脳についての最新研究の事例から。
心理学や行動経済学の学問系、さらにはスピリチュアル系まで。
ただ、個人的には。
いいも悪いもよく分からないというのが本音だ。
だって、仮に夢が叶ったとしても。
なぜ夢を実現できたのか、その因果関係の解明は難しいと思うからだ。
ひとつの原因とひとつの結果、互いがそれぞれ完全に結びつくワケではない。
多数の要素が存在し、絡み合い、影響し合って。そして結果が生まれる。
だから、夢の叶える方法を検証するだなんてナンセンス。
ある意味、言ったもん勝ち的な側面が大きいかと。
とはいえ、多くの本で共通して書かれているコトもある。
それがコレだ。
──自分の夢を周囲に語りなさい
夢を声に出して言うコトで自らの脳をだます。
なんなら、周囲に公表して自分を追い込むことができる。
さらには、夢を知ってもらうと周りの人からの応援が期待できる……などなど。
それを真に受けたかどうかは知らないが。
戦国時代でも、大いに己の夢を語った人たちがいた。
今回は、胸に熱い大志を秘めた戦国武将の物語である。
ということで、今回の戦国武将爆笑エピソード集のタイトルは「大志を抱け編」。
ひねりもなんもない、そのまんまである。
まあ、激動の戦国の世だからこそ。
ハイリスク、ハイリターンと一発逆転の余地はあるワケで。
つまりは、夢くらい派手に語ってなんぼってコト。
さても、一体、彼らはどのような夢を語ったのか。
それでは、早速、ご紹介しよう。
※本記事は「毛利元就」「豊臣秀吉」の表記で統一しています
より高みを目指し過ぎる毛利元就
最初にご紹介するのはコチラのお方。
山陰、山陽地方で勢力を拡大した戦国武将、「毛利元就(もうりもとなり)」である。
それにしても、ひっさしぶりのご登場。
いつも謀略やら調略やらと陰口めいた代名詞でご紹介するもんだから、すっかりご機嫌を損ねたのかと心配していたところである。

まずは、毛利元就の簡単な経歴から。
元就は、明応6(1497)年のお生まれ。
少しネタバレになってしまうが。このあとのエピソードでご登場予定の「豊臣秀吉」と比べると40年ほど早い。つまり、織田信長や豊臣秀吉らよりも少し前の世代、カオスな戦国時代に突入し、日本各地に有力な戦国武将らがぽつぽつと出始めた頃である。
ちなみに、元就の人生は。
ラクなポジションからのスタートではない。兄や兄の子が早世したため、安芸高田郡(広島県)の国人領主として家督を継ぐのだが。ここでいう「国人(こくじん)」とは地頭や荘官や有力名主の総称。最初から戦国大名級の有力な一族ではなかったのだ。
もっといえば、多くの国人の中のひとりであり、周辺には強大な勢力がズラリ。周防国(山口県)の大内氏、出雲国(島根県)の尼子氏(あまごし)などがひしめき合う状況だったのである。
ただ、当時の時代背景が彼を後押ししたようにも思う。
世に吹くは、己の実力でのし上がる「下剋上」の風。元就は、そんな潮流にうまく乗った男のひとりといえるだろう。
優れた情勢分析に、巧みな知略。気付けば毛利一族を国人のリーダー格へと押し上げて。その後は「裏切り」「裏切られ」を順当に経験し、山陰や山陽など中国地方一帯に勢力を拡大。これには、子どもが多いコトも追い風となったようだ。養子や婚姻で有力家臣らと深い絆を結び、毛利一族の基盤を強固なものにしたのである。
そんな毛利元就は、一体、どのような夢を語ったのか。
出典は、戦国時代の武将を中心に192名の言行をまとめた『名将言行録』より。
いつの時代の話かというと。元就が12歳の時のこと。
なんでも、従者らと共に安芸の「厳島神社」にお詣りした際の話だという。

ある日のこと。
12歳の元就少年は、従者を連れて厳島神社へ。
無事に参拝を終え、帰途についたのち。元就は、早速、周りの従者に何を祈ったのかと訊いたという。
ふむ。
周囲の人間に「願い事」を訊く元就……。
なんだなんだ。これで家臣の忠誠心を試すのか。そう、一瞬、身構えたが。
さすがに、これきしのコトで元就を疑い過ぎか。
フツーに考えれば。相手との関係性にもよるが、神社仏閣で手を合わせてから、「何祈ったの?」って気軽に聞くじゃん。ほんでもって、「……秘密」とかとぼけながら。しれっと「ずっと一緒にいられますように」なんて絵馬を書いたりしてさ……(いや、古くね?)。
恐らくだが、願い事の中身を訊いたのは、単なる好奇心から。12歳の少年の無邪気さゆえの質問とみていいだろう。
これに対して、従者らはというと。
人びとはみな少年の元就の気持ちにあわせて、それぞれが答えた。そのなかでお守り役の者が「私めは、殿が中国を全部もたれますようにと祈りました」といった。
(岡谷繁実著『名将言行録』より一部抜粋)
少年の気持ちに合わせてだなんて。
従者の人たちは、みんな心優しいんだね。
確かに、幼い頃はあまり現実が分からず、とかく無謀な夢を見たりするじゃん。逆にいうと「どんな夢も願えば叶う」と思えるのは、若さの特権。だから、あれこれ考えずに。素直に子どもの夢に付き合ってもいいかと……(既に開眼を果たした大人のダイソンのつぶやき)。
とはいえ、お守り役もなかなか思い切った発言をしたもんだ。
「毛利一族の中国地方一帯の制覇」だなんて。かなりの大風呂敷を広げる覚悟が感じられる。
じつのところは、現実に即した願いなのだろう。
地政学上、周辺の大内氏、尼子氏ら有力一族の存在は無視できない。ゆえに、従者らが胸に抱いたのは、毛利一族が潰されませんように、せめて生き残れますようにという切実な願いではなかったか。
──殿、どうか無事に成長してくだされ。
けれど、あえてその思いは口にせず。
従者たちは「少年」である元就に気を遣ったようだ。

だが、しかし。
そんなお守り役の気持ちを完全スルーするのが、元就だ。
まさかのキレッキレの返答がコチラ。
「中国の全部とは愚かなことだ。日本全部もつようにと祈ればよいものを」
(同上より一部抜粋)
えっ?
うん?
あれ?
みなさま、しばし、待たれよ。
(ダイソン、参考書籍を確認中)
この時の毛利元就って……12歳じゃなかったっけ?
いつの間にか倍速で成長しちゃったのか。それも皮肉とか込めちゃってさ。どこぞの京都人かと思うじゃないか(※わたしも京都人です)。
この厳しい返答に焦ったのは、先ほどのお守り役だ。
せっかくの気遣いも見事に跳ね返され、元就の指摘に大慌て。
「まずは……足元のね、中国地方あたりから始めて……」と、ちょいと言い訳を練り込んでみるも……。
ここで、追撃の手を緩めないのが、のちに「調略の鬼」といわれる元就だ。
この際、12歳だろうが中身はオッサンだろうが。もうなんだっていい。お守り役の言葉に追い被せてひと言。
「日本国中を取ろうとすれば、だんだん中国は取れる。中国だけを取ろうと思えば、どうして中国を取ったらよいのか」
(同上より一部抜粋)
おお。まさにド正論。
「中国地方」ではなく、あえて無謀な「日本全体」を目標にする。
これは、ビジネス書でもよく目にする手法だ。
これまでの延長線上での手堅い目標をやめて。圧倒的に不可能な目標を掲げるコトで「思考の幅」を広げる。無意識に常識や慣習などに囚われていた思考を解放し、思いもよらなかった手段や選択肢を引き出すのである。
まさか、当時の12歳の元就少年の口から、そんな手法が出てくるとは。
なんだかな。少しばかり、逸話を盛り過ぎ、攻めすぎの可能性がチラつくのだが。ここはあえて見ないでおこう。
この元就の発言に、お守り役もさすがに無言。
周囲の者たちも愕然。その抱負の大きさを珍しがったという。
だからなのか。
結果だけみれば、毛利元就は山陰、山陽地方にまで勢力を拡大。
彼のいう「中国を取る」という夢は、本当に実現されたのである。
ギャップが激し過ぎる豊臣秀吉
次に、ご紹介するのはコチラのお方。
予告通りにご登場していただこう。
最近、何かと大河ドラマのビックリ脚本で巷をざわつかせている「豊臣秀吉」である。
いやあね。夢を語らせるなら、この男しかいないでしょ。(笑)
特技に「大風呂敷を広げるコト」って書けるのは、マジで秀吉くらいなもので。

ただ、こうして明るく登場できるのも。
すべては、その言葉通り、彼が天下を取ったからだ。途中の紆余曲折はさておき、なんだかんだで織田信長が果たせなかった「天下取り」を実現した。大きい顔で、なんならふんぞり返ってもいいくらいの偉業である。
さて、そんな秀吉はどのような夢を語ったのか。
出典は、同じく『名将言行録』より。
具体的な年代は定かではないが、秀吉が「300石をもらっていた頃」の話である。恐らく織田信長に仕え、家中で少しずつ存在感が出てきたくらいだろうか。具体的には、滋賀県湖北地方の横山城に城番として配置された、元亀元(1570)年辺り前後か。いや、「羽柴姓」を名乗り始める天正元(1573)年くらいまでかもしれない。
そんなある夜のコト。秀吉は朋友と語り合っていたという。
お題は「自分の志」。
中学生の作文のテーマみたいだが。秀吉らは互いの胸の内を明かしたようだ。
まずは、秀吉以外の方の「志」から。
ある者は大国の主になりたいとか、またある者は天下を取りたいとかいった。
(同上より一部抜粋)
まあ、「一国の主」やら「天下」やらって。
口にするのは、タダなのだから。そりゃ、デカ盛りで語るわな。
それに、ひとりじゃない。ガヤガヤした雰囲気も手伝って。さらには、夜である。妄想は膨らむ一方だ。
誰かが語る夢に対して、さらにその上をいく。そうやって倍々ゲームのように壮大な夢が出来上がったのだろう。

さて、ここで。
秀吉は、一体、何を語ったのか。
既に「大国の主」やら「天下」やらという大層な言葉が出てしまったあとでは。
正直なところ、これ以上、何を語れっていうのか。さっぱりわからん。
「宇宙」、いや、「神の領域」?
それでは、秀吉の「志」を発表しよう。
それがコチラ。
「おれは千辛万苦して、いまわずかに三百石をいただいているにすぎない。できれば、そのうえにまた三百石を望む」
(同上より一部抜粋)
えっ?
うん?
あれ?
みなさま、しばし、待たれよ。
(ダイソン、またもや、高速で参考書籍を確認中)※先ほどの箇所をコピペしたワケではございません。
秀吉だよね?
コレって、秀吉の話だよね?
一番、誰が驚いたかって。
このわたしだよ。ダイソンだよ。一瞬、人物を間違えたかと思って、焦ったじゃないか。
まさか、秀吉の口から。
これほどまでに堅実な夢が出てくるとは。ホントに思いもしなかった。
やってくれるね。秀吉よ。
ちなみに、周囲の者たちは、秀吉の夢の小ささに笑ったという。

だが、秀吉は。
冷静に、こう切り返したという。
「ご一同は、しょせん叶わぬことばかりをいっている。だが、おれは手の届くことをいっているのだ。だから六百石になりたいと日夜寝食を忘れ、奉公一途に心がけているわけだ。おれの望みはかならず成就する」
(同上より一部抜粋)
ふむ。
確かに、秀吉の言いたいコトも分かる。
妄想のような夢物語……ではなく、確実に手の届く夢。それを語って、確実に実現し、成功体験を積む。それを繰り返して、さらに手の届く夢の高さを、徐々に上へとあげていくのだろう。
もちろん、その考え方は十分理解できるし、否定もしない。
わかる、わかるよ。秀吉よ。
わかるんだけどさ。
妙に座り心地が悪いというかなんというか。あまりにも私たちが抱く「秀吉像」とはかけ離れていて。どう反応していいのかと、戸惑ってしまうのだ。
まあ、ひと言で表すならば。
「真っ当すぎる」のである。
個人的には。
もっと、秀吉にはぶっ飛んでいてほしい。
現実を見据えた夢ではなく、誰も相手にしないほどの高みを目指してほしい。
ただ、結果だけみれば。
そんな小さな夢を愚直に積み上げて。
とうとう天下を取ったのである。
そういう意味では、あながち間違っていなかったのかもしれない。
最後に
今回の記事で。
ふたりの戦国武将の「夢」をご紹介してきたが。
なんだか、胸の中で正体不明のモヤモヤ感が生じてはいないだろうか。
というのも、「毛利元就」と「豊臣秀吉」は、全くの逆バージョン。
壮大な夢を語る「毛利元就」に対して。
堅実な夢を語る「豊臣秀吉」。
夢の語り方が正反対なのである。
だから、どっちが正しいの?って、つい思ってしまいがち。
先に結論からいえば。
そもそも、夢を叶える方法に優劣をつけるなんてナンセンス。
「どっちが」正しいか、ではなく「どっちも」正しい。
もっといえば、「それ以外も」正しいってコト。
ただ、強いてあげるなら。
毛利元就と豊臣秀吉にはひとつの共通点がある。
それは「夢を見続けた」というコト。
まずは、自分だけの夢を見つける。
そして、その夢を見続ける。夢の内容を更新したっていい。なんなら、途中で夢の高さを下げたっていい。
それでも、夢を見続けるコト。
そうすれば、いつの間にか夢に到達した自分がいるのかも。
年齢や立場なんて関係ない。
どのような状況に置かれたって。
人はみな「大志」を抱くことはできるのだ。
参考文献
『秀吉の虚像と実像』 堀新ら著 笠間書院 2016年7月
『名将言行録』 岡谷繁実著 講談社 2019年8月
『信長公記』 太田牛一著 株式会社角川 2019年9月
戦国武将爆笑エピソードはこちらにも!

