大蛇の祟りや三途の川も!?源頼家の不思議な洞窟探検、穴の中で見たものとは?

大蛇の祟りや三途の川も!?源頼家の不思議な洞窟探検、穴の中で見たものとは?

富士山周辺には、溶岩でできた洞穴がいくつもあります。その洞窟の内部の壁はデコボコしていて、中に入るとまるで体の中を探検している気分に。その様子を富士山の女神の胎内になぞらえて修行する「富士信仰」が、江戸時代に流行しました。

まるで胃カメラの映像みたいな溶岩洞窟の内部

富士信仰が日本全国で流行する以前にも、洞窟の地元ではさまざまな信仰が根付いていました。ここでは、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡(あずまかがみ)』に残されている、将軍・源頼家にまつわる不思議な記録をご紹介します。なんと、穴の中に大蛇や三途の川があったとも……!?

将軍・頼家の「穴」発見記録

『吾妻鏡』や民話に伝わる、頼家の不思議な穴発見記録をみていきましょう。

人を飲み込むほどの大蛇登場!【『吾妻鏡』の記録】

鎌倉時代の武士たちは、戦闘訓練として頻繁に狩りを行っていました。とくに将軍が主催する狩りは大規模です。富士山麓や伊豆半島にある狩り専用の土地で、何日もかけて狩りをして技を競いました。

歌川貞秀『富士の裾野巻狩之図』

建仁3(1203)年6月1日のこと。2代目将軍・頼家(よりいえ)は、御家人たちを連れて伊東(静岡県)へ狩りにでかけました。伊東の南にある山の中で、大きな穴を見つけます。

「え、めっちゃ深……これ、どこまで続いてるんだろ」

気になった頼家は、側近の中でも特に腕の立つ御家人、和田胤長(わだ たねなが)に松明を持たせ、ひとりで探索に向かわせました。胤長が大穴に入ったのは巳の刻(お昼ちょっと前)でしたが、出て来たのは酉の刻(日暮れ時)あたりで、こう報告しました。

「この穴は、数十里(1里=約4㎞)あります。中は暗くて、日光が届きません。進んでいくと大蛇が出て来て、私を飲み込もうとしたので切り殺しました」

この穴が具体的にどこにあった穴なのかは、『吾妻鏡』には記載がありませんが、伊東市の伝承では大室山にあったとされています。

目玉が唸り声をあげて飛んで行った!【民話による伝承】

伊豆半島の中でも屈指の桜の名所と知られる「さくらの里」周辺に伝わる民話には、『吾妻鏡』とはちょっと違う経緯が伝わっています。

御家人を引き連れて狩りにやってきた頼家。大量の獲物を捕る事ができ、上機嫌になったので、もてなしてくれた村人たちに「何かお礼をしよう。欲しいものはあるか?」と尋ねました。すると村人たちは互いに顔を見合わせて、真剣な顔でおそるおそる切り出します。

「この頃、周辺の村では飼っている犬や猫、にわとり、仕事で使う馬や牛までいなくなるという事件が多発しています。そしてとうとう子供までいなくなっていましい、子供が着ていた服が大室山の麓に残されていました。別の村の話では大蛇が牛を咥えて大室山を登って行くのを見たと言い、穴の中から唸り声を聞いた者もいます。どうかこの大蛇を退治してください」

大きさはともかく、蛇って唸り声をあげるのでしょうか……。蛇に発声器官はなかったハズなのですが。それにその場で飲み込まずに咥えて巣に……?それ本当に蛇なんですかね。

そんな無粋な疑問はひとまず置いておきましょう。村人たちの訴えを聞いた頼家は、和田胤長を穴に派遣します。胤長は大蛇を退治した証拠に片目をくり抜いて持ってきてたので、それを飾って村人たちと宴会をしました。村人たちがお礼の舞を踊った場所が、今でも「舞台」という地名として残っています。

さくらの里公園と大室山

しかし宴の最中、突然その目玉は突然唸り声をあげて、どこかへ飛んで行ってしまいました。村人たちは何か悪い事でも起こるのではないかと恐れましたが、何も起こらなかったとのことです。

実際の蛇穴はどこにあった?

大室山の蛇穴は、伊東市のさくらの里公園内にある洞穴ではないかと言われています。正式名称は「穴の原溶岩洞穴」といい、頼家の大蛇退治の伝承にちなんでこの周辺を「穴の原」と呼んでいたそうです。

周辺は草木に覆われ、柵で囲まれて立ち入り禁止となっているため、内部に入る事はできません。しかし以前、学術調査が行われたところ、現在は何十kmも続くような横穴は開いていないようです。800年以上前のことですから、内部が崩れてしまったのでしょうか。

またも頼家が穴を発見!まるで人体のような「人穴」

大蛇退治をした後、頼家たちは富士山麓へ移動して再び狩りをしていました。そこで発見したのが周辺の村人から「人穴(ひとあな)」と呼ばれる溶岩洞窟です。内部が人体のように見えるため、古くから「人穴」と名付けられていました。

先日の大室山での大蛇退治で、すっかり気を良くしたのか、頼家は新田忠常(にった ただつね)という御家人に自分の刀を与えて、探索を命じました。

新田忠常は5人の家来を引き連れて人穴へと入って行きましたが、日が暮れても帰って来ません。帰って来たのは翌日の深夜になってからでした。

驚愕!穴内部の調査報告

帰って来た忠常は、こんな調査報告をしました。

「穴の中は狭くて方向転換もできず、私たちは先に進むしかありませんでした。中は真っ暗闇で不安を感じながら、私たちはそれぞれ松明を持って進んでいました。足元には水が流れていて、常に浸って進み、目の前には何千・何万匹もの蝙蝠が飛び交います。そうして行きついた先には、大きな川が流れていました。

流れは速く、波も荒く、渡る事もできません。松明に照らされて向こう岸に何か光るものが見えたと思ったら、私の家来の4人が突然倒れ、そのまま死んでしまいました。そして私に何者かが語り掛けて来ました。その言葉の言う通り、頼家様から頂いた刀を川に放り投げ、命からがら帰ってきました」

内部に湖や川がある洞窟は国内外にありますが、真っ暗の中で流れが速く荒い川は、どんなに勇猛果敢な坂東武者も恐怖を感じたことでしょう。そして向こう岸にあった光の正体は一体なんだったのか……。なぜ家来が倒れて死んでしまったのか、全く説明がつかない事態です。

人穴の内部には何があったの?三途の川?

実は人穴の洞窟内部には入る事ができます。現在は入場規制があり、事前の申し込みが必要です。最深部までは80mほどで、その先は行き止まりとなっています。

多少話は盛られているにせよ、たった80mの調査に1日半もかかり、死者も出るとは考えにくいです。富士山は頼家の時代から9回も噴火しているので、忠常が辿り着いた場所までの道は、やはり埋まってしまったのでしょうか。

洞窟周辺には、富士信仰で訪れた人々が建てた石碑が無数にあります

『吾妻鏡』には、周辺の村に住む古老の話も記載されています。それによると「人穴は、浅間大菩薩(富士山の神)が住むといわれていますので、昔から奥に進んで見に行くような者はいませんでした。今回あなた方のしたことは、とても恐れ多いことですよ」とのこと。

富士信仰は江戸時代から盛んになりますが、それ以前から富士信仰は地元民に根付いていたようです。このエピソードを脚色したおとぎ話『富士人穴草子』では、この光が「私が富士山の神である」と語ったとされています。それが流布して人穴が富士信仰の聖地となりました。

富士信仰では人穴の奥は黄泉の国へと繋がっていると言われています。忠常が奥で見た怒涛の川は三途の川だったのでしょうか。

頼家の失脚は、大蛇と富士山の祟りとも

頼家が、この伊東と富士での狩りから帰ってからすぐ、北条氏との政争が本格化していきます。そして3か月後、頼家は政争に敗れて伊豆の修善寺へと追放され、その翌年に暗殺されてしまいました。

大室山周辺の村人たちは、「大蛇の祟りでは?」と噂する人もいたそうです。『吾妻鏡』にも、人穴探索が神に対してとても無礼なことだと強調するように書かれています。

さらに、人穴探索をした新田忠常は、頼家が追放された直後に北条氏から謀反の疑いを掛けられて暗殺されてしまいます。大蛇を討ち取った和田胤長も、10年後に謀反を起こしたとされて北条氏によって流罪となり、流刑先で暗殺されるという、頼家に似た運命を辿ります。

『吾妻鏡』は頼家にとって政敵だった北条氏のバイアスが掛かっていますし、関係者全員が北条氏によって悲劇的な結末を迎えたのも偶然であると言ってしまえば簡単です。しかしここまで重なるとちょっとオカルト的な因果も、少し考えてしまいますね。

そういえば北条氏の家紋って『三つ鱗』ですね……

もし偶然、不思議な穴をみつけたとしても中に入らないようにしましょう。好奇心で身を滅ぼすことになりかねませんからね。

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アイキャッチ画像:wikimedia commonsより

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