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竹本織太夫 大阪・中之島で素浄瑠璃の魅力を語る【文楽のすゝめ 四季オリオリ】第2回
ほぼ三十年振りに訪れた忘れられない場所
駅の改札を出ると、すぐ背後に山の景色が広がっているのは神戸ならでは。また趣のある石畳の路地が続き、カフェやおしゃれな店が並んでいます。「ほぼ三十年ぶりでこの駅に来ましたが、ここにパン屋があったのは、覚えていますね」と、織太夫さんは過去の記憶がよみがえってきたようです。
突然任された代役
石畳の路地を抜けて、半地下になったカフェでしばし休憩。「まだまだ若手の頃、ここから近い甲南大学で師匠が文楽の解説と実演を行う公演があって、お手伝いで同行することが決まっていました。ところが、朝の8時に師匠は高熱が出て、出られなくなってしまいまして。私はその演目の床本※もなければ、稽古も勉強もしたことがありませんでしたが、師匠から頼まれて、代役を勤めることになったのです」
にわかには信じがたいお話ですが、文楽の世界で代役を勤めるのは、まずは一門でとの考えがあるのだそうです。何よりも舞台に穴をあけてはいけない。出演者にアクシデントがあれば、一門でカバーする。どうしても一門で見つからなければ、最近この演目に携わったものが代役を勤めるのだそうです。
「師匠からは『床本は家にあるから、肩衣や袴も見台もわしの使ってくれたらいいから。きっかけとかはとんちゃんに、向こうに行ってから教えてもらって』と言われまして」と、織太夫さんは青天のへきれきのように降りかかってきた出来事を、かみしめるように語ります。豊竹咲太夫師匠が解説の後に実演する予定だった演目は、『生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)』の「嶋田宿笑い薬の段」でした。細かいきっかけがたくさんある内容ですが、「とんちゃん」こと当時吉田簔太郎を名乗っていた人形遣いの2代目桐竹勘十郎さんに聞きなさいというアドバイスだったようです。三味線は当時鶴澤燕二郎を名乗っていた6代目鶴澤燕三さん。襲名をするずっと以前の、豊竹咲甫太夫(とよたけさきほだゆう)として文楽のキャリアが始まったばかりだったことを考えると、先輩方を相手にどれだけ緊張感を伴う代役だったのかが想像できます。
お昼頃の公演に向けて、まさに死に物狂いで床本に向き合って、本番を何とか乗り切ったそうです。「後でおかみさんからは、『あいつやったら何とかやるやろ』と師匠が話していたと聞きました」。後に国立文楽劇場や、国立劇場で師匠の代役を勤めた織太夫さんの初めての代役は、この神戸の地だった訳です。
師匠の代役を勤めて鍛えられた日々
2024年1月に亡くなられた咲太夫師匠は、ここ10数年ほどは病と闘いながらの生活だったそうです。「師匠は何とか舞台に上がろうとしていましたが、毎回様々な病気でそれが叶わないことがありました」。そして師匠は必ず「何かあったら英雄(織太夫さんの本名)で」と、代役に織太夫さんを指名されたそうです。「今の私があるのは、この10数年の期間に師匠の代役を勤めさせていただいたお蔭だと思っています。毎回準備をしていた訳ではありませんが、自分の役と師匠の代役とで2役から3役をやるのが当たり前という状況が続きました。元々用意周到なタイプではないのですが、浄瑠璃の神様が『あいつは勉強せえへんから、こうやって追いこまなあかん』と思われたのかもしれませんね」
『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』※2の公演では、3時間ずっと舞台に出ずっばりということもあったそうです。無我夢中で師匠の代役を勤めたなかで、最も緊張した場面を教えていただきました。「2年前に、師匠が文化功労者として顕彰された記念の『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』※3の公演を、文楽劇場で開催していました。師匠は無事に勤めておられたのですが、後半の残り数回を残す時期になって体調不良になられて、代役が回ってきたのです」
織太夫さんは師匠の出番の前の「道行初音旅(みちゆきはつねのたび)の段」を語り終わって楽屋へ戻ると、20分後に始まる師匠が出る予定だった「河連法眼館(かわつらほうげんやかた)の段」の代役の依頼を舞台関係者から告げられたそうです。緊急だったため、通常ならある観客へ向けてのロビーの貼り紙もありませんでした。しかも、この時はNHKの収録も入っていたそうです。「師匠のための公演で、しかも舞台中継として放送される収録もあって、ものすごく緊張しました」
この突然の交替の後も師匠の体調は回復せず、千穐楽まで織太夫さんは代役をやりとげたそうです。「幕切れは宙乗りの演出なので、人形遣いへの拍手も大きいのですが、その後太夫と三味線のいる床へ向って、千穐楽のお客様の拍手がものすごかったのが、忘れられないですね」
甲南大学キャンパスで浮かぶ名人との思い出
初めて代役を勤めた甲南大学のキャンパスへ、許可をいただいて訪ねてみました。「その時は必死だったので、ゆっくりと校内を見渡す心の余裕はなかったですね」。おぼろげながら残っている会場の風景、でもそれもはっきりとはしないようです。公演の時の様子も思い出せないほど、切羽詰まった状況だったのでしょう。
劇場で代役を勤めるときは、出演者の楽屋に挨拶に回るそうです。「住太夫師匠は、『ご苦労さん』と声を掛けてくださいましたね」。文楽界初の文化勲章受章者で、名人として知られる故 7代目竹本住太夫師匠は、芸に厳しいことでも有名でした。「私はあまり構えないせいか、よく可愛がっていただきました。一度舞台を勤めた後に楽屋へ挨拶に行くと……。『お前が挨拶来たら怒ったろう思てたのに、咲甫よ! そんなニコニコ顔で来るから怒る気のうなったわ!(笑)』とおっしゃったこともありましたね」
必死に代役した「笑い薬の段」を国立文楽劇場で再び
2024年7月、8月に織太夫さんは国立文楽劇場で、初めて代役を勤めた『生写朝顔話』の「嶋田宿笑い薬の段」を語ります。「実は師匠が亡くなる前に、最後に公演したのも、この段なのです。なんだか師匠との縁を感じますね」。2022年9月に東京・国立劇場で舞台を勤めた後、観世能楽堂で行われた茶の湯のシンポジウムと関連する芸能の1つとして、咲太夫師匠は「笑い薬の段」を語られました。
文楽の中で滑稽な場面は「チャリ場」と呼ばれますが、その代表的な段でもあります。咲太夫師匠は、現役唯一の「切場語り」※4として、文楽太夫陣を牽引していた時期が長くありました。その「切場」と呼ばれる物語の山場の語りと共に、チャリ場の語りを得意とされていて、その軽妙な語り口を文楽ファンは愛しました。
男女のすれ違いと、滑稽な場面を描く『生写朝顔話』
『生写朝顔話』は、長唄の「蕣(あさがお」からインスピレーションを得て、浄瑠璃作家の山田案山子(やまだのかかし)が人形浄瑠璃にした時代物です。中心となるのは若い男女のラブストーリーで、運命のいたずらで2人は何度もすれ違い、再会を阻まれます。そして恋人の阿曾次郎をひたすら追いかける深雪は、ついには盲目となり落ちぶれてしまうのです。この観客をはらはらさせる展開の中に挟まれるのが「笑い薬の段」。医者の萩の佑仙(ゆうせん)と、宿の亭主との攻防が面白い、人気の段です。蛍狩りや船別れ、大井川と水辺の場面が多いことから、夏によく上演される演目です。男女の恋の行方に感情移入しつつ、チャリ場を楽しむのはいかがでしょうか。
取材・文/ 瓦谷登貴子
取材協力/ オーガニックカフェ&バーMASTERPIECE、学校法人甲南学園、国立文楽劇場
竹本織太夫さん出演情報
令和6年夏休み文楽特別公演
第2部 名作劇場 『生写朝顔話』
■期間:2024年7月20日(土)~2024年8月12日(月)※休演日7月30日(火)、8月6日(火)
■開演時間:午後1時半
■入場料:1等6700円(学生4600円)、2等4700円(学生4600円)
■会場:国立文楽劇場(OsakaMetoro「日本橋」駅下車7号出口より徒歩約1分)
※第1部は親子劇場『ひょうたん池のなまず』、解説と『西遊記』
※第3部はサマーレイトショー『女殺油地獄』
チケット申し込み:国立劇場チケットセンター https://ticket.ntj.jac.go.jp/
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