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逝く年来る年のおもしろき違い
何となき世の人事に紛れきて暮れはててこそ年は惜しけれ 藤原公雄
いかに寝て起くる朝にいふことぞ昨日を去年とけふを今年と 小大君
少しの風にも木々は葉を落として静かな眠りに就こうとし、人はどことなく忙しい思いにとらわれはじめる。年の瀬である。一年という時間が尽きてゆく日々の折ふしに、ふと立ち止まって物思う心は昔も今も変わらない。
何となき世の人事(ひとごと)に紛れきて暮れはててこそ年は惜しけれ
藤原公雄(ふじわらのきんお)
取り立ててこれという事もないが、世上の人事に関わり取り紛れて日々を過ごし、年の瀬も押し迫ってくるころ、ふと気づけば、残り少ない一年の終わりが見え、しみじみ惜しい思いがしてくる。
作者は後嵯峨院(ごさがいん)の近臣として院の崩御に殉ずるように出家。その後も多くの百首歌(ひゃっかうた ※文末に注あり)を残すなど活躍した。この歌は「正中(しょうちゅう)百首」の中の歌。作者の晩年に当たる作品だが時代は勅撰集編纂(ちょくせんしゅうへんさん)を命じた後醍醐(ごだいご)天皇の討伐計画が発覚するなど動乱の兆しが見える時代であったから、「世の人事」も「暮れはてて」の思いも並々ではなかったであろう。しかしこの歌には今日に通う内省的な年末の気分があり、人間って変わらない思いをするものだと感慨深い。
歌人で随筆家の兼好法師は「徒然草」の中で、この年末の気分を「年の暮れはてて、人ごとに急ぎあへるころぞまたなくあはれなる(身にしみる)」と述べている。さらにはこの晦日(つごもり)に追儺(ついな 鬼やらい)が行なわれ、祖先の魂まつりまで行なわれていたことが記されている。今日の節分につづく立春という暦が、昔は大晦日を節分とし、新年が立春となるように作られていたのだ。鬼やらいをして祖霊を迎え入れる新年というのもすばらしいではないか。こうして迎えられた新年にはどんな景色が見られるだろうか。
けさはみな賤(しづ)が門松立てなめて祝ふことぐさいやめづらなり
藤原信実(ふじわらののぶざね)
一夜明ければ庶民はみな門松を立て渡して千代の初めを祝い「おめでとう」と挨拶するなどまことに新鮮である。
もう、今日と同じことがはじまっていたのである。食膳にお餅があってもおかしくない。時代をもう少し遡(さかのぼ)って、鎌倉初期の貴族の新年の祝膳には雉子(きじ)の羹(あつもの)や焙(あぶ)ったその足、鱒(ます)、鯉膾(こいなます)、海夜(ほや)、鮑(あわび)、海雲(もずく)などが供されている。
いかに寝て起くる朝(あした)にいふことぞ昨日を去年(こぞ)とけふを今年と
小大君(こおおぎみ)
何でまあ一夜を寝ただけで、目覚めた朝にはもう、昨日を去年と言い今日を今年という。なんというふしぎなこと。
平安中期の才女の新年歌。今もなるほどと思いつつほほえまれる歌だ。今日、現代の新年に私たちは何を思うだろう。万葉集の最終に置かれた一首を思いおこし今日に通う祈りの深さを味わいたい。
新(あらた)しき年のはじめの初春の今日降る雪のいや重しけ吉事(よごと)
大伴家持(おおとものやかもち)
意味は結句に置かれた「いや重け吉事」だが、新年の、年はじめの、まっさらな初春の「今日」という思いの深さが、結句にすべてかかってゆく重厚な美しさに少し悲しい祈りがある。
※百首歌/四季を中心に恋・雑(ぞう)その他のテーマのもとに百首の歌を詠むこと。または詠まれた百首の歌
馬場あき子