪梅で染めた紬の裾に泥がつき、それがグレーに変色したとか。

諸説あるも、金井氏は意外な説を披露。
「そうなのかもしれないですけど、結構、話が綺麗だなとか思ったりして。色々な物語があると思うんですけど。でも、ホントは酔っぱらって落ちたとか、そんな感じじゃないかなって。農作業してて染みが落ちないとか。もっと自然の発見だったかなと」

そうこうするうちに、泥田での染めは終了。やっとこさの思いで、泥田から抜け出した。

それにしても不思議な感覚だ。
泥の「鉄分」との化学反応で、色が変わる。それも、派手な変化ではない。渋みが増すというか。西洋にはない、日本独自の色合いが表現される。

それでは、実際に染め上がったストールと手提げかばんをご紹介しよう。

染め上がったストール / 泥染めの化学反応でグレーがかった色合いの手提げかばん(小)

なお、泥染めの唯一の弱点がクエン酸。
「奄美だと、もうすぐタンカンの季節なんですけど。大島紬を着てる時にタンカンを食べるなと。泥染めの色がちょっと分解されるんですよね」

準備を含めても、染め作業は1時間弱。あっという間に終わる。だが、色が安定するまでのフォローには、少しだけ手間がかかるとか。何回か洗って、色焼けを防ぐために影干しをする。工房から帰った後にも楽しみがある。旅の思い出がその都度甦るのも、これまたいいかもしれない。

基準は「島に還元されるか」

取材最後は、併設のギャラリーに場所を移し、作品を見せていただいた。

金井氏の地元は、ここ奄美大島。
だが、ずっと島暮らしではない。一度東京で暮らした後に、島に戻ってきたUターン組だ。当初は、家業の金井工芸を継ぐためではなかったという。

「産業的に仕事の量が減ってきてると聞いてたので。なくなるのかなって僕は思ってて。(当時は)職人さんも1、2人とかだったんです。その頃は、なくなる前にちょっと覚えとこうかぐらいで。やったら割と色を作るのって面白いと思って」

色を買うのではない。色を「採りにいく」。
これが金井氏の琴線に触れたようだ。

「『染色』ってなると、そこの部分だけ見ちゃうんですけど。例えばそれが染料なのか顔料なのかで違ってくるし。大きく『色を扱う仕事』って、俯瞰的に捉えた時に『これとこれはいけるな』とかが見えてきたりする。なので、色んなモノを実験してます」

奄美大島だけではない。地方や海外などフィールドワークで訪れた先でも、様々なモノから色を採ることもあるという。

「植物でも、全然地元では染料として使わないようなものも、1回試しにやってみようって感じで。『ああ、こいついい色出るじゃん』みたいなのが、たまに出てくるんです。前例がないんで、やってみないと。そうすると、『結構(これで)一生遊べるな』みたいな感じです」

工房に併設されているギャラリー内部。多種多様に色染めされたモノたちが展示されている

そんな金井氏は、様々な異業種とのコラボにも積極的だ。ただ、コラボに関しては、単にその場のノリや勢いでは判断しない。彼には揺るがない1つの基準がある。

「一番は島のためになるかどうか。結局、その技術ができたのも、島の自然があるからできるわけじゃないですか。知恵があってこそ、材料があってこそなので、還元するところも、確実に『島』っていうのがあるんで。そこは基準の一つですね」

最初は、大島紬の中の分業としての「泥染め」だった。だが、この部分が独立し、「色」を媒体として大きく広がっていけば……。分野を越え、常識を覆し、可能性が広がれば、それはつまり、最初の「大島紬」へと還元される。そんな考えなのだろう。

既に、金井氏の挑戦は始まっている。
併設のギャラリーに展示されているのは、これまでに見たことのないモノばかり。「しめ縄」から始まり、「サンゴ」や「和紙」に「木材」まで。色を施すことで、これまでにはなかった新たな可能性に気付かされる。例えば、コチラの和紙は、染絵のようなアートピース。木材も「建材」として新たな道が開かれた。

様々な作品が並ぶ 順に「しめ縄」/「サンゴ」/「和紙」/「建材」

ちなみに、コレは何かお分かりだろうか。

黒いオブジェの正体は……?

「奄美は結構食べるんで。ヤギ」と金井氏。
「え? ヤギの骨ですか? どうして……(最後まで言えないほどの衝撃をモロ受け中)」

「山の中の川に洗いに行く時に、そこでたまにヤギを捌いてたりするんですよ。ぽつんと骨が置かれたのを見て1回染めてみようかなと。アメリカとかだったら、バッファローとかもするじゃないですか。奄美だったらって。で、イノシシも試したんですけど、イノシシは全く染まらない……」

動物の骨でも、ヤギとイノシシでは違うのだとか。一体、どうしてと思わず唸った。油分のせいなのか。それとも何か他の理由があるのか。

染められるモノと染められないモノの境界線。確かにそのラインを探すのは面白いだろう。つい、私も「それならブタとかは……」と、恐るべし金井ワールドに引き込まれてしまうところだった。

こうして、2時間の取材は無事に終了。
思わぬところで、心身共にパワーチャージをされた。

取材後記

取材中の金井氏の言葉が印象的だった。

「昔は材料がなかったので。その時はサンゴを焼いて砕いて石灰の代わりにしていたりとか。そういう流れで、あるものを使います。水も全部地下水。あと化学反応なんで、水道水だと成分が変わってくるんですよ。車輪梅の木も、水も、泥も。材料が全て自然なのでありがたく、贅沢な染色かなと思います」

金井氏だけではない。
今回の「知る旅―奄美大島」で訪れたどの取材先も、島への感謝の言葉を口にしていた。島の自然、島があるからこそ、できる仕事なのだと。

奄美大島で暮らすとは、そういうコトなのだ。
島の恵みをもらい、また島へと返す。
そうして島は存続し、人を魅了し続けるのだろう。

いつかまた、島を訪れることができたら。
私も、何か島へ返すことができるだろうか。

参考文献
「かごしまの大島紬今昔」 出水沢藍子著 出版企画あさんてさーな 2017年11月

基本情報

名称:(有)金井工芸
住所:鹿児島県大島郡龍郷町戸口2205-1
公式webサイト:http://www.kanaikougei.com/