「三浦義明」という人物をご存知でしょうか。
神奈川県横須賀市の英雄で、鎌倉幕府ができる前から頼朝を支えて源平合戦で戦った「三浦一族」の長です。
三浦家が平家の家人に攻められた時はすでに89歳の老体でしたが、「必ず頼朝様と合流しろ」と一族郎党を逃がして、自分と少しの郎党だけが残り、城を枕にして討死しました。
彼の活躍は後世まで語られ続け、浮世絵や歌舞伎、能や文学の題材にもなっています。
そんな彼の菩提寺である「満昌寺(まんしょうじ)」が、令和元(2019)年に台風の被害に遭い、復興のためのクラウドファンディングを募っています。
三浦義明と満昌寺
満昌寺の開山は建久5(1194)年で、そのきっかけである出来事が鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』にも書かれています。
建久5(1194)年9月29日。源平合戦終結から9年、頼朝が征夷大将軍となって2年が経ち、鎌倉幕府も安定してきました。
そこで頼朝は14年前に源氏再興を信じて討死した三浦義明を供養するために、三浦一族の本拠地である矢部郷(横須賀市)にお堂を建てようと思い立ち、お堂を建てられる場所を側近に命じて調査させました。このお堂が現在の「満昌寺」です。
敷地内には頼朝が直々に手植えした、樹齢800年と言われるツツジがあります。
そして裏手の山の中腹に、三浦義明を祀る神社があり、そのさらに裏手に義明の墓があります。台風の被害を受けてしまったのがこの墓です。
三浦義明の墓を未来に残したい!
令和元(2019)年の秋、大型の台風が何回も接近し、各地に甚大な被害をもたらしました。
神奈川県横須賀市も9月に来た台風の直撃を受け、満昌寺の裏手の崖が崩れてしまいました。
お墓が埋まったり破壊される事は運よく免れましたが、土砂を取り除くだけでは、次に大きな台風や地震が来てしまった時に、また崖崩れが起こってしまいます。
今回は無事だったお墓も、次回は埋もれてしまうかもしれない。お墓だけでなくその手前にある神社やお寺にも被害が出るかもしれない。
そこで住職の永井宗寛(ながい むねひろ)さんは、800年以上代々守ってきたお墓やお寺を、もっと先の未来へと残すために最新技術の工事を決断しました。
「イーグルホールド工法」と呼ばれる技術で、2mもあるアンカーを打ち込んで地層と岩盤をしっかりと繋ぎます。
横須賀市の建設会社で、地元と歴史を愛する宇内建設が、「100年、200年は持ちますよ!」と太鼓判を押す技術です。
800年前から連綿と人々の想いを繋ぎ、未来へと託してきた満昌寺にぴったりの技術ですね!
しかし最新の技術のため、費用も大きなものとなってしまいました。三浦義明の墓は市の文化財なので助成金は降りますが、それでも足りません。お寺の貯金も限界がある……。
そこで交流のあるネットに詳しいお寺の住職さんからクラウドファンディングを紹介してもらい、今回のプロジェクトに至ったそうです。
クラウドファンディングのリターンをチラ見せ!
クラウドファンディングといえば、気になるのはリターンですよね!
今回のリターンは豪華で、思わず「まじかよ」って呟いたくらいです。
プロジェクト限定クリアファイル
まずどのコースでも共通するのは
■住職のお礼状
■支援者限定の活動報告
■プロジェクト限定クリアファイル
■寄進者名の掲示
クリアファイルは、満昌寺の寺宝である本堂の襖絵の図柄です。横須賀市指定重要文化財で、幕末~明治初期に活躍した狩野派の絵師である斎藤海信の作です。
劣化を防ぐために、普段は丁寧にしまわれていて、毎年11月3日に行われる特別公開日にはめ込まれます。後述するリターンである、プレミアム拝観の拝観日にもはめ込まれる予定です。
ちなみにこの雲竜図は平成25(2013)年頃に酒造メーカー『黄桜』のCMで使われたので、見覚えのある人もいるのではないでしょうか。
それから歴史オタクな自分としては「寄進者」って所にグっと来ますね! 歴史上の記録でちらほら見かける、寺への寄進ですよ……! 寄進者として寺の歴史に残っちゃうんですよ!
プロジェクト限定の御守
5,000円からのコースには、寺宝の「三浦義明坐像」の刺繍が入った御守がつきます。
黒と白、どちらになるのかはまだ考え中だそうです。楽しみですね!
プロジェクト限定のサコッシュバッグ
10,000円以上のコースには、サコッシュバッグがつきます。
こちらはまだ制作中ですが、襖絵の虎をデザインがあしらわれる予定です。帆布を使ったかなり丈夫なショルダーバッグだそうで、普段使いもできそうですね。
プロジェクト限定御朱印帳
20,000円からのコースは、襖絵の雲竜図をあしらった御朱印帳です。
プレミア拝観券
30,000円からのコースのリターンは、通常は年に一度、11月3日の文化の日にしか公開しない庭園や襖絵を、ご住職の解説と共に拝観できる貴重な体験です。
春と秋の2回を予定していて、普段の特別公開日とはまた違った風景が見られることでしょう!
今回は和樂webにだけ特別に、「初夏」のお庭を拝見させていただきました!
満昌寺の庭は奈良の大仏がある「東大寺」や、世界遺産の「天龍寺」の庭園を管理している曽根造園の先代親方、故・曽根三郎さんが手がけました。
平成4(1992)年、古い庭を改装するにあたり。同じ臨済宗で交流のあった天龍寺との繋がりで曽根造園と知り合い、全てお任せする形で庭を作っていただいたそうです。
関東地方……とくに鎌倉周辺は水を引いて池を作る庭が多い中、枯山水の庭はとても珍しく、石も木もすべて京都から取り寄せたものです。
そしてその庭の造りのテーマは仏教の教えに沿ったとても面白いものでした。
波打ち際で遥かな世界を思う蓬莱庭
まずメインとなるのは「蓬莱庭」と名付けられた庭です。特別拝観の時には、ここで庭を眺めながら抹茶を頂けます。
奥に聳え立つ岩は、仙人が住むという伝説の山「蓬莱山(ほうらいさん)」に見立てています。そこから湧き出る水を白砂と白砂利で表し、手前にある海へと繋がります。
横須賀は海がすぐ近くにあり、その向こうには房総半島や伊豆半島が見えます。そういえば伊豆半島の向こうには、平安時代に「ここが蓬莱山だ」といわれた富士山が見えますね。
そんな横須賀の海に立った時に感じる「目にはみえるけど手は届かない別の世界」という感覚を、満昌寺で感じました。
禅宗特有の花頭窓から見る庭
「花頭窓(かとうまど)」とよばれる禅宗独特の形の窓から見えるのは、「つくばい」と杉の木です。
「つくばい」とは、茶室に入る前に手を清めるためのもので、庭の奥には茶室があります。そして、杉の木は京都北部に分布する「北山杉」を植えたもので、こちらも茶室の庭に重用されました。
仏の教えを身近に感じる素心庭
そして3つ目に案内された小さな庭は、仏教の教えを感じることができる庭でした。
一本の木と2つの岩、そして苔というシンプルな作りですが、天高く聳え立つ木から、お釈迦様の教えが降りてきて地面に伝わり、人間の素直な心に届くという意味が込められています。
ちょうど私が伺った時には、梅雨の晴れ間に新緑の葉が輝いていていました。
岩は君が代にも歌われている「さざれ石」、そして木は「イロハモミジ」という品種です。
横須賀市は気候が温暖であり、台風によって飛んでくる海の水によってダメージを受けやすいので、京都や日光のような真っ赤な紅葉はなかなか見られません。
しかし、曽根造園さんが温暖な気候でも真っ赤になる紅葉を選んで植えてくれたそうです。クラウドファンディングのリターンによるプレミア拝観では、真っ赤に染まった紅葉の素心庭が見られますよ!
満昌寺本堂 観世流能楽 特別鑑賞券
今回、私が思わず「マジかよ……」と呟いてしまったのが、50,000円以上の寄付のリターンにある「特別鑑賞券」です。
三浦義明の菩提寺である満昌寺の本堂で……! 室町時代から続く観世流が! 三浦義明ゆかりの能を舞う……!?
このリターンが可能になったのは本当に偶然が偶然に重なった結果です。
今回、能楽を披露してくださる観世流の清水義也さんの息子さんが歴史が興味があり、たまたま今年(2020年)の1月にご家族で「三浦一族ゆかりの地めぐり」をしていて、満昌寺に寄り、ご住職とお話をしたそうです。その時に、能には三浦義明が登場する『殺生石(せっしょうせき)』という演目があるという話をしました。
殺生石の伝説
平安時代、鳥羽上皇が原因不明の病に倒れ、陰陽師が占ったところ、上皇が寵愛していた「玉藻(たまも)の前」が原因とわかり、正体である「九尾の狐」の姿を現して栃木県の那須地方へ逃げました。
鳥羽上皇は関東地方の猛将だった三浦義明・千葉常胤・上総広常の3人を九尾の狐退治に派遣し、3人は見事討ち取りました。
すると九尾の狐は石に変化し、毒をまき散らします。近づけば人間や鳥や動物もバタバタと死んでしまうので殺生石と名付けられました。南北朝時代に僧侶によって破壊され四方に飛び散り、呪いは治まりました。
殺生石の伝説の地は、現在も那須塩原にあります。近づくと死んでしまうのは、高濃度の火山性ガスによるものでした。
殺生石の伝説は室町時代におとぎ話や能で表現され、江戸時代にも人形浄瑠璃や歌舞伎でも題材にされました。「九尾の狐」や「呪いの石」のモチーフは現代でもアニメやゲームで使われてますね!
お寺で能を楽しむ贅沢な時間
満昌寺が今回クラウドファンディングの計画を立てた時に、清水さんに話をもちかけたところ、快く引き受けてくださったそうです。
とはいっても、お寺には能楽堂はありません。しかし清水さんは、「本堂でやりましょう」「特別な照明はいりません。自然光の中でやります」と力強く言ってくれたそうです。
これぞ、能楽師の真骨頂……。
当日は、このように椅子を置いて鑑賞します。この至近距離で、一流の能を鑑賞できるなんて、室町時代の将軍だってそうそう無かったと思います。きっと一生忘れられない光景になるでしょうね……。
満昌寺を未来に残そう!
満昌寺は年に一度の特別公開日の他に、事前に予約すると拝観できる寺宝があります。
本尊である「華厳釈迦像」と中興の祖である「天岸慧広坐像」です。共に南北朝時代の作と見られています。
「華厳」とは、仏教の修行を花にたとえて、それが開花することで仏になるという教えです。満昌寺の華厳釈迦像はがっしりとした体格の像で、ちょっと「横須賀は坂東武者の地なんだな」という趣を感じますね!
天岸慧広(てんがん えこう)は中国へ渡って仏教を学び、帰国した後、鎌倉に報国寺を建立した高層です。晩年になって廃れていた満昌寺へ招かれ、臨済宗として再興しました。現在までしっかりと満昌寺が残されているのは彼のおかげですね!
木造は写実的で、死後まもなくの頃に作られたのだろうと言われています。
そして、寺の裏手にある階段の先に、三浦義明を祀る御霊神社と、墓があります。
三浦義明は地域の英雄として地元民に愛されているだけではなく、全国にいる「三浦一族の子孫」たちの先祖として、またその雄姿に魅了されたファンの人たちなど様々な人から敬愛され、命日である8月27日の供養祭には多くの人が参拝に訪れます。
地域の歴史と多くの人の心の拠り所を守り、更なる未来へと届けるために、修復費用をクラウドファンディングで募ること計画しました。
住職の永井宗寛さんは「ご理解の上、ご協力していただければ幸いです」とおっしゃいます。
支援者の方に楽しんでもらえるようなリターンを数々用意されていて、ご住職自身、今からお返しするのを楽しみにしている様子が伝わってきました。
鎌倉武士 三浦大介義明公墓所を未来へ残したい! 源頼朝建立 満昌寺台風被害復旧プロジェクト
支援募集期間 2020年6月1日(月)〜9月30日(水)
目標金額 8,000,000円
URL:https://a-port.asahi.com/projects/gimeizan76/
臨済宗建長寺派 義明山 満昌寺
住所:神奈川県横須賀市大矢部1-5-10
公式サイト:https://manshoji.com/
アクセス:
JR 横須賀駅・京急線 横須賀中央駅・汐入駅からバス
「三崎東岡」「三崎港」ゆき「衣笠城址」下車、徒歩5分
(*京急のおトクなきっぷ「三浦半島1DAY・2DAYきっぷ」圏内です )
「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧
「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!
1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)