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2020.08.05

夏の深夜に少女の影。将軍・源実朝が見たのは幽霊?妖怪?それとも…?【鎌倉時代の怪異】

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夏の深夜、暗がりの中にうごめく影。そろそろ怪談が似合う季節となりましたね。

ここで一つ、鎌倉時代から、3代目将軍・源実朝(みなもと の さねとも)が遭遇した怪異をご紹介しましょう。

お、お前は誰だ…!真っ暗な庭に少女?

建暦3(1213)年8月18日の事。

皆が寝静まった深夜、将軍・実朝は一人、南面にやってきました。南面というのは、公的な謁見をするための部屋で、今でいう所の官邸ロビーのようなところです。

人々はみな寝静まり、月明かりと虫の音だけが辺りを包む中、実朝が何をしていたかというと、歌を詠んでいました。

丑の刻を回ったころ。誰もいないはずの中庭に、誰かが駆け抜けるのを見かけました。若い女性のようです。

「お前はどこの誰だい?」

と、実朝は何度も尋ねましたが、ついに名乗らず、少女は門の外へ行ってしまいました。

すると松明のような光る物体が現れました。驚いた実朝は宿直の者に言いつけて、急いで陰陽師の安倍親職(あべの ちかもと)を呼び寄せました。

はぁ〜ひと安心。褒美にコレをあげよう

さて、幕府お抱えの陰陽師である安倍親職は、将軍・実朝の急な呼び出しに、よっぽど慌てて来たのか、着物が裏返しになっていました。

実朝は起こった出来事を説明しますが、親職が検分したところ「変わった所はありませんね」とのことでした。

それでも、実朝は不安だったのか、念のため庭で「招魂祭」を行いました。これは陰陽道の儀式で、鎌倉時代には「なんだかよくわからないけれど、とりあえず払っとく?」ぐらいの感覚で行われています。

これで実朝も安心したのか、その日着ていた服を親職に褒美としてあげました。

ちなみに将軍が着ていた服をそのままあげるというのは、とても名誉な褒美だったようです。服自体が高級品ですし、頼朝の代では、頼朝の服を誰が貰うかで喧嘩が起きたぐらいです。

そんな大変な名誉の品をポンとあげてしまうほど、服を裏返しで現れた親職が、実朝には心強いヒーローに見えていたのでしょう。よっぽど怖かったんですね……。

実朝はなぜ陰陽師を呼んだの?

陰陽師といえば、平安京のゴーストバスターというイメージを持つ人も多いでしょう。
それが何故鎌倉にいるのかというと、端的に言ってしまえば親戚同士のイザコザのようなものです。

実際は朝廷の役職の一つで、天文学を修めて暦を作成し、中国の思想である陰陽五行説に基づいた占いを行い、祭を取り仕切る役人を指します。

信心深かった昔は、何か変わった事が起こるとこれが吉兆なのか、凶兆なのか、陰陽師に占わせて、凶兆ならお祓いの儀式をしていました。

安倍清明を代表する安倍一族は、陰陽道の中でも特に難解とされている天文学に通じていたので、陰陽師のトップに立っていました。

コンピューターもない時代、計算して星の周期を割り出すなんて、現代人でも想像つかない途方もない学力です。オカルトじみた伝説抜きにしても安倍晴明がいかに凄かったかが伺えます。

源平合戦が起こり、鎌倉幕府が成立すると、カマクラン・ドリームを夢見て、朝廷の下級役人が幕府の高官になるべくやってきました。

鎌倉幕府成立は、清明から数えて6代目・7代目にあたります。その頃は安部氏も多くの庶流ができていました。直系でない安倍一族もカマクラン・ドリームを夢見て鎌倉へ下向し、幕府の頭脳の要として、さまざまな儀式を執り行います。

妖怪「青女」との関係

吾妻鏡の原文には、庭を走り回った少女を「青女(あおおんな)」と記しています。

「青女」といえば、江戸時代の妖怪画に登場する妖怪で、平安時代の女官のような姿をして、荒れ果てた屋敷に出現すると言われています。

しかし、吾妻鏡は鎌倉時代に書かれた文書ですので、妖怪の「青女」は登場する前です。この時代の青女とは、身分が高い人に仕える若い女性を指します。

『女官装束着用次第』より

江戸時代の絵巻に登場する青女と、実朝が見た不思議な青女の関連は不明で、妖怪画家たちも、吾妻鏡のエピソードから着想を得たというわけではないようです。

実朝の不安

実朝が見た「青女」がなんだったのか、よくわかりません。ではなぜ実朝は青女を見てしまったのでしょうか。

実朝が不思議な青女を見た3か月ほど前、建暦3(1213)年5月に大きな内乱がありました。

源平合戦で武勇を発揮し、幕府の重鎮だった和田義盛(わだ よしもり)の一族が北条氏に反抗して合戦となっていたのです。

実朝の側近には和田一族の者も多く、義盛のことも慕っていました。そんな和田一族が御所に攻めてきたのは、実朝にとって大きなショックだったのでしょう。

実朝はその後も何度か、和田一族の慰霊を行っています。

そんな実朝に大きな傷を残した和田合戦から、わずか三か月。北条と幕府、そして御家人たちとの関係にまだ不安があったのかもしれません。

その後、実朝はまるで生き急ぐかのように、昇級していきます。子どもがなかなかできなかった実朝は、せめて「鎌倉幕府の将軍」の地位を上げようとし、ついに6年後には右大臣にまで昇りつめます。

目を見張るような出世のスピードですが、その反面、度々怪異を目撃したり、前世を夢で見たりと、ちょっと「不思議ちゃん」な所もあったようです。

そして何か変わった事があると、すぐに陰陽師に吉兆を聞いてお祓いをする、「気にしい」な部分も吾妻鏡には描かれています。

青女のエピソードも、そんな繊細な実朝の不思議なエピソードの一つです。

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書いた人

神奈川県横浜市出身。地元の歴史をなんとなく調べていたら、知らぬ間にドップリと沼に漬かっていた。一見ニッチに見えても魅力的な鎌倉の歴史と文化を広めたい。