葛飾北斎は、日本だけでなく、欧米をはじめ世界各国で高く評価されている浮世絵師です。90歳で亡くなる直前まで、独自の画風を求め続けました。そんなエネルギッシュな北斎の生き様を描いた映画『HOKUSAI』が、現在劇場公開中です。コロナ禍で苦しむ私たちに、生きるヒントを与えてくれそうです。
北斎の青年期を演じた柳楽優弥さん、老年期を演じた田中泯さんに、役作りや、作品に対する思いをお聞きしました。
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世界的人気の北斎役に挑む
ーー葛飾北斎役のオファーがあった時は、どう思われましたか?
柳楽:圧倒的に世界で人気の北斎を演じられるというのは、とても楽しみでした。毎回自分の演じる役柄について知らなければと思っているので、今回も資料を集めて勉強しました。
田中:(北斎は)人として大好きですし、私の演じる年頃が、ちょうど今差しかかっている年齢でもありますし。私にとっては、とんでもないタイミングで、こういう仕事が来ましたね、という感じです。
ーー北斎にどんなイメージを持たれましたか? また演じるために工夫されたことを教えてください。
柳楽:面白いなと思いました。若い頃の北斎は、本当に謎に包まれているじゃないですか。当時の正しい記録が残されているわけではないので、想像で北斎像を作り上げていく作業になるだろう、と思っていました。もちろん、台本の中での流れはできているのですが、自分の想像だけで挑むべきではないなと感じたので、現場に入る前に監督といろいろコミュニケーションを取りながら、僕たちの作る映画ならではの“北斎像”を作り上げていこう、という話をしました。
田中:僕はあんまり演じるなんて思ってなくて、とにかくその人が生きていたら、どんな格好で歩き、どんな顔をして、どんな風な表情を刻々としているんだろうか(を考えて)、その人を自分にできる限り引き寄せて、その人のように、瞬間瞬間ですけども、生きてみたい、というんでしょうか。それはセリフもひっくるめて。だから、北斎という人が今生きていたら、その人の身体の中にそろりと入ってしまうようなことが、夢想ですけど、理想なんですよね。
例えば「肩は上がっているんだろうか」とか、「首は前に突き出しているんだろうか」とか、いろんなことを考えながら演じました。まず、身体がその人であるべきだと思います。僕は元々俳優を目指したのではなくてダンサーなので、その方が演技が深まると思ってやっています。
追い込まれて、生死の境まで行き着いた北斎
ーー橋本一監督と話し合いながらの役作りだったのでしょうか?
柳楽:青年期については、ほとんど資料が残っていないので、監督もわからないと言っていました(笑)。実際に撮影現場に行ってみて、ロケーションなどを見てみないと、全然わからなかったんです。でも、“反骨精神”や“諦めない気持ち”、“負けず嫌い”だったということが原動力になっていたので晩年も輝けたんじゃないか、と監督がおっしゃっていたことがヒントになったと思います。
自信を失い、自暴自棄になった北斎が海に行くシーンがあるんですが、どういうきっかけで波を描こうと思ったんだろうと、現場入りする前から考えていました。現場で海を見た時、一度、人生を諦めようとしたのではと思いました。生きることと死ぬことの狭間の、深い境地に達したんじゃないか、ということを監督と話し合いました。ただ、それは僕たちの答えなので、正しいかどうかはわかりません。でも、そのくらい追い込まれた瞬間もあるんじゃないかということを想像して、それを信じてやっていました。
田中:台本に沿ったところでの会話を随分させていただきましたね。そのときの北斎のありようというか、そこまでは興奮しないんじゃないだろうか、とか。いろんなことを会話しました。
ーー実際に絵の練習はされたのですか?
柳楽:一日2時間、10日間ほど練習しました。舞台の仕事の合間に練習に行って教えていただきました。本当に基本的なことで、線を描いたり、筆を2本持ちする描き方で、「ぼかし」という技法があるんですが、そういう技をそれっぽく見えるようにするために、しっかり練習しました。2本持ちは、北斎も実際にやっていたのではないかと言われていますが、意外と難しかったです。
田中:やってみたけれど、全然ダメですね(笑)。本当にお恥ずかしいですけど。浮世絵を描くのは難しいですよね。決して真似事でできることじゃないと思います。
北斎を2人で演じる極意
ーー北斎の青年期と老年期を演じるのに、すり合わせはされたのでしょうか?
田中:ほとんどしていません。監督が「最初の撮影でダブって見えます」とはっきりおっしゃったので、「よし」と(思って)あとは思うようにやっていました。
ーーお二人が、それぞれ自分の目を指しながら話す場面が印象に残っています。
柳楽:滝沢馬琴の書いた文章に挿絵を入れる場面で、「俺にはそう見えたんだ」と言いながら、自分の目を指しています。“自分の見たものを信じる”という意味でこの仕草を取り入れました。
田中:同じような動作を、柳楽さんもしていると監督から聞きました。お互いの演技は、見ていないんです。模倣するのではなくて、一人の人物として繋がっていくことを監督は求めていましたし、僕もそうあるべきだと思いました。実際にある年齢から、がらっと変わる人はいますからね。
柳楽:泯さんがベロ藍の絵具をかかげて、雨の中舞うシーンを見させていただいたのですが、それが本当に素晴らしかったんです。
田中:撮影現場の京都で柳楽君を見た時に、物腰が北斎にぴったりだなと思いました。納得のいく北斎の若い世代を作っていくんだろうなと思いましたね。
映画の現場が、高みへと引っ張ってくれた
ーー印象に残っているシーンはありますか?
柳楽:阿部 (寛) さんが大好きだったので、今回北斎を生み出す名プロデューサー・蔦屋重三郎という役柄で、共演シーンが多くて嬉しかったです。北斎が海に行って自分の得意分野を見つけて江戸へ戻り、蔦重(蔦屋重三郎)さんと再会する場面が印象に残っていますね。「いい顔になったじゃないか」という言葉をかけてもらいますが、北斎は描き上げた波の浮世絵を見せて、「いらねえならいいよ」と開きなおったような言い方をします。これは、自信が持てるようになったからこその言葉です。浮世絵に書いた北斎の名前を、「北極星にちなんだ名前なんだ」と言うのも、心に残るいいセリフです。これは決して動かぬ星であることから、北斎が名づけた実話からきている言葉でもあります。
ーー柳亭種彦の斬られる幻想を見て、その後に生首図を描く田中さんがすごい迫力でした。
田中:普通人間って多くは一人分の人生を生きているわけですよね。決して北斎の人生を僕が生きられるわけではない。でも北斎になろうと思うことはできる。こういうチャンスをいただいて、大勢の人の前で北斎になっているわけですよね。それは幸せなことだろうと思うし。多分僕が日常的にやろうとしても、頑張っても多分いかない、“ある高み”があると思うんですよね。それは北斎がとんでもない人だったから。そのとんでもないところに引っ張り上げてもらえる、そういう時間が出現するんですよね。この映画を作る、という全体の力が、そうさせてくれているんだろう、と思うんです。絵を描いている北斎がいるという現場が、その場所と時間が、架空のものではあるんだけれども、まるで現実のような時間に変わっていくわけですよね。起こらないことを起こしていくというのが、映画の力だと思います。まだ見ぬ映画の力だと思います。
演じてみて感じる北斎という人物
ーー北斎を演じてみて、どんな人物だと思われましたか?
柳楽:絵を描くことが本当に好きだったんだな、と思います。もがき苦しんでいた時期は、悔しい気持ちも、もちろんあったと思うのですが、自分の生涯通して信念を貫き通し、あれだけ追求できるというのは、「好きこそものの上手なれ」ということわざを体現しているみたいな人なのかな、と感じました。本当に研究熱心で勉強熱心な人で、「諦めない」という精神で徹底的にやっている感じがします。もちろんその性格のために相性の合わない人もいたのではないか、と思う場面もありましたし、また、孤独な人だったのではないかとも感じました。北斎という世界的に有名なこれだけのスターが、売れていない時期があった、ということが嬉しかったですね。北斎でさえもそういう時期があったんだな、ということに少し夢を感じました。
田中:北斎は、自分の生きる時代の常識とは何なのか、絶えず意識を働かせた人だったと思います。さんざん引っ越しをしたり、名前を変えたり。定住して自分の家を持って、名前を売って有名になろうとは考えていない。世の中の逆を行っている訳ですよね。僕自身も、世の中の常識には絶えず警戒して、変えちゃいけないものなのかを考えます。
ーー北斎のチャレンジ精神に共感されますか?
田中:それは、しますよ。たった一回ですよ、生きられるのは。北斎は年をとっていくことにも、世間の常識にくみしなかった。北斎のように「ああ、生ききった」と言えるような最期を迎えたいですね。単に生きることだけに執着したのではなく、もっといい絵を描きたい、もっと自分の納得する絵を描きたいというのが、北斎の生きる意味だったんだと思います。今、まさに時代が変化してきて、私たちは渦中にいると思います。映画を観る人に、北斎の常識にとらわれない素晴らしさが伝わったらいいなと思いますね。
柳楽優弥プロフィール
1990年生まれ、東京都出身。是枝裕和監督作品『誰も知らない』(2004)にて、第57回カンヌ国際映画祭最優秀男優賞を日本人初、史上最年少で受賞。以降、映画・テレビ・舞台で幅広く活躍。主な映画出演作品は、『シュガー&スパイス風味絶佳』(06)、『包帯クラブ』(07)、『すべては海になる』(10)、『許されざる者』『ゆるせない、逢いたい』(13)、『クローズEXPLODE』『闇金ウシジマくんPart2』『最後の命』(14)、『合葬』(15)、『ピンクとグレー』『ディストラクション・ベイビーズ』(16)、『銀魂』シリーズ(17・18)、『散り椿』(18)、『夜明け』『泣くな赤鬼』『ザ・ファブル』(19)、『ターコイズの空の下で』(21)など。待機作に映画『太陽の子』、ドラマ「二月の勝者-絶対合格の教室-」主演の他、今年の冬には、W主演作「浅草キッド」がNetflixで全世界同時配信予定。
田中泯プロフィール
1945年生まれ、東京都出身。74年に活動を開始し、78年にルーブル美術館において海外デビュー。2002年の『たそがれ清兵衛』でスクリーンデビュー、同作で第26回日本アカデミー賞新人俳優賞、最優秀助演男優賞を受賞。ほか、主な映画出演作は『隠し剣鬼の爪』(04)、『メゾン・ド・ヒミコ』(05)、『八日目の蝉』(11)、『外事警察 その男に騙されるな』(12)、米映画『47RONIN』『永遠の0』(13)、『るろうに剣心 京都大火編 / 伝説の最期編』(14)、『無限の住人』『DESTINY 鎌倉ものがたり』(17)、Netflix映画『アウトサイダー』『羊の木』『人魚の眠る家』(18)、『アルキメデスの大戦』(19)、韓国映画『サバハ』(19・未公開)。近作に『いのちの停車場』、『峠 最後のサムライ』(21)。
5月28日(金)劇場公開! 映画『HOKUSAI』
工芸、彫刻、音楽、建築、ファッション、デザインなどあらゆるジャンルで世界に影響を与え続ける葛飾北斎。しかし、若き日の北斎に関する資料はほとんど残されておらず、その人生は謎が多くあります。
映画『HOKUSAI』は、歴史的資料を徹底的に調べ、残された事実を繋ぎ合わせて生まれたオリジナル・ストーリー。北斎の若き日を柳楽優弥、老年期を田中泯がダブル主演で体現、超豪華キャストが集結しました。今までほとんど語られる事のなかった青年時代を含む、北斎の怒涛の人生を描き切ります。
画狂人生の挫折と栄光。幼き日から90歳で命燃え尽きるまで、絵を描き続けた彼を突き動かしていたものとは? 信念を貫き通したある絵師の人生が、170年の時を経て、いま初めて描かれます。
公開日: 2021年5月28日(金)
出 演: 柳楽優弥 田中泯 玉木宏 瀧本美織 津田寛治 青木崇高 辻本祐樹 浦上晟周 芋生悠 河原れん 城桧吏 永山瑛太 / 阿部寛
監 督 :橋本一 企画・脚本 : 河原れん
配 給 :S・D・P ©2020 HOKUSAI MOVIE