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Culture
2022.09.20

世阿弥の時代、能は今の2~3倍の速さだった? 遅くなった理由を研究者に聞いてみた

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能ときくと、ゆっくりした動き、低くうなる声などを想像してしまう。だが、しかし! 足利義満や世阿弥の時代、能のテンポは今の2~3倍速かったという衝撃の研究があるらしい。

なぜ今の能は遅くなったのか? さっそく研究者に聞いてみよう。お話を伺ったのは、早稲田大学演劇博物館顧問・早稲田大学名誉教授の竹本幹夫先生。秀吉の時代の資料を集め、当時の速いテンポとメロディーの能を復元した経験がある先生だ。

尚、聞き手はオフィスの給湯室で抹茶をたてる「給湯流茶道(きゅうとうりゅうさどう)」。「給湯流」と表記させていただく。

「演技がノロすぎる!」と徳川幕府に通報され、出禁になった能楽師もいた?

給湯流茶道(以下、給湯流):今の能に比べて、世阿弥のころの能は2~3倍の速さで演じられたと聞いたことがあります。しかし、映像データが残っていない室町時代のことをどうやって調べているのでしょうか?

竹本幹夫先生(以下、竹本):番組ですね。

給湯流:ばんぐみ?

竹本:室町時代は、1日に10番も演目をやっていたんですね。演目の組み合わせや上演順のことを「番組」といって、開演時刻と終演時刻が書かれた記録が残っているんです。

給湯流:おおお! 今もテレビ番組とか言いますが、元ネタは能なんですね。

竹本:開演時間を演目の数で割ると、2~3倍のテンポだったと推測されます。1つ1つの細かい時間はわからないのですが、おそらく30分で終わる演目もあったでしょう。しかもシテ(主役)がずっと同じ場合もあったんです。

給湯流:え? ずっと世阿弥が主役で、何演目もやってたんですか!? 今じゃ無理ですよね。今の能楽師さんは、1つの演目の主役に集中してるイメージがあります。1日にいくつも主役をやったら疲労で倒れそう……。

竹本:江戸時代の初期には、すでに重くゆっくりした演技をする能楽師がいたようです。「演技がノロすぎる!」と徳川幕府に通報され、約6か月、停職を命じられた能楽師の記録が残っています。

名人が重い演技をすると、まわりの能楽師もマネしてどんどん遅くなった江戸時代

給湯流:幕府に通報! おそろしや……。江戸時代は、能楽師が幕府の管理下におかれていたんですねえ。

竹本:徳川家康が能好きだったのは割と有名ですが、5代将軍・綱吉も能を習っていたんです。ただ、将軍や大名がやる能は軽くて速いテンポだった。江戸時代は、開演・終演時刻が細かく書かれていますから、わかるんです。綱吉は、1曲だいたい35分など、さらっと自分の出番を終えていました。

給湯流:素人がやる能のほうが、テンポが速いんですか!? なぜでしょう。

竹本:玄人の能はどんどん、力をためこむ、力を内向させる演技へと発展していきました。名人は重たい能を演じることができたのです。相撲に近いですかね。でも、素人は力がないので速いテンポでしかできません。

給湯流:なるほど。大物歌手が若かったころのヒットソングを歌うとき、わざとテンポを遅らせて大御所感を出すことがありますよね。それに近いですかね?

竹本:名人は、力を込めた重厚な演技を好んでいきました。ほかの役者との間合いもどんどん遅くなっていく。そんな舞台を見たライバルが「お前、自分に酔ってノロノロ演技しやがって!」と幕府に通報したというわけです。

給湯流:大物歌手がテンポ遅らせて歌う場合も、本人は気持ちよさそうです(笑)。

世阿弥の時代は、能のメロディーがキャッチーだった?

竹本:世阿弥は『風姿花伝』など、たくさんの書物を残していますが、どこにも「力をためろ」とは書いてないんですね。おそらく、江戸時代に名人たちが重たい演技をし始め、まわりの能楽師もマネしてどんどんノロくなっていったんでしょう。

給湯流:世阿弥のころと、今見ている能はぜんぜんテンポが違うのか! よく考えれば、足利義満に出会ったころの世阿弥は、小学生の年齢。美少年の軽やかな舞や謡(うたい)を将軍も好んで鑑賞していたのが室町時代ですね。

竹本:秀吉の時代の能も、今より軽やかだったんですよ。テンポが速いだけでなく、謡もメロディックだった。今では重たい能の1つといわれる『卒都婆小町(そとばこまち)』を研究したときにわかりました。当時の楽譜を参考に謡を復元したら、初めて見たお客さんでも口ずさめるようなメロディーもあったんです。

給湯流:テンポだけでなく、音楽も今とちがうのか! 

竹本:演奏形態は当時と今で、はっきり変わっていたことがわかっています。ちなみに、世阿弥の時代に演奏された笛が現代の能管と同じ構造だったかは今も不明なんです。

給湯流:えー! 昔はどんな演奏してたんでしょうか?

竹本:戦国時代まではシテが歌うと、同時に笛が伴奏をしていたようなんですね。今のカラオケなどといっしょで、伴奏の音階に合わせて歌う。はっきり音程やメロディーがあったんです。しかしそれが変わっていき、笛は伴奏ではなく間奏で吹くようになった。謡と演奏がバラバラになっていったんですね。

給湯流:たしかに! 今の能、主役はアカペラで歌い、主役が黙っているときに笛が演奏されているイメージです。

竹本:歌うときに伴奏がなくなると、シテは旋律を自由にできる。メロディックな軽やかな謡をやめて、どんどん重々しい力を込めたものへ変えていったんです。しかし今は、動画でもなんでもテンポの速さを好む時代になりました。能楽師、みんながみんな重い能をやらなくてもいいかもしれません。軽やかな能ももっとみてみたいですね。

給湯流:600年続いてきた能は、長い時間をかけて大きな変化をつくってきたんですね。興味深いお話、ありがとうございました。

世阿弥の軽やかな能を見てみたい! 妄想にかられた編集部とライターたちが起こした行動とは…

筆者は、2~3倍速の室町時代の能を見たいと妄想を始めた。美少年・世阿弥が歌い踊ったステージってキラキラしてたのかなあ。世阿弥が絶賛した伝説の能楽師、天女の美しい舞を得意とした犬王(いぬおう)の舞台も見たい! 

そんなミーハーな思いをtwitterでぼやいていたところ、ライター小俣荘子氏が『和樂web』編集部slackに投げかけてくれた。小俣氏が猛スピードで調整を進めて、禁断のイベントが実行されることに。能楽師のみなさま、研究者、関係者の方々には叱られるかもしれないが……能の動画を2倍速で見ることにした。

2倍速・鑑賞会が企画されるまでの、『和樂web』編集部とライターのやりとりはこちらの記事をご覧ください。
Slackに書き込んだらシブヤの中心で高砂を叫んでいた話(コミュニティの話ですよ)

イベントに集まったのは、編集部員2名とライター3名。いろいろなタイプの演目を倍速で鑑賞した。

いちばん印象的だったのは、平家の亡霊と弁慶が争う『船弁慶』の2倍速。海上で弁慶と亡霊が戦う激しいシーンを2倍速にしたら、囃子方(はやしかた)の演奏が8ビートのロックに聞こえてきた。このとき鑑賞会に参加したライター、圧女くろりん氏が思わず発言したのは……

「2倍速で見ると、アイドルのステージみたいね。エンタメって感じがする!!」

今の時代、「国民的アイドル」という言葉がある。若年層のファンだけでなく、子育てに奮闘するパパママや、中年、老人にも慕われるアイドル。庶民の人気はもちろん、皇室の前でパフォーマンスするグループもいる。世阿弥や犬王も当時、「国民的アイドル」だったのではないか? 室町時代、能は庶民が見られる神社や寺でも上演されていた。犬王が出演するときは満員で、一般の客が必死に屋根にのぼって見るくらい人気だったという。同時に、室町幕府の将軍たちも好んで能を見ていた。あらゆる階層にファンがいた、約600年前の能楽師。まさに国民的アイドルだ。

伝統芸能がうまれたての頃にあった、アイドルへの熱狂を想像しながら鑑賞するのは面白い。能は高尚なものと遠ざけず、エンタメ視点で楽しんでみるのもいかが?

竹本先生のオンライン講座:世阿弥を読む―世阿弥の芸談『申楽談儀』

お話をしてくださった竹本先生がオンライン講座に登壇。『申楽談儀(さるがくだんぎ)』は、世阿弥が自分の子へしゃべった言葉が記録された書物です。芸の大切なことから当時の愚痴まで世阿弥のリアルな言葉を、竹本先生の解説で聞けるチャンス。ぜひご参加ください。

早稲田大学エクステンションセンター

横浜能楽堂

竹本先生といっしょに秀吉の時代の能を復元するなど、おもしろい企画も満載な能楽堂。今回の記事でも資料協力をしていただきました。みなさま、ぜひ足をお運びください。

横浜能楽堂

画像はすべて、月岡耕漁/能樂圖繪 前編 上/国立国会図書館デジタルコレクション

書いた人

きゅうとうりゅう・さどう。信長や秀吉が戦場で茶会をした歴史を再現!現代の戦場、オフィス給湯室で抹茶をたてる団体、2010年発足。道後温泉ストリップ劇場、ロンドンの弁護士事務所、廃線になる駅前で茶会をしたことも。サラリーマン視点で日本文化を再構築。現在は雅楽、狂言、詩吟などの公演も行っている。ぜひ遊びにきてください!