圧倒的な存在感を誇るスーパースターっていますよね。今であれば、大リーグで活躍中の大谷翔平くんでしょうか。でも、もし今、生きていれば、大谷君を超えたかもしれない人物がいるんです。400年以上の時を経てもなお人気があり、多数の歴史小説はもちろん、ゲームのキャラクターやドラマ・映画の主人公となっている人物。そう、私の推しである織田信長です! 取り上げられた作品数は、500作品以上で、まさに時を超えたスーパースターといえます。
2023年の大河ドラマ『どうする家康』では、岡田准一が、7月から始まる日本テレビ系ドラマ『新・信長公記』では、King&Princeの永瀬廉が演じます。やはりイケメンが演じるのが信長のイメージなのですね~。
信長は、武士の家に生まれ、若くして家督(かとく)を継ぎ、誰もなし得ないことを次々と達成し、時代を切り開いた男といわれます。そんなジェットコースタードラマのような信長の人生をご紹介します。
戦乱の世に生を受けたエリート信長は幼くして城持ちに!
信長は、尾張西部にあった勝幡(しょばた)城主で、尾張(おわり)の守護(しゅご)※の補佐役である守護代の織田家に仕えた三奉行の一人、織田信秀(のぶひで)と正室・土田御前(どたごぜん)の嫡男(ちゃくなん)として、1534(天文3)年に誕生。幼名は吉法師と呼ばれました。
父・信秀は織田家の中でも津島湊を押さえ、経済的にも力を持ちます。そして、尾張に勢力を伸ばしていた駿河(するが)や遠江(とおとうみ)の守護大名・今川氏の居城の一つであった那古野城(なごやじょう)を攻め落とすなど、勢力を拡大していきます。
信秀が古渡城(ふるわたりじょう)を築いて居を移すと、那古野城は、幼い信長に託されます。林秀貞(はやしひでさだ)や平手政秀(ひらてまさひで)ら4人の宿老を付けられるなど、後継者としてみなされた人物だったといえます。
13歳で元服した信長は、なんと大うつけ(大バカ者)と呼ばれていた
1546(天文15)年、信長は、13歳で元服(げんぷく)※を迎えます。翌年には、三河での戦いで初陣(ういじん)を飾り、戦乱の世を生き抜くのがまさに運命と、戦国武将への道を駆け上がっていくのです。
しかし、若気の至りからか、信長は、奇抜なファッションや突飛な行動を繰り返し、周囲から「大うつけ(大バカ者)」と呼ばれるようになります。当時、信秀は美濃や駿河から激しい攻撃を仕掛けられ、苦しい状況が続いていました。信長のうつけぶりは、家臣たちにとって悩みの種となります。そこで織田家に長年仕える政秀の計らいで、美濃の斎藤道三と和睦し、娘の帰蝶(後に濃姫と呼ばれる)との婚姻が成立します。この時、信長16歳、帰蝶15歳でした。
若き信長を襲った悲劇。父の死と織田家の内輪もめ
これでようやく落ち着いてくれると思った矢先、今度は信秀が病に倒れ、没してしまいます。そのため、信長は18歳という若さで家督を継ぐことになり、織田家当主となります。ところが、一筋縄ではいかないのがこの織田家。外敵だけではなく、実母が推す弟、信勝(のぶかつ)をはじめ、清須(きよす)城主で守護代の織田信友(のぶとも)、岩倉(いわくら)城主でもう一人の守護代の織田信安(のぶやす)、信長のいとこであり、犬山城主である信清(のぶきよ)が、隙あらば信長を討ち取ろうと、内紛は避けられない状況となっていきました。実際、弟・信勝に二度裏切られた信長は、仮病を使って呼び寄せ、殺してしまいます。
身内すら敵か味方かもわからない過酷な状況の中で、後ろ盾であった父を失ったことへの不安もあったのでしょう。信秀の葬儀に、信長は派手ないで立ちで現れ、位牌に焼香を投げつけるという蛮行でひんしゅくを買います。このように若い頃から破天荒なイメージが常につきまとっていました。
父の死に「盛大な葬儀をしている場合か!」若き大うつけ織田信長の尾張統一物語
桶狭間の戦いで今川義元を討ち取り、一躍スターダムに!
そんな信長の地位を確かなものへと導いたのが、あの有名な「桶狭間(おけはざま)の戦い」でした。当時、27歳の信長が、駿河・遠江・三河を支配していた今川義元(いまがわよしもと)を、わずか4000名弱の兵で討ち取り、全国の大名たちにその名を轟かせます。
1560(永禄3)年5月12日、義元は2万5000人の兵を率いて出陣。この時、義元42歳、まさに脂ののった名実ともに海道一の弓取りでした。一方、尾張国を平定したとはいえ、27歳の信長は、百戦錬磨の義元の足元にも及ばない若輩の武将。誰の目にもこの戦い、今川軍の勝利と思われていました。
しかし、次々と信長陣営を攻め落としていた義元に気のゆるみが生じたのでしょう。信長は、桶狭間で休息していた今川陣営を一気に攻めるよう命じます。その時、天が味方してくれたのか、突如大雨が降りだします。一瞬、敵がひるんだ隙を突く機敏な判断で、義元はあっけなく、討ち取られてしまったのです。
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美濃を制し、運の強さと機敏な行動力で躍進
桶狭間の戦いで大勝利を収めた信長は、武将としての名声あげ、家臣たちからの信頼を得て、美濃侵略へと邁進していきます。居城であった清須城から小牧山城へと拠点を移し、1567(永禄10)年、斎藤龍興(さいとうたつおき)の稲葉山城(いなばやまじょう)を落とし、美濃攻略を成し遂げます。そして斎藤氏の居城であった稲葉山城を岐阜城(ぎふじょう)と改名。ここから天下統一に向けての快進撃が始まるのです。
信長の躍進を大きく後押ししたのが、後に将軍となる足利義昭(あしかがよしあき)の存在です。当時、室町幕府は、将軍・足利義輝(よしてる)が、三好三人衆に討ち取られ、将軍不在の無法地帯となっていました。義輝の弟であった義昭は、幕府を再興させようと、各地の大名に援助を求めます。そこで、すぐさま反応したのが信長でした。美濃を平定し、次なるは京へ勢力拡大を目指したいと考えていた信長にとって、渡りに船だったのでしょう。こういった機敏な判断力が信長の強みだったのではと思います。
そして遂に、1568(永禄11)年9月26日、信長は義昭を奉じて上洛し、10月18日に義昭は征夷大将軍となります。こうして、信長は幕府の後ろ盾を得て、ますますその力を全国の大名に知らしめていきました。この時、信長35歳、徐々にスーパースターとしての風格を漂わせていきます。
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今で言ったらブランド好き? 高貴な茶道具を力任せに収集
信長が上洛後、松永久秀(まつながひさひで)より、茶人たちが崇めていた茶入れ「つくもかみ」を、堺の商人で茶人の今井宗久(いまいそうきゅう)から「松嶋ノ壺」などを進呈されます。これをきっかけにして、信長は茶の湯にのめりこんでいきます。三度の食事より、好きだったのでは? と思うほどの熱の入れようで、名物と呼ばれる高貴な茶道具を大名たちから献上させたなどのエピソードも残っています。
戦に明け暮れて、武神へと自らを追い込んでいった
天下へと昇り詰めていく信長には向かうところ敵なし、と言いたいところですが、見渡せば敵ばかりとなっていきます。各地で熾烈な戦いが繰り広げられる中、越前の朝倉義景(あさくらよしかげ)や近江の六角(ろっかく)父子らが、反信長へと態度を表します。1570(元亀元)年に起こった金ヶ崎(かねがさき)の戦いでは、約3万とも言われた織田・徳川連合軍が朝倉を降伏させる寸前で、背後より浅井長政の2万の軍に攻められ、危機的な状況に陥りました。これには、妹のお市の夫であり、同盟関係を結んでいた北近江の浅井長政(あざいながまさ)の裏切りがあったと言われています。これを機に、長政とは敵対関係となり、最後は信長に追い詰められ、自害します。
身内の中からも裏切りが出る中、不信感や不安が増大したのか、信長の激しい気性は高まる一方でした。各地で一向一揆が起こり、それらの勢力を抑えるべく、延暦寺の焼き討ちなど一般市民を巻き込んでの凄惨な戦いを繰り広げます。この頃から、残虐、無慈悲といった信長のイメージがさらに強くなっていきました。1582(天正10)年には、長年の宿敵だった甲斐の武田氏を滅ぼし、天下統一へとあと一歩に迫る勢いとなります。
歴史的大事件、本能寺の変が起こり、信長は自害へ
ところが、この年、史上類を見ない謀反が起こります。中国へと出陣したはずの明智光秀(あけちみつひで)が、信長の滞在していた京都の本能寺を襲撃。それがあの有名な「本能寺の変」です。天下統一に向けて幾多の激闘をともに戦ってきたであろう光秀に裏切られたことは、信長にとって青天の霹靂だったのか、あるいは自業自得と悟ったのか。1582(天正10)年6月2日、自ら命を絶ち、49歳の生涯を閉じました。
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なぜ、光秀が信長に謀反を起したのか。怨恨説、野望説、黒幕説など諸説言われますが、未だその真実はわかっていません。
どこをどう切り取っても、ドラマチックすぎる人生を駆け抜けた織田信長。スーパースターには、数多くの伝説がつきまといますが、信長もまさにそんな人生だったといえます。やはり、それだけ魅力的な人物であったことは間違いありません。そして、信長にはこんな一面もあったのですよ! 番外エピソードもお楽しみください!
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参考文献:『織田信長』 池上裕子(吉川弘文館)、『図説 織田信長』 小和田哲男/宮上茂隆(河出書房新社)
▼漫画『新・信長公記』はこちら
新・信長公記~ノブナガくんと私~(1) (ヤンマガKCスペシャル)