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2021.10.03

いつ、何が起きた? 平将門の乱のをざっくり解説!

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令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に向けて、キャスト発表された人物の紹介をしているが、そろそろ関係や時系列が混乱して来るだろうと思って、並行して鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』を読んでみようシリーズを始める!

と言っても『吾妻鏡』って突然始まってるから、まずはその前提知識となる歴史から入ろうと思う! 思ってた! でもさ~、歴史ってブツブツっと、チョコモナカジャンボみたく切りよく切れなくてさ~。

源平合戦の途中から始まる『吾妻鏡』に入る前に、源平合戦の発端となった所から始めるとなると……頼朝様が流罪となった「平治(へいじ)の乱」から? でもなぜ平治の乱が起こったかを語ると「保元(ほうげん)の乱」も語らなきゃだし。保元の乱を語るなら坂東目線としては「大蔵(おおくら)合戦」も話しておきたい。
 
いや、そもそも坂東武者と源氏の関係を語るなら、「前九年・後三年の役」から語るべきか? いやいや、平家との因縁なら「平将門公」の話もしなくちゃだし……。突き詰めると、坂東と朝廷の関りから語るべき? だとしたら古代どころか「ヤマトタケル」から話さないと……あ~! キリがない!! こうなりゃもう、最初っから語ってやるぁ(巻き舌)!!

源平合戦を語ろうとすると、ヤマトタケルから語ることになる……歴史って深いな。

歴史の全ては繋がっているのか……!

超ざっくり古代の東国とヤマトタケル

古代の日本……まぁ現代もさまざまな議論があるだろうけど、あくまで超ざっくりとした認識として……。日本はざっくり4つのエリアに分かれてた。

まず、朝廷に従わない蝦夷(えみし)が多かった「東北」! 朝廷に渋々従っていた「坂東」! 朝廷の支配圏である「畿内」! そして一応朝廷支配圏となっている「山陰・山陽・四国・九州」! んでだいたい日本アルプスを中心に「東国」、「西国」と呼んだ。

古事記や日本書紀を読めばわかるように、畿内にあった大和朝廷はまず西国を平定して、次に東国平定に乗り出した。その英雄がヤマトタケルだな。坂東にはヤマトタケルの伝説があちこちにあってなぁ、三浦にもオトタチバナヒメの伝説がある(詳細は割愛!)。

ヤマトタケル自体が実在人物かどうかは諸説あるが、記録が残っていない古代に、朝廷の武人が坂東を制圧したという事があったんだろう。

青木繁『日本武尊』東京国立博物館 「ColBase」から切り出し

坂東を支配下に置いた朝廷は、坂東に税を課した。教科書に「租(そ)・庸(よう)・調(ちょう)」とかあったの、覚えているか? すごく重税で苦労したって話があったと思う。まぁそんな感じで、東国は古代から朝廷に対して不満があったわけだ。

私も税には苦しんでいるので、東国の人の気持ちわかります!

超ざっくり平将門の乱

そんな朝廷からの支配への最初の反抗といえるのが、かの有名な「平将門(たいらの まさかど)の乱」だ。

将門公は元々は下総北部(現在の千葉県・茨城県)を本拠地とした豪族。朝廷に仕えるエリート武士だった。しかし承平5(935)年、将門公は「我こそが東国の天皇だ!」と言って反乱を起こした。

乱の理由

将門公が反乱を起こした理由については諸説あるんだが、その発端となるのが「女論」。その女論とはどんな論争だったのかよくわからない。なぜなら「女論が原因で伯父と対立した」としか書かれてないからだ。

「女性はやっぱり清楚系だろ!」「いやオレはギャル派だ!」みたいな争い……??

そして、常陸国(現・茨城県)の勢力争いにも巻き込まれて、本格的な戦となってしまった。

そして平家の先祖であり、将門公の伯父である平国香(たいらの くにか *巨乳グラビアアイドルではない)を討ち取ってしまう。

将門公は朝廷に呼び出しを食らって怒られた後、どうにか戦を回避しようとしたが、失敗して逆に謀反人として訴えられてしまった。

そこからもう、将門公はプッツン切れたのか大暴れ。坂東各国の豪族と国守(こくしゅ/くにのかみ=朝廷から派遣された役人。現在の県知事みたいなもの)との仲違いに積極的に介入し、国守を追い出してしまう。そしてとうとう国家反逆罪として朝廷から軍隊を派遣されてしまうんだ。

乱の結果

結果としては、将門公は朝廷が派遣した藤原秀郷(ふじわらの ひでさと)という武士と、平国香の息子である平貞盛(たいらの さだもり)によって討ち取られている。

この系図を見ての通り、平将門公は平家の先祖ではないので、誤解してた人は今日から改めるように!!

ちなみに、坂東平氏の先祖である平良文(たいらの よしふみ)は、乱の時どこで何していたのかハッキリとはわかっていない。おそらく東北地方への蝦夷討伐に駆り出されてたんだと思われる。

将門公って怨霊? それともヒーロー?

平将門公って、現代だと怨霊扱いされているけど……。オレの印象からすると頼まれたら嫌といえないタイプというか、乗せられたら調子乗っちゃうタイプというか……。わりと茶目っ気があるように見えるんだよな。東国視点からの文献が残ってないのでなんとも言えないけれど。

将門公は東国を朝廷の支配から独立させようとして、失敗した。そしてその死後、東国の者たちは藤原秀郷や平良文の子孫を名乗った。というのが文献からわかる「事実」だな。

平家の先祖は京都へ帰り、坂東武者の先祖はそのまま坂東で暮らしていたんだ。しかしその約100年後。坂東にまた大嵐が吹き荒れる!! ということで次回に続く!

楽しみ!!! 次回作が公開されたらこちらにリンクを貼るので、本記事のブックマークをおすすめします!

「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!

1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)

アイキャッチ画像:月岡芳年『芳年武者无類 相模次郎平将門』(国会図書館デジタルコレクション

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書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。