鈴木春信の〝スゴ技〟とは…?
江戸時代中期に10年ほど活動し、明和7(1770)年に急逝した鈴木春信。生年やどんな家の出身かなど、プロフィール的なことはほとんどわかっていません。
わずかに知られているのは、神田白壁町(かんだしらかべちょう 現在のJR神田駅あたり)の戸主であったということくらい。
戸主とは家持ちのことなのか、大家をさすのか。
いずれにしても、春信がブレイクするきっかけとなった絵暦(えごよみ)交換会(当時のカレンダーのコンテストのようなもの)での作品にもその後の制作にも、高価な和紙や絵具が使用されていたことからも、春信自身も裕福な町人だったと想像できます。
浮世絵は、当世の流行や速報を伝えるチラシのようなもの。安価で、楽しんだあとは破れた障子の継ぎあてに使われるような気軽なものでした。
ところが春信の浮世絵は、ほかの絵師の10倍近い値にもかかわらず、没後もたびたび重版されるほど人気だったとか。時代を超え、流行に左右されない普遍的な美しさや楽しみがあったから、何十年もその版画は支持を得たのです。
『和樂』の日本美術の企画でいつもわかりやすく解説してくださるコバチュウ先生こと、美術史家・小林 忠さんいわく「ピュアでポエティックでファンタジー」な春信作品。
そのさまざまなスゴ技を知ってから鑑賞すると、〝かわいい〟がさらに味わい深く感じられるはずです。
スゴ技1、フルカラー化
色とりどりになって一気にブレイク!
春信最大の功績は、浮世絵がフルカラーになって「錦絵」と呼ばれた時期に、その発展に大きく貢献したことです。
それまでは、墨1色か、せいぜい紅や緑を部分的に使って摺り上げていた浮世絵版画。しかし明和2(1765)年に大流行した絵暦交換会はコンテストです。競争相手をはるかに上回る出来が求められます。
そこで、より美しく、より豪華に…と、技術が一気に進歩し、フルカラー化が実現したのです。
何枚もの版木を使って、何色も摺り重ねることができる、厚手で高品質な和紙。種類豊富な植物染料や、鉱物由来の染料。春信はこれらをパトロンから提供されたうえ、優れた色彩感覚をもち合わせていたからこそ、美しい錦織物(にしきおりもの)のような「錦絵」が誕生したのです。
「錦絵」には見本として彩色した元絵があったわけではありません。春信の指示を正しく理解し、春信の頭の中にある色の演出を実現することができた、腕のいい彫師と摺師の存在なしには春信の成功も活躍もなかったのです。
2~3色の時代 → カラフルな錦絵
上の左と右の図版を比べてみれば、美しさ、楽しさともに右の多色摺りが優るのは一目瞭然。錦絵になる以前の紅摺絵は、紅と緑や紅と青というように、大抵は赤系と青系の2色とその濃淡で表されていました。
スゴ技2、エンボス加工
厚手の高級和紙でなければ実現不可能!
浮世絵が多色摺りの「錦絵」になった際、ほかにも新しい表現が誕生しました。「空摺(からずり)」や「きめ出し」と呼ばれる手法で、今風にいえばエンボス加工。「空摺」は版木に色をのせずに摺り、彫った模様などを和紙に写します。「きめ出し」は専用の版木に表現したいものを深く彫り込み、当てた和紙に強い圧をかけて絵柄を浮かび上がらせるもの。
墨線も色も用いないこの技法が生まれたのは、春信が奉書紙(ほうしょがみ)という厚手の高級和紙を使えたから。ペラペラの紙では破れてしまい、うまく表現できません。奉書紙だから実現したのです。
版木と絵具の数が多くなる多色摺りに、厚手の高級和紙を使った春信。高値でも売れたということは、裕福な上流層に人気があった証でもあります。
春信の浮世絵だけが高価だったわけは…
高級和紙に空摺やきめ出しを施したから
右図では、地面に積もった雪をきめ出しで表現。通常は版木がへこんでいる部分は無表現になるが、雲のやわらかい丸みや、本作のように積もった雪の立体感を表す際に効果的だった。
スゴ技3、ニクい演出
物語を読み解く面白さをちりばめた!
春信は〝かわいい美人画〟だけでなく、浮世絵のメイン購買層であった町人の生活も題材にしました。
そこには、今の自分とは違っていても、まったく手が届かないほど遠くはなさそうな暮らしぶりの〝かわいい奥様〟や〝素敵なお母さん〟の姿が。また、家の中には調度品や生活道具、子供のおもちゃなどが子細に描かれ、まさに浮世絵は風俗画なのだと感じます。
それらは日常のワンシーンを写し取っただけではありません。
その場面に至る経緯や、このあと何が起こるのかなど、見る者の想像力を搔き立てる工夫や演出がちりばめられているという点も、春信のスゴ技のひとつなのです。
春信の演出テクA~Gを概説
A,竹暖簾の向こうには…
切り揃えた篠竹の中に太い木綿糸を通してつくる竹暖簾。向こうには厠(かわや)があり、女性が昼寝から目覚めて厠を使い、手を洗っていると想像できます。
B,やっぱり手がちっちゃい!
春信美人の大きな特徴のひとつだが、ふたりともやはり手がとても小さい。しかし小さくても指の表情は豊かで、細部まで描写が行き届いています。
C,物語が読み取れます
手水鉢(ちょうずばち)で手を洗う女性が先ほどまで寝ていたのだと想像させる枕。傍らの団扇も暑い時期の昼寝の必需品。襖には唐紙(からかみ)が張られています。
D,侍女もおしゃれ
女主人と同じように、髱(たぼ)を跳ね上げて結う鷗髱(かもめづと)に、筓(こうがい)や朱の櫛(くし)を用いたおしゃれヘアの侍女。ふたりの他愛もないおしゃべりが聞こえてくるよう。
E,前帯は奥様の証
帯を背中側ではなく前で結ぶのは、家事をしなくていい身分だということを示しています。右の女性は裕福な家の妻、左は家事を担う侍女とみられます。
F,縁側が赤いのは…
庭に面した縁側が赤いのは、日差しが暑いことを示しています。寒色は冷たさ、寒さ、寂しさを、暖色は温かさや楽しさ、興奮を感じさせるために使用されました。
G,小道具も詳細に
竹製の手拭い掛けの挟み留めや十字に組んだ脚、針箱の針山に刺さった針、釣鉤(つりばり)形の針にひもを付けた掛針(かけばり)など、ありきたりな生活道具もいい加減には描きません。
スゴ技4、背景をモダンに
〝無色〟と〝1色〟の背景はこんなにも違う!
せいぜい2、3色を用いて色摺としていた浮世絵を、豊かな色彩感覚でフルカラーへと飛躍させた春信ですが、背景に色を用いるということでも革命を起こしました。
上と下の作品は、どちらも背景を塗り潰しています。それまでは、背景を描かない場合は紙の色のままでしたが、春信は単色の色面にすることで〝描かずとも雄弁〟な背景をつくったのです。この色無地の背景を「地潰(じつぶ)し」と呼びますが、これも春信以前にはなかったスゴ技。さらには、墨流しのようなマーブル模様を背景に彫ることもありました。
これらはまさにモダンの極み! 新しいものを好み、優れた絵を手に入れたいという、彼の作品を贔屓(ひいき)にした富裕層をさぞ喜ばせたことでしょう。
〝地潰し〟という背景を描いた!
これぞ元祖黒バック!
地潰しで絵を引き立てていた
単色だからと侮るなかれ。広い面を1色で摺って一様に塗り潰すのは容易ではありません。ムラなく仕上げるには高度な技術が必要でした。
スゴ技5、知的な見立絵
武家より王朝文化に憧れた江戸町人の♡を鷲づかみ!
春信の錦絵には物語を想像するという楽しみがありますが、もともと浮世絵には「見立(みたて)」という重要な手法がありました。
作者の意図や発想を、中国や日本の古典や故事などを題材にし、それを当世の美人や若者の恋模様、親子の情などに置き換えて描いたもの。知的で上質なパロディといったところです。
古典文学や和歌、漢詩をはじめ、歴史上の人物の逸話、謡曲などの芸能と、さまざまな分野の知識、教養がなければ読み解くことが難しい「見立絵(みたてえ)」は、春信が得意としたジャンルです。
旗本・大久保巨川(おおくぼきょせん)、戯作者(げさくしゃ)・大田南畝(おおたなんぽ)、マルチクリエーター・平賀源内(ひらがげんない)と、春信には強力なブレーンがいたことも影響しているでしょう。
そんな春信の錦絵が長らく制作され、愛され続けたということから、江戸の人々の教養の高さもうかがえます。
あ、草鞋(わらじ)のひもが…
原典は和歌や古典文学にあり
たとえば上の図と右下の硯箱はどちらも平安時代の歌物語『伊勢物語』の第九段、三河国(みかわのくに)八橋の場面を題材としたもの。右上から左下に画面を切り裂く橋と燕子花(かきつばた)で、あの八橋なのだと伝えています。
スゴ技6、ファンタジー
浮世の絵であるはずがこの現実離れ感!
現実を詩的に描写する「生活風俗画」や、古典などを当世の人物に置き換えた「見立絵」で人気を博した春信。ところがそれらとは趣が異なる、現実離れした作品もあります。
空想の生き物である鳳凰(ほうおう)や白い雁の背中に乗って飛んだり、空飛ぶ絨毯(じゅうたん)ならぬ空飛ぶ帯に美人が立っていたり。あるいはアラジンの魔法のランプのように茶碗から龍が飛び出したり。
実はこれらも「見立絵」と呼ばれるものです。仙人や羅漢(らかん)などの逸話を美人に置き換え、思いきり空想的に描く。春信の想像力には果てがありません。
マイカーは鳳凰、乗り心地も抜群よ
想像力や発想力の源は?
中国の仙人や十六羅漢を女性の姿にやつしていますが、原典を知らなくても楽しい。有名な『清水(きよみず)の舞台から飛び降りる娘』もファンタジーですが、これは江戸時代に実際にあった願掛けをもとにしています。
スゴ技7、町娘をアイドルに!
江戸にもいた! 会えるアイドル、お仙にお藤
花形の歌舞伎役者や人気力士のブロマイド的存在だった「役者絵」や「相撲絵」に、春信の作はほとんどありません。
絵暦交換会でブレイクする以前の「役者絵」が少々ある程度。実在する人気者を描けば売れるのは必至ですが、春信は茶屋や小間物屋の看板娘をくり返し描いたのです。
春信が描いた〝素人アイドル〟のなかで、最も知られているのが通称「笠森お仙」。美女番付「古今貞女美人鑑(ここんていじょびじんかがみ)」にもランクインしたという、谷中(やなか)の笠森稲荷の水茶屋「鍵屋」の娘です。
その向こうを張るのが、浅草にあった楊枝(ようじ)屋「本柳屋(もとやなぎや)」のお藤。春信効果か、どちらも店先に行列が絶えなかったといいます。
茶屋の看板娘、お仙
楊枝屋の看板娘、お藤
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鈴木春信ファン、浮世絵ファン待望の画集が完成! 最新デジタル印刷豪華画集『鈴木春信大全』発売
構成/小竹智子、後藤淳美(本誌)
※本記事は雑誌『和樂(2023年8・9月号)』の転載です。