Culture
2018.12.29

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門

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今注目の若手歌舞伎俳優・尾上右近さんことケンケンの連載「日本文化入門」。今回は、サントリー美術館で開催中の『扇の国、日本』を鑑賞しました。扇といえば、尾上家の定紋は「重ね扇に抱き柏」。初代菊五郎がご贔屓から柏餅をいただいたとき、扇に載せて賜ったことに由来しているそうです。ケンケンと扇、なにやらご縁がありそうですね。「扇子は日本人が発明した日本のオリジナルの文化です」と、案内してくださったのは主任学芸員の上野友愛さんです。

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門

扇の国、ニッポンの美的センス

「明治11(1878)年のパリ万博では幅広い時代と流派を網羅した100本の扇が出品されたと伝えられています。<序章 ここは扇の国>では当時、万博のために厳選された扇が並びます」と、上野さん。ケンケンは「この『松に白鷺図扇面』がすごくいいですね。きっとパリ万博でみんな驚いたでしょうね」

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門「松に白鷺図扇面」英一蝶(東京国立博物館)

扇子は風を起こすための道具だけではなく、神仏と人を結ぶ呪物としての役割を果たしました。<一章 扇の呪力>では、そうした扇を紹介しています。「パリ万博から始まって、古代にさかのぼると、ふつうならば小難しくなるところを、お扇子と人との間の精神的な関係が生まれたというところに行くんですね。グッと引き込まれます!」と、ケンケン。

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門重要文化財「彩絵檜扇」(島根・佐太神社<島根県立古代出雲歴史博物館寄託>)※現在は展示されていません。

「なるほど、やはり檜扇から入るんだ。僕たち歌舞伎役者も、江戸時代よりさらに遡った時代もののお芝居では、たとえば一条大蔵卿や小野小町など、昔の高貴な人を演じるときは檜扇を使います。実際に曾祖父が使っていた檜扇も家にあります」と、ケンケン。「神様仏様を拝むときも、昔は扇を目の前に広げ、下に置いてお祈りしていたようです。神様にそこに降りてきていただいたり、神仏と気持ちを結ぶアンテナのような役割だったかもしれません。あと覆面代わりに使われたとも言われていて、隠れたいときに扇で顔を覆って骨の間から覗くという…」と、上野さん。「ああ、そうですね。歌舞伎でも、義経とかが首実検をするときにお扇子の骨越しに見定めます。討たれた首は邪気があると考えられたり、あるいは逆に神聖なものとしての認識もあったようで、結局、邪気払いですね。結界を張るためにお扇子を広げ、お扇子の骨越しに首実検をやるんです」と、ケンケン。

結界からカンニングペーパーまで?

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門

「人によって、また踊りの流儀によってですが、ご挨拶をする時にお扇子を右横に置いたりします。古い形なのかもしれません。今は比較的前に置くことも多いのですが、前に置くのは結界ですよね。昔の人はお扇子を横から前に滑らせて置いたりする。恐らくそれで結界を張っている。ご挨拶のときに前に置くのはお客様と自分との間にまず結界を張ってから挨拶するという役割を担っているんじゃないでしょうか。やっぱり精神的なものが入っていますね」と、ケンケン。

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門「後月輪殿扇次第」九条兼孝 筆(宮内庁書陵部)

「こちらは朝廷の儀式で次第を記した、いわばカンニングペーパーです。箇条書きで儀式の進行を簡略に記しています。紙扇よりも檜扇誕生の方が古いのですが、もともと檜扇は笏や木簡が発展したものとも言われています。聖徳太子も笏を持っていますよね。笏の裏にはカンペ用の笏紙(しゃくし)を貼付けていたんですよ」と、上野さん。「あ、役者もお扇子をカンペにしたという話があったような、ないような(笑)。いやいや、笏紙だとかカッコよく言ってるけど、ダメダメちゃんと覚えようよ(笑)。しかし面白いですね。お扇子は人に寄り添っているんだな、幅広いですよね」と、ケンケン。

人と人を繋ぎ合わせる、運命を司る道具

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門重要文化財「扇面流図(名古屋城御湯殿書院一之間北側襖絵)」(名古屋城総合事務所)

さて、<二章 流れゆく扇>では水面に扇を投じ、そのさまを楽しむ「扇流し」を行う人々の様子が屛風や襖絵に見られます。上野さんが「平安時代中期、出家した夫の行方を尋ねる妻が長谷寺の観音様の利生で川に流れてきた夫の扇を見つけ、居場所を知るという話が残り、このような伝説が扇流しの源流にあったのではないかと言われています」と、説明。「着物や衣裳に<流れ水に扇面>という柄があり、お扇子の中に水の絵が描かれていることもあるので、水とお扇子は繋がりがあるんだろうなというのはぼんやり思っていましたが、今回お話をうかがって驚きました。出家した旦那さんを訪ねたのが始まりだったんですね」と、ケンケン。

つまり、扇子は、男女や離れた人と人を繋ぎ合わせる、運命を司る道具としてのイメージも託されていたのです。「今でも僕らは袱紗代わりというか、お扇子の上に載せてご祝儀を渡したり、お祝いをする人もいます。それこそ自主公演とかさせていただくと、そういう方もいらっしゃるんです。なんか嬉しいですよね。習わしとして、かっこいい。人の教えを教わっている気持ちになります」。すると、「現代の方は扇をトレイと認識している方はほとんどいないんですよ、さすがです」と、上野さん。

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門

「いろいろなお扇子の絵を見せていただきましたが、僕はこの名古屋城の御湯殿(おゆどの)の絵がいちばん好きな気がします。デザインが飛躍する前の、さりげない感じ。瑞々しく清涼感がありますね」と、ケンケン。

流れゆく扇!えっ、これ捨てちゃってるの?!

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門婦女遊楽図屛風(サントリー美術館)

「その昔は、扇子を水に流して遊んでいたようです。暑い季節が扇子終わると扇子も出番が出番が減りますからね、ほら」と上野さん。驚いたケンケンは「ほんとうだ!なんと昔は、水にお扇子を流していたんですね。扇を使い捨てというのはちょっと衝撃です!」

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門

「10世紀末から日本の特産品として大陸に送られるようになった扇は、中国で明の時代に一層人気が広まり、それまで片面張りだったのが、中国で両面張りの扇子ができあがるのです」と、上野さん。

「えーっ、お扇子は日本人が発明した独自のアイテムだったということが非常に誇らしいと思ったのに、中国が両面張りにしたとは…やられた感が激しくて悔しいなあ(笑)。紙と紙の間に骨を挟むとか考えてなかった。でも、よくよく考えたらそりゃあ両面のほうがそりゃいい。それいいね、それ使おう、と思う日本人の人のよさというか、いいものはいいと受け入れるやわらかさを感じます。いつ、どうやってお扇子が生まれたのかが、はっきりしてないところにもロマンを感じるし、想像は膨らむ。わからないことがあることによって、想像しながら見るというのもひとつの楽しみです。やはり古代からの歴史があるということに厚みを感じるし、そのぶん発展した振り幅がすごく大きいというところが、お扇子の大きな魅力だと思いました」

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門

「あっ、扇流し禁止マークです!」

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門

「禁止マークがあったくせに、こんな壮大な扇流しが!!」

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門左/「北野天神縁起絵扇面貼付屛風」(大阪・道明寺天満宮) 右/「源平合戦扇面貼交屛風」(個人蔵)

扇は、いつでもどこでも手の中で披露できる身軽で開かれた絵画。人々の間を盛んに流通し、また屛風に貼り集めることで物語の全貌も味わえました。「お正月に扇を贈りあう風習は室町時代以来に始まったようです。今はだんだん少なくなっていますが、会社によってはお正月のお年賀に扇を贈っています」と、上野さん。

「僕たち歌舞伎役者は、何かのご挨拶や襲名のときには必ずお扇子はつくりますし、毎年お扇子をつくっています。<重ね扇に抱き柏>は音羽屋の紋で、三代目菊五郎が細川侯の家に行った時、お殿様から扇に柏餅を載せて出されたのを自分の扇に受けて頂戴したのにちなんで、<重ね扇に抱き柏>を尾上家の紋にしたらしいんです」とケンケン。ちなみに御用達のお店の一つは京都の老舗「十松屋」さん。「ちょっと高価ですが(笑)、たしかにいいし、持ったときの感覚が全然違います。僕は、お扇子はいつも渋扇を持ち歩いています。誰かに絵を描いてもらったり、自分で描いた絵(の扇子)だったり。それを屏風で見せるのは大変ですが、扇子ならすぐ見せられます。実用性だけじゃなくて、扇子の中に趣味を凝縮することができます」。

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門「東扇 三代目大谷広右衛門」勝川春章(千葉市美術館)

「この絵は勝川春章の代表作のひとつですが、扇形を縦に使って、枠の中に役者の半身像が描かれています。絵の扇枠の外側には、本図を切り取って扇子に仕立てたり、屛風や襖に貼り交ぜにもできると書かれています」と、上野さん。

ケンケンは「すごい振り幅だなあ。お扇子が生まれてから千年以上。8世紀には誕生していたから、それが文化財としてではなくて、今も日本人一人ひとりの持ち物としてあるというのも衝撃ですよね。傘みたいなことですもんね。ただ傘は屛風や襖に貼るような二次使用はしないですもんね。剥がして貼っているなんて見たことない。せいぜい左甚五郎の忘れ傘ぐらいでしょう。骨傘とかはあるけど、紙としては残っていない。実用性と多様性があるということと、かたちとして残したときに価値がちゃんと残り続けるというのは、他のアイテムでは類を見ないですよね」。

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門こんな小さな米粒レベルの工芸まで存在する!

日本人にとって扇は特別な存在

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門「『NIPPON』復刻版 出島図」フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト著(東京大学総合図書館)

「今回の展覧会の中で、いちばんスケールの大きな作品です(笑)」と、上野さん。長崎オランダ商館付き医師として来日していたドイツ人・シーボルトが記録した出島図で、その島の形から日本における扇のマルチな使われ方や、性別、貧富を問わないアイテムであることなどが紹介されています。「日本人にとって、扇は特別な存在なんでしょうね。この間、尾上流のお家元の菊之丞先生と話していて“宝物は何ですか?”とお聞きしたら、お扇子だとおっしゃる。舞台で使う仕事道具としても大切だし、代々伝わるお扇子もあれば、何かの折にご自身で作られたお扇子もある。当然それは宝物で、これがなければ困るというものを唯一あげるならばお扇子だと…。舞踊家にとって扇子は刀なんですよね。そんなことも感じながら、一方ではメモに使ったり、屛風に二次使用として使っていくこととか、他のアイテムとは比較にならないぐらいの振り幅を感じられて、非常に楽しかったです」。

扇の国、日本

会場 サントリー美術館
会期 開催中〜2018年1月20日
公式サイト

尾上右近プロフィール

サントリー美術館の「扇の国、日本」展|尾上右近の日本文化入門

歌舞伎俳優。1992年生まれ。江戸浄瑠璃清元節宗家・七代目清元延寿太夫の次男として生まれる。兄は清元節三味線方の清元斎寿。曾祖父は六代目尾上菊五郎。母方の祖父は鶴田浩二。2000年4月、本名・岡村研佑(けんすけ)の名で、歌舞伎座公演「舞鶴雪月花」松虫で初舞台を踏み、名子役として大活躍。05年に二代目尾上右近を襲名。舞踊の腕も群を抜く存在。また、役者を続けながらも清元のプロとして、父親の前名である栄寿太夫の七代目を襲名。【公式Twitter】 【公式Instagram】 【公式ブログ】

撮影/桑田絵梨 構成/新居典子

【尾上右近の日本文化入門】

第1回 北斎LOVEな西洋のアーティストたち♡
第2回 大観と言えば富士?!
第3回 東博に超絶御室派のみほとけ大集合!
第4回 ケンケンが刀剣博物館に!
第5回 錦絵誕生までの道程 鈴木春信の魅力
第6回 日本建築とはなんぞや!
第7回 国宝「合掌土偶」が面白い!
第8回 永青文庫で、「殿と姫の美のくらし」を拝見
第9回 フェルメール展で充電! 作品の透明感に心奪われました
第10回 サントリー美術館の「扇の国、日本」展。 センスがいい!

書いた人

東京都港区在住。2001年『和樂』創刊準備号より現在に至るまで、歌舞伎及び、日本の伝統芸能を主に担当してきた。プライベートでも、地方公演まで厭わず追っかけてしまうほど歌舞伎や能・狂言、文楽が大好き。