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2020.04.14

鎌倉時代の美女・白拍子亀菊とは?承久の乱の原因となった後鳥羽上皇の愛人の生涯

この記事を書いた人

権力者をその美貌で虜にして国政をないがしろにさせ、わがまま放題で国を亡ぼす悪女……。そんな人物は、神話・創作・歴史上に多くいます。

その例によく挙げられるのが中国の妲己(だっき)や楊貴妃(ようきひ)、エジプトのクレオパトラ、ギリシャ神話のヘレネーといった「世界三大悪女」です。

日本では、飛鳥時代に二人の皇太子と三角関係になったと言われる「額田王(ぬかたおう)」や、豊臣秀吉の寵愛を受けた「淀殿(よどどの)」がそう言われることもあります。

実際に「彼女の美貌によって権力者が国政を蔑ろにしたか」と問われると、額田王が虜にしたのは皇太子で天皇ではありません。豊臣家が滅亡したのは秀吉の死後であり、秀吉の国内政策はむしろ評価が高いです。

では日本に本来の意味での「傾国の美女」はいなかったというと、実は日本史のターニングポイントとされる大戦の原因となってしまった美女がいます。

それが鎌倉時代初期に活躍した白拍子「亀菊」です。

鎌倉幕府と朝廷の確執!

以前の記事「2022年、三谷幸喜脚本大河ドラマの舞台!カマクラン・ドリーム溢れる鎌倉時代の基礎知識」で、簡単に幕府の「地方の支配権」を説明しました。

日本の土地は全て天皇のもの! という名目の元、地方に貴族の役人を派遣し、年貢を取り立てていました。

その土地に住んでいた地元武士は、地方役人に雇われるというかたちで地方の役所に勤めていましたが、全員が全員役所勤めというわけではありませんでした。

実は年貢の脱税方法に「荘園」というものがありました。古代から連綿と法の穴をついた節税テクと法改正を繰り返して色々とややこしく、荘園の事だけで分厚い本が1冊書けてしまうほどです。

ざっくりと鎌倉時代前後の事を説明しますと、役所勤めではない地元武士は田畑を開発し、地方役人より地位の高い貴族、あるいは神社やお寺が所有する荘園ですと申請しました。

すると年貢は税率が低い貴族や寺社経由となり、地方役人に高い税率の年貢を納めなくてもよかったのです。

サラリーマンかフリーランスか、はたらき方で悩むのは平安時代も一緒!?

これにより日本中に朝廷の有力貴族の荘園が乱立します。日本中にあるので、貴族たちが直接赴任するわけにもいかず、管理はそのまま開発した地元武士たちが行っていました。

しかし鎌倉幕府が成立すると、地元武士たちは自分が管理・所有していた土地の「地頭」となり、支配権を得るように。当然その中には「朝廷の有力貴族の荘園」も含まれています。どうなったかというと……。

貴族「あれ? 荘園は私の土地のはず」

荘園領主の貴族たちは、荘園は自分たちの土地として認識していました。しかし地元武士たちは「自分が開発した土地」という認識で、もちろん鎌倉幕府は地元武士の味方です。

源平合戦が終わり、幕府は朝廷と交渉して地元武士の支配権を保証。しかし貴族から見ると「管理を任していただけのはずの武士が横暴をしている」と映りました。

貴族は朝廷に訴えますが、朝廷としては当然「もうそこは朝廷の管轄ではないから、幕府に言ってくれ」となります。

そして幕府に「御社の御家人が弊社の荘園で横暴を働いています。なぜ年貢を持って行ってしまうのですか。これは横領ではないですか」と訴えます。

幕府としては「いいえ。弊社の御家人は、横暴ではなく荘園管理者として働いています。横領ではなく業務の正当な報酬を頂いているだけです。法律上問題はないはずです」と返します。(もちろん、実際に横暴を働いていると幕府から判断されれば御家人は処罰されました)

この幕府の言い分に「まぁ、それもそうだなぁ」と納得した貴族もいれば、「は? イキナリなに無茶苦茶な事言ってんの?」と不満を持つ貴族もいました。

ついに朝廷が怒った!

幕府と朝廷が、契約を交わしたのは源平合戦の後、源頼朝と後白河法皇の代です。しかし朝廷側のトップが後鳥羽上皇に代わり、幕府も頼朝から頼家、実朝と代替わりをします。

そしてついに実朝が亡くなり、幼い将軍候補の後ろ盾として、実質的な幕府のトップとなったのが「北条義時」です。

これに、朝廷の権威を大事にする後鳥羽上皇は「貴族だった源氏一族でもない、田舎侍の北条義時が偉そうに交渉してくる」と不満を持ちました。そして元々幕府に不満を持っていた貴族たちが、後鳥羽上皇を囲い込みます。

そんな中で起きたのが「亀菊事件」でした。

後鳥羽上皇を虜にした美女

後鳥羽上皇には愛人が複数いました。その中でも特にお気に入りだったのが、白拍子の亀菊です。

白拍子とは男装して歌を歌って舞を踊る、いわば女性アイドルです。しばしば貴族や有力武士の妾にもなっていました。有名な白拍子には源義経の妾、静御前がいます。

歌川豊国『古今名婦伝』

現在ならばスキャンダラスな話ですが、一夫多妻制の当時では普通の関係でした。「妾」という言葉も、当時は低い身分の配偶者程度の意味です。

後鳥羽上皇は亀菊をとても可愛がっていて、現在の大阪府府中市にあった荘園をあげました。

亀菊の父はそれをとても喜びました。ずいぶん浮かれていたようです。上皇からもらった土地の権利書を額に張り付けて、さっそく荘園を訪れました。

「ここは今から、私の娘の土地だー! 私が管理するから、地頭は今日限り出て行けー!」

びっくりしたのは荘園にいた地頭です。突然現れた変なおじさんに「なんだチミは」と言いたいところをぐっとこらえて、冷静に対応します。

「いいえ、ここの土地は、鎌倉幕府から私が管理を任されている土地です。あなたの事は全く聞いていません。何かの間違いじゃないですか? アポイントは取ってますか?」

この冷静な態度、現代人も見習いたい所です。

結局亀菊の父は、地頭に言い負かされて帰って行きます。亀菊はこれを上皇に「あそこの地頭が邪魔をしてくるのー!」と泣きつきました。

カワイイ亀菊にカッコイイところを見せようとしたのか、上皇はすぐに地頭宛てに「退去せよ」という命令書を発行します。

しかし、地頭はまたもや冷静に「私は義時殿の命令でここに赴任しています。私に退去命令を出せるのは、義時殿だけですので、その命令書は義時殿に出してください」と返しました。

後鳥羽院も「まぁ、それもそうだな。よし、義時に退去命令を出すように命令しよう! 回りくどいが仕方ない!」と言って、義時にと命令書を発行しました。

しかし義時の返事は「この土地は、私が源頼朝様から恩賞として頂いた土地です。いくら上皇でも差し上げることはできません」でした。

もちろん現代の感覚では当然の言い分ですし、当時でも「そりゃそうだ」と考える人はいました。しかしこれに上皇やその周りの人々はカンカンに怒ります。

こんなコントみたいなやりとりが原因で朝廷内では打倒北条義時の風潮ができ、幕府VS朝廷の「承久の乱」へと向かっていくのです。

その後の亀菊

戦になれば余裕で幕府に勝てると油断していた朝廷は、「承久の乱」であっさりと負けてしまいました。

後鳥羽上皇は隠岐島へ島流しになってしまい、鎌倉幕府はますます朝廷へ強気に交渉するようになります。

後鳥羽上皇は隠岐島へ行くときに、何人かのお気に入りの側近を連れて行きます。その中に亀菊の名前もあります。

その美貌で権力者を虜にしてワガママを通そうとして、破滅に追いやる稀代の「傾国の美女」のイメージは後世でも強かったようです。江戸時代には「南総里見八犬伝」で有名な小説家「滝沢馬琴」が、亀菊を悪の親玉にして、水滸伝の英雄を性別逆転させた「傾城水滸伝」を書いています。

けれども亀菊は後鳥羽上皇が亡くなるまで、ずっとそばにいました。そして火葬されて遺骨となって京都に帰ってくるときに、亀菊もまた一緒に帰ってきます。

権力者の寵愛を受けてワガママな事を言っていた彼女でしたが、もしかしたらその愛は純粋なものだったのかもしれませんね。

書いた人

神奈川県横浜市出身。地元の歴史をなんとなく調べていたら、知らぬ間にドップリと沼に漬かっていた。一見ニッチに見えても魅力的な鎌倉の歴史と文化を広めたい。