朝鮮出兵にそなえた名護屋城。300畳あるといわれる本丸の中に、黄金の茶室は設けられた
給湯流茶道(以下、給湯流):黄金の茶室に実際入ってみて驚きました。思ったより暗くて、金色の茶道具も落ち着いてみえます。
久野哲矢(名護屋城博物館・学芸員/以下、久野):名護屋城の本丸には、豪華な御殿が建ち並んでいました。その中に秀吉が、黄金の茶室を組み立てた可能性があります。
給湯流:家来と会う広間がある建物は、全体で300畳の規模があったといわれていますね。茶室というと外に建てるものもありますが、黄金の茶室は室内に設けた。日光も直接は入らない。意外と薄暗い空間だったのですね。
久野:はい。しかも戦国時代ですから、今のように蛍光灯なんてない。お寺の本堂のような、落ち着いた薄暗さだったと思います。
黄金の茶室のせいで、利休と秀吉が対立したわけではない?
久野:「秀吉が千利休と対立した理由のひとつは、黄金の茶室」と思ってお越しになるお客様が多いです。でも実際の茶室には意外にも、暗く落ち着いた空間に柔らかい金の光が広がります。
給湯流:たしかに。金箔が貼られた壁などは、意外とシック。「この茶室が派手すぎる」と利休が否定して対立のきっかけになったとは思えません。むしろ、障子にあしらわれている豊臣家の真っ赤な家紋のほうが目立って気になります(笑)。
久野:博多の商人、神屋宗湛(かみやそうたん)が名護屋城で黄金の茶室に入ったときの日記によると、「赤く薄い絹に紋様が織り込まれている」と書いてあります。
給湯流:なるほど。部屋を暗くすると、黄金の壁や茶道具は落ち着いて見えます。でも障子に家紋を入れまくり。ちゃっかり権力を誇示していた。なんとも秀吉のイメージにぴったりです(笑)。
黄金の茶室はインターナショナル。礼儀作法を気にしない?
給湯流:名護屋城に設けた黄金の茶室は、どんな場面で使われていたのでしょうか?
久野:黄金の茶室に限れば、政治的な場面が多かったと考えられます。
給湯流:フィリピンからの使節を迎えたこともあったと?
久野:そうなのです。別の場面では「礼なしで入る」と壁に書き付けがあったという話もあって。格式ばった雰囲気はなく、外国人をもてなす雰囲気もあったのでしょう。
給湯流:世界中の人が共通で価値を見出す“ゴールド”で、秀吉は海外の人を楽しませていたのですね。
“掛け軸が無い”…秀吉流・自由な茶室
現代の茶道では茶室にある床の間に、掛け軸や花を飾ることが一般的なルールになっている。黄金の茶室では、どんなものが飾られていたのだろう?
給湯流:黄金の茶室は釜や茶碗も全部、金色で統一していたとのこと。そんなゴールドづくめのなか、花は活けたのでしょうか?
久野:花入れ(床の間で花を飾る道具)があった記録はあります。むしろ、掛け軸の記録が残っていないのです。宗湛の日記の場面にも、軸の記述がない。
給湯流:え、掛け軸がないのは珍しくないですか? 今の茶道ですと「掛け軸がいちばん大切」という人もいます。
久野:そうですね。秀吉はルールに縛られない、独自の茶の湯を実践していたのかもしれません。
戦国時代に流行った、フレッシュな青竹で作った茶室
朝鮮出兵のためにつくられた名護屋城。その敷地内に秀吉はもうひとつ茶室をつくったという。草庵茶室(そうあんちゃしつ)と呼ばれ、博物館のなかで復元されている。草庵茶室の復元を担当した大橋正浩さんもまじえて、いざ茶室へ!
給湯流:床も壁も竹! 鮮やかなグリーンがまぶしい。 こんな茶室、初めて入りました。
大橋正浩(名護屋城博物館・調査研究担当/以下、大橋):これは秀吉のプライベートな茶室でして、名護屋城の「山里丸」という住居エリアの奥にありました。発掘調査で4畳半の建物跡が出土し、同時に、宗湛の日記にも記述があったことで、その存在が裏付けられたのです。
給湯流:それはすごいですね。秀吉のプライベート茶室を発掘!
大橋:『宗湛日記』には「柱もその他みな竹なり」と記されていて、完全に竹でできた茶室だったことがわかります。
給湯流:茶室といえば土壁と思い込んでいました。でも全部、竹を使った茶室もあるんですね。
大橋:秀吉がいた頃の茶室には、青かや、青柴、青松葉など、若い緑色の植物性材料を用いた事例が確認できました。この草庵茶室に用いられた竹も青かったと考えられます。
給湯流:茶室は侘び寂び、土壁などの茶色いイメージがあります。しかし戦国時代は、ヴィヴィッドな緑色の茶室も作っていたとは意外です!
大橋:名護屋城博物館では、復元した竹の茶室の青さを保つために染料を使っていますが、当時は切りたての竹を使って自然のまま楽しんでいたはずです。
白黒つけず、良いものはなんでも取り入れていく秀吉の柔軟さ
給湯流:草庵茶室の床の間に、秀吉はどんな掛け軸を飾ったのですか?
時代世紀:江戸時代・17~18世紀 原本:南宋時代・12世紀/出典:Colbase
大橋:「潚湘八景図(しょうしょうはっけいず」という、中国風景画をかけた記録があります。中国の有名な水墨画家、玉澗(ぎょくかん)の名品です。
給湯流:堺の商人や千利休がひろめた「侘び茶」であれば、竹だけでつくられた茶室には禅僧が書いた文章など、渋い掛け軸を飾りそうな気がします。
給湯流:でも秀吉は、そんな茶室に“どえりゃー”名品の風景画をかけた!
大橋:唐物(中国産)の名画を床の間にかけるなら、普通はもっと公的な茶室を選びます。それをプライベート空間で使うところに、秀吉の自由さがありますよね。
給湯流:秀吉は「文化を理解していない田舎者」という、レッテルを貼られている気がします。でも、秀吉はそんな単純な人間ではないかもしれません。
久野:はい。素材は竹という侘びた茶室でありながら、使う茶道具は中国産などの名物でそろえてみたり。
給湯流:見た目は「侘び」だけど、やっていることは「贅沢」?
久野:まさに。秀吉は「こういう茶会では唐物」「こういう場面では侘び」みたいなルールより、自分が楽しめるかどうかで判断していたのでしょう。
給湯流:自由ですね…まさに天下人の流儀というか。
久野:そう思います。白黒つけず、いいと思ったものは何でも取り入れていく柔軟さが、秀吉の魅力でもありますね。
給湯流:戦国時代の茶の湯に多様性があったことが、知れて面白かったです。今日はありがとうございました。
佐賀県立名護屋城博物館
今回取材した「黄金の茶室」体験プログラムは佐賀県立名護屋城博物館にて実施。定員は2名。2コースあり、他の見学者が無い太閤コースは1名10,000円、見学者がある大名コースは1名5,000円。事前申込が必要で、募集日時はwebサイトで確認できる。
また、2025年11月23日には隣接する名護屋城跡を会場に、呈茶席や多彩なステージプログラムで盛り上げる「第5回名護屋城大茶会」も開催される。同日には各地の城郭がブース出展する「出張!お城EXPO」も開かれる。