えっ? 「春はあけぼの」じゃないのと思われた方。
いいえ、違います。断じて違います。
ダイソンが自信を持って否定します。
春とくれば、キュン。
だって、春ってさ。
切ない別れと共に、胸ときめく新しい出会いが訪れる季節じゃないか。
なんなら桜も咲いて、景色までピンク色に染めてしまう。
つまり、春はキュンキュンする季節であり、
キュンキュンとくれば、戦国武将というコトで。
ゆえに、春は戦国武将にキュンキュンする季節なのである(少々強引)。
さあ、いつもの意味不明節で始まった戦国武将爆笑エピソード集。
「春、キュンキュン、戦国武将」って。
三段論法ガン無視の繋ぎ方に、読者の皆様もさぞかし困惑されたであろう。
ぶっちゃけ、何が言いたいのかというと。
単に、戦国武将爆笑エピソード集のテーマを発表したいだけなのだ。
今回は「ダイソン春のキュン祭り」と題して。
思わず「キュン」となる戦国武将の逸話をご紹介。
ただ、ひと口に「キュン」といっても。
その理由は様々だ。
そこで「キュン」を絞りに絞って、決定したのがコチラ。
「優しさ」にキュン。
ほろっとくる隠れた優しさ、包み込むような優しさ……。
さても、どのような「優しさ」が出てくるのやら。
それでは、早速、ご紹介していこう。
※本記事は「織田信長」「徳川家康」「豊臣秀吉」の表記で統一しています
織田信長と「猿と呼ばれた男」との出会い
今回の戦国武将爆笑エピソード集でご登場されるのは。
性格も人生の結末も正反対なお2人である。
まず、おひとり目。
戦国武将エピソード集では、最近、特に出番の多いコチラのお方。
あと少しのところで天下統一が崩れ去った、無念の「織田信長」である。

あら、また信長かと。
そう思われようとも、こればっかりはどうしようもない。
ただでさえ戦国武将はキャラ濃いめだが、その中でもダントツ、それもツッコミどころ満載のあっぱれな逸話が多いとなれば、避ける方が難しいというもの。
今回の信長のキュン話だが。
出典は、足利義昭を奉じての上洛から本能寺の変までの15年間が記された、信長の一代記『信長公記』より。
時代は、天正3(1575)年5月から6月の話である。
同年5月といえば。
ちょうど、織田信長、徳川家康の連合軍と武田勝頼が戦った「長篠の戦い」と同じ時期だろう。
キュン話の舞台は、美濃国(岐阜県)と近江国(滋賀県)の境にある「山中(やまなか)」。現在でいうところの岐阜県関ケ原町付近である。
当時の信長は、京都への道中に何度もこの「山中」を通っていたようだ。
その際に、いつも見かけるひとりの男を不審に思ったという。件の男は、雨露に打たれてもじっとしている様子。なんでも、身体に障害があるため動けず、その場所で食物や金銭を人から恵んでもらって暮らす「乞食(こつじき)」だとか。
信長は町の者に尋ねたという。
「たいてい乞食というものは、住む処を定めずにさすらい歩くものだが、この者はいつも変わらずここに居る。何かわけでもあるのか」
(太田牛一著『信長公記』より一部抜粋)
まず、ここで1キュン。
だって、一般人ならば見過ごすような些細なことも、信長は気になるワケで。早速、この洞察力に1キュンを投じよう。
すると町の者は。
「昔、この山中の宿で常盤御前を殺しました。その報いで…(中略)…。世間で『山中の猿』と言っているのは、この者のことでございます」
(同上より一部抜粋)
ここで『信長公記』の記述をそのまま信じるならば。
なんでも、代々、不自由な暮らしを強いられているとか。
それにしても、である。
えっ?
ここでまさかの「常盤御前(ときわごぜん)」が登場?

ただのキュン話が、なんだか大層な展開に。
一体、これはどういうコトか。
まず、「常盤御前」とは平安時代末期の女性で、かの有名な源義経の母である。
絶世の美女といわれた彼女の人生は、まさに波乱続き。源義朝の妾となり、牛若(のちの源義経)を含む3人の子を産むが、義朝が平治の乱にて落命。子らと逃亡するも、人質となった母のために、子と共に平清盛の元へと自ら出頭。母と子らは助命され、常盤御前は敵であった平清盛の寵愛を受けて子を産み、さらにのちに藤原長成に嫁いで子を産んだ。
ただ、その後の彼女の人生は不明だ。
というのも、一時期あれほど権勢を誇っていた平家が源平合戦で敗れ、さらには息子の義経までもが都落ち。関係者である常盤御前も、どのような最期となったのかは分からないのである。
逆をいえば、様々な推測が成り立つコトになる。
そんな彼女の複雑な人生を題材としたのが「幸若舞(こうわかまい)」だ。これは室町時代に流行した簡単な舞を伴う語り物で、常盤御前に関するものが幾つか作られている。
そのひとつとなる「山中常盤」。
どんな話かというと。源義経が藤原秀衡(ひでひら)を頼り、奥州(東北地方)へと下ったのちの話である。母の常盤御前も義経を追って奥州へと向かう道中、この山中の宿に着いたところ、盗賊に遭って殺されてしまったという内容だ。
実際に岐阜県不破郡関ケ原町には、常盤御前のお墓がある。
旧中山道の脇道にある公園には宝篋印塔(ほうきょういんとう)と五輪塔が並んで建っているという。

ふむ。
ということは。
『信長公記』で登場する、この「山中の猿」という男。
じつは、常盤御前を殺した盗賊の子孫というコトになる。
あれれ。
もはや「キュン」どころではなくなってきたぞ。
ちなみに信長も、この場は「山中の猿」という名の経緯を聞いただけで、そのままスルーしたようだ。
だが、その後。天正3(1575)年6月26日。
信長は急に京へと上ることになったとか。その時にふと「山中の猿」と呼ばれる男を思い出したという。
そこで……。
その多忙の最中に、あの乞食のことを思い出し、木綿二十反を自ら用意して、お供の者に持たせた。
(同上より一部抜粋)
おっと。まさに1キュン。いや、2キュンくらいか。
さて、ここで読者の皆様に問題である。
何が胸キュンなのか。20字以内で答えよ(現代文かよ)。
「山中の猿」と呼ばれる男を思い出したから?
まあ、うん、それもあるが……。
木綿二十反を用意したコト?
まあ、うん、それもあるが……。
はっきりいって、胸キュンポイントはそこじゃない。
ちなみに、ダイソンの模範解答はコチラ。
「多忙だが部下に頼まず大将自ら用意したから(20字)」
いやあ、ねえ。
やっぱり自ら動くというのがさ、キュンとくるじゃない。
特に「多忙の最中」っていうのが、超絶ポイントだ。それも黙って行動に移すなんて。もう、キュンが乱発である。
その後、信長は反物を持って無事に山中に到着。
早速お触れを出し、町の者全員を集めた。もちろん、集められた方は気が気でない。一体何が起こるのかと、恐怖に怯えたという。
だが、彼らの予想は大いに外れた。
じつに、信長の行動は意外なものだったのである。
まず二十反の反物を「山中の猿」と呼ばれる男のために下賜し、それを町の者たちに預けた。
そして、反物の半分を費用にして面倒をみるよう命じたという。具体的には、彼を住まわせる小屋を作り、飢えさせないようにとのことであった。

うーん。
なんかさ、冷静に考えると。
ある意味、信長って得だなと思う。
だって、元々優しい人だと分かっていれば。
この行動も想定内だよねと収まって、わざわざ取り上げられることもないはずだ。
だが、いつも怖くて「無慈悲な男だぜえ?」みたいな感じだとさ。そんな人物がほろっと優しい一面を見せるだけで、あっさりキュン。皆、そのギャップの落差でやられてしまう。今も昔も「ツンデレ」は強し。そういう意味で、信長は最強の「キュン」生成男なのだろう。
さて、ここで。
町の者の反応はというと。
あまりのかたじけなさに、乞食の「猿」はいうまでもなく、山中の町中の男女は泣かぬ者もなかった。お供の者たちも、上下みな涙を流し、それぞれいくばくかの銭を「猿」のために拠出した。
(同上より一部抜粋)
えっ?
まさかの「キュン」じゃなくて。
涙と鼻水の「ジョー」?
まあ、これも無理のないこと。
緩急ある信長の行動に、町の者たちは絶望から希望へと、気持ちは乱高下。
そりゃ、涙が溢れるのも当然だ。
なんなら町の者たちだけでなく、信長の家臣らも号泣。
さらに寄付までしているではないか。
そんな意外な波及効果に、もう1キュン。
やはりギャップ萌えは、古今東西、強いのである。
徳川家康と「号泣の祖父&孫」との出会い
次に、おふたり目。
コチラの方は、もはや常連中の常連。
エピソード集にご登場いただかないと、なんだか寂しい気すらしてしまうあのお方。
無事に天下人となり、約260年続く江戸幕府の礎を築いた「徳川家康」である。

先ほどの織田信長とは打って変わって。
戦国武将にしては、比較的穏やかな最期を迎えた御仁である。
家臣の出奔などはあるものの、信長のように大きく裏切られるコトもない。
そんな家康のキュン話はというと。
出典は、江戸幕府が編纂した、初代「家康」から10代「家治(いえはる)」までの徳川将軍の実録である『徳川実紀』より。
残念ながら、時代や場所は不明である。
ただ、話の最後で家康が放った言葉を参考にすると、恐らく隠居し駿府城(静岡県)で晩年を過ごしていた頃の話であろう。なお、拡張工事が行われた駿府城に家康が移り住んだのは、慶長12(1607)年7月頃。そのため、この時期以降に起こった出来事だと推測する。
ある日のこと。
大好きな鷹狩りの道中に、家康は老人と幼子を見かけたという。
ただ、その時の彼らは、普通の状態ではなかった。老人は幼子の手を引き、泣いていたのである。
ほほう。
道中での出会いなんて。
それも、偶然にも先ほどの信長のキュン話と同様のシチュエーション。非常に面白いではないか。
信長が見かけたのは「乞食」。
家康が見かけたのは「号泣の老人&幼子」。
どちらも、つい、気になってしまう相手である。一体、家康はどうしたのか。
やはり家康もその場をスルーできず。
老人に号泣の理由を訊くと、老人は……。
「この辺に住んでいる者ですが、昨夜、誤って出火させてしまいました。そのため、この地の代官より、火の取扱を注意しなかった罪科により住居を追い払われました。しかし、行く心あたりもないので、悲しさに耐えかねて、このように泣いております」
(大石学ら編『現代語訳徳川実紀 家康公伝5』より一部抜粋)
ふむ。
なるほど。
火事の恐ろしさは、今も昔も変わらない。
出火させた老人は、住居を追い払われ、行く当てがないと絶望で泣くしかなかったのだ。やはり、失火の責任は重いというコトか。
それにしてもねえ。
ただ、話を聞くだけでは、ちょっと……。そう簡単に、キュンは発生しないだろう(先ほど、あなた、キュンを乱発させてましたよね?)。
もちろん、このあとの家康の行動次第では、キュンの渋滞の可能性も十分ある。
さあ、ここで、家康はどうしたのか。

まず、家康はシンプルに「憐みの情」が湧いたようだ。
そりゃ、相手は「号泣の老人」と「手を引かれた幼子」である。泣いている者、そして幼子は、共に「弱くて守ってあげたい存在」の上位ワンツーフィニッシュのはず。彼らに抱く感情はいわば当然であるし、逆にこれで何も気にならなかったら鬼畜の一言に尽きるだろう(家康に対して少々辛口過ぎやしませんか?)。
次に、家康は老人の家の場所を確認。
従者に老人と幼子を連れて代官の元へ行くよう命じた。
ふむ。
先ほどの信長は自ら行動したが。
家康は命じただけである。
ここでも残念ながら、未だキュンはなし(えっと、この記事書いてるライター、変わりました?)。
そして、家康は自らの言葉を代官に伝えよと、従者に命じた。
その言葉とは……。
……誰も自分の家を焼きたくて焼く者はいない。もし、火の扱いを誤った者が他国に追放されるべきであるのならば、家康も、近年、城中より二度失火させたものだ。私をどこに追放するのか。…(中略)…もとのように家を造ってやるように。
(同上より一部抜粋)
えっ?
えええええ?
ちょ、ちょっと、待って。
いやいや、「キュン」とかじゃなくてさ。
まず、言いたいのが。
さすがに、家康。
失火させすぎじゃね?
おっと。
ここで、遅ればせながら、1キュンが。
いや、2キュン。
うん? 3キュンか?
まずもって。
老人と幼子を救済したのが1キュン。
なんだかんだいって、家を造って生活を元通りにさせるよう命じるだなんて。優しいじゃないか。
それに、代官を説得するためにしても。
自分の城の失火をばらしたのは、ちょっとキュンとくる。だって、天下人となれば、自らの失敗を口にするなんてなかなかできないコトだ。見栄とかもあるじゃないか。それでも老人らの生活を救うためにって。これで2キュン。
さらに、号泣した老人を元気づけるため。
これもポイントは高い。天下人である自分だって同じようなミスをしたのだと。上の立場の者がただ慰めているだけではない。わざわざ自分の立場を下げて、同じ目線でというところにキュン。おっと。とうとう3キュン発生である。
結局のところ。
キュン、大量発生してんじゃん。
家康の最後の猛追で、無事に「ダイソン春のキュン祭り」は盛況となったのであった。
※残念ながら、白いお皿のお渡しはございません。
最後に
こうして、ご紹介した両者のエピソードを比べてみると。
なかなか、どうして。
どちらも甲乙つけ難いではないか。
おっと。
忘れていたが。
ここで、最後にひとつ。
信長の「山中の猿」と呼ばれる男とのエピソードに、とっておきの「キュン」を付け加えておこう。
山中の町の者たちに二十反の反物を下賜した信長。
反物を渡しただけでなく、最後にこう付け加えたという。
「近隣の村の者たちは、麦の収穫があったら麦を一度、秋の収穫後には米を一度、一年に二度ずつ毎年、負担にならぬ程度に少しずつ、この者に与えてくれれば、信長はうれしく思う」と言い添えた。
(太田牛一著『信長公記』より一部抜粋)
──うれしく思う……うれしく思う……うれしく思う(エンドレス再生で)
これは「キュン」どころではないだろう。
「キュンキュンキュン……」、いや、こちらもエンドレスリピートか。
いやあ、これはグッとくる。
実際は、相手にお願いしているのだが。
決して命令ではない、この絶妙な言い方。
これぞまさしく「キュンの極み」。
さすが信長。
意図的かどうかは別として。
じつに、人を促す技ありの一言である。
ここで、ふと我に返る。
あれ?
これって、私も使えるのでは?
……してもらえると、とっても嬉しいです。
……なったら、ホントに嬉しいよね!
なるほど。
これ、アリだな。
キーボードを打つ手が止まり。
腹黒ダイソンがニヤリと笑ったのであった。
参考文献
『尾張国遺存織田信長史料写真集』 名古屋温故会 編 名古屋温故会 1931年
『現代語訳徳川実紀 家康公伝5』 大石学ら編 株式会社吉川弘文館 2012年2月
『信長公記』 太田牛一著 株式会社角川 2019年9月

