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2021.02.18

潜入時空捜査官!容疑者は銀杏の陰に…源実朝の暗殺現場は13段目?大検証2時間スペシャル

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伝承と史実。歴史を扱うにおいて、この2つは明確に区別しなければならない時があります。それが実際に起こった事なのか、ただの伝承なのか。そして伝承だとしたら、「それはいつ発生したものか」を調べる事もまた、歴史をひも解く鍵となります。

というわけで今回は「伝承の発生」について、ドラマ仕立てでお送りします。

その伝承はもしや「源実朝暗殺」について!? 楽しみ~!! 

時空捜査官の調査室に取材してきました!

ここは歴史に関する噂話を検証する時空捜査官が集う調査室。和樂webの歴史ライターもお世話になる事もあります。ある日、私がここで調べ物をしていると、1つの噂話が舞い込んで来ました。

「源実朝は大階段の13段目で、銀杏に隠れていた刺客に殺された」という話を聞きました。これは本当ですか? 調べてください。

「おかしいわね」

と、時空捜査研究員、時捜研の女・マイコさんが呟きました。

「実朝の暗殺に関しての記述は『愚管抄(ぐかんしょう)』と『吾妻鏡(あずまかがみ)』にある。けれど、どちらにも銀杏の木や階段の段数の記述はないわ」

「銀杏の話はよく聞きますが、階段の話は、私は初めて聞きました」

紅茶を差し出しながら左京さんが話に乗っかって来ました。

「あ、でも自分は聞いた事あります。横浜市の小学校だったんですけど、遠足が鎌倉で。その時に噂で聞きました」

左京さんの相棒、油木さんの言葉で、マイコさんと左京さんは「ふむ」と考え込みます。

「銀杏の木と階段の話。これらの出どころは別々と考えた方が良いわね」

「ではまず銀杏の木から検証してみましょう」

私の大好きなサスペンスドラマのメンバーが勢ぞろい!

鶴岡八幡宮の銀杏の木はいつ植えられた!?

鶴岡八幡宮には、樹齢1000年とも言われる大銀杏がありましたが、平成22(2010)年3月10日の未明、暴風により倒壊してしまいました。

そのニュース、覚えてる!

倒壊する以前からも、銀杏の陰に刺客が隠れていた事は疑問視されていました。日本に分布する銀杏は中国原産だろうとされていて、実朝暗殺事件があった健保7(1219)年には、まだ伝来していなかった、という考えが現在の主流です。

その大銀杏が、倒壊した事により年輪が解る……! わくわくした歴史ファンも多かったでしょう。ところが……。

倒壊直後の現場は立ち入り禁止となっていて、倒れた木は公開されていませんでした。どうやら銀杏の木を守ってきた人たちや鶴岡八幡宮が話し合い、樹齢は公表しない事となったようです。

しかし鶴岡八幡宮の宝物殿に幹の断面が展示されているという情報を得て、私はマイコさんに同行しました!

年輪から調べる、銀杏の年齢!

「まぁ、何てこと!」

年輪を見たマイコさんは残念そうな声をあげました。

「銀杏の木が暴風で倒れてたのは、腐食が原因なのね」

鶴岡八幡宮の宝物殿に展示されている銀杏の木の断面は、半分ほど腐ってしまっていて年輪は読み取れませんでした。

「判別できる部分だけでも数えて推測してみたけれど……100年もないわ」

— ええッ、そんなに若い木だったんですか!?

私が思わず声をあげると、マイコさんは首を横に振りました。

「いいえ。多分これ、一番太い幹の部分ではないわ。上の方の幹よ」

どうやらこの幹の断面は、マイコさんの推測通り、地上から10mほどの所のようです。

「この幹の状態、倒壊前の高さ、残った根の部分の太さ諸々を計算すると……ざっと樹齢500年。±50年って所かしら」

— それでもやっぱり実朝暗殺事件の頃には存在しなかった、ということですね。

と、そこにマイコさんのスマホが鳴りました。どうやら文献資料を漁っていた左京さんからの連絡です。

杉下左京さんなら、絶対に謎を解き明かしてくれるっ……!!

文献から調べる銀杏の年齢!

調査室に戻ると、左京さんが紅茶を華麗に注ぎながら解説を始めました。

「私はまず、鎌倉時代から大正時代までの、実朝暗殺事件の記述のある資料を読んでみました。すると……銀杏の木が初めて登場するのは、万治2(1659)年頃に発行された『鎌倉物語』でした。『鎌倉物語』には、銀杏の木の挿絵もあります」

中川喜雲『鎌倉物語』 早稲田大学デジタル図書館古典籍総合データベース

「銀杏は階段の左にある木ね。人物の様子から、本が書かれた当時の八幡宮かしら。かなりデフォルメされているけれど、このサイズ感からして、樹齢150年~200年といった所かしら」

本の発行が約400年前で、そこから樹齢150年~200年とすると、先ほどマイコさんが計算した樹齢とも一致します!

「この本以降、江戸中期~後期の本に刺客が銀杏の木に隠れていたという記述が多く見られました。この挿絵からも、銀杏の木は江戸時代にはかなりの存在感があったと思われます。そこから想像を膨らませたお話なのでしょうね。

そして、大正9(1920)年の『鎌倉名勝誌』に銀杏の木は暗殺事件後に植えられたのではないか、という説がやっと紹介されています。物語が一般的な歴史認識に影響する例のひとつとして、興味深い事例ですね」

『鎌倉物語』の作者、中川喜雲(なかがわ きうん)は仮名草子作者……つまり、小説家です。『鎌倉物語』は中川自身が鎌倉を訪れた際の紀行文で、これを書くにあたり『吾妻鏡』や『発心集』など、鎌倉時代の文献を読み込んでその時代背景も描いてます。

なぜ、銀杏の陰に隠れていた話を織り込んだのか。考えられるのは2つ。まずは既に地元民の間ではその話がすでに流布していた。しかし誠実な作家だったら「という話が地元で広まっている」と書くのではないでしょうか。

もう一つの可能性は、小説家の感性でこの話を創作した。もしもこの話が中川喜雲の創作だとしたら……サラッと混ぜ込んだ創作エピソードによって、事実と創作の区別が曖昧となり、一般に流布してしまう。まるで江戸時代の司馬遼太郎ですね!

— あれ、ところで油木さんは……?

「見つけましたよ!」

 と、油木さんが調査室に飛び込んできました。

「油木くんには、13段目の方を調べてもらいました」

油木さん! いつも陰でサラッと仕事してる!

実朝が13段目で殺されたという噂の元ネタを追え!

「自分は13段目で殺された、という話は聞いたことがある。だから最初は左京さんと文献を洗っていました。しかし……段数の記述はどこにもなかったんです!」

「少なくとも、大正時代までの文献にはありませんでしたね。私も知りませんでした。おそらく日本全国に流布している話ではなく、鎌倉市周辺の伝承でしょう」

「そこで……思い出したんですよ。鶴岡八幡宮の立地です!」

国土地理院ウェブサイト

「鶴岡八幡宮は、複数の小中学校と隣接しているんですよ!」

「それがなにか?」

「左京さん、小学校の時の七不思議、覚えてませんか? ありませんでしたか? 魔の13階段!」

魔の13階段! 13段目を踏むと異界にワープしたり、12段の階段が夜中に13段に増えてたりするアレですね! ちなみに私の小学校では4時44分44秒に13段目を踏むと、ガコンと床が開いて地獄に落ちるでした!!

「私の所にはありませんでしたが……それはちょっと興味深いですね」

「本来なら学校の七不思議にあるはずの魔の13階段が、鶴岡八幡宮の話として小学生の噂となったのではないか、と考えました。そこで、魔の13階段の元ネタを調べてみたんです。すると絞首台の階段は13段という噂に行きつきました」

「それは変ですね。日本の絞首台には階段がありません」

「元ネタはやっぱり13が不吉な数字というキリスト教圏だと思ったんですが、ヨーロッパやアメリカの絞首台も写真をいくつか確認しましたが、13段もないんですよね。でも、ついに見つけたんですよ! 13段の絞首台が日本に流布する発端になるもの! それが、巣鴨プリズンの絞首台」

巣鴨プリズン! 第二次世界大戦後GHQによって設置された、いわゆる「戦犯」を収容した拘置所ですね!

「絞首台の写真が残されていて、そこには確かに13段の階段があったんです。おそらく魔の13階段は、東条英機らの処刑が行われた昭和23(1948)年当時の小学生から発生したと考えられます。

鎌倉市では学校の七不思議に組み込まれるはずだった13階段が、この鶴岡八幡宮の実朝暗殺事件と結びついた。そして、小学生の噂は学校から学校へと伝播します。自分が小学生だった平成初期には市内だけでなく近隣地域の小学生にも流布されるようになった……というのはどうでしょう!?」

「う~ん、でもまだ油木くんの推測にすぎないですね。可能性は否定しませんが。それなら近隣の学校で七不思議の調査も必要になってくるでしょう」

油木さんは左京さんにそう指摘されてしゅんと肩を落としました。噂の検証はまだまだ続きそうです。

なるほど。小学生の噂ってなぜかよく広まって、脈々と受け継がれますよね。学校に「特に理由はないけど、絶対に使っちゃいけない水道」とかありました!

あとがき

実朝800周忌だった平成31(2019)年1月27日。Twitterで「実朝は大階段の13段目で、銀杏に隠れていた刺客に殺された」という話が少し話題になっていました。横浜市でも鎌倉に近い所出身だった私は「小学生の頃そんな話を聞いたなぁ」と懐かしく思っていたんですが、他県出身の歴史関係フォロワーがみんな「銀杏の木は聞いた事があるけど、13段目ってどこから出てきた話?」と首をかしげていました。

そういえば不思議だなと思って調べ始め、それをドラマ仕立てにしてみたのがこの記事です。

「伝承」や「創作」「噂話」は人の心を掻き立てて、広く流布します。そこから時間が経って何が事実で何が作り話だったのか仕分ける作業もまた楽しいものです。

読んだ私も楽しかったです!

参考文献

柴田松太郎『鎌倉・鶴岡八幡宮の 大銀杏 (隠れ銀杏)』
足立久男『倒壊した鎌倉・鶴岡八幡宮の大イチョウ』
『看守が隠し撮っていた巣鴨プリズン未公開フィルム』小学館文庫

▼源実朝についてはこちら
源実朝 「東国の王権」を夢見た将軍 (講談社選書メチエ)

「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!

1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)