Culture
2022.10.16

包丁研ぎのやり方・コツ・砥石を貝印のマイスターに教えてもらった

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パンデミックは、我々人類にとってはどのように作用したのだろうか?

これは決して「悪いこと」ではないと考える人が、実は少なくない。というのも、パンデミックのおかげでソーシャルディスタンスというものが意識されるようになり、結果としてキャッシュレス決済が普及したからだ。また、1970年代からその概念が提唱されてきたテレワークがようやく定着した。

そして海外旅行ができなくなった反面、国内の「モノ」や「コト」が見直されるようにもなった。

新型コロナウイルスの猛威は未だ残っている。が、これをきっかけに、我々は自らの生活にある背景を見直すことができるのだ。

そして生活とは常に食と共にあり、食は料理と共にあり、料理は包丁と共にある。それを次々に突き詰めれば、いずれ「砥石」にたどり着くはずだ。

そうなの!?

「砥ぎのマイスター」が登場!

刃物メーカー貝印の本社は都内にある。

筆者はこの本社のショールームに通された。やはり食品に触れる道具を取り扱う会社だから、そこには明るさと清潔感がある。此度の取材は、以前から楽しみにしていた。

今回は貝印の包丁ブランド『関孫六(せきまごろく)』が、新たに角砥石の展開を増やして発売し、既に流通させているということでその取材に訪れたのだ。この砥石というのが、220番の荒砥ぎから8000番の仕上げ砥ぎにも対応するという本格的なものらしい。

ショールームで筆者を待ち受けていたのは、何と本物の砥ぎ職人だった。

貝印マーケティング本部マイスター推進部シニアエキスパート、林泰彦氏。大型二輪免許所持者で、愛車はホンダ・ゴールドウイングというこの人物が、何と筆者に砥ぎをレクチャーしてくれるという。

か、かっこいい!!

「包丁の砥ぎ方とナイフの砥ぎ方は、やはり違いますね。アウトドアナイフの刃の角度は大体45度ですが、包丁は30度が基準です」

林氏のその説明は、筆者の耳の中にはあまり届かなかった。それだけ緊張していたからだ。

いや、ちゃんと聞いてください。

今の今までナイフマニアを自称してきた筆者だが、決してプロの職人というわけではない。その技術は中途半端と言わざるを得ない。ところが、そんな筆者に本物の職人が砥ぎを教えてくれるとのこと!

これを「ライターの役得」と言わずに、何と表現するべきか。

包丁を研ぐコツ

「砥ぎの初心者は、砥石の中心部だけを使って砥ぐ場合があります。これは正直、良くないんですよ」

ギクッ!(初心者)


林氏はそう解説しながら、取り出した包丁の刃を砥石の横で潰していく。とりあえず刃を丸くして、改めて砥ぎ直していこうというわけだ。

「まずはこの刃を潰した包丁でトマトを切ってみます。…まぁ、力任せになってしまいますよね? 上から潰していく感じになります。そんな切れ味の悪くなった包丁を、これから砥いでいきましょう」

林氏が包丁のブレードを砥石に乗せる。そして手を動かし始める。その際、無駄な力は込めない。というより、上からの圧力をかけるようなことはまったくしていない感じだ。

「男性の場合は、力任せにぐっと上から押さえつけてしまうことが多いのですが、アウトドアナイフはともかく包丁であればブレードが曲がってしまいます。そういうことは一切する必要はありません。その代わりに、砥石の端から端までまんべんなく使って砥いでやります」

砥石の面を余すことなく使うことで、まず砥ぎ自体の効率が良くなる。そして「砥石を均等に摩耗させる」という効果も生まれる。

言葉ではわかるけど、いざやるとなると難しそう!

「中央部分だけを使って砥いでいくと、当然そこだけがへこんでいきますよね? すると、どうなるか。砥石の形状自体がアーチ状になって、真っ直ぐ砥げなくなります。そうなると正しい角度のシャープな刃付けはできないんですよ」

砥石というものは、面が平らでなければその機能を発揮することができない。また、中には砥ぎの最中に一定の角度を維持できない人もいるという。

「コツは“小指の先”です。包丁の背の部分、刃とは反対の部分に自分の小指の先を嚙ませてやると、どういうわけか砥石と概ね30度の角度になっていきます」

その角度を維持したまま、ブレードを前後させる。繰り返すが、その際に砥石の面を一杯まで使う。

小指で角度を維持するんですね!わかりやすいです。


「砥石表面に落とした水の流れをご覧ください。削れた鋼材の粒子と混ざり合っているでしょう? それが縦方向に、即ち澤田さんが今ブレードを動かしている方向に流れています。水を見ることで、ちゃんと正しく砥がれているのかが分かるのです」

「当然のこと」を見直す

筆者は今まで、日本刀の残欠から西洋の伝統的刃物を作るということをやって来た。

!!!


それはロバート・ウォルドーフ・ラブレスが確立したストック&リムーバル技法によるもので、早い話が鍛造を一切せずに電気で動くグラインダーで焼入れ済みの鋼材を削っていく。機械があってこそのテクニックでもある。

硬くて分厚い鋼材も、グラインダーがあれば簡単に削ることができる。が、それ故に「砥石を使った作業」のウェイトが小さくなってしまう。ベルトグラインダーを持っていれば、砥石よりもそちらにより多くの時間を割くという具合である。

DIY初心者でもよくグラインダーが使われていたりしますね

しかし、ラブレスの言葉を借りれば「ナイフは人間が考案した最高の道具」であり、それをメンテナンスするための基礎的な道具はやはり砥石だ。

「私は小学2年生の頃から刃物を砥いでます」

1962年生まれの林氏は、男の子なら誰しもが切り出しナイフか肥後守を持っていた光景を目撃した最後の世代かもしれない。1960年には既に「刃物を持たせない運動」が始まっているし、そもそも1970年代から「子供の遊び方」も時代に応じて大きく変容した。


林氏より10歳年下の世代は、小学生の頃に「コンピューターゲーム戦争」を経験している。各社が続々と家庭用ゲーム機器を開発する中で、任天堂のファミリーコンピューターだけが突出する……という流れを全身で味わった。

ここから下の世代は、ナイフよりもゲーム機のコントローラーのほうが持ち慣れているはずだ。

しかし「刃物を砥ぐ」という行為は、今は特殊技能だが昔は「誰でもできること」だった。特に世界で最も優れた刃物を生産する日本では、人々の生活は常に砥石と共にあった。
いかにプロセッサーの処理能力が向上しようとも、人間は物を食わなければ生きていけない。そして料理をするには、よく切れる包丁を用意しなければならない。

そうした「当然のこと」を、我々は100年ぶりのパンデミックを迎えてようやく振り返るようになった。

最後は必ず「面直し」を

関孫六の砥石を使って刃付けをした包丁で、トマトを切ってみる。

日本の包丁の基本的動作は、やはり「引く」ことだ。余計な力は一切必要ない。ただ引くことで、トマトが綺麗にスライスされていく。

「これで作業は終わり、ではありません。最後は砥石を砥石で砥いでいただきたいのです。その際に使うのは、面直し砥石です」

砥石を砥石で研ぐ!知らなかった…。


上述のように、砥石は使うと削れる。面一杯を遠慮なく使って包丁を砥ぐのが最適解なのは間違いないのだが、それでも必ず「偏り」というものが発生する。

それを修正し、真っ平の砥石を維持するために使うのが面直し砥石なのだ。「砥石を砥石で砥ぐ」というのはダイナミックな言い回しだが、この作業を省くと大変なことになってしまう。

「この面直しをサボると、砥石の表面はどんどん丸くなっていきます。すると、満足な刃付けができなくなってしまうのです。この作業は1回毎、砥石を使ったら必ずやります」

はっきり言ってしまえば、面直しは手間のかかる作業だ。

しかし、昔の日本人の合理的かつ循環的な生活は「手間のかかる作業」の積み重ねによる結果ではないか。

面倒を回避しよう、手間を省いて何でも簡略化しようという発想で確立されたのが20世紀中葉以降の大量消費主義である。その包丁が切れなくなったら捨ててしまえばいい。安い包丁を次々に買い替えたほうが、確かにこちらの手間が省かれていく。

そうした大量消費主義をやめて「SDGs」を実施しよう、という流れがここ数年で活発になった。しかしよく考えたら、かつての日本人はSDGs以上のことを何百年にも渡って実践してきたのではないか?

江戸時代はエコだったという話がよくありますが、それよりももっと前からあった気がしますね。

筆者自身にも当てはまることだが、パンデミックの発生で海外旅行に一切行けなくなった。それがようやく終焉に近づいていると思ったら、今度はユーラシア大陸の遥か西で戦争が勃発した。食品もガソリンも電気代も急高騰し、以前よりも可処分所得に余裕がなくなった。パンデミック前に1年の半分をインドネシアで過ごしていた生活は、もしかしたら身分不相応の「飛躍した贅沢」だったのかもしれない。

だからこそ、行動が「先祖返り」しているという自覚はある。

食べること、寝ること、そして作ること。それらの「生活の基本単位」をひとつずつ見直し、自分の手でやるようになった。毎日の食事をじっくりと味わい、日本の四季に合わせた料理を作り、その際に用いた包丁を砥石で砥ぐ。1世紀に1度の災禍を経て、我々はようやく「身の丈に合った暮らし」を取り戻すようになったのかもしれない。

笑顔は値千金

今回筆者が試した関孫六の角砥石は、全8種類のラインナップ。220番、400番、1000番、2000番、4000番、8000番、そして1000番と4000番のコンビ砥石、面直し砥石という内容だ。

砥石の番数は、目が粗くなるほど小さくなる。ボロボロの刃を直すには荒研ぎの220番、400番を使う。そこからよりシャープな刃にするには、1000番そして2000番とさらに目の細かい石で研いでいく。それよりも番数の多い石は上級者向けだ。

この製品は一般家庭での利用から、筆者のように砥ぎに憑りつかれてしまった者による利用までカバーできる利便性の高い製品であることは間違いないだろう。

研ぎに取り憑かれる…!!

しかし、筆者が強調したいのは製品自体ではなく「製品を使うことで発生する笑顔」である。

「私の前職は営業でした。1年のうちに億単位のノルマを達成する、というものだったのですが……。そこから貝印に入社して、1本500円でお客様から包丁をお預かりして砥ぎ直す仕事を始めたのです。切れない包丁を刃付けして再び切れるようにした時のお客様の笑顔、そして“ありがとう”というお言葉は、本当にたまらないものがあります」

刃物を砥げば、誰かが笑う。そして他の誰かに笑顔が伝搬する。

笑顔は値千金である。そのことを強く確認した今回の取材だった。

♦︎貝印ショールーム「Kai House」
住所 東京都千代田区岩本町3-9-5 K.A.I.ビル1階
営業時間 10:00~16:30
定休日 土・日・祝日定休
貝印株式会社公式サイト
関孫六(砥石)オンラインストア
(参考)PR TIMES