Craftsmanship

2026.07.06

「三河木綿」に学ぶ本当の豊かさ。人の手に宿る無限の可能性を、今こそ!

夏の寝具として、ふんわりと肌にやさしい多重織りガーゼが人気です。これらは「三河木綿」と呼ばれる愛知県三河地方の伝統的織物技術を活かして作られる保湿性、吸湿性に優れた寝具です。三河地方は、棉(わた)の栽培から手織物、高度経済を支えた繊維業と、長い歴史によって育まれてきた文化があります。「三河木綿」の織物文化を次世代へと繋げる人々の想いを追いました。

綿の起源は平安時代にまで遡る

三河地方は、日本における綿の発祥の地とも言われています。『日本後記』によれば延歴18(799)年頃、崑崙人(コンロンジン/天竺人)が棉の種を持って、三河国(現・愛知県西尾市付近)に漂着し、この地で初めて種が蒔かれたと伝えられているのです。この三河地区で綿花の栽培が盛んになると、丈夫で質の良い綿織物が地域の主要産業として根付いていきました。飛鳥・奈良時代に伝わった絹織物の技術を活かし、庶民の着物や生活用品が綿織物で作られるようになります。

江戸時代には『三河縞(みかわしま)』と呼ばれる布団布が全国に広がり、『三河木綿・三河縞』という地域ブランドとして名を馳せました。また、この地方の織物は、太くて丈夫な糸で織ることで、太い縦縞模様が特徴とされ、野良着などの労働着としても広く愛用されていきます。

優しく温かな風合いの三河木綿 画像提供:手織場

戦後、急上昇した蒲郡の繊維産業

明治、大正時代には、安城市や西尾市、岡崎市などが棉の栽培地として繁栄していきます。その中で蒲郡(がまごおり)市は、栽培ではなく、集産地として発展していきました。東海道線が早くに開通したことで、産地のものが蒲郡に集まり、そこから西や東へと運ばれていったのだとか。それと共に工場も発達し、繊維の町として知れ渡るようになります。

第二次世界大戦後は、日本が衣料品不足に陥ると、蒲郡は綿衣類の大量生産で急成長を遂げます。昭和23(1948)年頃から、作れば作った分だけ売れる、ガチャンと織れば1万円儲かると言われた「ガチャマン景気」の時代があり、自動織機の開発も進み、いち早くジャカード織機なども導入し、繊維業がますます発展していきました。

昔ながらの三河木綿の織物がコミュニティを生んだ

しかし、近年、安価な輸入ものに押され、日本一とも言われた繊維の町は、かつての勢いを失っていきました。そんな中、もう一度、繊維で町を活気づけようと「ふるさと創生事業」資金を使い、「三河縞ルネッサンス事業」が平成14(2002)年度から平成16(2004)年度まで行われます。その一環として蒲郡の伝統産業である手織りの『三河木綿・三河縞』の復元作業への取り組みが始まったのです。

江戸・明治期の庶民の暮らしに愛用されてきた『三河木綿・三河縞』の技術を伝えるため、手織り工房「手織場(てばたば)」が誕生。次世代へ、伝統の綿織物を伝えるという大きな役目を担うことになったのです。こうした官民連携による活動で、再び三河木綿が注目されるようになりました。

糸車を使って糸を紡いでいきます。左手で綿を引っ張り出しながら、右手で糸車を回転させ、ヨリをかけて糸にしていきます。両手を使って素早く糸を紡いでいく様子は訓練のなせる技

手織場では、明治時代から続いた料理旅館「朝日館」の古民家の一部を利用し、実際に畑で棉を育て、採取し、綿から糸を紡ぎ、その糸で三河木綿を織るという一連の工程が学べるようになっています。10台ほど並ぶ手機や糸車は、蒲郡市博物館に寄贈されていたものを元に、大工さんが復刻制作した貴重なものです。現在の受講生は8名、全工程を学んだ会員は総勢27名に上ります。まさに官民一体となって、『三河織物・三河縞』の伝統技術を大切にしているのです。

大工さんにより復元された手織機。昔話に出てくるような機織り機に懐かしさも漂います

幼い頃の記憶と三河木綿の温もりを伝えたい

手織場の立ち上げに貢献したのが、三河木綿の復元が評価され、「岡崎市教育文化賞」を受賞した高木宏子さんでした。

「もともと京都の西陣の出身だった高木さんが、ご主人の転勤で岡崎に来て、初めて三河木綿を知り、絹織物にはない素朴で温かみのある布に触れ、数百もの古い布を蒐集されたんです。そして途絶えてしまった織物の技術を知多市歴史民俗博物館にある民族資料や、周りにいるおばあさんたちに聞き取りし、その技術を指導してもらいながら、自分なりに三河木綿の織技術を身につけた方なんです」と語ってくれるのは、現在、手織場で講師を務める平田里江さん。

高木さんを中心に『三河木綿・三河縞』の復元を目指した6人のスタッフが、棉の栽培から、糸紡ぎ、手織を学び、再現していったのだとか。平田さんもそのひとりでした。当時、専業主婦だった平田さんがこの事業に関わるようになったのは、子ども時代の織物の記憶が大きかったと言います。

「高度経済成長と共に綿の織物は一大産業になり、昭和30年代にはもう全てが機械織りの世界になりました。豊橋の母の実家が撚糸業をやっていたので、糸や織物への興味はあったのですが、個人で機械で織ることはできない。そんな時に三河木綿を手織りで織っている高木先生と出会い、この事業に参加することになりました。自分で糸を紡ぎ、草木染をし、織るという喜びを知り、そこから20年以上、三河木綿づくりを続けています」と平田さん。

手織りを初めて20年以上。手に持った反物は平田さんが織ったもの。数年前「東海伝統工芸展」に出品し、入選を果たしました。これで夏の単衣の着物を作る予定だとか

織物には、無駄な部分がひとつもないのがすごいこと

すべてが機械化されてしまった現代において、綿花を育て、古来のやり方で糸を紡ぎ、手機で織る。これを受け継ぎ、伝えていこうとするその精神は、一度失ってしまった技術を取り戻すことの難しさも教えてくれています。そして綿織物の良さを平田さんはこう伝えてくれます。

「今はお金を出せばいろいろな品物が買えるけれど、江戸時代の人たちは、自分たちで作るしかなかった。昔の技法で布を織っていると、いかに布を大事にしていたかがよく分かります。だからいろいろな物に再利用していたんです。着物として着られなくなったら、おむつや雑巾になって、最後は土に還す。倉敷で『木綿往生』の言葉に出合いましたが、自分たちが綿を育てるようになって、その想いがわかります。だから単にこの反物が素敵だとか、織りがいいとかっていうことじゃなくてね、心が豊かになるんです。そういった技術を伝承する為にここの活動をしているんです」と平田さん。

平田さんの織った反物。糸の太さ、色でこんなにも表情が変わっていく

「手織りの綿織物は、棉から3年かかって作るものと知ったら簡単に捨てられない」という平田さんの言葉が心にズシリと響きます。着物はほどけば、また布地となって、あらゆるものを生み出せる。それこそが本当の意味での再生だということに気づかされます。

蒲郡の海をイメージさせる青の縞が美しい。糸の太さで縞の太さも変わっていく

綿花を育てることから織物になるまで時間をかけて紡ぐ

手機で布を織るだけでも大変な時間と労力がかかるのに、そもそもの材料である棉を自分たちの手で育てるという道を選んでいる手織場。そこにはこんな想いもありました。

「今の時代、市販の和綿(わめん)はとても高くて買えない。市場でも日本産の綿なんてほとんど出てないですよね。だったら自分たちで育てるしかない。棉の種は3年も経つと発芽能力が無くなってしまうんです。こうやって毎年種を取って、植えてまた新しく更新していかないと、和綿自体が絶滅してしまう。その綿を育てる時も、その土地が豊かでないといけない。農薬で汚染された土地だと良い綿は育たないので、無農薬でやっています。そうやって、自然本来の姿に近いところで、種を撒くことからやることに意味があるかなって」と平田さん。

しおらしく下を向いて咲くのが和綿の綿花、上を向いているのが洋綿で、コットンフラワーとしてフラワーアレンジにも使われています 画像提供:手織場

5月に種を撒き、その年の秋に収穫。そのあと、綿と種を分ける綿くりという作業をして、糸紡ぎ用に綿打ちをします。綿打ち作業だけは名古屋の布団店にお願いしているのだとか。そして翌年に糸を紡ぎ出し、そこから草木染をするのだといいます。草木染めも自分たちの身の回りにある手近に入手できるものを集めているのだとか。果てしないほど、長く地道な作業が続きます。

手織場の事務局を運営する代表の青山裕美子さん(左)と講師の平田里江さん(中)、蒲郡の魅力に惹かれ、東京とアメリカとの3拠点生活を送る松島調さん(右)。松島さんは大学で日本語を教えているため、日本人学生や留学生たちを織物体験に連れてくることも

私たちの体を守る「衣」。それがあって初めて暮らしが成り立つ

さらに平田さんの言葉は私たちが失ってしまった衣類への感謝をも思い起こさせてくれます。

「『衣食住』という言葉、なぜ「衣」が一番前に来ているのか。食べる前に、体を虫から、厳しい寒さから守るっていうのがとても大切だからです。食事を取っても裸では、冬を越せなかった。そうやって、動物の毛皮から始まって、食よりも先に『衣』があるんだなと。体を守るものがあって、食べ物があって、初めて住むところがくる、それが『衣食住』だとしたら、人間にとってとても大切なものですよね」と平田さん。

人が生きていくために必要なもの。その言葉の重みを私たちは忘れてしまっているのです。織ることは祈ること、そんなことも思い起こさせてくれる平田さんたちの活動のひとつに、地元の神社に納める御朱印帳づくりがあります。

昔ながらの「手紡ぎ・草木染・手織」の手法で作る貴重な御朱印帳。蒲郡の竹島にある八百富神社へ、お守りと一緒に納めているそう

「私たち会員が織った木綿布で、1か月に5冊ずつ、御朱印帳を作っているんです。みなさんが織った布をちょっとずつ分けてもらって作るんですけど、購入いただくことで活動資金になるし、モチベーションにも繋がっています」と平田さん。

東日本大震災の地にも植えられた綿花

さらに、この綿花には私たちを助けてくれるすごい力がありました。

「綿花っていうのは、海風に強いんです。だから塩害の影響を受けにくく、山陰地方の弓浜も、三河もそうですけど、海岸に近いところに栽培の産地が多いんです。15年前の東日本大地震の時も、海水に浸かってしまった土地に綿花を植えていたのは、綿花が土中の塩分を吸収させていたんです。3年ぐらい綿を栽培すると、その土地の中の塩分が少なくなり、そこから新たに作付けができるんですよ」。

織物になるだけでなく、塩害にあった土の再生までしてくれている。私たちの生活をどれだけ支えてくれているのか。植物のすごさを改めて思い知りました。

手織場の活動を通して、町の歴史に誇りをもってほしい

手織場の活動として、蒲郡市内の小学校2校に、毎年、棉の種を撒くことから始め、小さなコースターを織るまでを出前授業としてやっているそうです。そこには、三河で育った子達に「三河木綿」とはどういうものかをきちんと知ってもらいたいという想いがあるのだとか。

「日本全国、今では棉がどういうものか知らない人の方が多いんです。ここでも栽培している人はほとんどいないし、植えていると『それ何?』って聞いてくる人がたくさんいます(笑)」。

製品化されたものだけを購入している私たちは、それがどんな材料で、どんな風に作られているのか、知らずにいることが当たり前になっています。織物の地産地消は、その土地で作られた糸の太さや色、風合いでまったく表情の違う布ができあがります。地域の数だけ、織った人の数だけ織物ができる。人間の知恵のすごさを感じさせてくれます。

手織り工房手織場の1,2,3期生が復元した三河木綿、三河縞の縞帳

「手作りの面白さは、一人ひとり出来上がるものが違うこと。人間の手が無限のものを生み出す力があるっていうことも知ってもらいたいですね」という平田さんの言葉は、今の社会に対する痛烈な指摘でもあります。AIに支配され、同じような言葉の羅列、画一化された思考。知らぬ間に私たちは一人ひとりが違う心、思考、行動力をもった人間だということを忘れかけているのではないでしょうか。

「想像力は人間にしかない。AIと人間の違い、それは想いがあるかないかってことです」という平田さんの言葉を、帰路の電車の中で何度も反芻してしまったのでした。

三河木綿工房 手織場

住所:蒲郡市栄町10-5(旧朝日館内)
営業時間 10:00~16:00 (毎週金曜~日曜)見学可

手織り三河木綿 教室 綿の栽培から糸紡ぎ、機織りまで、手織り三河木綿作成の作業工程を学ぶ
募集人員:若干名(空きがでれば、随時募集)
開講時間:毎週土曜日 10:00~16:00
指導:手織り三河木綿手機場会員

手織り三河木綿 体験(要予約)
作業の工程の一部を体験できます。
1,棉繰り(種取り)2,棉打ち(綿をほぐす)3,糸紡ぎ(糸作り)4,機織り(布を織る)
(1~4まで組み合わせ自由)
日時;金~日曜日 10:00~12:00 13:00~15:00
午前午後各1組限定 1組3名様まで
料金:1名 3,000円(2時間)

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黒田直美

旅行業から編集プロダクションへ転職。その後フリーランスとなり、旅、カルチャー、食などをフィールドに。最近では家庭菜園と城巡りにはまっている。寅さんのように旅をしながら生きられたら最高だと思う、根っからの自由人。
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