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Culture
2021.10.30

平家の家人、相模国代表!国村隼演じる大庭景親は坂東武者のかたき役【鎌倉殿の13人】

この記事を書いた人

令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』予習シリーズ! 今回は三浦一族のライバル、大庭景親(おおば かげちか)!!

大庭景親は梶原景時(かじわら かげとき)殿と同族で、鎌倉党の一員だ。

悪人と悪役と敵


梶原景時殿が歌舞伎などで悪役扱いされているのは、もっぱら義経殿が主役のせいだと思うけど、頼朝様を中心とすれば大庭景親が悪役になるだろうな。もし判官びいきがなくて頼朝様が歴史モノのヒーローだったら、「日本一の大悪人」と言われていたのは大庭景親だったかもしれない。

……ちなみに、オレの言う「悪役」はけっして「悪者」という意味ではないので、そこら辺留意してほしい。というか歴史に名を残す人間に善も悪もないだろう。鎌倉時代の人間なんて、現代の倫理観で断罪されたらオレを含めて全員「悪」だ。

それはそれとして、三浦一族から見て大庭景親は「ゼッタイブッコロス敵」なので、そこらへんのバイアスが掛かってることを前提に、眉に唾つけて読んでくれ。

大庭景親の半生


大庭氏は、相模国高座郡大庭郷(現・神奈川県藤沢市・茅ヶ崎市)を本拠地とした豪族。隻眼の坂東武者、鎌倉景政(かまくら かげまさ)の曽孫! ……とされているが、例によって系図はあやふやだ。一応、梶原景時殿とは従兄弟同士とされているが……。

保元元(1156)年の保元(ほうげん)の乱の時、頼朝様の父である義朝(よしとも)様に従って参戦した。しかし、平治元(1159)年の平治(へいじ)の乱で義朝様が負けて討ち取られると……なんとソッコーで平家の家人となったんだ!

……まぁ、理由については思い当たらん事もない。多分大庭御厨(おおばの みくりや)事件が原因だろうな。

大庭御厨濫行事件


大庭御厨っていうのは、伊勢神宮への寄進型荘園で……。う~ん……ややこしいから超ざっくりした説明すると、「この領内で採れたものは伊勢神宮に寄進する」という形で節税してたわけだな。

その大庭御厨を巡ってイザコザがあってさ……。要は徴税したい「お役人」との攻防戦なんだが、その攻防が物理的になっちゃうのが中世。

役人側は「大庭御厨の範囲内にある鵠沼(くげぬま)は、鎌倉郡の公領である」と主張した。でも大庭氏からすれば「ここは先祖代々受け継いだ土地だ」ということになる。

それで役人側は、当時相模国に来ていた義朝様を味方につけて、大庭御厨をしっちゃかめっちゃかに荒らしたんだ。伊勢神宮の荘園だから、神官とかもいたんだけど、ボッコボコにしちゃって……死傷者出しちゃって……。

んで、伊勢神宮は役人にまず義朝様を処罰するように訴えたんだが、役人は「ええ? 義朝たちの濫行(らんぎょう)はウチの管轄じゃないですよ?」とスッとぼけた。

これが天養元(1144)年の大庭御厨濫行事件だ。

まぁ、記録的には荘園側の訴状しか残ってないし、オレはどうしたって義朝様方だからなんとも言えないけど、政治的な立ち回りは、義朝様の方が1枚も2枚も上手って事だな!

それ以降、大庭御厨と大庭氏がどうなったのか詳細はわからんが、大庭御厨は大庭氏のものとして存続し、大庭氏は義朝様の家人となって保元の乱に至るってわけだ。

大庭氏と三浦氏


平家政権下の相模国内の様子は、詳細はあまりわからない。だが、それまで相模国の有力豪族は三浦氏だったんだが、平家政権下は大庭氏が幅を利かせていただろうことは想像に難くない。

三浦氏にとって、大庭景親が憎らしく見える理由もわかるだろう。オレの父上も大庭の話になると悪い顔になるし……。

大庭氏が没落した後、大庭の所領内で、相模国の交通の要所である田村が、いつの間にか兄上の所領になってるし……。

ダイジョウブ。三浦一族、コワクナイヨー(味方には)。

大庭景親役、国村隼殿について


うっわぁああああ! ヒール! 圧倒的ヒール!!!! 悪い顔の国村殿いっぱい見られるかもな!!

平清盛の信頼篤(あつ)き坂東の大物

情緒に流される事はなく、その実利主義は凄(すさ)まじくもあり、アッケラカンとしている。そんな時代に生きる大庭景親は、にもかかわらず清盛に義理を通す男として描かれている。

NHK_PRサイト 国村隼のコメントより抜粋

ふむ。確かに三谷殿が「敵(かたき)役」だからと言って、素直に憎らしい人物に描くわけがないな……。「善」と「悪」の単純な二元論では語れないのが、人間の歴史だ。さてどんな大庭景親になることやら。

父上役の佐藤B作殿との掛け合いもあるかなぁ? メッチャたのしみだ。

書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。