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神の在り方としてボッチがデフォルトだった古き佳き時代は、古事記で七代、日本書紀では三代を境に終焉を迎える。ついにカップル神が誕生してしまうのだ。
鉄の時代の始まりである。
次に成りし神の名は宇比地邇神(うひぢにのかみ)、次に妹、須比智邇神(すひちにのかみ)。次に角杙神(つのぐひのかみ)、活杙神(いくぐひのかみ)。次に於母陀流神(おもだるのかみ)、次に阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)。次に伊邪那岐神(いざなぎのかみ)、次に伊佐那美神(いざなみのかみ)。(古事記)
次に神あり、埿土煮尊(うひじにのみこと)、沙土煮尊(すひぢにのみこと)。次に神あり、大戸之道尊(おおとのじのみこと)、大苫部尊(おおとまべのみこと)。次に神あり、面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)。次に神あり、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)。(日本書紀)
一気に4組、しかも名前だけでは何神かさっぱりわからない神々の爆誕だ。
1番目、3番目、4番目は表記こそ違うが音はほぼ同じなので同一神と見てよいだろう。
一方、2番目の角杙神&活杙神と大戸之道尊&大苫部尊は、どうやら異なる神格であるらしい。ただし、日本書紀は例のごとく「一書に曰く」で角樴尊&活樴尊として紹介している。
そこで、念の為4組8柱のプロフィールをそれぞれ確認しておきたい。
どんなカップル? 4組8柱のプロフィール
まずはカップル神筆頭、ウヒジニ/スヒチニだが、日本書紀では表記が埿土と沙土となっていることから、泥と砂の神とみられている。宇宙開闢の次の段階で生まれたのが泥砂の神とはなんだか意外だが、どうやらこれは後に出てくるイザナミ/イザナギ神話の伏線であるらしい。つまり、固い土地はイザナミ/イザナギが造ったことになっているので、この時点ではまだ泥と砂しかない、というわけだ。なかなか理屈っぽい。
さて、次。古事記では二番手のツノグイ/イクグイの名は複数の解釈がある。
ひとつはクイを杭とする解釈だ。この場合ツノグイは角のように尖った杭、イクグイは生命力に溢れた杭、になるらしい。生命力に溢れた杭? なんだそれ。
異説もある。クイは地中から植物が生える様子を表現する言葉とする説だ。この場合ツノグイは地面から角のように突き出した芽、イクグイは生命力の溢れた芽、となる。
現代人の感覚だと“生え出る芽”の方が神様っぽいが、古代農耕民には前者も十分神になりうるらしい。というのも、田んぼを開墾する際、沼や湿地帯の余分な水を排水する作業として杭打ちは大変重要なのだそうだ。よって、世界が泥濘だった時代に生まれた杭の神とは、地を固める重要作業を担う神、と理解できるという。なるほど。
一方、日本書紀で二番手となるオオトノジ/オオトマベは大きい門の男、大きい門の女、つまり境界を守る防塞神と考えられている。彼らが境界の門神だとすると、ツノグイ/イクグイはやっぱり杭の神なのかもしれない。杭は境界にもなるからだ。
三番手のオモダル/カシコネも大変解釈が難しいとされている。
単純に字義の通りだと面足は「面が足る」つまり「顔面が出来あがった」、惶根は「あやかしこ」つまり「大変恐れ多い」という意味になる。
って、全然わからんやないか~い! 髭男爵・山田ルイ53世が呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンである。
「顔面が出来上がる」も意味不明だし、名前が感嘆詞なのもおかしい。
もっとしっくりくる解釈はないのかと資料を色々見てみたが、オモダルが身体の完成、カシコネはそこに宿る精神の完成を象徴するとする説、男神が女神に「あなたって超美人」と褒めたのに対し、女神が「まあ何と恐れ多いことでございましょ♡」とデレたやり取りが神名になったと解釈する説など、諸説紛々で結局なにがなんだかさっぱりだった。
特に、会話が神名になるって本当に意味がわからない。現代ギャル語に訳してみるとオニカワノカミとヨセヨテレルゼノカミ、みたいになっちゃうわけでしょ? なんでも、古代には「完成した肉体に讃美の言葉をかけることで命と魂を宿らせることができる」とする観念があったそうで、それが根拠になるらしいのだが、なんだかなあ。
結局のところ、誰もが支持するバシッとした説は無いようだ。数千年経つと神の名の意味も失われてしまうと思うと、何やら感慨深い。あるいは、ご先祖たち、案外テキトーに付けただけなのかもしれない。後世に残るなんて思ってもいなかった、みたいな。あり得る気もするのだが、さて。いずれにせよ、両神とも「発生の力」を意識した名前であることだけは間違いないようだ。
そしてオーラス。いよいよ日本神話界きってのビッグカップル・イザナギ/イザナミが登場する。なにせ、手に手をとってドロドロだった海をかき混ぜて固形化する大技で島を作り、そこでアイランド・ウェディングをやって様々な島や神々を生んだとする「国生み神話」の主役だ。
名前は「いざなう」、つまり「さそう」という意味の「いざな」に、男性を示す接尾語のキと、女性を示す接尾語のミがくっついたとされる。よって、誘う男神と誘う女神、という意味になる。
では、彼らは何を誘い合っているか。
これはもうずばり「交合」、つまりセックスだ。
あら嫌だエッチ! と思ったかも知れないが、神が性の営みをすることで万物が生じるとする神話はなにも日本に限ったことではない。そもそも地球上の生物種のほとんどは雌雄の交合によって新しい生命を育むのだから、その行為自体が神とみなされてもちっともおかしくはない。生命誕生の原理を讃えた名前と考えれば、実によい名前だ。
だがしかし、このカップル、偉大だけれども、同時に大変お騒がせでもあった。最後には離婚までしてしまう。日本最初の結婚が最初の離婚になるなんて、古代日本人ってとっても現実主義者だったんですね! 生まれながらのリア充だったにもかかわらず、最終的にはボッチに帰結したわけなので、ある意味我が主張を補強するような神生をたどったお二方だが、この辺りについてはまた改めて触れることにしよう。
とにかく、イザナギとイザナミの間には火の神や水の神、山の神、海の神など森羅万象の神々が生まれたが、中でも特に優れた三神がいた。
太陽神・天照大神、月神・月読尊、海洋神・素戔嗚尊の三柱だ。
そして、彼ら三貴子こそ、「日本は神ながらのボッチ国」説を補強してくれる希望の星なのだ! どんな風に希望なのか! 待て次回!
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