この度、和樂webイチオシの二葉さんの連載を、開始することになりました。落語と同じく日本には魅力的な文化がたくさんありますが、二葉さんのアンテナに引っかかった日本文化や芸能、その担い手を紹介していきます。二葉さんを通して、「後世に残したい」旧き良きものに興味を持っていただけたら。そして感性豊かな二葉さんの落語の世界へも、誘いたいと思います!
第一回は、二葉さんが修業時代に住んでいたアパートの隣人だったという、木版画摺師(もくはんがすりし)の平井恭子さん。平井さんの仕事場の、風情を感じる京都市東山区にある「佐藤木版画工房」を訪ねました。さて、どんなお話が飛び出すのでしょうか!?
修業時代に住んだアパートのお隣さんだった
——二葉さんが修業中に住んでいたアパートのお隣に平井さんが住んでおられたんですよね。何という名前のアパートだったのですか?
桂二葉(以下、二葉):「若竹ハイツ」です。格安の家賃で、3万円ぐらいやったかな。
平井恭子(以下、平井):刑事ドラマでカンカンカンカンって、階段登っていくようなアパートでね。
二葉: そうそう、鉄のね。二階建てのアパートなんですけど、ずっと酔っ払ってるおじいちゃんとか、細すぎるおばあちゃんとかもいたはって。お外に洗濯機を置くような。
——そこには、いつ頃住んでいたのですか?
平井:私が引き払ってマンションに移ったのが7年ぐらい前ですね。二葉ちゃんが入ってきはったのが、確か2011年ぐらい?
二葉:そうですね、入門した年ですね。師匠の家から通いやすいところを探していて、いつでも行けるように。お金も無いし、できるだけ安いところが良かったんで。お家賃は、直接大家さんのところへ持っていってましたよね。
平井:そう、大家さんは、ちょっと離れたところに住んでいて、お家賃持っていったら、ハンコを押してくださって。
二葉:そうそうそう、今の時代やったら無いですよね。
——すごい。持っていかない人もいるかもしれないのに。
二葉:どんな人も受け入れるようなアパートでした。
平井:「色んな事情を抱えている人がいてね」と大家さんは言ってましたね。二葉ちゃんが入ってきた時に、大家さんから「隣に越してきた子、落語やってる子でね」と聞いてたんです。
二葉:でもその時は、ご挨拶するぐらいやったんですよね。
平井:私が仕事から帰ってくると、二葉ちゃんがお稽古してる声が聞こえてくるんですよ。
二葉:壁がめっちゃ薄かったんです。
平井:すごいがんばってるなぁと、思って聞いてました。
二葉:私は、そんなこと思って聞いてくれてはるなんて、全く知らなくて。
——お稽古は、何時間ぐらいしていたのですか?
二葉:それは覚えてないんですけど、夕方に師匠の家から帰って、鴨川へ行って稽古して。家へ帰ってきても稽古して。毎日、毎日してたと思いますね。
二葉さんのラジオ番組に届いたメッセージ
二葉:私がアパートを出てからはご縁が無くなってたんですけど、NHKで優勝※1させてもらった時に、ラジオに「隣のお姉さん」としてメールをいただいて。
平井:テレビで放送を見て泣きました。だって、審査員全員満点の優勝ですもんね。すごいことしはったんやなぁと思いました。上方と江戸の落語の中で、女性で優勝するっていうのは、今までなかったことだから。胸アツでしたね。
二葉:それで、それをメールでくれはって、ラジオに。「隣のお姉さんです、何号室に住んでます」みたいな。
——すぐにわかったのですか?
二葉:わかりましたよ。それでお稽古の声を励みにしてくれてはったのも、初めて知って。ほんでもう、ラジオのオンエア中、めっちゃ泣いたんです。
平井:私、聞いてたんで、何が起きた? って思いました(笑)。
二葉:私が泣くのはわかるんですけど、アナウンサーも泣いて、放送事故なるとこでした(笑)。また書いてある内容がね、お父様のこととかが書かれてあって。
平井:当時父が府立医科大学の病院に入院していたんですけど、その病院のすぐ近くの文化芸術会館で二葉ちゃんの公演があって。「私の隣に住んでた女の子が頑張ってはんねん」という話をしたら、「どこの一門や?」と聞くので、「米朝一門」って答えて。うちの父は米朝さん※2がすごい好きな人やったんで、パッと顔が明るくなって喋り出したんですよね。
二葉:平井さんが木版画の摺師ということも、送ってくれはったメールで知ったんです。
(※2)3代目桂米朝のこと。戦後滅亡の危機にあった上方落語の復興に尽力。人間国宝。落語家として初の文化勲章を受章。
大阪弁は土と繋がっている気がする
——お二人ともアウェイな場所で、道を切り開いておられますよね。
平井:私は今年26年目になるんですけれど、入った時は女性の摺師っていなかったんです。旦那さんがされていて、内職的にされている人はいたんですが、名前を出してやるっていう人がいなくて。
——平井さんが弟子入りをされたのには、どんな経緯が?
平井:京都精華大学美術学部版画専攻に通っていた時に、ゼミの先生の紹介で、アルバイトでここに通っていたんです。摺師の現場っていうのがとても面白くて、卒業したらこういうところで働きたいとゼミの先生に話したんですけど、男性ばかりの職場だし、難しいんちゃうかと言われてしまって。私たち摺師の仕事は、最初は小さなはがきから始まるのですけど、それが機械印刷に変わっていく時期という状況もあったと思います。それで、直談判でうちの親方の佐藤景三に頼み込んで通って、大学を卒業して2年間ぐらい粘ったんです。そうしたら兄弟子が「もう、そろそろちゃんとしてあげましょうよ」と言ってくれて、入門できました。そこからは、掃除など下働きから始めました。
——二葉さんが落語家を目指されたのは、何かきっかけがあったのですか?
二葉:私はほぼ何も知らんと入ったんですけど、子どもの時から人前で喋る子や、アホになれる子に憧れがあったんです。でも、学校で手をあげたりできないし、ずっと自分はできひんなと思ってて。20歳ぐらいの時に、落語のらの字も知らなかったんですけど、笑福亭鶴瓶さんの落語会へ行ったんです。堂々とこんなアホな顔してアホなことを言ったりしてる、それも1人でしょ。こんな世界があるんか、もっと知りたいと思って通ううちに、どんどんはまっていきました。多分、見始めたころから、自分でもやりたいと思ってたと思います。
——でも弟子入りをされたのは、米朝一門の桂米二師匠で…。
二葉:人によって師匠の選び方って違うと思うんですけどね、ちゃんと教えてくれる、面倒を見てくれはりそうやなって思たんです。
平井:その気持ち、よくわかります。私も親方を選ぶ時は、きちんと教えてもらえる人がいいと思いました。
二葉:あと着物が好きっていうのも、落語家になりたいと思ったことに繋がりますね。子どもの時によく祖母に着せてもろてました。お正月や七五三とか十三参りとか。お袖やすそのスルスルする絹の感じが好きやったんです。古い大阪弁が好きというのもありますね、なんかうちの家は、結構言葉に厳しかったんです。なまってたら怒られて。
——なまってる?
二葉:「おでん食べたい」って言ったら、父に「関東煮(かんとだき)」やろ!って言われて。
——厳しいですね! おでんのことを関東煮というのですね。
二葉:ハードル高すぎですよね(笑)。学校の教科書も標準語では読まれへん子やったんですよ。みんなは標準語のイントネーションで読むでしょ、「先生、あのね」とか。それが気持悪くてね。自分の言葉どこいったんや?って思いました・大阪弁は、地面と繋がっている、土と繋がってる気がするんです。私が尊敬する料理研究家の土井善晴先生が、「大阪弁は地球と繋がっている」と言うてはって、最近になって、そうやなぁと実感するようになりました。
蔦重や名だたる絵師も認めた摺師の技
——今NHK大河ドラマ『べらぼう』でも浮世絵が注目されていますが、空摺(からず)りなどの技を見ると驚きます。
平井:『べらぼう』の版木制作や技術指導にあたっているのが、取引先の芸艸堂(うんそうどう)※3というご縁で、こちらの工房でも協力をしています。版木が映った時に使い古した感じが出るように、色を置いて摺る作業をしたりですね。空摺りは絵の具をつけずに摺って、バレンの圧力だけで浮き出させて、エンボス加工のように仕上げる技法です。水を引いて思いっきり摺るんですけど、和紙は繊維がすごく長くて丈夫だからこそ、できる技だと思います。和紙の特性を活かしていますね。
——名だたる絵師たちは、技のある摺師を確保するのに必死だったと聞きます。
平井:版元の蔦重も、絵師の広重4※や北斎5※もそうだったと思います。例えば美人画は、髪の毛の生え際がきれいに見えないと美しく見えないとか。やっぱりそれは、彫師※6の力もあるんですけど。彫師から言われるのは、鼻の真ん中の線をシャープな線にして欲しい、欠けさせないで、絵の具をたまらないようにして欲しい。そうじゃないと美人に見えないからという、要求はありますね。
——版木が欠けてしまったりとかはあるのですか?
平井:版木は桜の木なんですよ。随分と硬いのですが、何かぶつけたら細かなところで、欠けてしまうこともあるし。滅多にそんな欠けることはないんですけど、乱暴な扱いをすると、摺った時に飛んでしまうんですよね。
——多色摺りの場合は、色を重ねていく訳ですが、ズレたりはしないのですか?
平井:版木の下の部分に2箇所、見当(けんとう)と呼ばれる印があって、それを目印にして合わせて摺ります。見当違いという言葉は、ここから来ているんですよ。
二葉:すごい、勉強になる!
(※4)人気絵師として知られる歌川広重。
(※5)人気絵師として知られる葛飾北斎。
(※6)絵師が描いた版下絵を元に版画の原板となる「版木」を作る職人。
作業に欠かせない道具を作る職人が激減!?
——京都にある老舗の足袋屋さんがお店を閉めてしまわれるとお聞きしたのですが。
二葉:そうなんです。うちの師匠も、そこで頼んではったんですけどね。
——勝手に京都の街は、そういう職人さんたちがずっといらっしゃるから安泰だと思っていました。
平井:西陣織の職人さんも、今では10分の1ぐらいに減ってしまったと聞きますね。
——摺りに使う道具の職人さんは、いらっしゃるのでしょうか?
平井:版木に絵の具を置く刷毛を作る職人は、京都にはいなくなってしまいました。劣化してきたら毛が抜けてきたりするので、必要に応じて購入できたらいいんですけど、今は師匠が買い込んでくれたのを、少しずつ使っています。東京の職人とも情報交換をしていて、上京した時に買っていますが、私が知る限りでは、木版専用の刷毛を専門で取り扱っているお店はそこしかないですね。バレンも、専門で作る職人は全国で1人とか2人しかいらっしゃらないですね。
木版画や落語を次世代へと橋渡し
——お二人とも、次の世代へ向けての活動をされているそうですね。
平井:浮世絵木版画彫摺技術保存協会という文化庁が助成している団体があるのですが、そこで東京の職人と一緒に後継者育成のための研修を行っています。東京の彫師摺師も若手の女性の方がおられますし、この工房でも妹弟子が誕生したんですよ。私が摺師になった時には周囲に女性の職人はいなかったので、明るい展望ですね。
——二葉さんは「深夜寄席」の活動をされているそうですが。
二葉:大阪にある天満天神繁昌亭の夜席が終わってから、9時45分から開催する寄席を、月に1回開いています。私がちょっと生意気なことをやってるんですけどね、誰かがやらなんだらという気持ちがあって。
——二葉さんがプロデュースで、ご出演もされて。そして後輩の方たちと共演されているんですよね。
二葉:はい、そうです。この会がきっかけで、この若手の落語家面白いやんと、上方落語全体の底上げになったらいいなと思っています。1時間15分の会なんで、今まで落語を見たことがない人に、気軽にさくっと来てもらいたいですね。今後10年、20年先を見て継続させたいです。
——落語家と摺師とジャンルは違いますが、共通する思いとかはありますか?
平井:やっぱり普通の会社で働くのとは違うと思うので、親方との関係や周囲との人間関係は似ているところは、あるかもしれませんね。それからお金に対する考え方も、恥ずかしい話ですがプライドみたいなものがあるので、お金はこうだけれど、クオリティは落としたくないとか。
二葉:うん、うん。絶対そうですよね。
「5年後に南座で独演会をします」二葉さんからの決意表明!
取材終了間際に、二葉さんからビッグニュースが飛び出しました! 憧れの場所である京都・南座で独演会を開催! それも5年後との明確な計画を発表。そして、そのポスターを木版画で作成するので、平井さんにオファーをされたのです。この試みを聞いた平井さんは、「ワクワクしますね」と快諾。急遽、しばしのミニ打ち合わせ会となりました。南座だけではなく、全国も回りたいとの意向のようです。二葉さんファンの皆さま、一緒にこの計画を心待ちにしましょう!
取材・文 撮影/ 瓦谷登貴子
取材協力/ 佐藤木版画工房