Culture

2025.04.04

快進撃を続ける蔦重に立ちはだかった男とは? 大河ドラマ「べらぼう」を100倍楽しむAtoZ【M】

吉原に生まれ、自力で江戸の〝メディア王〟となった男・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)の仕事からプライベートまでを、AからZで始まる26の項目で解説するシリーズ【大河ドラマ「べらぼう」を100倍楽しむAtoZ】。第7回は「M=松平定信」をご紹介します! Zまで毎日更新中! 明日もお楽しみに。

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蔦重AtoZ
M=松平定信の「寛政の改革」が逆風となる


蔦重が版元として躍進したのは、「田沼時代」と呼ばれる、現実的な経済政策が行われていたころでした。それを率いたのが老中(ろうじゅう)・田沼意次(おきつぐ)でしたが、諸事情により失脚(しっきゃく)。

11代将軍家斉(いえなり)が老中に任命した松平定信(まつだいらさだのぶ)は、幕府の権威を高め、農村復興を目ざした「寛政の改革」を断行します。

『松平定信像(模本)』(部分) 『日本肖像画図録』より 江戸時代 89.7×46.0㎝ 京都大学総合博物館

定信は質素倹約を旨として、江戸の出版物を目の敵にします。

しかし、蔦重は負けません。締めつけられた人々の不満を汲み取って、世相を揶揄し、幕府をからかう内容の黄表紙を刊行してベストセラーを連発したのです。

さらに、寛政2(1790)年に幕府が「出版統制令」を発すると、風俗や言論の統制はいっそう厳しくなっていきます。幕府からの度重なる弾圧にも果敢に挑んだ蔦重でしたが、やがて罰金刑に処されてしまいます。でも、そんなことではめげないのが蔦重(!)。ならばと、歌麿や写楽と組み、趣向を凝らした浮世絵で勝負に出て、新たな境地を開いていくのです。

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松平定信も出版を多数手がけていた

松平定信が中心となって多数の学者とともに編集した古宝物図録(こほうもつずろく)。絵は谷文晁ら多数の絵師が担当。古物・古美術を10種類に分類した34巻の長編は非常に高い評価を得た。木版図録集『集古十種(しゅうこじっしゅ)』 編/松平定信 江戸時代・19世紀 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

実は松平定信は芸術にもたけていた!

京都画壇の人気絵師の掛幅の左上の賛は松平忠信の筆(アイキャッチ画像はトリミングした部分)。『月梅図(げつばいず)』 岸駒・筆 松平定信・賛 江戸時代・19世紀 東京国立博物館 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

8代将軍吉宗の孫にあたる松平定信は、17歳で白河藩松平家の養子となり、白河藩の家督を継いだ後、老中首座に推挙されて寛政の改革を行なった。
12~13歳のころに狩野派(かのうは)の絵を学び、のちに沈南蘋(しんなんぴん)の画法を学んだと伝わり、10代将軍家治(いえはる)に『柳鷺図』『関羽図』を、光格天皇に『桃鶴図』を献上。
堅物(かたぶつ)イメージの定信は学問はもとより、書画にも通じていたのです。

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和樂web編集部


構成/山本 毅 ※本記事は雑誌『和樂(2025年2・3月号)』の転載です。 参考文献/『歴史人 別冊』2023年12月号増刊(ABCアーク)、『蔦屋重三郎と江戸文化を創った13人 歌麿にも写楽にも仕掛人がいた!』車浮代著(PHP研究所)、『これ1冊でわかる! 蔦屋重三郎と江戸文化』伊藤賀一著(Gakken)
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