『鎌倉殿の13人』、盛り上がっていますね。ブームに乗り遅れた人、イマイチ没入できていない人も大丈夫。3分でドラマの概要と歴史的な背景をおさらいしつつ、鎌倉幕府の流れを押さえましょう。
『鎌倉殿の13人』超あらすじダイジェスト
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、令和4(2022)年1月9日から放送開始となりました。三谷幸喜氏が脚本を担当し、小栗旬氏が大河ドラマ初主演を務めます。
主人公は、鎌倉幕府の2代目執権・北条義時(よしとき)。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(よりとも)の家子筆頭であった人物です。
『鎌倉殿の13人』の「鎌倉殿」とは本来、鎌倉幕府の棟梁、鎌倉幕府そのものを指す言葉です。ただ、ざっくりと、鎌倉殿=将軍と覚えておいて構いません。『鎌倉殿の13人』は、鎌倉幕府の2代将軍・源頼家(よりいえ)を支えた13人の御家人の物語です。
御家人13人と鎌倉幕府のざっくりまとめ
『鎌倉殿の13人』の登場人物と配役は、以下の通りです。
【1】伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
【2】義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
【3】御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
【4】頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
【5】頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
【6】鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
【7】鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
【8】鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
【9】三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
【10】「中原親能」
【11】「二階堂行政」
【12】文武両道「足立遠元」(大野泰広)
【13】「八田知家」
時は鎌倉時代。鎌倉幕府は源頼朝により開かれました。2代将軍頼家→3代将軍実朝(さねとも)と続き、実朝は暗殺されますが、鎌倉時代は終わりません。将軍に関しては、第4~5代は公家最高位の摂家(せっけ)から、第6代以降は皇族からふさわしい人を就任させ、鎌倉幕府は9代将軍まで続きます。
13人の御家人による合議制
頼朝死後、2代頼家は若くして将軍職を継いだため、補佐が必要な状態でした。そこで、「13人の御家人による合議制」という仕組みが生まれました。合議制とは、簡単にいえば、メンバーの話し合いにより物事を決めることです。
物語をより深く楽しむため、13人関連で押さえておきたい史実と歴史背景は以下の通りです。
■主人公の義時【1】は、都から離れた伊豆の地で、時政(ときまさ)【2】の次男として誕生。義時の姉が政子(まさこ)。
■初代将軍・頼朝死後、跡を継いだまだ若い頼家は、乳母父で外戚でもある比企能員(ひきよしかず)【4】と梶原景時【3】を登用。13人の御家人【1~13】の合議制を発足後、北条氏は、比企氏を強く警戒するようになります。
■13人のメンバーは、頼朝が伊豆で流人生活を送っていた頃からの側近・安達盛長【5】、幕府の軍事・警察機関のツートップのような梶原景時【3】と和田義盛【6】、幕府の総務省的存在の大江広元【7】、幕府の裁判所長こと三善康信【8】、代々源氏に仕えた三浦一族の長・三浦義澄【9】など。
■北条VS比企の権力闘争が激化し、北条氏が勢力を拡大。頼家は比企氏と結び、権力の回復を意図したが失敗。時政は比企氏を滅ぼし、頼家の子を殺害し、頼家を追放。実朝が将軍職を継ぎ、時政はその後見人となり、北条氏が幕府の実権を握る。
ドラマ内で、13人や権力争いがどう描かれるのでしょうか。こればかりは、見てのお楽しみですね!
幕府誕生ドラマとカリスマ・頼朝にも注目
『鎌倉殿の13人』の見どころは、権力を巡って繰り広げる争いや駆け引きです。が、鎌倉幕府誕生までの群像劇も見ものです。特に、カリスマ・頼朝。
ほら、タイトルにもある「鎌倉殿」が気になりませんか? これは源平の争いを経て、武家政権のリーダーとなった頼朝への尊称です。
父・義朝が平治の乱で敗れたことから、伊豆へ流され流人生活を送った頼朝。このとき、伊豆の豪族である北条時政の長女・政子と出会い、結婚します。
そののち、頼朝は平氏追討のために挙兵し、義時も大活躍。平氏を次々と破り、滅亡にまで追い込みます。そうして、ついに頼朝は鎌倉に武士政権を開き、鎌倉幕府が成立しました。
比類なきカリスマ・頼朝でしたが、その死後は――。主人公・義時目線で、激動の鎌倉時代を追体験しましょう。もっとディープに知りたい人は、「鎌倉殿の13人予習シリーズ」をどうぞ。
アイキャッチ画像:
『源頼朝公上洛之図』 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献:
デジタル版『日本大百科全書(ニッポニカ)』
デジタル版『国史大辞典』
▼ガイドブックもチェック
鎌倉殿の13人 前編 NHK大河ドラマ・ガイド