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2021.04.02

生きる目的は「過去」にある?お坊さんと出会えるマッチングサービス「ヘイ!ボウズ」を体験してみた

この記事を書いた人

令和3(2021)年2月のとある晴れた日。大阪府内某所。
2人の女の会話。
というよりも、1人だけ一方的に焦っている様子。
その口から呟きが漏れる。
「あかん。全然知らんお坊さんと話すって、なんか緊張してきた」
「そんな、突然、お坊さんに質問してっていわれても…」

その5分後。
「お坊さんって、そもそも、毎日、何したはるんかな?」
「ってか、お坊さんの最終目標って何なん。何のための修行なん…」

その3分後。
「自分って…何のために生きてるんやろ…」

そして、その1分後。目的地となるお寺の前で一言。
「つまり…みんなの『生きる目的』ってなに?」

おいおい。それは、質問が壮大過ぎるだろ。
私は、心の中で突っ込みを入れていた。というよりも、むしろ、声に出したはず。今回の取材の同行者は、なんといっても気心の知れた友人。かれこれウン十年来の友情を育んできた仲ゆえに、遠慮は無用というワケで。

さて。そんな彼女を、どうして取材に引っ張り出してきたのか。
これには、少し説明が必要だろう。じつは、今回の企画は「癒しを求めて」として、昨年の記事「永平寺(福井県)の坐禅」に続く第2弾としてのアプローチとなる。

コロナ禍の世に慣れたといっても、誰もが鬱々とした気分を持て余している。そんな中でどうすれば「癒し」を得ることができるのか。この視点でリサーチした結果、私の目に飛び込んできたのが、株式会社ブイ・クルーズが運営する「Hey!Bouz(ヘイボウズ)」というサイトだった。

じつは、こちらのサイト。
なんと、お坊さんとのマッチングサービスが提供されるという一風変わった内容のサイトなのである。

お、お坊さんとのマッチングサービス!?

「Hey!Bouz(ヘイボウズ)」のサイト画面

まずサイトに登録後、お坊さんへのリクエストを出す。その内容に応じる意向の僧侶がいれば、その数だけ彼らの情報が届く。その中から選んでメッセージのやり取りをし、時間や料金などリクエスト内容と併せて交渉。両者が合意に至れば、マッチングが成立するという仕組み。

ちなみに、お坊さんにリクエストできるのは3つのコト。寺で色々と悩みを聞いてもらうなど「お坊さんと話すコト」。「お寺を案内してもらうコト」そして「お経を読んでもらうコト」。

もちろん、誰に決めるかのやり取りから、実際に出会ってリクエストに応えてもらうまでが、このサイトの醍醐味。インターネット上でも、現実世界でも。共に楽しめる仕組みとして工夫されているのだが、ネタ明かしはここまでにしておこう。

気になる……

今回は、このお坊さんとのマッチングサービスを提供する「Hey!Bouz(ヘイボウズ)」を取り上げたい。自らというよりも、被験者として人身御供のように親友を捧げつつ。もちろん、そのやりとりを観察して追体験する一方で、サービスを提供する側にも、その思いを取材した。

果たして、「Hey!Bouz(ヘイボウズ)」は、現代人が求める「癒し」の選択肢となれるのか。早速、ご紹介していこう。

生きる目的の原点は「自己尊重感」

「通常ですと、Web上でどんなことがしたいかと希望を書いて頂くのですが。今日は何もなかったので。何をどうしたらいいのか。まあ、なんでも…どんな話でも」

穏やかな雰囲気で始まった今回の取材。
いや、お坊さんとの会合。いわば「お話し会」とでもいおうか。

今回、「Hey!Bouz(ヘイボウズ)」を通じてお会いしたのが、コチラの方。
大阪府寝屋川市にある「大念寺」副住職、関本和弘(せきもとわこう)氏だ。

大念寺副住職 関本和弘氏(写真撮影時のみマスクを外して頂きました)

なお、私も彼女も、お会いしたい候補としてなぜか最初に挙げさせて頂いたのが、この方(「せーの」で名前を言ったら、同じだった)。やはり、強固な友情のなせる技なのか、たまたまの偶然か。

「弾けすぎるのは…どうかなと。真面目過ぎて肩が凝るのもどうかなと。この方だったら、どんなお話でも『へっ?』というふうにはならないかなと」
そう、選んだ理由を話してくれた彼女。

「ちょうどバランスが取れていたんですかね。狙い通りです」と笑顔の関本氏。

こんな具合で始まったお坊さんとのお話。
彼女は、ためらいながらも、少しずつ言葉を紡いでいく。
「大きな悩みとか具体的なものは出てこなくて…。まあ、漠然としたものはあるんですけど。すごく大きな話になるとは思うんですが。その…『生きなきゃいけない』理由がね、ないみたいな感じで」

ちなみに、これは彼女の話ではなくて、彼女の友人の話。
独身で子どもナシの境遇。何かしら辛い出来事が、現在進行中というワケでもない。楽しいコトだってある。ただ、その楽しさを感じるのも、一瞬だけ。生きるべき理由が見当たらないと、相談されたのだという。

「落ち込んだときに、どう考え直したらラクになるのか、受け止め方のヒントを聞きたいなと。これって、重い話ですよね…」

私のまわりにも「生きる理由」に悩んでいる友人がいます。

今回取材に同行してくれた友人

「やっぱり若い方で、そんな風に考えられる方がけっこう多くて。生きる目的、自分探し」

関本氏はそう切り出し、一拍置いてから、こんな問いを発した。
「『生きる目的が必要な方』『特に生きる目的が必要でない方』。この2つに分かれると思うんですよ。何が違うと思います?」

なんだか、禅問答のようになってきた。なかなか、難しい質問である。私も心の中で考えてみる。生きる目的が必要…いや、私は不要なタイプだ。「生きる」というより「生かされている」という意識がある。どうせなら人の役に立ちたいとは思うが、そこまでだ。「生きる目的」などない。

「これは答えがあってないようなもの。自分に根っこがあって、どっしりと支えがあってという方は割と大丈夫で。根っこがなくてふらふらと流れていくような感じの命の使い方をすると、たまに不安になったりする」

次第に関本氏の話に引き込まれていく。
「その根っこは何かと考えたときに、私は『自己尊重感』だと思うんですよ」

多分、私たち2人とも、不可解な顔をしたのだろう。
すぐに、言い方を変えて説明してくれた。
「もう少し噛み砕いていえば、『自分が好きかどうか』。自分のコトが嫌いな方に、自分探しをする方が多いかなって思うんです」

左側:関本和弘氏、右側:取材同行者の友人。2時間にわたって色々とお話頂いた(写真撮影時のみマスクを外して頂きました)

じつは、仏教の最初にある話が出てくる。
お釈迦様が生まれ、悟りを開かれ、そうして仏教は始まっていく、その始まりの部分である。

「お釈迦様がお生まれになられて最初に7歩歩いて、天の上と天の下を指さされて、『天上天下唯我独尊』とおっしゃられたと、いわれているんですね。天の上にも天の下にも、自分より尊重されるものはないと」

関本氏曰く、この「自分」というのは、お釈迦様のことではなく「全ての命」を指しているという。つまり、自分という命が、上でも下でもなく、一番尊いという意味に捉えられるのだとか。

「現代の中で、これがどんな教えになるのかなと考えたとき。自分の命は自分で使うものであって、おいそれと人に使わせるものではないと。自分を大事にしなさいって。だから自分を大事にできる人って、特に生きる目的が必要じゃないのかなと思うんです」

未来を考えるために、過去と向き合う

年甲斐もなく。私たちは、つぶらな瞳で声を合わせた。
「どうしたら、自分を大事にできますか?」

これに対して、関本氏からは全く予想外の答えが返ってきた。
「昨日、今日、明日と自分が作られるものではなくて、幼少期から今に至るまで、ずっと長い人生があって。その中で自分というものが作られていくんですね。この中で『自分を大事にできなくなる場面』というのが絶対あったはずなんですね」

自分を大事にできなくなる場面。
なんだかなあ。まあまあ年を重ねていくと、自然とそんな場面は多くなる。あれもこれもと、数え上げればキリがない。特に日本の組織の中で生きるとなれば、自分という「個」を消さなければいけないのは必至。組織を離れた今、苦い過去を思い浮かべていると。隣では、現在も組織の中で生き残りをかけている彼女が、ため息をついていた。

「自分を大事にできなくなる場面」が「生きる目的」のヒント。
ここで、関本氏自ら、自身の体験をあけっぴろげに話してくれた。

「私の話をしたら。私はキリスト教の学校に行って、思いっきり逃げたんですけど。じつは、小学5年生のときに、『おまえんち、人、死んだら儲かるんやろ』って言われて。私は世襲4代目で、普通に育ってきました。特に取り立ててすごくというわけではないにしろ、意識の中では、尊敬している父や祖父だったんですね。その言葉で、私の中で何かがあったんだと思うんですよ。そのときに、すごく怒るわけでも、何か反論したわけでもなく。一瞬でなかったことにした。その記憶さえもなくて。それが恐らく、自分の行動原理になっていくんです」

700年前から続く歴史ある「大念寺」

こうして、彼は、とにかくこの寺の後継ぎから逃げることを優先する。

「寺を継ぎたくない、逃げたいという気持ちだけ。小学5年生のときに、そんなことがあったなんて、忘れてるんです。ただ、逃げる逃げるを続けて、遂には逃げ切れなくなって。寺に戻って、初めて、仏教を勉強するんですね」

勉強を始め、約10年ほど経ったのち。
関本氏がちょうど30代前半の頃。突如、記憶が放たれるのである。
「唐突に思い出すんですよ。小学5年生のときに言われた言葉が。ちょうどフリーズドライにしていたものが、溶けだしてくる感じ。恐らく自分の中に、これを解決するヒントみたいなものが見つかったんでしょうね。だから思い出したんだろうと。自分に起こったことが、人を動かす行動原理になるんです」

自分を探す。生きる目的を探す。
それには、過去を振り返るべきだと、関本氏は話す。
「随分、地面から下の見えないところにあるものが、行動原理になって、自分を作っている。だから自分探し、生きる目的を探すために、未来を見るのではなくて、過去を見て欲しいんです」

大念寺副住職 関本和弘氏(写真撮影時のみマスクを外して頂きました)

じつは、仏教にも深層心理を表す言葉があるという。
「『五感』っていいますよね。目、耳、鼻、口、皮膚で五感。心を足すと6つ。つまり、『意識』。で、このあと、7番目に『末那識(まなしき)』、8番目に『阿頼耶識 (あらやしき)』というものがあるんです。この8番目が、いわゆる『深層心理』なんです」

過去に起こった全てを、普通は覚えていない。しかし、現実に、何かしら今の自分を形作る事実があったはずなのだ。これが、「好きな自分」「嫌いな自分」の元になるのだという。

この言葉に、さすがの彼女も隣でうーんと唸る。
「つい、生きる目的といえば、『未来』を考えてしまうんですよね。それがじつは『過去』にあったのかと。今までにない視点です」

確かにそうだろう。生きる目的がない。だから、探そうと考える。探す先は、これから先の世界で。つまり、未来の中で見つけなければと考えてしまう。だって、今まで見つけられなかったのだから、先にしかないはずと思うのは、至極当然のこと。

しかし、そうではないのだ。
「なかったじゃなくて、気付かなかったのかもしれないです。あるいは、見ないふりをしただけなのかも。仏教で、『仏道は自分をならう』と言った人がいました。仏教をならっていたつもりが、いつの間にか自分のことをならっていたと」

振り返りたくない過去ってたくさんあるけど、そこに「生きる理由」のヒントがあるのかも

ちなみに、関本氏は、自分のコトが好きなのだろうか。
「割と好きですね。仏教を学ぶようになってからの自分が好きです」

なんだか、仏教が随分と眩しく感じられた。

「Hey!Bouz」に登録したのは自分から⁈

さて、ここからは取材として、関本氏ご自身についてのお話をうかがった。

なんでも、彼が大念寺を継ごうと決断されたのは、大学院卒業の頃。超就職氷河期の時代で、苦労して勝ち取った内定もあったとか。

「定年してからでないと戻ってこれないなと。どうするかと考えていたときに、私の背中を押したのは、仏教の世界なんですよ」

じつは、僧侶の世界は完全なる年功序列。実力世界ではないため、高座に位置する僧侶だからといって、必ずしも仏教に通じているワケではないのだとか。それが分かったのが、ある法要での出来事。関本氏が、ある僧侶の方に仏教について質問をしたところ、定年退職したばかりで分からないと言われたという。
「これが将来の自分なんやと。こんな場所にいてて、分からへんって言わなあかんようになってしまうんやと、これが完全に後押しでしたね」

こうして人生の大きな決断をした関本氏。
内定を辞退し、戻ってきたはいいが。そこからが本当に大変だったという。

「それこそ、未来なんかなくて。ルーチンワークの繰り返しですよ。お参りに行って、朝、お経唱えて、お茶呼ばれて。『今日はいい天気ですね』って言って無難な話をして帰ってくる。これを、なに、死ぬまで続けんのって。うわーって思ってましたね」

何が関本氏を変えたのか。
それは、「友人の死」。

「大学院を卒業して2年目くらいかな。友達が自殺したんですよ。大学院時代に、けっこう関わりがあって。まだ当時は、私、根性論の人間だったので。いろんな話をしてたんですよ。それが、亡くなったということを聞いたときに、自分の話が一ミリも入ってなかったんやなと。何ができたんやろって考えて。それこそ、私も『自分探し』をするんです」

製薬会社から引き取った愛犬のハルくんと関本氏

色々と考える中で関本氏の目に留まったのが、大阪自殺防止センタ―のボランティア。以後、彼は10年を超え、「人の話を聴く」というボランティア活動に邁進する。そこで初めて傾聴の仕方を学び、これまでの自分の失敗に気付くのである。

「今まで真逆のことをやっていたと、嫌というほど学ばされるんですね。話の聴き方も、習うものではなくて、自然に、うんうん、はあはあって言ってたらいいんやろと。でも、全然違ったんですね。ちゃんと傾聴しようとすると、めっちゃしんどいんです」

特に驚いたのが、相談に対する「アドバイス」。
「アドバイスは、結局、自分の逃げだと気が付いたんです。こんな重い話はもう聴きたくないって。それを抑えつけるために、言ってたんです。それに気づいて、アドバイスをしなくなりました」

アドバイスは自分の逃げ。ハッとしました……

なお、現在は引退されて、犯罪加害者の世話を行う保護司をされているという。
「(大阪自殺防止センタ―は)大事なところなんですけど、ちょっと限界を感じたんです。自殺者数はすごく減ったんですが、若い人の総数は何にも変わってなくて。若い人にアプローチってどうすればいいんかなと。次の方法を考えなあかんよねって、引退させてもらいました」

ここで、関本氏は考える。
僧侶として、現時点で関わることができる人間は限られている。寺の檀家の方か、自殺防止センターで接触する相談者か。どちらにせよ、極端すぎると感じたという。
「(両極ではなく)真ん中にいる人って、どんなことを考えておられるのかなと。一般の方でお坊さんと接点がない人。もし接点があれば、どんなことを求めるのかなと。例えば生き方を教えてほしいとか。そういうことを求められる人ってすごく多いんですよね」

大念寺副住職 関本和弘氏(写真撮影時のみマスクを外して頂きました)

そんなとき、偶然にもチャンス到来。
「たまたま、渡りに船で、一般の人とお坊さんを繋ぐマッチングサービスがあるって、友達のお坊さんがしてたんで。ここやったらお寺さんと接点のない人が多いだろうなと。じつは、運営会社から一本釣りされたわけでなく、こちらから入れてって言いにいったんです」

つまり、関本氏ご自身から、「Hey!Bouz(ヘイボウズ)」へ登録したとのこと。
果たして、サイトでの出会いは想像通りだったのか。
「私を選ばれる方って…大抵、重い話が多い…」
「ああ。(彼女のように)生きる目的がみたいな?」
「そのクラスよりも、もうちょっと重い方が多いかなと。あまり気軽な人は来てくれないですね」

なんでも、お坊さんの恰好で来ないでくれだとか、そんなリクエスト内容もあるのだという。私たちは顔を見合わせた。

「全然、『Hey!Bouz(ヘイボウズ)』のサイトを見てると。川辺でね、お坊さんと和やかに歩いてるとか。でも、そんなシュチュエーションになったことない。周りに訊くと、なってる人、結構いるみたいで。なんでやねん! と思いますね」
「プロフィール拝見しましたけど、旅行とかよく行かれてますよね。だから、相談内容が軽めの方も来られるかなって思ってたんですけど」と私。
「そう思いたいんですけどね…」と苦笑い。

それでも、どんな話でもいいと、関本氏は遠い目をする。
「(話し終われば)納得してというか、ホッとしてというか。背負っているものを全部おろしていく感じ。もうこれ以上ないほどの感情の部分をどっかに捨てていけたら、ちょっとラクになるんです。そういう場所にしたい」

仮面を外すことができる相手

「お坊さんであることがいいなと思うのはね、お坊さんにはウソをつかれへんと言った人がいて。変に見栄をはらなくてもいいし、素の自分として話せるようになると。ああ、それはいいことだなと」

確かに、そうだ。お坊さんや神父様など、聖職者に対しては嘘をつきにくい。ただ、関本氏のいう「ウソ」は、少しニュアンスが違う。本来、生きていく中で、自分が担う役割のことを指す。

「普段、みんな仮面をかぶっているんですよね。会社では上司の仮面、家庭ではお父さんの仮面、お母さんの仮面。役割の仮面をかぶっている。その状態が自分だと思っているんですよ。ホントは、素の自分となって、仮面を外したっていい。でも、その外し方が分からんようになってくるんですよ」

「仮面」か。うまいなと思う。
何重にも被った仮面で、本人も素顔が分からない。ホントの自分は、一体誰なのか。疲れていてもその役割を演じ切り、いつしか役割だったモノが役割でなくなっていく。そうして、仮面自体が真の自分だと思い込む。きっと、そんな人は大勢いるのだろう。

ホントの自分がわからなくなって悩んでいる人、たくさんいる気がします


「『話をしたらちょっとラクになった』って言うでしょ。コレ、仏教がおんなじこというてるんです」

関本氏の話は、幅広い。ご自身の体験談から仏教の話まで。新しい知識はもちろんのこと、それ以上に「気付き」を得られるのが、何よりも有難い。

「人間が持っている『業(ごう)』には、代表的なものが3つあって」

3つの業とは。
身体でもって人を傷つける身体の業、「身業(しんごう)」。言葉でもって人を傷つける口の業、「口業(くごう)」。心では人を傷つけられないが、いなくなればいいのになどと思う心の業、「意業(いごう)」。人間の世界では、言葉や心で人を傷つけたとしても、原則、罪には問われない。

しかし、関本氏曰く、じつは仏の目からみれば、全部同じなのだという。心で悪いことを思うのも、それを身体で実行するのも、全て罪となる。そんな話が仏教にはあるのだとか。ちなみに、この「三業」を図式化すると「意業」が下にきて、その左上に「身業」、右上に「口業」がくる。

負の感情が芽生えてくることありますよね。言葉や態度に出さなければいいと思っていたけど…またまたハッとしました

「心の中にある、不安や恐怖の感情が溢れてくるとどうなるかというと。寝れなくなったり、過食したり、拒食したり、涙が止まらなくなったり。身体に影響が出るんです。この状況のときに、心の中にある『意業』を、上手に『口業』の方に移動させるんです。絶対に何を言っても守られる、安心できる環境の中で話をして。すると、寝れるようになったり、過食、拒食が収まったりするんです。これが仏教の話。これは現代でも全然使えるなと。だから、話をするということは大事なんです」

ただ、弱音を吐くのは、とても難しい。それは、つまり、「見たくない自分」と真正面から向き合わないといけないからだ。小説を書くと、それがいかに辛い作業かが分かる。自分をさらけ出すなど、並大抵の覚悟ではできないコト。だから、私の手はすぐに止まり、一向に書き上がらないのだろう。

「じつは、それが一番ハードルが高いかもしれませんね。見たくない自分を抱えたまま、見ないでそのまま一生終えられたら、それに越したことはありませんから。それでも訓練したら慣れてきます」

大念寺副住職 関本和弘氏(写真撮影時のみマスクを外して頂きました)

取材の最後、関本氏の今後の目標をうかがった。

超レア宗教ともいわれる大念寺の宗派「融通念仏宗(ゆうづうねんぶつしゅう)」。
じつは非常に古くからある宗派なのだという。

「日本全国に75,000ものお寺があるなかで、『融通念仏宗』のお寺って360軒くらいしかない。だから新興宗教みたいな扱いを受けるんですけど、じつは国産第1号の宗教なんです。平安時代の終わりくらい。うちの宗派が元になって、『浄土宗』に繋がり、『浄土真宗』に繋がっていく。お念仏『南無阿弥陀仏』を唱える宗教の中では、一番古いです」

念仏を唱え、その念仏が融通し合う、溶け合うという意味だとか。1人で念仏するのではなく、10人、100人集まってみんなで1つの念仏を作る方が良い。これは、人間は1人で生きているのではなく、互いに関係性を持ち、それぞれがみんな大事な人なのだという教えとなる。

そんな関本氏の目標は、多くの方と接点を持つこと。
ただ、檀家さんとのバランスも考えてと、動きは慎重だ。

「バランスが難しい中で、1つ起爆剤になって下さるかなと思うのが。平安時代の仏さん。じつは、もう傷みが激しくて、ボロボロで、なかなか修復するのが大変な仏像がこの寺にいらっしゃるんですね。あの仏さんを修復したいなと思ってて。私の代で」

大念寺の本堂。写真には映らなかったが、左手に平安時代の仏像が安置されている

檀家から修復代金を募ることはしたくないという。
安易な方法ではなく、時間と手間が一番かかる方法にしたいのだとか。

「村、地域全体を長いこと守っていた仏さんなんで、広くたくさんの人から少しずつ出してもらって。『自分が直した』って、みんなに言って欲しい。誰かの仏さんにしたくない。そのために、今、ズタボロの仏さんがいらっしゃるのかなと思ってます」

2時間にわたる取材。なんだか話がそれて、プライベートまで色々と訊いてしまったことを、遅まきながら恐縮して詫びる。

そんな私に、関本氏は江戸っ子のようなキメ台詞で返してくれた。
「精神的ストリッパーなんでね。隠すところがない」

なんでも、お坊さんの敷居を下げたいのだとか。
いや、もう既に、十分すぎるほどの敷居だと思うのだが。
だからこそ、また、自然と訪ねたくなるのだろう。

今度は、何を話そうか。
そう思って、お寺をあとにした。

愛犬ハルくんとお見送りの関本氏

最後に。
取材を終えて、彼女に感想を話してもらった。
「スッキリしたし、自分の中の正解を甦らせてくれたという感じ。改めて人から聞くと安心できる。間違ってなかったんやとか、忘れてたなとか。そういうことに気付かしてもらえたかな。やっぱり、本じゃなくて、生きてる人の生きた言葉って『お守り』みたい。形だけのお守りじゃなくて『生きたお守り』。お坊さんの存在って尊いなと思う」

なるほど。彼女が「生きたお守り」と思ってくれただけでも、今回は良しとするか。ただ、私個人としては、安心して荷物を下ろせる「避難場所」があればいい、そんな思いで彼女をこの取材へと引っ張り出したのだ。十二指腸潰瘍になっても、自然治癒後にようやく判明するような人物である。決して、泣き言、愚痴を言わない。けれど、弱い自分は悪いコトではないと、知ってほしかった。

友人として無力すぎる私は、「自分を頼れ」という言葉が魅力的でないことを知っている。だから、「Hey!Bouz(ヘイボウズ)」に賭けてみた。このサイトを通してだからこそ、実現できる出会い。そして、今回は、ほぼ理想通り。しっかりと導いてくれる関本氏との出会いがあった。

ふと、関本氏の言葉がよぎる。
大阪市の繁華街、梅田のルクアで「お坊さん喫茶」をしたときの話だ。
30分500円という価格設定で、お坊さんと話をする。開始2時間で15人全ての僧侶の席が完売したという。関本氏が担当したのは土曜日の午後2時。周囲には、友人や恋人、家族と楽しむ人々の姿が。そんな中で出てきた話とは。

「開始5分くらいですかね、自殺防止センターで夜中2時くらいに聴くような話が出てきた。ここでも、そんな話が出てきたかと。そうなると、ルクアでみんなニコニコしている顔が、全員嘘つきのような顔に見えてくる。こんな重たい話を抱えている人って多いねんなと。幸せそうにみえるけど、絶対そんなことないねんなと」

彼女だけではない。
多くの悩みを抱えながら、それをどうすることもできない人が増えている。

これに対して、「Hey!Bouz(ヘイボウズ)」を運営する株式会社ブイ・クルーズの代表、阿久津泰紀(あくつやすのり)氏は、こう話す。
「カウンセリングという手もあるんだけど。行ってしまったら、ある程度自分でも自覚してしまうんですよね。もう自分はダメだと。遊びの中で自分のダメなところを気付かせてくれたりだとか、自分が悩んでいることを吐き出せる人、で、『第三者』といったときに、お坊さんしかないなと思ったので、これをスタートした」

たしかに、心が疲れている人にカウンセリングってちょっとハードルが高いですよね。「お坊さんとマッチングしてみない?」ならくだけた感じもあって、一歩を踏み出す足が軽くなりそうです。

「Hey!Bouz(ヘイボウズ)」のサイト画面

生みの親である阿久津氏は、「Hey!Bouz(ヘイボウズ)」の顧客満足度が100%だと、太鼓判を押す。

「お坊さんってどんな人なんだろうって。ちょっと冷やかしてやろうっていうくらいでいいんですよ。興味があるなかで、お坊さんと会話して、あれっ、(お坊さんって)ちょっと違うなと。やっぱり、相談しちゃおうかなという感じが、僕は一番やりたかった。今でもそれが一番やりたいです」

1つのミスを集中して批判する世の中。それなら、当然、やらない方がいいと、リスクを取らなくなってしまう。失敗してこそ、自分自身を知ることができるにもかかわらず。現代人には、その機会すらない。強く自分らしく生きるためには、まず自分を知るコトが必要だ。

そんな思いから、この「Hey!Bouz(ヘイボウズ)」を立ち上げたという阿久津氏。
「ヘイボウズって大変失礼ですよね。だけど、どっちかが歩み寄っていかなければいけないと。一般の方からすれば、お坊さんって格式が高い別の存在価値となっている。まずは名前からフランクに寄せて。(お坊さんも)同じ人間なんだと」

普通の会話の中で、この人なら信頼できるという「確信」がスタートライン。現代人の心の緩みを、普通の会話の中で生み出してほしいと、阿久津氏は期待を込める。一方で、お坊さん側からみれば、『僧侶』という職業を広めるためのツールにもなる。結果的には、両者WinWinの関係を築けるサイトとなったようだ。

さらに、夢は広がる。
このプラットフォームで、全国のお坊さんと繋がることができれば、新たな地方創生の形にもなる。

そして。
目指す最終ゴールは、究極のシームレスな社会。

「理想は『Hey!Bouz(ヘイボウズ)』を閉めれるだけの社会となること。こんなのがなくても、当たり前に、自分らしく生きる人が増えたとき。それぞれの職業を認め合えて、気を遣いながらお坊さんに対しても対峙できる人が増えたとき。それなら、お坊さんだって、安心してお寺の門を解放できる。そんなサイトがなくても、大丈夫だと。これが究極のゴール」

誰もが、ごくフツーに話ができる。互いを認め合える。

そんな世もアリだろう。
いや、正直、見てみたいと思う。

「Hey!Bouz(ヘイボウズ)」がなくなるのは、寂しいが。

基本情報

名称:大念寺
住所:大阪府寝屋川市堀溝2-9-4
公式webサイト: なし

名称:株式会社ブイ・クルーズ
住所:京都市中京区間之町御池下ル綿屋町530番地 烏丸エルビル6階
公式webサイト:https://www.v-crews.co.jp/

書いた人

日本各地を移住するフリーライター。教育業界から一転、ライターの道へ。生まれ育った京都を飛び出し、馬車馬の如く執筆する日々。戦国史、社寺参詣、職人インタビューが得意。

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