虎屋での初出は元禄十五年。意外なことに季節は秋
柏餅は江戸時代に広まった菓子で、大きな柏の葉に餡入りの餅を包んだもの。柏の葉は、新芽が出てくるまで古い葉が落ちないことから子孫繁栄に通じる縁起が良いものだとされ、特に武家社会で好まれた。
虎屋の資料に初めて柏餅が登場するのは、元禄十五年(1702)八月二十日。公卿の近衛基煕(このえ もとひろ)が、なすび餅、鶉焼(うずらやき)、ききょう餅、伊賀餅、玉子餅、色木の実餅、焼饅頭と共に「かしはもち」を注文したという記録が残る。
この場合八月は旧暦なので新暦に直すと九月二十九日に当たる。え! 秋に柏餅?? ちなみに息子の家煕(いえひろ)の茶会記には、茶会で実際に柏餅を使っていたという記録も残っている。

今では私たちは店頭に並ぶお菓子の中から欲しいものを選ぶことが常であるが、虎屋ではかつてはこのようなお菓子を作って欲しいと客からの注文があって、製造するという段取りだった。その際の参考にと、現在の商品カタログに相当するお菓子の見本帳がある。室町時代後期に京都で創業した同社では、古くは元禄八年(1695)のお菓子の見本帳が残っているそうだ。今回は特別に大正七年に作成された菓子の見本帳を見せていただいた。

葉もの菓子が並ぶページに確かに柏餅とあり。文字の表記で味噌餡入りも作られていたことが確認できる。
端午の節句と結びついたのは明治以降

虎屋文庫専任研究員の森田環さん曰く、「お得意様の掛け売り帳によると、江戸時代にも、ちらほらご注文はありましたが、虎屋で端午の時季に柏餅が注文されるようになるのは、どうやら明治以降なんです。一般的に、柏餅は端午に食べるもの、という意識はあったと思いますが、近代以前は、殊更この季節には絶対これ! のような感覚はなく、今よりもおおらかだったようです」とのこと。
日常に四季が感じられた頃はそこまで季節にこだわる必要がなかったが、生活スタイルの変化や改暦によって四季を感じにくくなったために、意識的に季節感のあるものを取り入れるようになっていったのだろう。

今では端午の節句の時期に多くの和菓子屋さんに並ぶ柏餅。虎屋広報担当の馬場由香里さんは「柏餅には一般的につぶ餡、こし餡や味噌餡、また生地には蓬入りのものなどもあるので、色々な和菓子屋さんの柏餅を試してお好きなものを見つけるのも楽しいですよね。虎屋では御膳餡(こし餡)と味噌餡の二種類をおつくりしています。社員の中では味噌餡のファンも意外と多いのです」と語ってくださった。
今年は私も家族で食べ比べをして楽しみたいと思います。虎屋の皆さん、貴重なお話をありがとうございました。
柏餅をかたちづくる、葉と米の食文化
さて、ここからは柏餅について考察をしてみたい。今でも国土の67%は森だという森林大国日本。そして有史以前は、当然今よりも緑に覆われていたことが想像できる。
縄文時代の人口の九割が東日本に集中しており、人々は野生の動物を狩り、木の実や山菜を採り、土器を作ってアク抜きをしていた。そのような頃から、身近にあった葉っぱは加熱時の落とし蓋としても使えそうだし、食材を包んで蒸しても良さそうだし(これってまさに柏餅に通じそう)、ちょっと手についた水気を拭き取ったり、腐敗を防ぐためにも、また器のようにも使えそうな気もする。縄文時代の早期にブナ林が拡大し、前期には現在に近い分布だったということで東日本は落葉広葉樹林の地域に当たるので、とりわけ柏の葉が身近にあったであろう。
七世紀の「隋書倭国伝」には、食器や食卓を使わずに檞葉(かいよう)を敷いて食事をしていた様子が記録されている。また炊事や食器に使う葉のことを総称して「炊葉(かしは)」と呼んでいたことからもわかるように、必ずしも「かしわ」が「柏の葉」を指していたわけではない。実際に、アカメガシワやサルトリイバラの葉などを使った餅菓子も柏餅と呼んでいるそうだ。
享保三年(1718)の「御前菓子秘伝抄(ごぜんかしひでんしょう)」によると、柏餅は、餡を包んだ上新粉のもちを柏の葉で包み蒸した菓子とある。米には、粳米(うるちまい)と糯米(もちごめ)の二種類がある。粳米はいわゆる普段のご飯に使う米で、糯米はより粘り気があって、赤飯やおこわに使われる。アジア以外でも米作りが行われる中、糯米を作っている地域は限られており、日本をはじめとしたいわゆる照葉樹林文化圏で好んで作られてきた。
米は一粒が万倍になるという縁起が良いものであり、餅のようにたくさんの粒をつき手間をかけるということで更に有り難い食材として神仏に捧げたり、特別な時にいただくことが多い。柏餅に使われている上新粉は粳米から作ったものなのだが、和菓子の「〜もち」は糯米だけではなく粳米の粉を使って練っていれば、もっちりとした食感になるので餅と定義することができるようだ。
今に残る、太古からの食のかたち
一年のうち食卓で小豆を食べる機会はどのくらいあるだろうかと考えると、意外と少ないことに気がつく。むしろ和菓子としていただく機会が多いのではないか。

江戸中期頃に小豆が砂糖と出会う前は、塩と一緒に炊かれることもあったようで、伊勢名物の赤福も当初は塩餡だったという。江戸で柏餅が作られるようになり始めたころ、果たして今のように甘いものだったのだろうか。ひょっとすると味噌餡の方が甘く感じられるようなこともあったかも知れない。
赤子は母乳の甘さをご馳走とするが、酸味や苦味のあるものを与えるとなんとも面白い表情をする。五味の中でも人間が経験を重ねることなく本能的に美味しいと感じる味は「甘み」だ。
小豆にはサポニンとタンニンが含まれているためにアク抜きしなければエグ味があって美味しさを感じにくい。その小豆が砂糖と結びつくことで、むしろ食事としてというよりも和菓子の中で主役になって残っていくのはとても面白い。そして昨年、農研機構と台湾大学のチームのゲノム解析によれば、小豆の栽培化は縄文時代の日本で始まったとの発表も記憶に新しい。
構成する要素を紐解いてみれば柏餅は、太古の昔の人たちも使っていた葉を使用し、そこに米食民に欠かせない餅、さらにその中に日本人の手で栽培化された小豆を用いて作られている。思いの外プリミティブで日本的な要素の詰まった菓子ではないか。
そう考えると、柏餅が今も年中行事の中で受け継がれていることにも、どこか納得がいく。
シンプルでいて、ハレの日にピッタリの柏餅。かつては自ら作り、親類などに配ることもあったという。我が家の長男も大きくなってきたので、近いうちに一緒に手作りをしてみたい。


