1936年生まれの画家、横尾忠則の近作が、とめどもなく元気だ。東京国立博物館 表慶館で開催中の「横尾忠則 寒山百得」展に出品されている102点の絵画は、2021年9月から2023年6月までの間に「寒山拾得(かんざんじっとく)」をテーマに横尾が描いたものである。小さな作品でも160×130センチほどの大きさを持つ。つまり大画面の作品ばかりが並んでいるのである。横尾はいったい、どれほどの元気を湧き出させているのか、と思わせる。
寒山拾得=中国,唐代の脱俗的人物で詩人の寒山と拾得のこと。在世年代は不詳。寒山は幽窟に住み,国清寺に出入して残飯をもらい,拾得と交わったとされているが,拾得は寒山伝説がふくらむ過程で付加された分身と認められる。奇行ぶりが強調されているが,仏教の哲理に通じ,その脱俗の境地は中国・日本とも伝統的な画題となった。(出典=百科事典「マイペディア」)
トイレットペーパーと掃除機を持つ寒山拾得
中国と日本の多くの画家が描いてきた「寒山拾得」には不気味な笑いを表現したものが多く、この世のものとは思えない不思議な存在感を持つ。しかし、伝統的な画題という理由だけで横尾がこれほど多数の作品を描いたとは思えない。
発想源は、どうやら江戸時代の奇想の画家の一人として知られる曾我蕭白(そが・しょうはく)にあったらしい。蕭白はたくさんの仙人を描いた『群仙図屏風』などで、極めて癖の強い個性的な表現をする画家としてここ数十年の間に評価を高めてきたが、横尾は1970年代にすでにその画風に魅了されていたという。蕭白はまた、「寒山拾得」を複数描いている。たとえば、そのうちの一件である『寒山拾得図』(京都・興聖寺蔵、重要文化財)が見せる表情は、奇天烈さが限りなく印象的だ。
東京国立博物館研究員の松嶋雅人さんが2021年12月に横尾のアトリエを訪ねた折には、すでにこの画題で十数点が描かれていたという。その表現に激しく共鳴した松嶋さんは、このシリーズをもっと拡充してぜひ世に見せたいと熱望し、横尾はその後ひたすら描き続け、102点もの作品が生まれたというのである。
それにしても、横尾の画風は自由である。横尾としては当然のことだが、伝統的な「寒山拾得」をただ模倣するようなことはしていない。中でも特に妙案だと思ったのは、寒山と拾得の持ち物である。寒山は巻物を、拾得は箒(ほうき)を持っているのが伝統的な「寒山拾得」のスタイルだ。ところが、横尾が一部の作品で寒山に持たせたのはなんとロール状のトイレットペーパー、拾得に持たせたのは掃除機だった。ご丁寧にトイレットペーパーの近くに便器を描き添えた作品もある。巻物と掃除道具を二人に持たせたところは、従来通りの「寒山拾得」である。あまりにも愉快ではないか。
あの世をこの世に持ち込む
そもそも実在したことすら信じがたい寒山と拾得が、横尾の作品では現代の世の中にこのうえなく楽しそうに降臨しているように見える。いにしえの「寒山拾得」には不気味な笑いを浮かべた例がかなり多いが、横尾が描いた二人はただ笑っているばかりではなく、のりのりの気分がうかがえたりもする。あの世をこの世に持ち込んだようにさえ見える。
横尾はもともと自由に絵を描いてきたが、近年になってさらなる「自由」を手に入れたようだ。「寒山拾得」のシリーズもその成果だという。その「自由」の源は、思わぬところにあった。「朦朧体(もうろうたい)」である。
横尾は近年になって、自分の「朦朧体」を創始したという。「朦朧体」といえば、明治中期に菱田春草や横山大観が創案した、近代日本画の革新を象徴する技法である。あらかじめお断りしておけば、横尾が創始した「朦朧体」は、もちろん、春草らの技法とはまるっきり違う。
1900年頃に春草らが創案したのは、線描を排除し、色面にぼかしを入れることによって、日本の湿潤な空気を表した試行的な技法だった。長野県の飯田市美術博物館が所蔵している春草の『菊慈童』は、その代表作だ。曖昧模糊とした表現を当時の美術批評家が揶揄(やゆ)した「朦朧体」という言葉は、美術史上でも定着した。
批判されながらも後にすぐれたことが認められるような事例を見ると、春草の画風を高く評価している筆者は「批評家なんてくそくらえ」などと思ってしまう。だが、「朦朧体」という名称が定着したのは、逆にありがたいことだとも思っている。ひょっとすると、横尾は「朦朧体」という言葉が美術史上にあったからこそ、そこからひらめきを得て画風の展開があったという可能性もあるのではないかとも想像をふくらませている。
不自由ここに極まれり!
では、横尾の「朦朧体」とはいったい何なのか。答えは、この展覧会の図録に掲載された松嶋雅人さんの論考「横尾忠則という寒山拾得、あるいは不自由という自由」に記されていた。
まず論考のタイトル自体が、横尾の「朦朧体」と直結している。「不自由という自由」という部分だ。この論考によると、横尾の「朦朧体」は、「横尾の身体的変化によってもたらされた」という。発端は、2015年に難聴を発症したことだった。その後視界がぼやけ、頭の中も不明瞭になる。そして、あらゆる事物の境界があいまいになり、現実と夢の区別もままならない状態になった。さらには、筆を持つ右手が腱鞘炎になったという。「不自由ここに極まれり!」というのが、筆者の感想だ。朦朧とした意識の下で描くから「朦朧体」ということなのだろう。
横尾のすごいところは、そこから「自由」の境地を開拓したことだ。では、何から「自由」になったのか。少なくとも、既存の画家の居場所から遠いところに旅立ったのは確かである。横尾にとって、それこそが「自由」を得たことだったのだ。そもそも、不自由の極みを「自由」と捉えること自体が素晴らしい。
この一連の症状を「身体的変化」と書いているのも絶妙だ。通常なら「劣化」と表しても不思議ではない。一般には「老化」とされる現象もあるかもしれない。しかし横尾にとっては「変化」だった。そしてその「変化」が「朦朧体」を生み、表現の展開につながる。粗さも大いなる魅力になった。おそらく横尾自身も、「もう描かずにはいられない」という心境になったに違いない。そしてエネルギッシュな多くの作品が世に出ることになったのである。
マネの『草上の昼食』の世界に登場した二人
横尾の「自由」はどんどん展開する。ひょっとすると、裸婦と男性二人がピクニックをしているように見えるこの絵は、印象派の父として知られるフランスの画家エドゥアール・マネの名作『草上の昼食』(パリ、オルセー美術館蔵)の世界を描いたのではないか? よく見ると、2人の紳士の代わりに寒山と拾得が描かれている。手に持っているはずの箒と巻物は、横に放られているように見える。実に楽しい絵である。
「虎に注意」の看板が描かれているのも心憎い。「寒山拾得」は虎と一緒に描かれることがある。寒山拾得がいた中国で山の中にピクニックに行けば、虎に出合う可能性もあったかもしれない。手は自由に動かせないはずなのに、筆は実に自由に進んでいる。
空を飛ぶ箒に乗っているのも、どうやら寒山拾得らしい。二人のうち後ろに乗っている人物は、しっかりトイレットペーパーを抱えている。ひょっとしたら、寒山拾得はハリー・ポッターの世界に出かけてきたのだろうか。様々な世界を往来する寒山拾得たち。横尾が到達した「自由」の境地というのは、かくも素晴らしい。あやかりたいものである。
つあおのラクガキ
ラクガキストを名乗る小川敦生こと「つあお」の、記事からインスピレーションを得て描いた絵を紹介するコーナーです。Gyoemonは雅号です。
拾得は箒を持っている…ということは、必ずや掃除をしているはずです。掃除をすると心が洗われる! という経験をした人は、ひょっとすると結構たくさんいるのではないでしょうか。しかも、誰でもどこでも簡単にできる修行なのです。僧侶の修行の基本とも聞きます。掃除で心を清め、巻物に書かれた経を読んで心を白くする。寒山拾得はただの謎めいた画題というわけではなく、実は、「まず掃除から始めよ。そして経を読め」ということを暗に伝えているのかもしれません(憶測にすぎないかもしれませんが)。
展覧会基本情報
展覧会名:「横尾忠則 寒山百得」展
会場:東京国立博物館 表慶館
会期:2023年9月12日〜12月3日
(関連企画:特集「東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ―」 会場:同館特別1室 会期:2023年9月12日〜11月5日)
公式サイト:https://tsumugu.yomiuri.co.jp/kanzanhyakutoku/