Culture

2026.09.05

僕たちは芸阿呆ではないけれど。歌舞伎俳優・尾上右近×日本舞踊家・尾上菊之丞、伝統文化の“隣の芝生”

明治時代の義太夫の大名人、三代目竹本大隅太夫(たけもとおおすみだゆう)の生涯を描く『藝阿呆(げいあほう)』。昭和35年に義太夫節により語られる作品として書かれ、ラジオ放送で発表された本作を、歌舞伎俳優の尾上右近(おのえうこん)さんが新たな舞台として上演します。振付は、日本舞踊尾上流の家元、尾上菊之丞(おのえきくのじょう)さんです。

芸のためなら、生活は後回し。損得も考えず、不器用なまでに芸一筋。

そんな芸阿呆な生き方は、時代錯誤にも思われます。右近さんと菊之丞さんも、ご自身は「芸阿呆ではない」と語ります。それでも歌舞伎と日本舞踊、それぞれ芸の世界で生きるふたりの対談からは、合理性だけでは届かないところへ、なお手を伸ばそうとする熱が感じられました。

『藝阿呆』は大きな挑戦

——尾上右近さんの自主公演「研の會」FINALで、『藝阿呆』が上演されます。

尾上右近(以下 右近) もとのラジオ放送では、明治の大名人、三代目竹本大隅太夫の物語を、昭和の名人が語りました。そこには劇中劇のように、文楽作品のオムニバス的な要素も入ってきます。今回は文楽の竹本織太夫さんの語りと、現役最年長、竹澤團七(たけざわだんしち)さんの三味線の演奏で上演します。

尾上菊之丞(以下 菊之丞) 振付のお話をいただいた時、大変な作品を選ばれたなと思いました。右近さんは素顔に着流し。およそ1時間、せりふはすべて織太夫さんが語る中で、右近さんは一人きりで、大隅太夫の一代記のようなものを演じるわけですから。

原作は安藤鶴夫。昭和35年放送の『藝阿呆』では、八世竹本綱太夫と十世竹澤彌七が作曲・演奏。今回は、2028年に十代目竹本綱太夫を襲名する竹本織太夫と、十世彌七に師事した竹澤團七が、生の義太夫で物語を届ける。

右近 これをやろうと決めた一番の理由は、「僕が好きだから」です。自分が観たいものを、自分でやる。でも振付、つまり演出まで自分ひとりだと想像したら、怖い!無理!って(笑)。その時、勝手ながら「菊之丞先生も、絶対好きだと思う!」と思い、お願いさせていただきました。『藝阿呆』は、文楽ファンや文楽の世界の方々にとっても、思い入れのある作品。でもハードルが高すぎて、誰も手を出せない空気があったそうです。そんな背景もしらず、僕が「やりたいです」と手を挙げて、織太夫さんに語りをお願いして。今回が、初めて生演奏で上演される『藝阿呆』になります。

菊之丞 右近さんはもちろん、僕や織太夫さんにとっても無謀ともいえる大きな挑戦です!

右近 思いきり、巻き込ませていただきます!(笑)

——本作にどのような魅力を感じますか?

右近 時代に逆行する物語とも言えるかもしれません。でも舞台に立つ人なら、どこかしら共感があるのではないでしょうか。今は歌舞伎役者に対しても、人気商売という認識が強い方が増え、「推し文化」に寄った応援をいただくことも多いです。でも、もともと芸の世界って、「好きだからやる」「食えなくても、やる」みたいな人たちが生きるところだったはず。人としてのバランスが悪いくらいの、“芸阿呆”な人たちの世界が描かれているところに、魅力を感じます。

尾上右近

——ところで、おふたりは、ご自分を芸阿呆だと思われますか? 

右近 僕は思いません。

菊之丞 僕もちがいますね。

——では、周りにそう感じられる存在は?

右近 あえて挙げるなら、尾上菊十郎さん。僕は清元の家に生まれましたが、曾祖父の六代目菊五郎に憧れて、歌舞伎の世界に入りました。菊十郎さんは六代目の最後の弟子だった方です。菊十郎さんから六代目の話を聞くのが大好きでした。色々と話を聞くうちに、菊十郎さんの目を通して見る歌舞伎の世界にも興味をひかれるようになりました。芯(主役)を演じる方ではありませんでしたが、もっと認められるために……といった計算は感じられない。でも役者として思うところは抱えつつ、歌舞伎が好きで芝居の道に生きる充実感はたしかにあった。そういう役者としての生き方も素敵だなと、最初に感じさせてくれた存在です。

菊之丞 僕の周りですと、祖父の初代尾上菊之丞に憧れて、祖父を追いかけるように尾上流にきたお弟子さんたちは、僕から見て芸阿呆と言えるかもしれません。仕事も踊り、趣味も踊り、何もかも踊り。あの年代の方々の脇目もふらず…という生き方は「藝阿呆」という字面にも、よく合います。

尾上菊之丞

菊之丞 僕自身は、極端に言えば“計算をする”側の人間なんですよね。計算というと言葉は簡単だけれど、たとえば自主公演を行うことも、日本舞踊の魅力をどうしたらもっと伝えられるか考えることも計算。芸を追求する活動の一部だと思っています。大隅太夫は、あえてか、できない性なのか。そんなことは抜きに芸に打ち込んだ。その熱に、憧れるんです。

——作中で、気になる場面はありましたか?

菊之丞 「芸をやる者は、ほかに楽しみをしたらあかん」というせりふがありますよね。僕は、決して「あかん」とは思いません。

右近 そこ、僕も気になりました。むしろ広い視野で、客観性を育むことこそ重要だと思っているんので、少し不安にもなったんです。芸で生きるなら、客観性を持っちゃダメなの? 利口になるほど、野暮でつまらない芸になってしまうのかも!?って。

菊之丞 分かります。でも「いやいや、この時代に一体何を言ってるの(笑)」と否定する気も起きないんですよね。僕らは芸阿呆ではない。でも、そういう血が自分たちにも流れていなくては、芸がどこか薄っぺらで儚いものになってしまう気がする。だから、そういうあり方を忘れたくないんです。

右近 『藝阿呆』を「時代遅れだ」「ただの阿呆だ」と笑う人がいたら、僕、その人とは仲良くなれません!

思えば、あの頃のケンケンは

——今回の「研の會」では、『春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし。以下 鏡獅子)』も上演されます。話は遡りますが、『鏡獅子』は、右近さんが歌舞伎俳優を志すきっかけになった作品だそうですね。

右近 3歳の時、六代目菊五郎の『鏡獅子』の映像を観たことが、歌舞伎役者を志すきっかけになりました。その後、清元のお稽古を始めるとき、同時に踊りのお稽古も始めたんです。踊りの最初のお師匠さんが、菊之丞先生のお父さま、尾上墨雪(ぼくせつ。当時、三代目菊之丞)先生でした。

——菊之丞さんとの交流も、その頃から?

右近 僕の中では、師匠のご子息の「ほっそりしたお兄ちゃん先生」というのが最初の記憶です。

菊之丞 僕はもう二十歳くらいでしたから、「彼がケンケン(右近の愛称)か。面白い子だな」と認識はしていました。お稽古にくるたび、芝居の絵を描いてうちの父にみせていたよね。父もそういうのが好きなものだから「ほーう、そうか!」とずっと話をしていて。いつになったら、踊りの稽古が始まるんだろうと思っていました(笑)。

右近 踊りを習いたくて通っていたので、僕も本心では早く稽古を始めてほしかった!(笑) でも墨雪先生は、僕を子ども扱いせず、踊りに対する心のあり方をストレートに伝えてくださいました。時間が経つほどに思うんです。最初に墨雪先生のお稽古を受けることができて、本当に良かったなって。どっぷり踊りだけをやっていたら、僕は芸阿呆というより、芸マシーンになっていたかもしれません。

菊之丞 あの頃のケンケンは、ちょっと芸阿呆だったかもしれないね(笑)。

右近 そうかもしれません! 

『鏡獅子』は長唄舞踊の大曲。前半は大奥に仕えるお小姓で踊り、後半は勇壮な獅子の精となる。

右近 でもその後、尾上流のお稽古場から足が遠のくんです。歌舞伎の舞踊作品は、藤間勘十郎先生の振付が多いので、藤間流のお稽古場にも通いはじめ、学校との両立もむずかしくなって。また尾上流の皆さんとお会いするようになったのが、10代の終わり頃。まさに僕が、空回りをしまくっていた時期です! 顔をあわせるのがすごく辛かった。ふるさととも言える尾上流の皆さんが、「大丈夫か、ケンケンは?」って顔で僕を見ているのが分かるんです。上手くいってないのは、自分でも分かってるから!そういう顔で見ないで!って。

菊之丞 そんなつもりで見た記憶はないけれど、心配した時期はありました。歌舞伎に気持ちは向いてる。向きすぎるぐらいに。でも大人の歌舞伎俳優になる段階で、やりたいことと求められることのバランスが難しい時期だったのかな。「稽古場にいた、あの頃のケンケンはどこへ行ってしまったんだろう」とは思ったかな。

右近 それ!その「どこへ行ってしまったんだ」の顔です!本当に辛くて嫌な時期でした(笑)。

『鏡獅子』は、第一回「研の會」でも挑んだ思い入れのある演目。胡蝶の精の役で、菊之丞さんのご子息・尾上琴也さんも出演されます。

菊之丞 こうして右近さんと一緒に仕事をするようになったのは、いつ頃からだろう。

右近 はっきり覚えています。第一回「研の會」の翌月、菊之丞先生の振付でストラヴィンスキーの『春の祭典』を踊った時です。

菊之丞 ああ!サントリーホール!山田和樹さんの指揮する日本フィルのフルオーケストラの演奏にあわせて、右近さんが一人立ちで踊りましたね。クラッシック独特の世界観で、あれも大変でした。

右近 初めて「研の會」をやってみて、「人のせいにしている場合じゃない。己に集中しよう」とスイッチが入り、その直後の『春の祭典』だったんです。慣れない環境だし曲も難しかったけれど、先生の振付を踊ることに集中できた感覚がありました。やっと尾上流という故郷に、顔をあげて帰れると思ったんです。その後「逸青会」に呼んでいただけたり、歌舞伎『刀剣乱舞』でもご一緒して。

菊之丞 ひとつひとつ積み重ねてきての、今なんですね。

左から尾上菊之丞さん、尾上右近さん。

準備してたら、生涯準備で終わってしまう

——今お話しに出た「逸青会」は、菊之丞さんと狂言師・茂山逸平さんが2009年に始めた二人会ですね。「逸青会」も「研の會」も、演者自身が中心となって立ち上げる自主公演です。

右近: 自主公演は、演者自身がやりたいことをやる公演。お客さんにとっては「その人」を観ていただける公演になるんですよね。

——企画や制作をはじめ、自主公演にはお金も労力もかかります。どのような動機で、続けてこられたのでしょうか?

右近: 前提として、自主公演はやらなくて済むなら、やらない方がいい(笑)。僕の場合、自分なりの必要に迫られて始めました。俺に気づいてくれ、見てくれ、応援してくれ。ずっとついてきてくれ。それに、主役もやりたかった。そういった子どもみたいな単純な欲求を叶えるために、大人のややこしいことに向き合うのが、歌舞伎役者にとっての自主公演だと思っています。

横尾忠則がデザインを手掛ける、公演ポスター。

菊之丞 歌舞伎の皆さんには、歌舞伎座でやるような「大歌舞伎」という主戦場があるんですよね。日本舞踊の場合、ホームグラウンドと言える場がありません。流儀や協会の主催公演はありますが、歌舞伎の皆さんと比較すると、必然的に自主公演の割合が高くなります。自主公演をやらなきゃ始まらない。だから、モチベーションなんて考えたことがない気がします。

右近 菊之丞先生のモチベーション、僕が代わりに答えてみてもいいですか?

菊之丞 どうぞ、お願いします(笑)。

右近 先生は「こういう世界観が好き」というものを、非常にハッキリお持ちなんです。それを作品にして、お客さんに届けたい。そして自分でもその世界に浸りたい。俯瞰ではなく主観で創るからこそ、生まれるものがある。そういう作品創りをしたいんじゃないのかなって。

菊之丞 たしかに「やりたい」「知ってほしい」は最初の推進力でした。日本舞踊はこんなに素敵なんだ。日本舞踊の可能性はこんなものじゃないと、もっと知ってもらいたい。ただ「じゃあ準備ができたら自主公演をしよう」という順番では、たぶん一生できないんです。『藝阿呆』も同じで、準備をしていたら生涯準備で終わってしまう。「やる」と決めて、後からどうにかできるようにする。その追いかけっこの先に、自分が出ていかないといけない気はします。

新作発表と古典の上演をしている「逸青会」。『わんこ』(左から茂山茂、尾上右近)、『御札』『三番三』(尾上菊之丞、茂山逸平)。

右近 「研の會」もそうでした。僕が最初の一歩をふみ出せたのは、第一回から助けてくれる強力な先輩、同輩がいたおかげです。僕の会と言いながらも、皆さんのおかげで第十回のFINALです。

菊之丞 そのFINALが、ほぼひとり立ち(ソロパフォーマンス)の『藝阿呆』、『鷺娘』、『春興鏡獅子』。大変な3演目ですよ。見ようによっては、“芸阿呆”な演目立て(笑)。

右近 たしかに!計算して準備していたら、こうはなりません!

菊之丞 あらためて、芸阿呆という言葉はとてつもない冠ですね。ディスる言葉でもなければ、過剰に敬う言葉でもない。でも「芸って、そういうものなのだろうな」とポカンと思わされる。そのポカンとしたものを追いかけて、大の大人たちが命を懸けてやっている。なんとも素敵な言葉だなと思います。

身の丈より上へ、手を伸ばす

——菊之丞先生にも、右近さんのような葛藤の時期がありましたか?

菊之丞 いや。僕の10代は、稽古こそしていたけれど、右近さんと違って、やる気が空っぽでした。二十歳頃になり、遅れを取り戻そうと走りはじめたところへ、身の丈では届かないような大きな仕事をいただくようになりました。そのたびに「また、とんでもないものがきた」と恐れおののきながら、砕ける覚悟で真正面からぶつかって今に至ります。ラスベガスの歌舞伎公演、アイスショー、宝塚、新作歌舞伎。『藝阿呆』だって「オッケー、どんとこい!」では全然ありません。それでいて思った以上の評価をいただくと、それもまた怖いんです。いつか化けの皮がはがれるんじゃないかと。何も欺いてはいないし、ただただ必死にやっているだけなのに。もちろんたまには報われたいけれど、あまりふり返るのも体に悪い気がするし。

右近 でも、自分で勝ちとったものへの意識って、大事ですよね。歌舞伎以外の仕事をさせていただくと、共演の皆さんの多くは、その人一代で自分の立ち位置を築いてこられた方々。席を勝ちとった意識がある方々からは、その陰で、そこに立てなかった人への思いを感じる瞬間もあるんです。勝ちとった意識も、負けとられた人への感覚も、両方持っていたいと思いました。

菊之丞 右近さんは、歌舞伎以外の仕事に限らず、歌舞伎でも自分で切り拓き、勝ちとったものがあるわけですよね。その自覚はないかもしれないけれど。

右近 そうですね…ないかもしれません。

菊之丞 でも15年前、右近さんが歌舞伎座で、書き出し(主演)の芝居の幕が開くなんて、想像できなかった。今は、それを成し遂げている。僕にも、自分で切り拓いたものがあると思っている。一方で、僕らはチャンスに恵まれる環境にいるってことも忘れちゃいけない。自分の身の丈に合わないところまで手を伸ばし、緊張感をもって挑戦を続けていかないと、ここから上へはいけないのではとも思う。そこで『藝阿呆』に目を向けると、結局描かれているのは、徹底的な「稽古」なんですよね。

右近 それも含めて『藝阿呆』は、この世界のリアルな一面を描く作品。「伝統芸能の世界には、こういう面もあるんだ」とお客様に感じてもらえたら、うれしいです。

関連情報

第十回「研の會」FINAL
9月5日(土)・6日(日) 大阪・国立文楽劇場
10月2日(金)・3日(土) 東京・明治座
公式サイト

日本舞踊×狂言「逸青会」2026
10月31日(土)・11月1日(日) 東京・セルリアンタワー能楽堂
12月5日(土) 京都・金剛能楽堂
公式サイト

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塚田史香

ライター・フォトグラファー。好きな場所は、自宅、劇場、美術館。写真も撮ります。よく行く劇場は歌舞伎座です。
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