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2021.06.24

ウソのようなホントの話!アニメで話題の「スーパーカブ富士山登頂」は実話だった!

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アニメ『スーパーカブ』が話題を呼んでいる。

主人公の女子高生小熊は、両親も頼れる親類もいない天涯孤独の少女。奨学金を受け取りながら、団地で独り暮らしをしている。そんな小熊はある日、地元のバイク販売店で1台のスーパーカブを見かける。これは「今まで3人殺した」という曰くつきのバイクで、店主も手放したがっているのかタダ同然の格安で売られていた。スーパーカブを手に入れた小熊の日常は、その日から少しずつ変化していく——。

『スーパーカブ』は、もともとはネット上に連載されていた小説。現代人が見慣れたスーパーカブが主役という、異色の作品でもある。そして作中に「スーパーカブ富士登山」の話が登場し、これもSNSで大きな話題になった。

1963(昭和38)年8月にスーパーカブで富士登山に成功した人の話である。そしてこの部分は、フィクションではなく実話だ。

国産オフローダーがなかった時代

先日筆者は、「ヤマハの闘将」ジャン・クロード・オリビエ(以下JCO)という人物についての記事を執筆した。

自動車インポーター企業ソノートに入社したばかりのJCOは、ヤマハのDT-1というマシンに惚れ込んだ。これは日本メーカー初の本格的オフロード車で、JCOはこのDT-1に跨って自らモトクロスや耐久レースに出場した。ヨーロッパではまだ無名だったヤマハのマシンを売るために。

DT-1の一般発売は、1968年のことだ。

日本製オフローダーなど影も形もない1963年8月4日、鍋田進氏がスーパーカブによる富士登頂を成し遂げている。そして同月19日、東京上野動物園村長の林寿朗氏一行が2台のハンターカブ(スーパーカブの派生型)と2台のモンキーでやはり富士登頂を成功させた。

当時の新聞に取り上げられたのは、後者だ。

従って、1963年8月19日以降の新聞記事を読めばこの快挙について記載されている……と言いたいが、実は「当時の新聞」は具体的に何だったのか、という話になってしまう。

「偉業」を取り上げなかった全国紙

筆者は早速調べてみた。図書館に行って、朝日新聞の過去記事を洗ってみる。

が、1963年8月19日以降の記事を何度も何度も調べてみても、ハンターカブ&モンキーの富士登山の話は出てこない。どこにもそのようなことは書かれていないのだ。

結論から言えば、全国紙である朝日新聞はこの偉業をスルーした可能性がある。というのも、1963年8月4日の日刊19面にこのような記事があるからだ。

「何を求めて登る? まるでベルトコンベヤー“二度とは来ませんよ”」

これは富士山の登山道に大挙する一般登山者について書いた記事だが、あまりに増え過ぎた行楽客に対して大いに嘆く内容である。

正直なところ、道からそれて、あの赤茶けた岩はだのところへすわりたくなった。山道が苦しかったからではない。どうにもならない、余裕のなさ。このままで、あの山頂まで、と思うと、ベルトに乗せられた機械的な味気なさが、ひしひしと迫ってくる。

(朝日新聞1963年8月4日日刊)

当時は富士山の入山規制もなく、「ベルトコンベヤー」という単語が相応しいほどの多くの登山者が詰めかけていた。朝日新聞の記者は、それに対して苦言を呈したのだ。

故に、その直後に達成されたスーパーカブ富士登山には興味を示さなかった可能性がある。上の記事では、

「六根清浄」などという言葉は、この若者たちの頭の中には、まったくないようだ。なにしろ、白装束は、派手な模様のスポーツシャツにとって代ったのだから……。
(同上)

とも書いているくらいだ。

静岡新聞が大絶賛!

ところが、静岡新聞は態度がまったく違った。

8月19日に富士登頂を成し遂げた林寿朗氏一行に関する記事を、小さいが写真付きで掲載したのだ。

五五ccハンターカブ二台と、五〇ccモンキーカブ二台にのって十九日朝七時半御殿場口太郎坊を出発、八合目に一泊し二十日御来光を仰いでから山頂をきわめ、お鉢めぐりを楽しんで同様オートバイに乗って御殿場口から下山夕方六時ふもとの富士山測候所に無事到着した。

(静岡新聞1963年8月21日日刊)

筆者は静岡県静岡市在住で、この過去記事を調べるために静岡県立中央図書館のマイクロフィルムを機械に通した。静岡市民で本当に良かったと、この記事を書きながら涙を流している。

それはともかく、この「カブ登山」は相当な難行だったことが紙面に書かれている。富士山頂ではカブのパワーがほぼ半減し、途中でスタック(タイヤが地面の柔らかい部分にはまり、進めなくなる現象)もあったという。もっとも、軽量のハンターカブやモンキーならスタックしても人力で持ち上げることが可能だ。

面白いのは、この一行のバイクは4台なのに人数は6人だった点。これはマシントラブルに備えた編成だろう。いざとなったら2人で1台のバイクを押したり担いだりしなければならない。

それだけ、カブで3,000m級の独立峰を登るというのは難易度の高い冒険なのだ。

あの日の快挙は伝説に

無論、今の時代に「バイクで富士登山」をやれば、静岡県と山梨県から激怒されてしまうだろう。この冒険は、もはや叶うことのない夢と化している。

が、だからこそあの日の快挙は伝説となった。

同時に、スーパーカブは富士山をも走破できるほどの耐久性を持ったマシンであることを、冒険者たちは世界に対して証明した。本田宗一郎最大の傑作でもあるスーパーカブは、今も世界各地で勇ましく大地を蹴っている。

【参考】
バイク界の逸話(船山理 モーターマガジン社)
朝日新聞1963年8月4日日刊
静岡新聞1963年8月21日日刊

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書いた人

ノンフィクションライター、グラップリング選手、刀剣評論家。各メディアでテクノロジー、ガジェット、ライフハック、ナイフ評論、スタートアップビジネス等の記事を手がける。