今回解説するのは……鎌倉初期のややこしさは、だいたいこいつのせい!? 北条時政(ほうじょう ときまさ)!!
第1回から読んでくれている読者は薄々気づいているだろうが、オレは『鎌倉殿の13人』の主役である北条義時(ほうじょう よしとき)とその父時政に、ちょっと……いやだいぶ思う所があるんだよ……。
なるべく中立的に書くように努めるが、同じ時代を生きて、あまり良い印象を抱いていないオレのバイアスが掛かっているという前提で読んでくれな!
おっと、自己紹介が遅れたな。鎌倉御家人・三浦胤義(たねよし)が語る! 令和4(2022)年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』予習シリーズ! オレが何者かは第1回参照なッ!
北条時政って何者!?
北条宗時殿の記事にもちらっと書いたが、北条家自体が『吾妻鏡(あずまかがみ)』に出てくる以前は謎に包まれている。
12世紀後半ぐらいから伊豆にやってきて、伊豆国の国衙(こくが=現代で例えると県庁)で働いていたのではないか、と言われている。それ以前は京都にいたのでは? と。しかしこれらはまだ推測の域を出ない。大河ドラマで注目される事で、新しい発見があるといいのだが……。
ものすごくやり手だった北条時政
伊豆の小さな領主だった北条氏が、幕府の実権を握るようになったのは、なにも尼御台(あまみだい=北条政子)が頼朝様の正妻だったからだけではない。頼朝様の死後も「頼朝の妻の家」という地位を守り通せたのは、時政の手腕があってこそだった。
比企能員(ひき よしかず)殿の記事でも少し書いたが、「前将軍・頼朝様の妻の家」である北条氏と「現将軍・頼家(よりいえ)様の妻の家」である比企氏の対立が激化した。
この時に、御家人たちの支持を得たのは北条氏だ。そして比企氏を滅亡させて、頼家様を追放して暗殺してしまう。あとは幼い実朝(さねとも)様を将軍にして、自分が執権(しっけん)となるだけだ。
しかし実朝様は幼過ぎた。そこで時政はどうしたか。なんと後鳥羽院から「実朝の後ろ盾になってやろう」と約束を取り付けた! 実朝様の「実朝」という名前は、元服時に後鳥羽院から頂いた名前なんだ!
まぁ、ここら辺の朝廷とのやりとりも、もともと京に強い縁があったのでは? と考えられている要因だな。
承久の乱も北条時政のせい!?
しかし後鳥羽院は「その代わり、幕府から武士を派遣して、私の指揮下で京都を警備できるようにしてくれ」という条件をつけた。その後鳥羽院直属の武士が、いわゆる西面武士(さいめんの ぶし)となる。
それから18年後。後鳥羽院は西面武士を使って承久の乱を起こす事になるんだ。つまり、承久の乱が起きたのは元を辿れば時政が実朝様を擁立したからとも言えるな!
ちなみに歴史の教科書には「鎌倉幕府を攻め滅ぼすために西面武士を作った」と書かれているが、どう考えてもこの時点で後鳥羽院が幕府を攻める事を考えているのはちょっとおかしい。だって本当に攻めるつもりだったら、この時点で「は? 鎌倉の将軍の跡継ぎが幼過ぎる? 後ろ盾も弱い? チャンスじゃ~ん」っていう状況だったし……。
でもまぁ受験生は教科書の通り覚えて、それ以外の人は「教科書とは違う説があって、議論になってるんだな」ぐらいに覚えておいてくれ。
北条時政って悪人なの?
そんな敏腕政治家である時政が失脚したのは、畠山重忠(はたけやま しげただ)の乱。
みんなの兄貴分だった重忠を討ち取ってしまって、しかも重忠にはなんの罪も無かったと発覚したからだ。御家人たちから強い反感を買い、ついには追放されて本拠地の伊豆に戻って行った。
そんな感じだったから後世でも権力欲に溺れた悪辣な人物だとされた。江戸時代になると鎌倉を舞台にした歌舞伎に、悪役として登場する事となる。わりと最近まで良いイメージがついてない人物だったんじゃないかな。
まぁオレも重忠の乱には納得していないし、何よりも頼家様の仇だし。あえてフォローはしないけど……批判と人格攻撃は、違うものだよなとだけ言っておく。
▼ガイドブックもチェック
鎌倉殿の13人 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド)
北条時政役、坂東彌十郎殿について
そんな北条時政役は、歌舞伎役者の坂東彌十郎(ばんどう やじゅうろう)殿! 歌舞伎で悪印象が強くなった人物を歌舞伎役者が演じる……すごいな。三谷幸喜殿、世間のイメージを覆すつもりだな……。
坂東彌十郎殿のコメント
義時の父。天下取りの大勝負に挑む田舎武士
映像作品への出演経験がほとんどない私ですが、歌舞伎での時政のイメージは全て消して、三谷さんとご一緒にゼロから作り上げていきたいと思っています。
うむ。あえてこの配役にしたのだから、ただの悪辣な時政ではないだろう。彌十郎殿がどんな時政になるか、楽しみだな!
▼おすすめ書籍
北条時政と北条政子―「鎌倉」の時代を担った父と娘 (日本史リブレット 人)
関連人物
妻:伊東祐親の娘、牧の方、ほか
子:北条宗時、北条政子、北条義時、阿波局、北条時房、北条政範、畠山重忠の妻、稲毛重成の妻、平賀朝雅の妻、宇都宮頼綱の妻、坊門忠清室、河野通信の妻、ほか
人物相関図:
『鎌倉殿の13人』予習にぴったり!源平合戦~鎌倉初期を相関図で解説!
「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧
「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!
1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)