秋の花と言えば、何を思い浮かべますか?
菊、リンドウ、吾亦紅(われもこう)、金木犀(きんもくせい)、コスモス、ダリア……。
それでは、秋の草花をまとめた「秋の七草」があることはご存じでしょうか?
「『春の七草』は聞いたことあるけど、『秋の七草』って何?」
という方もいるかもしれませんね。そこで、この記事では「秋の七草」は何の草花を指すのかについて、古典文学に出てくる「秋の七草」を、美しい浮世絵のイラストとともに解説します。
「秋の七草」の始まりは『萬葉集』
「秋の七草」とは、萩(はぎ)、ススキ、撫子(なでしこ)、葛(くず)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、桔梗(ききょう)の7つの秋の草花を指します。
「秋の七草」は、『萬葉集 巻第8』に収録されている山上憶良(やまのうえのおくら)が秋野の花を詠んだ
秋の野に 咲きたる花を 指(および)折りかき数ふれば 七種(ななくさ)の花 (1537)
萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花また藤袴 朝貌(あさがお)の花 (1538)出典:『日本古典文学全集 7 萬葉集2』 小学館
の2首が始まりとされています。
「秋の野に咲いている花を指を折って数えてみると、七種類の花があった」として、「萩の花、尾花に葛の花、撫子の花、女郎花、それに藤袴、朝貌(あさがお)の花」の7種類をあげています。
この中の、「尾花」はススキのこと。「朝貌の花」は、朝顔、木槿(むくげ)、昼顔など諸説ありますが、現在では、桔梗を指すとする説が有力とされています。山上憶良は、秋の野に咲く7種類の花を「七種の花」と呼んでいますが、7種類すべてが草ではなく、萩と葛の二つは樹木です。
「秋の七草」はこんな植物
「秋の七草」の植物はすべて、集落に近い山野の草原や土手などに生育します。これらの花は、派手さがなく、どこか寂しさがあり、秋の気配を感じさせる花でもあると言えるかもしれません。「秋の七草」とひとまとめにされますが、実は、花の咲く時期が少しずつずれていることも関係して、7種類をひとまとめにして行事に用いられることがなかったとも言われています。
萩
「くさかんむり」に秋と書く萩は、秋の花の代表の一つ。夏から秋にかけて、しなやかな枝に上品な赤紫色の小さな花がこぼれるように咲く姿は風情があり、人々に親しまれてきました。
「はぎ」の名は、毎年新しい芽が生えることを意味する「生え芽(はえぎ)」という語から転じたと言われています。
萩はマメ科の植物。マメ科の植物は、根に「根粒(こんりゅう)」という小さな瘤(こぶ)のようなものがあり、この中に、空気中にある窒素を窒素肥料に変える力を持つ「根粒菌」が住んでいます。このため、萩はやせた土地でも良く育ち、古くから日本各地に自生している植物です。
高円(たかまど)の 野辺の秋萩 このころの 暁露(あかときつゆ)に 咲きにけむかも (1605)
(高円山の麓(ふもと)の野辺の秋萩は、この頃の暁の露で咲き始めたことだろうか。)出典:『日本古典文学全集 7 萬葉集2』 小学館
これは大伴家持(おおとものやかもち)が詠んだ歌ですが、『萬葉集』に登場する植物が約160種類もある中で、最も多いのが実は萩なのです! ただし、「なぜ、『萬葉集』では萩を詠んだ歌が多く選ばれているのか?」は不明。『萬葉集』の編纂に携わった大伴家持が萩が好きだったから、という説もあるようですが、萩が『萬葉集』の時代の人々に好まれる植物であったことは間違いなさそうです。
なお、『萬葉集』では、萩は「芽子」という文字で表記されています。
ススキ
秋を象徴する植物といえば、ススキをイメージする方も多いのではないでしょうか?
秋の草原に群生し、風にたなびく白い穂が馬などの尾に似ていることから、「尾花」とも呼ばれます。ススキは十五夜のお月見に飾るほか、茅葺屋根を葺く材料、炭俵や簾(すだれ)の材料などとしても利用されています。華やかさはないものの、ススキが日本文化には欠かせない植物であることがわかります。
葛
葛は、ひと夏で10mも成長するほど生命力のある植物。古くから、葛のつるを使ったカゴが作られ、現在でも工芸品が作られています。
葛の花は、濃い紅色ですが、葉の間にひっそりと咲くため、気づかない人も多いかもしれません。
葛の太い根から採取したデンプン・くず粉は、葛餅や葛切りなどの和菓子に使われています。また、葛の根を乾燥させたものが生薬の葛根(かっこん)で、漢方薬・葛根湯の主成分として配合されています。
撫子
ピンク色の花の撫子。花びらに深い切れ込みがあるのが特徴です。
子どものように、撫でたくなるほどかわいらしいことから、撫子と呼ばれるようになったと言われています。
『萬葉集』の時代、撫子は美しい女性にたとえられていました。清楚(せいそ)で凜(りん)とした美しさを持つ日本女性を称える言葉「大和撫子」は、この花に由来します。
『萬葉集』で詠まれた撫子は「カワラナデシコ(河原撫子)」だとされています。大伴家持が撫子を詠んだ歌もあります。
秋さらば 見つつ偲(しの)へと 妹(いも)が植ゑし やどのなでしこ 咲きにけるかも (464)
(「秋が来たら、見て私を偲んでください」と言って妻が植えた庭のなでしこの花が咲きはじめた。)出典:『日本古典文学全集 6 萬葉集1』 小学館
サッカー日本女子代表チームの愛称「なでしこジャパン」は「大和撫子」にちなんだものです。2004年のアテネオリンピックを前に日本サッカー協会(JFA)が日本女子代表チームの愛称を一般公募した中から選ばれたもので、「なでしこ」が世界に羽ばたくようにとの願いをこめて「大和」を「ジャパン」にしたのだとか。
女郎花
女郎花は日当たりの良い草原に見られる背の高い草で、枝の先端に傘状に集まった小さな黄色い花が咲きます。
名前の由来には諸説あります。一つは、「女郎(おみな)」は身分の高い美しい女性のことで、美女を圧倒するほど美しいことからきたという説。黄色い小さな花が、女性がよく食べていた粟飯に似ているため、「女飯」からきたという説もあります。女郎花は、「粟花(あわばな)」とも呼ばれます。
藤袴
藤袴は、夏から秋にかけて、茎の先端に紫色の小さな花が房のように集まって咲きます。花の色は藤の花に似ており、形が袴に似ていることから、藤袴と呼ばれるようになったとも言われています。
生乾きの茎葉が桜餅の葉の香りがすることから、中国では「香水蘭」「蘭草」と呼ばれ、芳香剤、匂袋として利用されていたそうです。
桔梗
桔梗は、夏から秋にかけて青紫色の花を咲かせます。印象的な花の色は、花の名前をそのままとって「桔梗色」と呼ばれます。
桔梗の花の莟(つぼみ)は、釣鐘(つりがね)、あるいは紙風船のような形。花が開くと、花びらの先端が大きく五つに分かれた形になります。もしかしたら、明智光秀の家紋として有名な「桔梗紋」を思い浮かべた方もいるかもしれませんね。
桔梗の名前は、薬草としての漢名「キチコウ」から転じたとされていますが、昔は神や仏に一輪捧げて吉凶を占う花であったことから、吉凶からきたという説があります。
「春の七草」と「秋の七草」、どちらが先? どうちがう?
「春の七草」と「秋の七草」。野菜不足の時期に食用とした「春の七草」に対し、「秋の七草」は目で楽しむ観賞用として親しまれてきました。
「春の七草」は七草粥に使われる食用の植物を集めたもの。正月七日に若菜を粥に入れて食べることで邪気を追い払うという中国の古い風習が日本に伝えられて定着したとされています。七草粥の習慣は、平安時代、延喜年間(901~923年)頃に始まり、現在の7種類「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ(=蕪)、スズシロ(=大根)」が定まったのは室町時代と言われています。
「春の七草」の種類は時代や地域によって様々で、12種類もあった時代もあったのだとか。
「秋の七草」は、奈良時代に編纂された『萬葉集』に詠まれていることから、「秋の七草」のほうが「春の七草」よりも先に決まっていたとも言えるかもしれません。しかし、新春の若菜の生命力にあやかって、若菜を摘んだり食べたりする風習・行事は古くからあり、『萬葉集』や『古今和歌集』などにも春の若菜摘みを詠んだ歌が収録されています。
例えば、『百人一首』にも収録されている光孝天皇(こうこうてんのう/第58代天皇、在位:884~887年)が即位する前の親王時代に詠んだ歌は、「聞いたことがある」という方も多いのではないでしょうか。
君がため春の野にいでて若菜摘む我が衣手(ころもで)に雪は降りつつ (21)
(あなたに差し上げようと思って、春の野に出て若菜を摘んでいると、私の袖には雪が降りかかりますが、それを我慢して摘んだのがこの若菜です。)出典:『日本古典文学全集 11 古今和歌集』 小学館
平安貴族が愛でた「秋の七草」
平安時代の歌人たちも、萩、ススキ、葛、撫子、女郎花、藤袴、桔梗の「秋の七草」を好んで歌に詠みました。山野に出かけて鑑賞しただけではなく、観賞用に邸宅の庭に植えることもあったとか。
『源氏物語』でも様々な場面で「秋の七草」が登場します。例えば、「藤袴の巻」の巻名は、夕霧が詠んだ藤袴の歌からきています。
尚侍(ないしのかみ)に任命された玉鬘(たまかずら)は、亡くなった大宮(=皇族出身の年とった女性に対する敬称)の孫として喪に服しながら、宮中への出仕を思い悩んでいるところへ、夕霧が父・光源氏の使いで訪れます。
おなじ野の露にやつれる藤袴あはれはかけよかごとばかりも
出典:『日本古典文学全集 22 源氏物語3』 小学館
「藤袴」には、「藤衣(=喪服のこと)」と「藤(=薄紫という所縁の色)」という二つの意味があります。夕霧は、「野の露でしおれている藤袴のように、同じ孫として祖母の死を悼む私に、せめて申し訳ほどにでも、いとおしいとおっしゃってください。」と従兄弟の縁に事寄せ、藤袴の花を差し出しながら秘めていた想いを訴えますが、玉鬘は取り合いません。
ちなみに、藤袴の花言葉は「ためらい、躊躇」。夕霧は、藤袴の花言葉を知っていたのでしょうか?
清少納言の「秋の七草」の評価は?
清少納言の『枕草子』の「六五 草の花は」でも、「秋の七草」の中からいくつかの草花を取り上げています。
(以下、引用文献の出典は『日本古典文学全集 18 枕草子』(小学館))
草の花は なでしこ。唐のはさらなり、やまとのもいとめでたし。
「草の花は、撫子。中国の撫子はいうまでもないし、日本の撫子も、とてもすばらしいわ。」と、撫子をべた褒めしている清少納言。特に大好きな「からなでしこ」とは、ナデシコ科の「セキチク(石竹)」のこと。中国原産で、平安時代には日本でも栽培されていたようです。
萩、いと色深う、枝たをやかに咲きたるが、朝露に濡れて、なよなよとひろごり伏したる。さを鹿のわきて立ち馴らすらむも、心ことなり。
「萩は、とても色が濃くて、枝もしなやかに咲いているのが、朝露に濡れて、なよなよと広がって伏しているのがいいの。牡鹿が、好んで立ち寄るというのも、他の花と違うところよね。」と、萩の花もお気に入りのようです。
「これに薄(すすき)を入れぬ、いみじうあやし」と、人言ふめり。秋の野のおしなべたるをかしさは薄こそあれ。穂先の蘇芳(すほう)に、いと濃きが、朝露に濡れてうちなびきたるは、さばかりの物やはある。秋の果てぞ、いと見所なき。色々に乱れさきたりし花のかたちもなく散りたるに、冬の末まで、頭(かしら)のいと白くおほどれたるも知らず、昔思ひ出で顔に風になびきてかひろぎ立てる、人にこそいみじう似たれ。よそふる心ありて、それをしもこそあはれと思ふべけれ。
「この『草の花は』の中に薄をいれないのはへんだぞ、って人は言うようだけど、秋の野の風情というものは、薄にこそあるんだから! とっても濃い蘇芳色(黒味を帯びた赤色)の穂先が、朝露に濡れて風に揺れているのは、これほどすばらしいものがほかにある?」なんて言って、ススキを推している清少納言。「でも、秋の終わりになると、全く見るべきところがないのよね。いろんな花が散った後、冬が終わる頃まで、頭が真っ白になっているのも知らないで、昔を思い出すような顔でゆらゆらと風にふかれて揺れている様子は、人間の人生にも似ていて、気の毒にさえ思えるのよ。」などと、いつまでも白い穂先を揺らしているススキを、人になぞらえて、辛辣に批評しています。
清少納言は、秋の草花は風情があって好きなようですが、枯れススキは貧相な感じがするためか、嫌いなようですね。
庶民にも広まる「秋の七草」
その後、茶の湯や生け花の普及により、「秋の七草」は庶民にも広まりました。
「秋草文(あきくさもん)」は、「秋の七草」をはじめとする秋の野原に咲く花を組み合わせたり、単独で用いた文様の総称です。桃山時代以降、「秋の七草」を着物の文様に使うようになりました。
江戸時代の浮世絵にも、「秋の七草」が描かれています。
歌川広重が葛飾北斎の「冨嶽三十六景」に対抗して描いたと言われるシリーズ「冨士三十六景」の中の一つで、大月の原の夕暮れの眺めを描いた絵です。
秋晴れの雲ひとつない空に白い富士山が浮かび、秋の野に咲くススキ、桔梗、女郎花、野菊などが華やかに描かれています。秋の草花が揺らめく姿からは、爽やかな秋風が感じられます。
江戸の行楽スポットで楽しむ「秋の七草」
江戸の人々は、ゴミゴミした江戸の街中を離れて郊外などに出かけ、四季折々の花を楽しんでいました。秋の草花を楽しむ行楽スポットとしては、百花園、龍眼寺(りゅうげんじ)などがありました。
百花園
「百花園」とは、現在の向島百花園のこと。
文化元(1804)年、仙台出身で日本橋の骨董屋・佐原鞠塢(さはら きくう)が寺島村(現・東京都墨田区西部)に多賀屋敷と呼ばれていた土地を得て、万葉植物など日本古来の草木を集めて造園し、百花園を開きました。
名称は江戸後期の画家・酒井抱一が「梅は百花のさきがけ」の意から名付けたとされています。当初は360本の梅が主体で、亀戸梅屋敷に対して、新梅屋敷とも呼ばれていましたが、1年中、花が絶えることがなく、秋の七草も植えられていました。
江戸時代後期の狂歌師で戯作者の太田南畝(おおた なんぽ)は、随筆『半日閑話』(成立年未詳)で、友人の佐原鞠塢から贈られた「秋野新七種」のことを紹介しています。
「秋野新七種」は、黄蜀葵(ねりきのはな)、射干(ひあふさ)、竜胴(りんだう)、耳子花(ごしくわ)、火炭母草(おしろい)、壺盧(ゆふがほ)、玉瓜(たまづき)。現代の呼び名だと、トロロオアイ、ヒオウギ、リンドウ、ゴジカ、オシロイバナ、ユウガオ、カラスリとなります。
龍眼寺
江戸の人々の秋の行楽の一つが、萩の花見。江戸の萩の名所には、「本所の萩寺」とも呼ばれていた龍眼寺のほか、亀戸天満宮や三囲(みめぐり)神社などが有名でした。
縁台に腰かけた若衆に周囲の女達が目を奪われている光景は、龍眼寺の庭を描いたものと言われています。
「秋の七草」を楽しもう!
今年は、秋の楽しみの一つとして、「秋の七草」を取り入れてみてはいかがでしょうか?
気になった花を部屋に飾るのもよし。秋は、散歩にもいい季節なので、リフレッシュを兼ねて近所の公演や河川敷に散歩に行ったり、少し足を延ばして、「秋の七草」を見つけに出かけてみるのもいいかもしれませんね。
主な参考文献
- ・『日本大百科全書』 小学館 「秋の七草」「春の七草」の項など
- ・『秋の七草』(ものと人間の文化史 145) 有岡利幸著 法政大学出版局 2008年10月
- ・『一日一花を愉しむ花の歳時記366』 金田初代監修,金田洋一郎写真 西東社 2020年12月
- ・『日本の花を愛おしむ-令和の四季の楽しみ方-』 田中修著,朝生ゆりこ絵 中央公論新社 2020年1月
- ・『日本人は植物をどう利用してきたか(岩波ジュニア新書 718)』 中西弘樹著 岩波書店 2012年6月
- ・『半日閑話(蜀山人全集 巻3)』 大田南畝著 吉川弘文館 1908年4月
▼参考文献はこちら
日本の花を愛おしむ-令和の四季の楽しみ方 (単行本)