そんな驚きの歴史と共に茶器を中心に展示した『茶の饗宴-和洋茶器くらべ』が、愛知県陶磁美術館で開催中です。煎茶の師範免許を持つスゴ腕学芸員の田畑潤さんにお茶にまつわる様々な美の饗宴について伺ってきました。
三者三様の美しさ、まさに美の饗宴
―― 西洋と東洋の茶文化がひとつの展覧会の中で紹介されるのは珍しいと思うのですが、今回どのようなきっかけで企画が生まれたのですか。
田畑:「茶の湯」と「煎茶」と「ティーカルチャー」という3つの異なる茶文化を取り上げることによって、それぞれの違いと共通点を浮彫にしていこうという狙いがありました。そのきっかけとなったのが、昨年、愛知県一宮市にある繊維商の創業者で、数寄者(すきしゃ)・森家の煎茶道具を寄贈していただいたことです。今ではほとんど見ることのできない希少な煎茶道具を紹介するにあたり、せっかくなら日本に深く根付いた茶の湯、同時期に西洋でもてはやされたティーセットも展示し、茶の文化を比較してみようということになったんです。

―― 煎茶の道具がこんなにも種類があることに驚きました。茶の湯で使う道具より数も多いし、形状も変わっていますね。一番の違いはなんでしょうか。
田畑:様式美の観点からいうと、茶の湯は引き算の世界で、茶道具もシンプルで点数も少ないです。逆に煎茶は掛け算の世界で、同時代のものだけでなく、テーマに合わせ、茶器や水注、急須などの取り合わせを楽しみます。これに影響を受けているのが西洋のティーセットで、カップアンドソーサーやティーポットなど、様式のルーツは煎茶にあるんです。ただ、煎茶は文人が嗜んだ文化教養の世界であり、ティーカルチャーは王侯貴族が楽しんだ権威的な要素が強かったので、異なった様式で形成されていきました。
―― 確かに、3つ並べてみると、一目瞭然ですね。茶の湯の道具はシンプルだからこそストイックな感じがしますし、煎茶は自由で遊び心があります。西洋のティーカップはやはり華やかで優雅といった印象を受けます。
田畑:展覧会のタイトルに入れた「饗宴」という言葉にも、異なる茶文化の中で、それぞれが「楽しい宴」「宴席」であるという思いを込めているんです。「饗宴」という言葉は、プラトンの対話篇の中に出てくるタイトルで、恋愛の神エロスに対して、「愛とは何か」を個々の価値観で語り合い、対話する場面があります。そこからイメージして、各場所に設置した解説パネルでも、茶人と文人と貴婦人の3人がそれぞれの視点で茶文化を語るような構成にしました。

日本で独自に様式化された煎茶
―― 現在では、日常的に飲むお茶としてのイメージが強い煎茶ですが、日本に入ってきた時はどのような形だったのでしょうか。
田畑:17世紀半ば黄檗宗(おうばくしゅう)の隠元禅師(いんげんぜんし)によって中国からもたらされたといわれています。中国では、明の時代に誕生した喫茶文化が始まりでした。もともと煎茶の「煎」の字は、煎(に)るという字なので、お茶の葉を煮だして飲んでいたのですが、日本では急須に茶葉を入れてお湯を注ぐ「淹茶(えんちゃ)」というスタイルで広がっていきました。

―― 軸を掛けたり、棚に水注を置いたり、日本の茶道に近い趣ですが、やはり中国由来の文化を強く感じます。
田畑:この画題は、中国の神話に出てくる西王母(せいおうぼ)という女神で、煎茶の茶入れに描かれているのが「西王母」、水注に描かれている「桃」は彼女のシンボルである「仙果」、真ん中にある山形の蓋は、彼女が棲む崑崙山(こんろんさん)を見立てています。その蓋に合わせた入れ物は、漢の時代のもので、もともと酒を温める温酒尊(おんしゅそん)と言われる陶器です。時代もまちまちですし、形状もバラバラですが、テーマに合わせて世界観を作り上げていく。これらは、日本人が理想郷とする中国をイメージして作ったもので、こういったコーディネートを楽しむのが、日本ならではの煎茶なんです。
―― 中国では行われていないんですか?
田畑:はい、これは日本独自の文化として発展しました。中国の煎茶は元々屋外で質素に楽しむスタイルから始まり、茶道具もシンプルになっていきました。日本人が煎茶を茶室でやる中で、こういうスタイルが作られていったのです。
中国と日本で作られる茶器の違い
―― ルーツは中国でも、まったく違う形で発展したのは面白いですね。日本では千利休によって確立された茶の湯の方が盛んで、安土桃山時代以降、たくさんの茶道具が作られるようになりましたが、煎茶道具も作られていたんでしょうか。
田畑:煎茶は基本唐物といって、中国から輸入したものが中心でした。茶の湯との一番の大きな違いは炉なんですが、茶室のように炉を切るのではなく、高さのある陶器に炭を入れて、お湯を沸かしていたんです。急須の形もいわゆる日本の注ぎ口のように横につくものではなく、後手(うしろで)と言って、注ぎ口の後につくものが主流でした。日本でも江戸時代には、京焼や愛知県の犬山焼など煎茶道具を作っているところはありました。しかし、煎茶が衰退すると、急須でお茶を飲むというスタイルだけが庶民に広がり、現在のような急須と湯飲みで飲む形となり、それらが大量に作られるようになったのです。



日本人ならではの感性、侘びの変遷
―― 茶の湯が格式化されていった一方で、煎茶は自由な気風の文人趣味が発展していったんですね。茶の変遷の違いも興味深いし、茶道具においても対照的ですね。
田畑:日本に抹茶が入ってきたのが鎌倉時代、寺院を中心に伝わりました。ですから寺で僧侶が修行のひとつとして始めたこともあり、茶の湯は精神性と深く結びついたものでした。茶道具も安土桃山時代から江戸初期に、侘び、寂びといわれる質素なもの、左右非対称なもの、貫入と呼ばれるひびの入った文様などが好まれていきましたよね。不完全な美という独自の美意識が育っていったんです。

―― こういった茶の湯のしつらえを見ると、禅と深く結びついていることがよくわかりますね。
田畑:これは、大徳寺に伝わっていたものを当館で所蔵しているんですが、当時の様子を描いた絵によれば、天目台に茶碗を乗せた状態で、茶筅を使って点てて、それを若い僧侶が盆にのせ、修行僧のところへ運んでいく。釜を見てもものすごく大きいので、伝わった当初は一度にたくさんのお茶を点てて飲んでいたことがわかります。

―― 狭い茶室でお茶をいただくというのは千利休からの時代で、それまでは大勢でお茶を楽しんでいたのかもしれませんね。秀吉が開催した大茶会も特別なものというよりは、大勢で楽しむものという流れから来ているのかも。
田畑:唐物から入って、侘び、寂びになって、江戸時代に入り、きれい寂びといわれるものになっていく、これは日本独自の文化です。中国にはそもそも茶室もありませんし、お点前のようなルールも異なるのですが、その茶器の変遷も今回の展示で見ていただけます。茶入れは、濃茶で使うものを中心に展示していますが、珍しい陶器の薄茶器もあります。漆器の割蓋がついた手桶をミニチュア化した織部の薄茶器で、これは大変貴重なものです。

―― そういう意味では、現代よりも道具も遊び心が強かったような気がします。煎茶の影響を受けているものもありますか。
田畑:これは江戸時代の琳派の流れを作った尾形光琳(おがた こうりん)の弟で陶芸家の尾形乾山(おがた けんざん)が作成した茶碗です。表に白菊を描き、背面に漢詩を書いています。抹茶茶碗ですが、やや小ぶりなサイズであることと、漢詩をあしらうのは煎茶の美意識なので、江戸時代の中ごろは煎茶が流行し始めていて、茶の湯にも煎茶の影響が入っていたのではないかと思います。
西洋のティーカルチャーは、そもそも東洋からの影響が大きかった
―― 西洋のティーセットにも《ジャパン》と名付けられているものがあるんですね。日本から影響を受けたということでしょうか。
田畑:このティーセットは、有田の伊万里焼に影響を受けたもので、紋章化したようなデザインになっています。ジャポニズムと呼ばれた日本の美術様式が流行った19世紀に作られたものです。

―― 日本の輸出陶磁器が人気だった時代ですね。
田畑:17世紀頃には、まだヨーロッパでは磁器でやきものが作れなかったので、日本や中国で作られる磁器は白い黄金と呼ばれるほど人気でした。ヨーロッパは日本から大量に輸入していたんです。

田畑:もともと、日本や中国では茶碗に持ち手はなかったのですが、ヨーロッパは熱い紅茶を飲むためお碗が熱くて持てない。それで同じ模様のついた菓子皿をソーサーとして使うようになります。自分たちで作れるようになると、カップに取っ手をつけて現在の形になっていったんです。ただ、そのときのお手本とするのは、やはり中国の磁器だったので、いわゆる東洋趣味と言われる色柄ものが中心でした。

田畑:こちらの2点並べた急須は、青花(せいか)と呼ばれる染付で、白地の上に絵付けをし、釉薬をほどこした磁器で、ヨーロッパの磁器制作の元となったものです。右の景徳鎮が作ったポットはヨーロッパ向けに作られているため、取っ手の文様もヨーロッパの紋章のようなデザインになっています。左はイギリスで作られたものですが、中国の染付を写しています。これを見てもやはり中国の影響は大きかったことがわかります。

―― 本当に似ていますね! 日本でも景徳鎮は特別な茶器として人気です。
田畑:日本でみられる景徳鎮のものは、中国的な美意識である歪みのない端正な作品と、日本の茶人の美意識にかなった侘びた作品の両種がみられます。後者は中国国内では流通しない、日本からの注文品が主で、歪みやほころびも景色として愛でられています。
―― 歪んでいる茶碗やひびの入った茶碗を金継で使う日本人の美意識は中国と大きく異なっていたんですね。そして私たちの現代の生活は、西洋の文化の影響を受けていますが、西洋のティーカルチャーにも日本や中国の陶磁器が大きな影響を与えていたのは驚きでした。
田畑:それがよくわかるのが、有名なマイセンのブルーオニオンの人気シリーズです。中国の絵柄にある桃やザクロが分からず、身近にあったタマネギに姿を変え、それが人気シリーズのアイコンになっていきました。染付け磁器のデザインは、中国のものを写していたりと、王侯貴族の方々がステータスシンボルとしたのは、やはり異国情緒のあるものだったんです。

野点はピクニックの原点?江戸時代に持ち運べるティーセットがあった!
田畑:今回、茶道具の中でも珍しい茶器を運ぶ箱を「収納・携帯する美意識」として併せて展示しています。一番左が煎茶道具一式を収納し、持ち運ぶ「提籃(ていらん)」。野外で使用するための手提げがついた籠で、二段の棚に収納できるようになっています。真ん中の蒔絵の茶箱は、茶の湯の道具が仕舞われていたもので、三段重にはお菓子を入れたり、茶入れも3つあったり、文房具を入れる場所があったり、それぞれを仕覆(しふく)に入れて納める形になっています。

―― これはもともとこういうセットで作られたのでしょうか。
田畑:そうかもしれないし、箱に合わせて自分の好みのものを入れて仕舞っていたのかもしれません。画像の右端は、イギリスで作られたトラベリング・ティーセットです。当時、自動車や鉄道が発達したので、このボックスに入れて持ち運んでいたようです。今まで紹介してきたティーセットは有名な窯元で焼かれたものですが、これはジョン・コラード・ヴィッカリーという1900年代にアタッシュケースを作っていた会社がティーセットも全部作りました。湯を沸かすためのアルコールランプが入っていたり、サンドイッチなども入れられるようになっていて、別名ピクニックセットとも呼ばれていました。たぶん、これらは東洋の茶箱を参考に作ったのではないかと言われています。かなりマニアックなものなので、あまり見る機会もないと思います。
仕舞うという日本独自の文化が誕生
田畑:最後の展示は、最初に紹介した煎茶道具をしまう箱です。ひとつずつ仕覆に入れ、桐箱も急須や茶碗の形にくり抜いて作られています。
―― 箱に入れるやり方も日本だけなんですか?
田畑:そうですね。箱書きというのも日本独自の文化ですし、そもそも茶器に名前を付けるのも日本だけなんです。

―― それは擬人化しているというか、人と同等に扱うぐらい、大切なものということだったんですね。
田畑:明治の初め、政治家や財閥が煎茶を嗜みとしてやっていたため、たくさんの煎茶道具が日本に入ってきていました。それが日清日露戦争が起こり、憧れの中国が戦争に負けたことで、国内に日本の方がすごいんだというムードが広がり、日本の文化が見直されるようになります。それで煎茶をやっていた方たちも、一気に茶の湯に流れてしまったんです。皮肉なことに中国の国力が衰退していくと、日本に中国のお宝が入ってくるんですが、それと同時に煎茶が廃れてしまったんです。
―― そう考えると、お茶という文化も戦争によって翻弄されていたんですね。今回、お茶を通じてこんなにもたくさんのことが学べることに驚いています。それほど私たちにとってお茶の世界というのは、身近であり、様々な文化を育んできてくれたんですね。これはぜひ、たくさんの方に見てもらいたいなと思いました。
愛知県陶磁美術館
企画展:茶の饗宴―和洋茶器くらべ
住所:愛知県瀬戸市南山口町234
会期:2026年3月20日~5月17日
開館時間:9:30~16:30※入館は閉館30分前まで
休館日:月(5月4日は開館)
観覧料:一般 600円 高校・大学生 500円 中学生以下 無料
公式ホームページ

