生成AI時代にこそ問う、手で書く筆文字の大切さ
藤幡:なぜ吉川さんに「葦手(あしで)」について伺いたかったかというと、現代の文字のあり方への疑問がきっかけです。僕は若いころコンピューター・グラフィックの世界に入り、90年代からコンピューターと表現の関係を考えてきました。当時は「コンピューターが普及したら本がなくなるんじゃないか」なんて議論もありました。幸い、本は今もありますが……。そして今、現実に起きているのは文字から「身体性」が失われていることだと思います。
吉川:身体性、ですか。

藤幡:ええ。キーボードで打つ文字は、すべてアスキーコードという数字に置き換えられていて、書き手の身体的な痕跡が入り込む余地がない。AIが人間のように文章を生成しますけど、彼らに身体はないですよね。そんな時代だからこそ、手で書かれた文字、特に絵と文の境界があいまいな葦手に強く惹かれます。大学生のころに新聞で見た『平家納経』の、海岸線のようにうねる文字、葦手の衝撃が忘れられなくて。

吉川:なるほど。葦手は平安時代に日本で生まれたと考えられていますが、そのルーツを辿ると古代中国に行き着きます。
藤幡:そうなのですね。
吉川:はい、源流は中国の「雑体書(ざったいしょ)」という装飾文字にあるといわれています。鳥や魚、亀といった動物の形をかたどった文字。その伝統が日本に伝わり、独自の変化を遂げたのが葦手なのです。

藤幡:面白いですね。中国の雑体書には、文字の持つパワーを強化するような霊的なものを感じますが、日本では違うものになった。
源氏物語にも登場! 「文字から自由に逸脱する」葦手
藤幡:葦手は、中国の雑体書とは違う、独特の自由さがありますよね。
吉川:日本で生まれた「かな文字」の特性が大きいと思います。かな文字には、やわらかい曲線がありますから。
藤幡:かな文字のやわらかい曲線が、自由に逸脱して絵になる可能性を秘めていたのですね。

吉川:平安時代には、和歌に詠まれた情景を絵にする「歌絵(うたえ)」が流行しました。その絵の中に、景色の一部として和歌の文字を隠すように描き込む。例えば、木の絵に沿わせて文字を書いたり、水辺の葦の葉のように文字をデザインしたり。それが「葦手」と呼ばれるようになった一つの理由です。『源氏物語』の中にも、登場人物たちが「それぞれに葦手を書け」と腕を競う場面が出てきますよ。
藤幡:へえ! 当時の貴族たちにとっては、おしゃれな遊びだったわけですね。
「物語」は“物を語る”……声で聴くものだった。平安貴族のマルチメディア体験
藤幡:僕の憶測なのですけど、平安貴族は、書かれたものを読むときに声に出していたのではないかと思うのです。黙読する文化って、実はごく最近のものですよね。僕の祖父母の世代は、新聞を声に出して読んでいましたから。
吉川:和歌は声に出して詠むものですし、物語も音読されていました。「物語」が「物を語る」と書くように、文字は音にして鑑賞する側面もあったと考えられます。
藤幡:やっぱりそうですか!
吉川:ええ。『源氏物語』が一条天皇に献上された際も、天皇はお付きの女房に朗読させて、それを聴いて楽しんだといわれています。物語の絵を見ながら、隣で女房がその場面を読み上げることで、絵の世界に没頭するという鑑賞スタイルがありました。

藤幡:だとすると、葦手で書かれた和歌も、声に出して読まれていたのでしょうか。
吉川:そうだったかもしれません。
イントロ、ドン? わかる人だけが楽しんだ室町時代“葦手オタク”コミュニティー
吉川:葦手は、室町時代になると、さらにマニアックな方向に進んでいきます。例えば、硯箱(すずりばこ)の蒔絵のデザインの中に、和歌のたった数文字だけを、葦手で書く、といった美術品が登場するのです。

藤幡:数文字だけ! それで元の和歌がわかりますか?
吉川:当時はわかったのでしょうね。特に『古今和歌集』などは、公家や将軍は誰でも知っていましたから。ですが、現代の私たちには、その数文字がどの和歌から取られたものなのか、ほとんど解読できなくなってしまっています。
藤幡:それは、音楽の「イントロドン」みたいなものですね(笑)。曲の冒頭一音を聴いただけで「あの曲だ!」とわかる。それと同じで、一つの文字や絵のモチーフを見ただけで、教養のある狭いコミュニティの中では「ああ、あの和歌だな」と通じ合えた。
吉川:そうですね。
藤幡:仲良くなるということは、排他的になることでもありますよね。「わかる人だけでわかればいい」という感覚は、現代のオタク文化にも通じるものがあるかもしれない。日本は人と人との距離が近い社会だから、マニアックなコミュニケーションが発達したのでしょうね。今のアメリカのような、ルーツが様々な人があつまるところでは、生まれない文化かもしれません。
吉川:ええ。戦国武将は一生懸命、和歌を学んだのですが、その理由は教養人のコミュニティーに近づきたかったからでしょう。
藤幡:それだけ盛り上がっていた葦手なのに、現在の私たちは解読できないのですね。
吉川:明治時代に活字文化が主流になり、和歌や崩し字が日常から切り離されてしまったことが大きいと思います。共有されていた文化が、失われてしまったのです。
長谷川等伯の国宝《松林図屏風》には文字が隠されている? 藤幡さん、型破りの想像力
藤幡:明治以降の活字文化になって、僕たちは筆文字の文化を忘れてしまいました。その結果、室町時代の葦手のような、たった数文字に込められた意味を読み解けなくなってしまった。でも、もし解読できたら、日本美術史が大きく変わる可能性があるんじゃないかと。
吉川:そうですね。

藤幡:ここで、僕の突拍子もない仮説を一ついいですか(笑)。長谷川等伯が描いた国宝「松林図屏風」。あの絵の、松の根っこの部分。砂浜から浮き出た根の描き方が、どうも不自然で、あからさまに見えるのです。僕はあれ、実は文字なんじゃないかと思っています。

吉川:(笑)。
藤幡:全くの仮説ですけどね(笑)。葦手の解読は、失ってしまった文字と身体の関係を取り戻す試みでもあると思うのです。もう一度、僕たちは筆文字の文化に立ち返り、その豊かさを見つめ直す必要がある。今日はそんなことを感じられるお話をしていただき、ありがとうございました。
徳川美術館開館90周年記念 特別展 国宝 源氏物語絵巻
2025.11.15 (土)~2025.12.07 (日)
徳川美術館 公式サイト

国宝「源氏物語絵巻」は、日本を代表する最も有名な絵巻の一つです。『源氏物語』の絵画作例として現存最古を誇り、静謐(せいひつ)な画趣の中に物語の世界観や登場人物の心理を見事に表現しています。美麗な装飾料紙に流麗な筆跡でしたためた詞書など、原作に近い時代のみやびやかな雰囲気を伝え、今も見る者を魅了します。
開館90周年という記念すべき年にあたり、10年ぶりに名古屋の地で一堂に公開します。
次回企画展 日本の神々 降臨
2026.01.04 (日)~2026.02.01 (日)
徳川美術館公式 サイト

日本各地には、その土地や土地に住まう人々を守る神々が鎮座しています。人々は共同体を作り、神に祈りを捧げて神のもたらす恵みを受け、その恵みに感謝しました。また同じ神を先祖とする部族が現れ、特定の願い事をその分野を得手とする神に捧げる人たちも現れました。展覧会では、神の鎮座地や祀る人々、そしてさまざまな祭りに注目し、日本人と神との関係をひもときます。
メディア・アーティスト・藤幡正樹
80年代はコンピュータ・グラフィックス、90年代はインタラクティブアートやネットワークをテーマにした作品を制作、その後GPSを使ったプロジェクトを展開。1996年アルス・エレクトロニカ(リンツ、オーストリア)で日本人初のゴールデン・ニカ受賞。1989年から2015年まで慶應義塾大学、東京藝術大学で教鞭を執る。2020年はUCLA客員教授。2022年全米日系アメリカ人ミュージアムで、日系アメリカ人の強制収容を扱った「BeHere / 1942」を展示。
「藝術と技術の対話」プロジェクト
2025.11~2026.5
https://www.dat.1kc.jp/lecture

「藝術と技術の対話(DAT)」は、メディアアートやデジタルアート等のアート&テクノロジー分野の専門家育成を目的に2025年11月より始動する新しいプロジェクトです。
エグゼクティブディレクターには藤幡正樹が就任。今後3年にわたり、講座や調査研究、ブートキャンプ、国内外での展覧会の企画・実施、シンポジウム等の多角的なプログラムを展開する予定です。プロジェクトの第1弾は、全7回からなるオンライン講座。今後、国内外から多彩なゲストを迎えます。

