CATEGORY

最新号紹介

4,5月号2026.02.28発売

美の都・京都で出合う うるわし、工藝

閉じる

Culture

2026.04.07

道で困っている人に出会ったら?織田信長と徳川家康の優しさにキュンキュン!戦国爆笑エピソード集(胸キュン編)

春はキュン。

えっ? 「春はあけぼの」じゃないのと思われた方。
いいえ、違います。断じて違います。
ダイソンが自信を持って否定します。

春とくれば、キュン。
だって、春ってさ。
切ない別れと共に、胸ときめく新しい出会いが訪れる季節じゃないか。
なんなら桜も咲いて、景色までピンク色に染めてしまう。

つまり、春はキュンキュンする季節であり、
キュンキュンとくれば、戦国武将というコトで。
ゆえに、春は戦国武将にキュンキュンする季節なのである(少々強引)。

さあ、いつもの意味不明節で始まった戦国武将爆笑エピソード集。
「春、キュンキュン、戦国武将」って。
三段論法ガン無視の繋ぎ方に、読者の皆様もさぞかし困惑されたであろう。

ぶっちゃけ、何が言いたいのかというと。
単に、戦国武将爆笑エピソード集のテーマを発表したいだけなのだ。
今回は「ダイソン春のキュン祭り」と題して。
思わず「キュン」となる戦国武将の逸話をご紹介。

ただ、ひと口に「キュン」といっても。
その理由は様々だ。
そこで「キュン」を絞りに絞って、決定したのがコチラ。

「優しさ」にキュン。

ほろっとくる隠れた優しさ、包み込むような優しさ……。
さても、どのような「優しさ」が出てくるのやら。
それでは、早速、ご紹介していこう。

※冒頭の画像は、歌川広重(1世)「名所江戸百景」「玉川堤の花」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)となります
※本記事は「織田信長」「徳川家康」「豊臣秀吉」の表記で統一しています

織田信長と「猿と呼ばれた男」との出会い

今回の戦国武将爆笑エピソード集でご登場されるのは。
性格も人生の結末も正反対なお2人である。

まず、おひとり目。
戦国武将エピソード集では、最近、特に出番の多いコチラのお方。
あと少しのところで天下統一が崩れ去った、無念の「織田信長」である。

歌川芳艶 「瓢軍談五十四場」「十五」「仙住坊木蔭にしのび春長を討たんとす」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ

あら、また信長かと。
そう思われようとも、こればっかりはどうしようもない。
ただでさえ戦国武将はキャラ濃いめだが、その中でもダントツ、それもツッコミどころ満載のあっぱれな逸話が多いとなれば、避ける方が難しいというもの。

今回の信長のキュン話だが。
出典は、足利義昭を奉じての上洛から本能寺の変までの15年間が記された、信長の一代記『信長公記』より。
時代は、天正3(1575)年5月から6月の話である。

同年5月といえば。
ちょうど、織田信長、徳川家康の連合軍と武田勝頼が戦った「長篠の戦い」と同じ時期だろう。
キュン話の舞台は、美濃国(岐阜県)と近江国(滋賀県)の境にある「山中(やまなか)」。現在でいうところの岐阜県関ケ原町付近である。

当時の信長は、京都への道中に何度もこの「山中」を通っていたようだ。
その際に、いつも見かけるひとりの男を不審に思ったという。件の男は、雨露に打たれてもじっとしている様子。なんでも、身体に障害があるため動けず、その場所で食物や金銭を人から恵んでもらって暮らす「乞食(こつじき)」だとか。

信長は町の者に尋ねたという。

「たいてい乞食というものは、住む処を定めずにさすらい歩くものだが、この者はいつも変わらずここに居る。何かわけでもあるのか」
(太田牛一著『信長公記』より一部抜粋)

まず、ここで1キュン。
だって、一般人ならば見過ごすような些細なことも、信長は気になるワケで。早速、この洞察力に1キュンを投じよう。

すると町の者は。

「昔、この山中の宿で常盤御前を殺しました。その報いで…(中略)…。世間で『山中の猿』と言っているのは、この者のことでございます」
(同上より一部抜粋)

ここで『信長公記』の記述をそのまま信じるならば。
なんでも、代々、不自由な暮らしを強いられているとか。

それにしても、である。
えっ?
ここでまさかの「常盤御前(ときわごぜん)」が登場?

楊斎延一 「源平雪月花〔常盤御前〕」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

ただのキュン話が、なんだか大層な展開に。
一体、これはどういうコトか。

まず、「常盤御前」とは平安時代末期の女性で、かの有名な源義経の母である。
絶世の美女といわれた彼女の人生は、まさに波乱続き。源義朝の妾となり、牛若(のちの源義経)を含む3人の子を産むが、義朝が平治の乱にて落命。子らと逃亡するも、人質となった母のために、子と共に平清盛の元へと自ら出頭。母と子らは助命され、常盤御前は敵であった平清盛の寵愛を受けて子を産み、さらにのちに藤原長成に嫁いで子を産んだ。

ただ、その後の彼女の人生は不明だ。
というのも、一時期あれほど権勢を誇っていた平家が源平合戦で敗れ、さらには息子の義経までもが都落ち。関係者である常盤御前も、どのような最期となったのかは分からないのである。

逆をいえば、様々な推測が成り立つコトになる。
そんな彼女の複雑な人生を題材としたのが「幸若舞(こうわかまい)」だ。これは室町時代に流行した簡単な舞を伴う語り物で、常盤御前に関するものが幾つか作られている。

そのひとつとなる「山中常盤」。
どんな話かというと。源義経が藤原秀衡(ひでひら)を頼り、奥州(東北地方)へと下ったのちの話である。母の常盤御前も義経を追って奥州へと向かう道中、この山中の宿に着いたところ、盗賊に遭って殺されてしまったという内容だ。

実際に岐阜県不破郡関ケ原町には、常盤御前のお墓がある。
旧中山道の脇道にある公園には宝篋印塔(ほうきょういんとう)と五輪塔が並んで建っているという。

歌川国芳 「賢女列婦伝」「常盤御前」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

ふむ。
ということは。
『信長公記』で登場する、この「山中の猿」という男。
じつは、常盤御前を殺した盗賊の子孫というコトになる。

あれれ。
もはや「キュン」どころではなくなってきたぞ。
ちなみに信長も、この場は「山中の猿」という名の経緯を聞いただけで、そのままスルーしたようだ。

だが、その後。天正3(1575)年6月26日。
信長は急に京へと上ることになったとか。その時にふと「山中の猿」と呼ばれる男を思い出したという。
そこで……。

その多忙の最中に、あの乞食のことを思い出し、木綿二十反を自ら用意して、お供の者に持たせた。
(同上より一部抜粋)

おっと。まさに1キュン。いや、2キュンくらいか。
さて、ここで読者の皆様に問題である。
何が胸キュンなのか。20字以内で答えよ(現代文かよ)。

「山中の猿」と呼ばれる男を思い出したから?
まあ、うん、それもあるが……。
木綿二十反を用意したコト?
まあ、うん、それもあるが……。

はっきりいって、胸キュンポイントはそこじゃない。
ちなみに、ダイソンの模範解答はコチラ。
「多忙だが部下に頼まず大将自ら用意したから(20字)」

いやあ、ねえ。
やっぱり自ら動くというのがさ、キュンとくるじゃない。
特に「多忙の最中」っていうのが、超絶ポイントだ。それも黙って行動に移すなんて。もう、キュンが乱発である。

その後、信長は反物を持って無事に山中に到着。
早速お触れを出し、町の者全員を集めた。もちろん、集められた方は気が気でない。一体何が起こるのかと、恐怖に怯えたという。

だが、彼らの予想は大いに外れた。
じつに、信長の行動は意外なものだったのである。

まず二十反の反物を「山中の猿」と呼ばれる男のために下賜し、それを町の者たちに預けた。
そして、反物の半分を費用にして面倒をみるよう命じたという。具体的には、彼を住まわせる小屋を作り、飢えさせないようにとのことであった。

尾形月耕 「意馬心猿」 東京都立中央図書館特別文庫室所蔵出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

うーん。
なんかさ、冷静に考えると。
ある意味、信長って得だなと思う。

だって、元々優しい人だと分かっていれば。
この行動も想定内だよねと収まって、わざわざ取り上げられることもないはずだ。
だが、いつも怖くて「無慈悲な男だぜえ?」みたいな感じだとさ。そんな人物がほろっと優しい一面を見せるだけで、あっさりキュン。皆、そのギャップの落差でやられてしまう。今も昔も「ツンデレ」は強し。そういう意味で、信長は最強の「キュン」生成男なのだろう。

さて、ここで。
町の者の反応はというと。

あまりのかたじけなさに、乞食の「猿」はいうまでもなく、山中の町中の男女は泣かぬ者もなかった。お供の者たちも、上下みな涙を流し、それぞれいくばくかの銭を「猿」のために拠出した。
(同上より一部抜粋)

えっ?
まさかの「キュン」じゃなくて。
涙と鼻水の「ジョー」?

まあ、これも無理のないこと。
緩急ある信長の行動に、町の者たちは絶望から希望へと、気持ちは乱高下。
そりゃ、涙が溢れるのも当然だ。
なんなら町の者たちだけでなく、信長の家臣らも号泣。
さらに寄付までしているではないか。

そんな意外な波及効果に、もう1キュン。
やはりギャップ萌えは、古今東西、強いのである。

徳川家康と「号泣の祖父&孫」との出会い

次に、おふたり目。
コチラの方は、もはや常連中の常連。
エピソード集にご登場いただかないと、なんだか寂しい気すらしてしまうあのお方。
無事に天下人となり、約260年続く江戸幕府の礎を築いた「徳川家康」である。

月岡芳年 「徳川累代像顕」  東京都立中央図書館特別文庫室所蔵出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

先ほどの織田信長とは打って変わって。
戦国武将にしては、比較的穏やかな最期を迎えた御仁である。
家臣の出奔などはあるものの、信長のように大きく裏切られるコトもない。

そんな家康のキュン話はというと。
出典は、江戸幕府が編纂した、初代「家康」から10代「家治(いえはる)」までの徳川将軍の実録である『徳川実紀』より。

残念ながら、時代や場所は不明である。
ただ、話の最後で家康が放った言葉を参考にすると、恐らく隠居し駿府城(静岡県)で晩年を過ごしていた頃の話であろう。なお、拡張工事が行われた駿府城に家康が移り住んだのは、慶長12(1607)年7月頃。そのため、この時期以降に起こった出来事だと推測する。

ある日のこと。
大好きな鷹狩りの道中に、家康は老人と幼子を見かけたという。
ただ、その時の彼らは、普通の状態ではなかった。老人は幼子の手を引き、泣いていたのである。

ほほう。
道中での出会いなんて。
それも、偶然にも先ほどの信長のキュン話と同様のシチュエーション。非常に面白いではないか。
信長が見かけたのは「乞食」。
家康が見かけたのは「号泣の老人&幼子」。
どちらも、つい、気になってしまう相手である。一体、家康はどうしたのか。

やはり家康もその場をスルーできず。
老人に号泣の理由を訊くと、老人は……。

「この辺に住んでいる者ですが、昨夜、誤って出火させてしまいました。そのため、この地の代官より、火の取扱を注意しなかった罪科により住居を追い払われました。しかし、行く心あたりもないので、悲しさに耐えかねて、このように泣いております」
(大石学ら編『現代語訳徳川実紀 家康公伝5』より一部抜粋)

ふむ。
なるほど。
火事の恐ろしさは、今も昔も変わらない。
出火させた老人は、住居を追い払われ、行く当てがないと絶望で泣くしかなかったのだ。やはり、失火の責任は重いというコトか。

それにしてもねえ。
ただ、話を聞くだけでは、ちょっと……。そう簡単に、キュンは発生しないだろう(先ほど、あなた、キュンを乱発させてましたよね?)。
もちろん、このあとの家康の行動次第では、キュンの渋滞の可能性も十分ある。

さあ、ここで、家康はどうしたのか。

月岡芳年 「大阪夏御陣御危難之図」  東京都立中央図書館特別文庫室所蔵出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

まず、家康はシンプルに「憐みの情」が湧いたようだ。
そりゃ、相手は「号泣の老人」と「手を引かれた幼子」である。泣いている者、そして幼子は、共に「弱くて守ってあげたい存在」の上位ワンツーフィニッシュのはず。彼らに抱く感情はいわば当然であるし、逆にこれで何も気にならなかったら鬼畜の一言に尽きるだろう(家康に対して少々辛口過ぎやしませんか?)。

次に、家康は老人の家の場所を確認。
従者に老人と幼子を連れて代官の元へ行くよう命じた。

ふむ。
先ほどの信長は自ら行動したが。
家康は命じただけである。
ここでも残念ながら、未だキュンはなし(えっと、この記事書いてるライター、変わりました?)。

そして、家康は自らの言葉を代官に伝えよと、従者に命じた。
その言葉とは……。

……誰も自分の家を焼きたくて焼く者はいない。もし、火の扱いを誤った者が他国に追放されるべきであるのならば、家康も、近年、城中より二度失火させたものだ。私をどこに追放するのか。…(中略)…もとのように家を造ってやるように。
(同上より一部抜粋)

えっ?
えええええ?

ちょ、ちょっと、待って。
いやいや、「キュン」とかじゃなくてさ。
まず、言いたいのが。

さすがに、家康。
失火させすぎじゃね?

おっと。
ここで、遅ればせながら、1キュンが。
いや、2キュン。
うん? 3キュンか?

まずもって。
老人と幼子を救済したのが1キュン。
なんだかんだいって、家を造って生活を元通りにさせるよう命じるだなんて。優しいじゃないか。

それに、代官を説得するためにしても。
自分の城の失火をばらしたのは、ちょっとキュンとくる。だって、天下人となれば、自らの失敗を口にするなんてなかなかできないコトだ。見栄とかもあるじゃないか。それでも老人らの生活を救うためにって。これで2キュン。

さらに、号泣した老人を元気づけるため。
これもポイントは高い。天下人である自分だって同じようなミスをしたのだと。上の立場の者がただ慰めているだけではない。わざわざ自分の立場を下げて、同じ目線でというところにキュン。おっと。とうとう3キュン発生である。

結局のところ。
キュン、大量発生してんじゃん。
家康の最後の猛追で、無事に「ダイソン春のキュン祭り」は盛況となったのであった。
※残念ながら、白いお皿のお渡しはございません。

最後に

こうして、ご紹介した両者のエピソードを比べてみると。
なかなか、どうして。
どちらも甲乙つけ難いではないか。

おっと。
忘れていたが。
ここで、最後にひとつ。
信長の「山中の猿」と呼ばれる男とのエピソードに、とっておきの「キュン」を付け加えておこう。

山中の町の者たちに二十反の反物を下賜した信長。
反物を渡しただけでなく、最後にこう付け加えたという。

「近隣の村の者たちは、麦の収穫があったら麦を一度、秋の収穫後には米を一度、一年に二度ずつ毎年、負担にならぬ程度に少しずつ、この者に与えてくれれば、信長はうれしく思う」と言い添えた。
(太田牛一著『信長公記』より一部抜粋)

──うれしく思う……うれしく思う……うれしく思う(エンドレス再生で)

これは「キュン」どころではないだろう。
「キュンキュンキュン……」、いや、こちらもエンドレスリピートか。

いやあ、これはグッとくる。
実際は、相手にお願いしているのだが。
決して命令ではない、この絶妙な言い方。
これぞまさしく「キュンの極み」。

さすが信長。
意図的かどうかは別として。
じつに、人を促す技ありの一言である。

ここで、ふと我に返る。
あれ?
これって、私も使えるのでは?

……してもらえると、とっても嬉しいです。
……なったら、ホントに嬉しいよね!

なるほど。
これ、アリだな。

キーボードを打つ手が止まり。
腹黒ダイソンがニヤリと笑ったのであった。

参考文献
『尾張国遺存織田信長史料写真集』 名古屋温故会 編 名古屋温故会 1931年
『現代語訳徳川実紀 家康公伝5』 大石学ら編 株式会社吉川弘文館 2012年2月
『信長公記』 太田牛一著 株式会社角川 2019年9月

Share

Dyson 尚子

京都出身のフリーライター。北海道から九州まで日本各地を移住。現在は海と山に囲まれた海鮮が美味しい町で、やはり馬車馬の如く執筆中。歴史(特に戦国史)、社寺参詣、職人インタビューが得意。
おすすめの記事

「この前よりキレイになってるよ」織田信長が秀吉の妻に送った手紙がイケメンすぎるっ!!

和樂web編集部

「最後の一文」が肝!交渉術の達人・徳川家康に学ぶ、手紙の極意とは?

Dyson 尚子

「拝啓、閻魔大王様。死者を返してくだされ」直江兼続が出した手紙、その恐るべき結末とは?

Dyson 尚子

【ボイメン本田剛文、いざ参る!】豊臣秀吉・秀長はじまりの地、太閤山常泉寺へ!

連載 本田剛文

人気記事ランキング

最新号紹介

4,5月号2026.02.28発売

美の都・京都で出合う うるわし、工藝

※『和樂』2026年4・5月号 美術展カレンダーに誤りがありました。P.224で紹介しました、福岡県・久留米市美術館で開催中の「美の新地平ー石橋財団アーティゾン美術館のいま」の入館料は、正しくは一般1,500円となります。お詫びして訂正いたします。
※和樂本誌ならびに和樂webに関するお問い合わせはこちら
※小学館が雑誌『和樂』およびWEBサイト『和樂web』にて運営しているInstagramの公式アカウントは「@warakumagazine」のみになります。
和樂webのロゴや名称、公式アカウントの投稿を無断使用しプレゼント企画などを行っている類似アカウントがございますが、弊社とは一切関係ないのでご注意ください。
類似アカウントから不審なDM(プレゼント当選告知)などを受け取った際は、記載されたURLにはアクセスせずDM自体を削除していただくようお願いいたします。
また被害防止のため、同アカウントのブロックをお願いいたします。

関連メディア