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2021.11.03

あの人が欲しい!豊臣秀吉のラブコールが引き起こした「せつない四角関係」とは?

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「三角関係」なら、聞いたことがある。
恋敵が出てくるなど、小説やドラマではお馴染みの設定だ。しかし、関係者が1人増えた「四角関係」はというと、あまり見ない。あっても、男女比が2:2という同数の設定で、複雑に絡み合うというパターンで収まる。

一方、お隣の韓国や中国のドラマでは、「四角関係」はざらに出てくる。とりわけ中国ラブ史劇では、男女比が3:1の「四角関係」はフツーの設定で、さらに男性の登場人物が多い場合も。女性側からすれば、想像を遥かに超えた逆ハーレム状態…のカオス。

ただ、フィクションならまだしも、実話となると話は別だ。
女性1人を巡って男性が何人も出てくるだなんて。個人的には、面倒くさくて仕方ない。愛憎深くなって、なかなか泥臭いものになるイメージなのだが…。

私もDyson尚子さんと同じ感想だけれども、嬉しい人もけっこういるのかも!?

今回は、そんな複雑な人間模様となる、歴史上の「四角関係」にスポットを当てる。
登場人物は、天下人の「豊臣秀吉」、奥州の覇者「伊達政宗」、その重臣の「茂庭綱元(もにわつなもと)」、そして綱元の側室である謎多き女性「香の前(こうのまえ)」。

とにかく登場人物が多い。多すぎる。
だから、前置きはこれくらいにしておこう。

一体、どのような展開で4人が繋がっていくのか。
なんなら、後半では5番目の人物が追加で登場する。出来れば、そのつもりでお読み頂きたい。

それでは、早速、究極の「四角関係」をご紹介していこう。

※冒頭の画像は、芳年 「護国女太平記」 出典:国立国会図書館デジタルコレクションとなります
※この記事は、「伊達政宗」「豊臣秀吉」「茂庭綱元」の表記で統一して書かれています

「香の前」を側室とした「茂庭綱元」って誰?

こうも登場人物が多いと、どこから手をつけていいのやらと迷ってしまう。つい、紅一点の女性から紹介しようと思ったのだが、複雑な「四角関係」を整理していくと、予想外の展開が見えてきた。

一般的に「四角関係」は、女性を巡って起きると思っていたのだが、今回は少し様子が違うようだ。というのも、「香の前」は、当時、天下人である豊臣秀吉の愛妾(側室とも)の1人だったからだ。そもそも、四角関係など起きようがないのである。

「香の前」と呼ばれるコチラの女性、その名も「種(たね)」。
幾つかの記録には、京都・伏見町に居住していた侍高田次郎右衛門の娘だと記されている。文禄3(1594)年、当時の彼女は18歳(17歳とも)。秀吉の愛妾(側室とも)であり、その美貌は評判だったという。

さて、ここで1つの疑問が出てくる。
天下人の「オンナ」を、何がどうなったら、一戦国武将が「側室」にできるというのだろうか。

だって、相手はあの豊臣秀吉である。
さすがに、秀吉には側室が多いといえども、その中から1人を奪うなんて不可能だ。

大蘇芳年 『皇国二十四功 羽柴筑前守秀吉』 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

だったら、選択肢は1つ。
秀吉が、自ら下賜したとみるのが、妥当だろう。
ここで、3番目の登場人物が出てくる。
それは、秀吉から「香の前」を譲り受けた相手、伊達政宗の重臣「茂庭綱元(もにわつなもと)」である。

綱元の父は、人取橋の合戦で戦死した「鬼庭良直(もにわよしなお)」。あの「左月斎(さげつさい)」である。政宗の絶体絶命の危機に、73歳という老将でありながら、自らを犠牲にして敵軍を一身に引き受け、壮絶な最期を遂げた強者だ。

そんな父を持つ綱元だが、「茂庭」と「鬼庭」で、うん? と思われた方。似ているのだが、ビミョーに違う。これには、れっきとした理由がある。綱元も、当初は「鬼庭綱元」という名であったのだが、ある事情で改名したのである。

もともとは同じ「鬼庭」姓だったのに、息子が「茂庭」となった事情……? レッツ・スクロール!

さて、この綱元、天文18(1549)年生まれのため、政宗よりも18歳年上。そして、政宗よりも長生きの享年92。つまり、政宗の誕生から、その死までずっと寄り添い続けた珍しい家臣の1人なのだ。

政宗の重臣といえば「片倉景綱(かたくらかげつな)」が有名だが。じつは、綱元も藩政には欠かせない右腕のような存在。父のように武功もあげたが、一方で、伊達家の家老職のような奉行職に就き、政宗を完璧に輔佐した。

特に、その存在感が増したのは、片倉景綱が白石城主になり政宗の側から離れたのちのこと。政宗の輔佐役は、この茂庭綱元以外に務められる者はいなかったとか。晩年、綱元は城中での駕籠(かご)の使用が許され、政宗の留守中には、領内にある政宗専用の鷹場の使用も認められていたという。特別待遇を受けていたのである。

歌川芳藤 「徳川十五代記略」「十代将軍家治公鷹狩之図」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵 出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

政宗にそれほどまでに大事にされた男「茂庭綱元」。
これには、納得の理由がある。綱元についての有名な逸話が、それを証明してくれるだろう。

人取橋の戦いで、父の「良直」を討った武将が捕虜として差し出されたときのこと。綱元にとっては憎い相手のはずだ。それなのに、彼は「虜囚を斬るのは武士道に反する」と、釈放したという。この捕虜は、のちに綱元に願い出て家臣となったとか。

確かに、実直な人柄は申し分ない。加えて文武共に優秀となれば…。
もちろん、あの方がそのまま見過ごす…なんてコトはないだろう。

これまでにも、名だたる戦国武将に被害が続出。いいと思えば、他家の家臣であっても関係なし。すぐにヘッドハンティングを持ちかける悪いクセの持ち主、豊臣秀吉である。

ええっ。
ちょっと待って。

四角関係って、「香の前」を巡ってではなくて。
まさかの、政宗の重臣「茂庭綱元」を巡ってのコト?

まさに、結論からいえばYES。

衝撃の展開が待ち受けるのは、文禄3(1594)年。
あああ。
茂庭綱元に、秀吉の魔の手が伸びるのであった。

亘理宗根は政宗の子なのか?

ここまできて、おいおいBLモノかよっと誤解されないために、先に付け加えておこう。
先ほどは「魔の手」と書いたが、実際は「ワシの家臣になれい」というお誘い。

秀吉は、他家の家臣の働きぶりを見て、気に入ればすぐにスカウトをする。これは、あくまで仕事上の話である。ただ、「単なる転職で勤め先がちょっと変わる」という現在のニュアンスとは大いに異なる。主君を変えるのだから、人生そのものが変わるのだ。

となれば…。
綱元も、ずっと仕え続けた「伊達政宗」から「豊臣秀吉」へって、んなの簡単に出来るワケがない。さすがの天下人に名指しされたとしても、おいそれと、綱元も承諾などできないだろう。実際に、秀吉から伏見に屋敷を賜ったようだが、綱元はきっぱりと固辞している。

そして、どうやらここで。
屋敷を受け取らないなら、その代わりにと。「香の前」を下賜されたというのである。

これについては、諸説ある。
有名なのは、秀吉との「囲碁」で勝ったため、その褒美として「香の前」を譲り受けたというもの。「香の前」を賭けて勝負したというものもある。なんなら、その勝負をしたのは「政宗」だとの説も。残念ながら、真相は定かではないが、どのような経緯にしろ、結果的に「香の前」は綱元の側室へと収まった。

じゃあ、「四角関係」じゃないじゃん。
確かに、ここまでは、だ。
もちろん、このあとにご登場されるのが、茂庭綱元の主君である「伊達政宗」。

ようやく異国の地から解放され、無事に帰還した政宗。苦労して帰ってみれば、大事な家臣の茂庭綱元が秀吉と接近。次第に疑心暗鬼に陥る政宗。秀吉の家臣に召し出されるとの噂まで出て、政宗もついに激怒。

こうして、文禄4(1595)年。
とうとう政宗は、綱元に「隠居」を命じたのである。

「伊達黄門政宗公像」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵 出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

一方、この処遇に対して、納得できないのが当の本人の「茂庭綱元」。

綱元は、朝鮮出兵(文禄の役)の大本営となる「名護屋城(佐賀県)」で留守を命じられ、独自の兵站線を開拓。そのため、諸大名の部隊が兵糧不足に苦労しても、政宗の陣営には問題がなかったという。

それだけではない。「鬼庭」が「茂庭」となったのも、「鬼」がいれば縁起が悪いと秀吉が難癖をつけたからだ。それでも、主君の立場が悪くならないようにと名前を変え、秀吉の元で耐えてきたのである。

そんな働きも、気遣いも一切合切スルーしての結果が、コレ。
秀吉からの誘いを固辞したのに、隠居とは。それも隠居料は100石。さすがの綱元も、そりゃ、やってられないだろう。

そこで、綱元は「香の前」を連れて、出奔。
上京し、一時期、伏見で過ごしたという。

ちなみに、余談だが。この道中、江戸に立ち寄って徳川家康に挨拶した際には、なんと、家康からもスカウトが。茂庭綱元という男は、誰もが欲しがる人材なのだ。もちろん、綱元はこの誘いも固辞したとか。

月岡芳年 「徳川十五代記略」「神君大坂御勝利首実検之図」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵 出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

のちに、政宗の重臣である「片倉景綱」らの取りなしもあり、政宗より赦免。慶長6(1601)年には、仙台留守居に任じられている。

ちょっと、待って。
綱元、綱元って。彼はもういいから、一体、「四角関係」になるのはいつよ?

それが、なんとも不可解な話なのである。
というのも、茂庭綱元と「香の前」の間には、2人の子ができるのだが。この2人、いずれも「伊達政宗」と「香の前」との間にできた子だというのである(諸説あり)。

1人は女の子(のちの慶月院)、そして、もう1人は男の子。
彼が、今回追加される5番目の登場人物、のちの「亘理宗根(わたりむねもと)」である。彼は、専ら「政宗」の落胤(らくいん:身分の高い男が正妻以外の身分の低い女に生ませた子)だといわれているのだ。

茂庭綱元、伊達政宗、豊臣秀吉、香の前、そして亘理宗根。なんだったら徳川家康も? うーん、ちょっとややこしい。

いきなり、なんで?
確かに、重臣の側室に子どもを産ませるなんて、その綱元が知らないワケがない。どうして、このように一足飛びで子どもができたのか。

一説には、どうやら綱元が「香の前」を政宗に差し出したというのである。
茂庭綱元の政宗への忠義は揺るぎない。ただ、それを証明する手立てがないのだ。だったら、恐らくだが、綱元はこう考えたのではないだろうか。秀吉との関係が原因で政宗の不興を買ったとすれば、その原因でもある「香の前」を政宗に差し出せばいいと。こうして、揺るぎない己の忠義を、政宗に見せたのかもしれない。

ただ、立場上、「香の前」は綱元の側室だ。
そのため、政宗は、実の子である「亘理宗根」を公に認めることができなかったと解釈されている(諸説あり)。

さても、真相は藪の中。
実際のところ「四角関係」の内実は、どのようなものだったのか。
真実は、登場人物のみぞ知る…。

最後に。
「亘理宗根」が「伊達政宗」の実子とされる理由だけ、簡単にご紹介しておこう。

その根拠は複数ある。
例えば「亘理宗根」の名に「政宗」の「宗」という一字が入っていること。また、綱元は自分の死後に、知行(1100石)を「種」と「宗根」に分けてくれるよう政宗に頼み、了承を得ていたという。実際に、綱元の死後、この約束は藩によって履行されているのだ。このような処遇は、通常では考えられないのだとか。さらには、宗根の屋敷については、政宗が自ら造作すると約束した手紙もあるという。

加えて、令和元(2019)年8月、政宗自筆の書状が新しく発見された。宛先は、落胤のウワサあるご本人「亘理宗根」である。内容は、明朝に訪れる約束を明日の晩に変更したという一般的なものだ。

ただ、この手紙の中で注目すべきモノが1つある。
それが「歌」。
追伸として、以下の和歌を、政宗は記している。

「しらとしらけたるかな月影に 雪かき分けて梅の花折る」
(佐藤憲一著『伊達政宗の素顔 筆まめ戦国大名の生涯』より一部抜粋)

じつは、コレ、政宗が作ったワケではなく、元の和歌がある。発句の「しらじらししらけたるとし~」という部分を「しらとしらけたるかな」と勝手に書き換えて、引用したのである。

ちなみに、「しらとしらけたるかな」という部分。
訳すると、「しらと」とは、白く見えるとか、明らかという意味。「しらけたるかな」とは、「興ざめなことよ」の意味だという。つまり、繋げれば、以下のようになる。

「明らかなのに、興ざめだよな(しらけちゃうよな)」

何が明らかなのか。
この和歌の1つ前の言葉が「了庵二番の子」。つまり、「茂庭綱元の2番目の子」を指している。

だから、政宗はこう言いたいのだろう。
綱元の2番目の子って、(自分の子だと)明らかなのに、全くしらけちゃうよなあ…。

さすが、政宗。
こういう何でもないところに、サクッと真意を入れるあたりがスゴイ。

ただ、何度も言うが、真相は藪の中。
1つだけハッキリしているのは、伊達政宗と茂庭綱元の絆である。

寛永17(1640)年5月24日、茂庭綱元死す。
4年前の同じ日、寛永13(1636)年5月24日に、主君である政宗が死去。

2人の祥月命日は同じ。
「四角関係」はともかくとして。
この2人には、目には見えない不思議な「縁」を感じるのであった。

参考文献
『伊達政宗』 小林清治著 吉川弘文館 1959年7月
『独眼竜の野望 伊達政宗の生きざま』 松森敦史編 晋遊舎 2013年12月
『名将言行録』 岡谷繁実著  講談社 2019年8月
『伊達政宗の素顔 筆まめ戦国大名の生涯』 佐藤憲一著 株式会社吉川弘文館 2020年9月

現代における四角関係といえば、今話題のコチラも非常に興味深い構造をしています↓↓↓


大豆田とわ子と三人の元夫 1

書いた人

京都出身のフリーライター。北海道から九州まで日本各地を移住。現在は海と山に囲まれた海鮮が美味しい町で、やはり馬車馬の如く執筆中。歴史(特に戦国史)、社寺参詣、職人インタビューが得意。

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人生の総ては必然と信じる不動明王ファン。経歴に節操がなさすぎて不思議がられることがよくあるが、一期は夢よ、ただ狂へ。熱しやすく冷めにくく、息切れするよ、と周囲が呆れるような劫火の情熱を平気で10年単位で保てる高性能魔法瓶。日本刀剣は永遠の恋人。愛ハムスターに日々齧られるのが本業。