鬼滅の刃の主人公・炭治郎たちの敵として登場する鬼。鬼のなかでも人気の高いキャラクターが、劇場版にも登場する「猗窩座(あかざ)」です。彼の全身に見られる入墨のような模様にも注目が集まっています。彼が人として生きていたのは江戸時代。この時代の入墨は刑罰、ファッション、愛のカタチ、さまざまな意味合いがありました。今回は江戸時代の入墨事情を探っていきたいと思います。
江戸時代に再び花開いた入墨の風習
入墨を施す風習は、日本では古くからおこなわれていたといわれています。その証拠に日本で出土した土偶や埴輪の人型には入墨を模す線刻が見られます。また、『古事記』や『日本書紀』などでも入墨の風習があったことが記録として残されています。
ですが、時代とともに人々の美意識が変わり、そのような入墨の風習はいったんは息をひそめます。そして、再び開花したのが江戸時代です。遊女や鳶職の間で一気に入墨の風習が広まりました。
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遊女が入墨をいれた理由は?
さて、遊女の入墨とはどんなものだったのでしょう?
その多くは、なじみの客との間で永遠の愛を誓うため、腕や手の甲、親指のつけねなどに「入れぼくろ」の入墨をしたと言われています。ですが、これはあくまでも疑似的な恋愛。現在も性風俗に従事する女性はいるものの、さすがになじみの客の入墨を入れるなんてことはなかなかないでしょう。それでは、なぜそれほどまでして客の気持ちを自分に向ける必要があったのか? それは遊女たちが背負っている重い事情にあります。
遊女はもともとは親や女衒から売られた娘がほとんどです。そのため、彼女たちは莫大な借金を抱えて働いていくことになります。そして、その借金を返済しなければ年季が延びるという事情があります。それでなくても、遊女は廓の中で年季があけるまで、外にもあまり出されることなくずっと一日中客を取らされます。早く借金を返済して、自由の身になりたいと考えるのは当然でしょう。客が来ない日々が続くと、借金返済が遅れるだけでなく、厳しい折檻をされます。
しかし、ひたすら稼げばよい訳でもありません。遊女のなかでも位の高い花魁まで上りつめると、それだけの格式を整えるため、豪華な衣装から室内の調度品、妹分を付ける費用など莫大な経費が自分持ちとなり、結果年季が延びるということにも。逃亡防止のために外出は極端に制限され、不衛生な妓楼で一日中客をとらされました。こうした暮らしは、不健康な上に病気や中絶など、体に大きな負担をかけることになるため、若くして亡くなる遊女も多くいました。遊女からすればまさに生き延びるためにここから逃れることが何よりの関心事でした。だから、それほど好きでない相手にも必死になり、一生懸命客の気をひいたのでしょう。そのためには、入れぼくろも相手の名を体に刻んだ入墨も厭わなかったのだと思います。
ちなみに当時の遊女は、客との間に恋愛関係を結ぶことも許されていませんでした。もし、客と本気の恋愛関係になってしまい、逃亡や心中をされてしまえば、妓楼としては売上を回収できません。それを阻止するためにそんな兆しがあれば頻繁に折檻が行われました。仮に逃亡や心中をされてしまえば、その妓楼の評判はがた落ちです。逃亡が成功したら、他の遊女も同じように逃亡を企てるでしょうし、部屋の中で心中されればその部屋は事故物件、客にすればとてもそんなところで恋愛気分には浸れませんよね。
入墨姿が仲間の証! 鳶職の男性たち
一方で鳶職の男性たちの間で入墨文化がはやったのは、肌を見せる機会が多かったからといわれています。彼らは普段、仕事に邪魔な着物を着ず、ふんどし一枚で仕事をすることが多かったため、肌が露わになり、それを隠すために入墨を入れるようになったとか。そして、江戸時代の鳶職は鳶であると同時に火消しでもあったため、入墨を施した勇敢な戦士として、江戸の「粋」の象徴としてかっこいいものとして受け取られるようになりました。
鳶職の男性たちはそれぞれグループに分かれて、地域の火消しを担当していました。そのため、いろは四十八組の町火消仲間意識や団結力が大事とされていたとか。そして、仲間の証として同じ図案の入墨を彫ったということもあったそうです。また、若者が新しく鳶の世界に入ったときには、町内の旦那衆やグループの年長者などがお金を出し合って若者に彫らせるということもあったそうです。このように、鳶職が入墨を施すということは美意識として捉えられ、仲間との連帯感を出すためにも必要なものであり、入墨を施さないと恥ずかしいということもありました。
彫師に支払う料金は?
江戸時代に広まった入墨ですが、実はけっこう高価なものだったようです。当時の金額で5~7両(約40~56万円)ぐらいかかったとか。とはいえ、遊女も客を引き留めるためには必死でしたし、鳶職も高給取りです。どちらも出せない金額ではなかったのでしょう。
現代のようなセーフティネットがなかった江戸時代に、若くして借金を背負わされて売られた遊女も、火事から江戸の町を守ろうとした鳶も、貧しい家に育った猗窩座も、大切な人を守るため過酷な人生を必死に生きたのだと思います。
江戸時代の入墨文化は、そんな様々な人達の生活の中に溶け込んでいたのでしょうね。
◆参考文献
山本芳美 2016 『イレズミと日本人』平凡社
山本芳美2005『イレズミの世界』河出書房新社
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