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2021.06.14

日本一の大天狗!西田敏行演じる後白河法皇、フリーダムでクセがスゴい【鎌倉殿の13人予習シリーズ】

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鎌倉御家人・三浦胤義(みうら たねよし)が語る! 令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』予習シリーズ! オレが何者かは第1回参照なッ!

今回は、日本一の大天狗こと後白河(ごしらかわ)法皇!! ……と言ってもなぁ……朝廷事情はあんま詳しくないんだ。だから、おさらいがてらの基本的な事だ。

天皇と上皇と法皇と院

まず日本を支配していたのは、もちろん「天皇」だ。摂政や関白、幕府の将軍が政権を握っている時もあったが、それはあくまで「天皇から政治を主導するようにと任命された」という形を取っているにすぎない。現代の総理大臣だって、「天皇から任命された」という形をとっているから、現代もそうだと言えるかもしれない。

で、天皇の代替わりは天皇が亡くなったらされるものだが、生きているうちに跡継ぎに譲ることを譲位(じょうい)という。平成から令和へと元号が代わる時の代替わりでは「生前退位」と呼ばれたな。まぁなんでこの呼び方なのかは色々と大人の事情があるんだろうから深くは触れない。

天皇の位を譲ったら、「上皇」と呼ばれる。これは「太上(だじょう)天皇」の略だ。そして退位後に出家すると「法皇(ほうおう)」と呼ばれる。

院号

そして、後白河法皇を「後白河院(いん)」と称する場合もある。「院」は元々は寺院や屋敷を表す言葉だが、上皇の尊称でもある。

天皇のお住まいは平安京にある「御所(ごしょ)」だが、退位すれば当然次の天皇のものだ。そこで上皇は引っ越しして、引っ越し先の住所で呼ばれる事になる。後白河院は白河と呼ばれた地域の法住寺殿(ほうじゅうじどの)に住んだ。以前にも白河に住んだ上皇がいたので「後白河院」と呼ばれる。

つまり後白河法皇という名前だけで、「退位した元天皇で、退位後に白河に引っ越した2人目。今は出家しているよ」という意味が込められているわけだ。

鎌倉幕府が守護地頭を設置したのは後白河法皇のせい?

鎌倉幕府の政策として、教科書で習うのは「侍所(さむらいどころ)・政所(まんどころ)・問注所(もんちゅうじょ)」「御恩と奉公」「守護・地頭の設置」だ。なんとなくこの用語を覚えている人も多かろう。その中の「守護・地頭の設置」には後白河法皇が関わっているんだ。

発端は源平合戦の後。文治元(1185)年11月のこと。源義経殿頼朝様の仲が悪化した時だ。京都から鎌倉へとある噂が届いた。

曰く、「義経殿が頼朝様に対して謀反を起こし、後白河法皇が頼朝追討の院宣(いんぜん=上皇の命令書)を下すかどうか話し合っている」というものだ。

その噂が鎌倉に届いた翌日、実際に後白河法皇は院宣を出してしまった。しかし後白河法皇は「義経に脅されて仕方なく出しちゃったんだよ」と言って、今度は頼朝様に「早く義経を捕まえてね」って院宣を出したんだ。

頼朝様、きっと怒りを通り越して呆れ果てちゃったんだと思う。大江広元(おおえ ひろもと)殿も「世も末だ」とぼやいたとか。

そして「どこに逃げたかわからない義経を探し、目撃情報があったたびに、いちいち鎌倉から派遣してたんじゃ、捕まえられるものも捕まえられない。効率よく動くためにも御家人たちが諸国を支配する事を認めてくださいよ」って言って、その権利をもらったのが「守護・地頭の設置」だ。

後白河法皇あだ名が日本一の大天狗な理由

さて、後白河法皇のあだ名に「日本一の大天狗」というものがある。このあだ名をつけたのは、頼朝様なのだ! これにもこの院宣事件が関わっている。

11月15日、後白河法皇から頼朝様への申し開きの手紙を持った使者がやってきた。後白河法皇の言い分はこうだ。

「義経に院宣を出した時は、きっと天魔に魅入られていたんでしょうね。義経ったら、院宣くれないと目の前で自害してやるなんて言うんだもん。だから仕方なく院宣を出しちゃったんだけど、本心は出したくないって思ってたんだよ。だからこれは出してないのと同じだよね!」

なにその言い訳。多分頼朝様もそう思った。けれど頼朝様も京育ち。オブラートに包んでこう返事した。

「いやいや、天魔のせいではないでしょう? 天魔は人が仏教を学ぶのを邪魔するだけなんだから。さっさと義経を捕まえればよかったものを、誰かさんがあっちにもこっちにも院宣出すから、義経は謀反を起こそうと全国を逃げ回り、私はそれを捕まえるためにまた全国に兵を派遣することになっちゃうんでしょ。これで国が疲弊して滅んじゃったらどうするんですか? 院の本心とやらに反して勝手に院宣を出しまくるなんて、日本一の大天狗の他に誰がこんな事できるのでしょう」

……うん。これオブラートじゃねえな。ただのセロハンテープだったわ。頼朝様、東国生活も長いからなぁ……。

ちなみに天魔とは、織田信長の名乗りでおなじみ、第六天魔王。仏教を人々から遠ざけようとする存在だ。そして大天狗とは……当時はさらに邪悪な存在でな、「大魔王」とも言われていた。国を揺るがすほどの魔力を持っているとされていて、しかも道を外した僧侶がなるものと言われていたからさぁ……。

……うん、みなまでは言わない。賢明な読者は察してほしい。頼朝様、ラップバトル強いなぁ……ははは……。

まぁそんな感じでイチ坂東武者として、後白河法皇の印象は恐れ多くも「何考えてるんだか、よくわからない人」なんだ。……800年以上も経った今だから言えるんだけど、正直、何も考えずにその場その場で動いてる感じするんだよなぁ。

でも改めて考えると、若い頃からそうやって生きてきて天寿を全うしちゃうんだから、恐ろしいお方だよ。

後白河法皇役、西田敏行殿について

そんな「フリーダム」という概念を擬人化したような後白河法皇を演じるのは、西田敏行殿!

源平を翻弄する、中世日本最大のトリックスター

私なりのアタックのしかたで、一般的な後白河法皇とはイメージが違うかもしれないけど「俺が演じた後白河法皇が真実だ」、というくらいリアリティーをもって演じたい。

NHK_PRサイト 西田敏行のコメントより抜粋

あ、もうこれ「フリーダム」の擬人化が後白河法皇じゃなくて、後白河法皇が概念化して「フリーダム」になるわ。しかも三谷殿と西田殿のタッグ。こちらの想像など余裕で越えるんだろうな……楽しみだ!

アイキャッチ画像:線刻銘「正一」『天狗牙彫根付』(「ColBase」をもとに制作)

書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。