令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』予習(というか復習)シリーズ人物編! 今回は、「オレは以仁王(もちひとおう)~♪ 皇太子~♪」って令旨(りょうじ=皇太子が発行する命令書)をだしちゃった皇族、以仁王!!
大河ドラマでは超ド級のインパクトを残し、彗星のように去っていったが、いったいどんな人生を歩んだのか、ちょっとおさらいしてみよう!
以仁王の半生
まぁ、天皇のお家事情は坂東武者と種類の違うややこしさだから、先に系図を示そう。バーンとォ!
以仁王は、後白河法皇の第3皇子! 以仁王が生まれた仁平元(1151)年は、後白河法皇はただの第4皇子でしかなく、次期天皇候補でもなかった。だから後白河法皇の息子たちは幼くして出家していた。
しかしその後保元の乱と平治の乱を経て後白河法皇は治天の君として君臨する。
そんな中、応保2年(1162年)。以仁王は12歳の頃、師匠となっていた坊さんが亡くなったため、還俗(げんぞく=僧侶をやめて俗人に戻ること)した。その後、後白河法皇の異母妹で以仁王の叔母にあたる八条院の養子となる。
永万元(1165)年、二条天皇が崩御。天皇となったのは二条天皇の息子である六条天皇。なんと生まれたばかりの赤ん坊だった。さすがにこれは治天の君としての天皇というより、中継ぎとしての天皇としての役割が大きい。だから六条天皇の次の天皇は誰にするかがすぐに話し合われていた。
以仁王は幼少の頃から才覚を表し、学問も音楽もお手の物。人望も厚く、次期天皇の有力候補だった。けれど当然、平家からは反対されていた。その上仁安元(1166)年後ろ盾だった母方の叔父が失脚して、次期天皇候補から外れてしまう。
そして六条天皇は叔父の高倉天皇に譲位した。まぁこの頃の六条天皇はまだ2歳ぐらいだから、「譲位した」というか「させられた」って感じだけど……。そして高倉天皇も当時7歳。後白河法皇と平清盛殿の妻の妹、滋子殿との子であり、以仁王の異母弟だ。
承安2(1172)年、高倉天皇は平清盛殿の娘である徳子(とくし/のりこ)殿と結婚し、治承2(1178)年に安徳天皇が産まれる。そして治承4(1180)年に高倉天皇は安徳天皇に譲位して、平清盛殿は天皇の祖父として、絶対的な力を手に入れた。というわけだ。
以仁王も我慢の限界
治承3(1179)年11月。平清盛殿は「治承3年の政変」と呼ばれるクーデターを起こす。これにより後白河法皇は幽閉され、以仁王は領地を奪われた。だから治承4(1180)年4月に平家打倒を決意して、令旨を全国の源氏へと発行するわけだ。
けれどその計画はすぐに平家にバレてしまい、準備が整う前に攻められて、以仁王は討死してしまったのはドラマでも描かれた通りだ。でも、この以仁王の令旨が重要なアイテムとなるのもドラマで描かれたし、今後もチラチラと出てくるかもしれない。
木曽義仲(きそ よしなか)殿が出てくるなら、以仁王の息子の北陸宮(ほくろくのみや)も出てくるかもしれないので、覚えておいてくれ!
以仁王役、木村昴殿について
めっちゃくちゃ強そうーーーーーーーーー!! 『ドラえもん』のジャイアンの声優としてお馴染みだが、本人もまたガッチリ体形! 一瞬で出番が終わってしまったのは残念だったが、木村殿の演技もいつかまたガッツリ見てみたいのう……。
関連人物
父:後白河法皇 母:藤原成子 養母:八条院
妻:八条院の侍女、他
子:北陸宮、他
「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧
「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!
1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)
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