Fashion&きもの

2024.06.24

古典歌舞伎は欲ばり、奥が深い。歌舞伎俳優の中村萬壽が語る、あの時あの舞台の“こしらえ”

歌舞伎では、衣裳や鬘(かつら)、小道具を身に着けた役の扮装を「拵え(こしらえ)」と言います。役によりガラリと印象を変えて様々な表情をみせる歌舞伎俳優の皆さんに、思い出の拵え、気分がアガる衣裳、そのエピソードを伺います。第9回は、歌舞伎女方として数々の役をつとめ歌舞伎界を支えてきた初代中村萬壽(まんじゅ)さんです。 2024年6月、43年にわたりご自身が名乗られてきた女方の大名跡、「中村時蔵」を長男に譲りました。そして萬壽さん、新・時蔵さんも名乗った「中村梅枝」の名前を孫が受け継ぎ、ご自身は「初代中村萬壽」としてさらなる俳優人生を歩みます。あの時の拵えで思い出す、心に残る言葉についてお話しいただきました。
初代 中村萬壽(なかむら まんじゅ)
屋号は萬屋(よろずや)。四代目中村時蔵の長男として東京に生まれる。1960年4月、歌舞伎座『嫗山姥』の童、『妹背山婦女庭訓』御殿のおひなで三代目中村梅枝を名乗り初舞台。1981年6月、歌舞伎座『妹背山婦女庭訓』お三輪、『網模様燈籠菊桐』の滝川で五代目中村時蔵を襲名。2024年6月、『山姥』の山姥にて初代中村萬壽となる。2007年より国立劇場歌舞伎俳優養成課の講師をつとめ、後進の育成にも尽力。長男は六代目中村時蔵、次男は初代中村萬太郎、孫は五代目中村梅枝。

片はずしは、女方の最終目標

萬壽さんの思い出の拵えは、『加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』の中老尾上(おのえ)です。御家乗っ取りを企むお局さまと対立する、奥女中の役です。

緋色の着付に白の打掛。「片(かた)はずし」と呼ばれる鬘(かつら)をかぶっています。片はずしとは、大奥に仕える身分の高い女中や大名の妻などの役に使う鬘のことです。これが元となり、この鬘をかぶる役柄そのものを「片はずし」と呼ぶようになりました。

『加賀見山旧錦絵』1993年8月国立劇場 中老尾上

「片はずしは女方の最終目標です」と萬壽さん。

「歌舞伎の女方には娘、女房、お姫様や傾城など様々な役柄がありますが、お姫様役の延長線上にあるのが片はずしではないでしょうか。片はずしができる人は、おそらく傾城もできます。芸格の大きさが必要な役だということです。若い頃から、将来は片はずしの役も似合う役者になりたいと思っておりました」

1993年8月、萬壽さんは初めて尾上をつとめました。初めての本格的な片はずしでした。

「この公演が決まった時、国立劇場の方が(六代目中村)歌右衛門のおじさんに公演の監修をお願いしました。しかし、おじさんに『くたびれるからいやだよ。勘弁しておくれよ』と断られてしまったんです。(歌右衛門による監修は)諦めて自分たちだけでやりましょう、と劇場側から提案されましたが、私としてはそういうわけにも行きません。『僕だけでも習いにいく』と、ひとりでお願いに上がったんです。おじさんはじっと考えてから、『あんただけを教えても、この芝居はねえ。仕方がないからみんな見てあげるよ』と監修を引き受けてくださったんです」

歌右衛門の晩年のこと。日常的な移動には車椅子を使われていました。

「それでも何日も稽古場にきてくださり、丁寧に厳しく見ていただきました。僕は一場面終わるごとに『おじさん、どうですか?』と伺いに。すると『あそこではもっと肘をくっつけて』『胸を張って』など、女方の身体の使い方を厳しく教えてくださるんです。ところが、ある日『お前さん、芝居がつまらないよ』って。そんなダメ出しもあるのかと驚きました。きっとおじさんは、(身体を正しく使えるようになるまでは)『今これ以上のことを言っても無駄だろう』と見切っておられたのでしょうね」

「翌日の稽古では芝居を変えて、また『どうですか?』と聞きにいったんです。おじさんはたった一言『大丈夫だよ』って。うれしかったですね、自信になりました。尾上を教わった時の『つまらないよ』と『大丈夫だよ』は、忘れられない言葉です」

戦後を代表する名女方・歌右衛門への敬意と感謝が、萬壽さんの表情に溢れます。

『加賀見山旧錦絵』1993年8月国立劇場 中老尾上

この公演をきっかけに、歌右衛門の自宅での麻雀に招かれるようになったそうです。「ちょっとだけ認めていただけた、ということだったのかな」と懐かしそうに微笑む萬壽さん。それから少し悔しそうに続けます。

「麻雀をして食事もいただいて、芝居の話をうかがう。贅沢な時間でした。当時は恐縮してしまっていたけれど、もっと色々な話を自分からお聞きすれば良かったと後悔しています」

萬壽の名前を一から築いていく

2024年6月より初代中村萬壽として舞台に立たれています。ご自身で決めた、大変縁起の良さそうな名前です。

「屋号(萬屋。よろずや)の『萬』の一文字を使い、様々な組み合わせを考えました。その一つが萬壽でした。調べてみると平安時代の元号でもある。縁起が悪いはずがありません(笑)」

萬壽元年は今からちょうど1000年前の1024年。平安時代の中頃です。

「改元のきっかけは、十干十二支(じっかんじゅうにし)のはじまりの年、甲子(きのえね)の年だからだったそうです。60年で一巡する十干十二支。これには思い入れがあります。祖父の三代目時蔵と私は60歳違い。同じ乙未(きのとひつじ)です。父の四代目時蔵と六代目中村時蔵となった私の長男も、やはり60歳違い。私と孫(新・中村梅枝)も60歳違いなんです。60年の巡り合わせに因縁めいたものを感じます」

2024年5月の取材会にて。左から中村時蔵(当時梅枝)、中村梅枝(当時小川大晴)、中村萬壽(当時時蔵)。

「十干十二支のはじまりとご縁のある『萬壽』という名前を、一から築いていこうと思いました。どの名前にも必ず初代はあるものです。名前を大きくしていくのは継いでいった人たち。『時蔵』という名前も初代は今ほど知られていなかったはず。祖父の三代目が大きくしてくれたと思っています。萬壽という名前も、時蔵や(次男の)萬太郎など誰かが育てていってくれたらうれしいですね」

思えば不思議な親子です

長男の六代目時蔵さんは、萬壽さんと同様に古典歌舞伎に定評がある実力派の立女方(主役をはる女方)です。

「息子に『神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)』を教えた時(2019年12月)、私の厳しい目から見ても随分できるようになったなと思い、時蔵の名前を譲ることを決めました」

親子そろって、現役の立女方。

「思えば不思議な親子ですね。比較的近い時期に、私は久しぶりに、そして彼は初役で『三人吉三(さんにんきちさ)』のお嬢吉三をやりました。優劣ではなく彼のお嬢をみて、芝居のバランスや組み立て方から感じるところもありました。彼は、私がやったことのない『壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)』の阿古屋(あこや)もやっている。『義経千本桜 渡海屋・大物浦』の典侍の局(すけのつぼね)は彼の方が先でした(2015年07月に時蔵。2017年03月に萬壽)。息子が先に坂東玉三郎のおにいさんに教わったものですから、あいつ(時蔵)に『ちょっと教えてよ』と言ったのですが『嫌ですよ』と断られてしまいました(笑)」

2017年3月歌舞伎座『義経千本桜 渡海屋・大物浦』典侍の局

萬壽さんご自身は、はやくに父・四代目中村時蔵さんを亡くしました(享年34歳)。だからこそ息子には、自分が元気なうちに時蔵の名前を譲りたいとの思いがあったそうです。

「理不尽なこともある世界ですが、僕は若い頃から嫌なものは嫌と言うタイプ。つっぱっていたんです。父親を亡くし、自分が家の長だから自分が言わなくては、という思いもあったんですよね。松竹さんとぶつかることもありました。(先輩俳優の)おじさんたちに対しては、そんな態度を微塵もみせませんでしたが(笑)」

祖母(三代目時蔵夫人)のおかげで、十七代目中村勘三郎や、中村歌右衛門の教えを受ける機会に恵まれ、歌舞伎の修行を積みました。

「30代半ばを過ぎた頃から、皆さんに声をかけていただき、色々な役をいただけるようになり、松竹さんからも、まずは『今度この役でいかがですか』と相談がくるようになって。おかげで今では好々爺です」

「性格が変わったわけではありません。今でも何かあれば、つっぱるかもしれませんよ?」と笑っておられました。

義太夫狂言もあれば世話狂言もある

初舞台から64年。

同世代には、古典歌舞伎と並行して新しい作品に積極的な方々もいました。近年ではアニメやゲームの歌舞伎化もたびたび話題となりますが、萬壽さんは正統派の古典歌舞伎に力を注いできました。

「『NINAGAWA十二夜(にながわ じゅうにや)』や『極付印度伝 マハーバーラタ戦記』などの新作に出演させていただき思ったのは、新しいと言われる歌舞伎も、やはり私たちは歌舞伎のやり方で表現をするんですよね。古典歌舞伎で培ったものがしっかりとしていてこそ、新しい芝居も面白くなるように思えます」

「歌舞伎は欲ばりなものですから、ひとくくりに『古典歌舞伎』と言っても、その中に義太夫狂言(ぎだゆうきょうげん。もとは人形浄瑠璃のために書かれ、後に歌舞伎化したもの)もあれば、世話狂言(せわきょうげん)もある。岡本綺堂、真山青果のような新歌舞伎や、落語からつくられたものもあり、それぞれに異なる芝居観があります。同じ世話狂言でも(河竹)黙阿弥さんと(鶴屋)南北のものでは、台詞回しからまるで違います。それぞれを一つずつ勉強して身に着けていく。小手先でできることではありませんので、一度では無理。何度も経験してだんだんと自分のものになり、少しずつその世界を表せるようになる。奥が深いです。そこへどれだけ自分が入り込んでいけるかの挑戦ではないでしょうか」

1994年6月歌舞伎座で『妹背山婦女庭訓』お三輪をつとめた時の記念写真。左から萬太郎、萬壽(当時時蔵)、時蔵(当時梅枝)。

古典歌舞伎に深く入り込んでいく。
それは我を忘れるような感覚なのでしょうか。あるいは、入り込んでいく自分を俯瞰するような感覚なのでしょうか。

「常に冷静ではあります。私たち役者は、緊張することはあってもアガってはいないんです。我を忘れるようでは舞台は勤まりません。ただ、役に集中し、役に没頭できる時があるんです」

没頭しやすいのは、義太夫狂言の“しどころ”と言われるような場面ですか。と聞くと、萬壽さんは柔らか表情のままゆっくり首を横に振ります。

「クドキやサワリといった“しどころ”は、僕らは文楽人形の代わりです。義太夫さんと息を合わせる難しさはあるかもしれませんが、僕としては楽なんです(笑)。それよりも芝居や、台詞だけで繋ぐ聞かせどころの方がむずかしいです。そこでお客様の心を掴みながら、役だけに集中できた時、本当に役の気持ちで台詞を言えて、ふと台詞が飛んでも役の気持ちで自然に修正ができ芝居を繋げられたりすることがあります。役に没頭していたなと感じられます。そんな芝居ができた時は、ご覧くださった方からの評判も良いですね」

片はずしの尾上も、その手ごたえがあった役のひとつでした。お局さまから侮辱的な仕打ちを受けた後、ひとつの覚悟を決めて尾上はひとり廊下に見立てた花道を自分の部屋へ。

1993年8月国立劇場『加賀見山旧錦絵』中老尾上

「涙をふり切って最後に花道を引っ込みます。でも歌右衛門のおじさんから言われました。『これでは駄目。涙を切ったんだから泣いていちゃいけない。泣くのは自分の部屋に帰ってから』と。記録映像を見返してみると、切ったはずの涙が頬に流れているのが映っていました」

萬屋一門が沸かせる6月の歌舞伎座

息子の新・時蔵さんは、襲名披露狂言として『妹背山婦女庭訓』でお三輪をつとめています。女方の大役で、萬壽さんも、五代目時蔵を襲名した時にもつとめました。今回萬壽さんは、お三輪が恋焦がれる求女という二枚目の役。

『妹背山婦女庭訓』2024年6月歌舞伎座 求女=中村萬壽。女方だけでなく、立役二枚目でも定評のある萬壽さん。

萬壽さんは会見で、“時蔵”の名前は譲るけれど「引退する気も隠居する気もございません」とお話しされました。これは六代目中村時蔵の誕生と同じくらいうれしい報せでした。時蔵家のみなさんの、これからのご活躍に一層期待が高まります。

「親子で張り合うわけではありませんが、お話があればもちろんこれからもお三輪やお嬢をやらせていただきたいです! 尾上もその後に一度やっておりますが、またやらせていただきたいお役のひとつ。ただ、今の時蔵にはまだできない『茨木』のような老け役を広げていきたいとも考えています。いつまで体力が持つかな、あんなに踊れるかな。そんな不安とのせめぎ合いですが、萬壽の名前で歌舞伎役者としての自分の芸を一から見直してまいります」

『山姥』2024年6月歌舞伎座。左から猪熊入道に中村萬太郎さん、怪童丸に新・梅枝さん、怪童丸の母の山姥を萬壽さんがつとめました。白菊に新・時蔵さんも出演。おめでたい一幕となりました。

公演情報

『六月大歌舞伎』(東京)
2024年6月1日(土)~24日(月)
会場:歌舞伎座
昼の部 午前11時~
夜の部 午後4時30分~
【休演】11日(火)、17日(月)
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/play/873

『七月大歌舞伎』(大阪)
2024年7月3日(水)~26日(金)
会場:大阪松竹座
昼の部 午前11時~
夜の部 午後4時~
【休演】10日(水)、18日(木)
https://www.kabuki-bito.jp/theaters/osaka/play/887

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塚田史香

ライター・フォトグラファー。好きな場所は、自宅、劇場、美術館。写真も撮ります。よく行く劇場は歌舞伎座です。
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