北欧神話の「スレイプニル」という神馬をご存知でしょうか。
知恵と戦争と死を司り、北欧の戦士たちの信仰を集めた主神オーディンの愛馬で、8本の足を持ち、空を飛ぶほど早く駆けたと言われています。
もちろん、これは神話上の馬ですが、日本にはスレイプニルよりさらに1本足が多い、9本足の馬が実際にいました。
将軍・源頼朝も困惑した奇妙な馬
その馬の記述があるのは鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』です。
建久4(1193)年7月24日。とある御家人が1頭の奇妙な馬を連れて来ました。前足が5本、後足が4本もあります。
連れて来た御家人はこう言いました。
「この馬は、私の所領のある淡路から連れて来ました。前から噂を聞いていて、5月に淡路に行った時に見せてもらい、頼朝様に献上しようと思いました」
この前例のない奇妙な馬に頼朝も驚き、こう言います。
「古代中国の周には32蹄の馬があったと言うが、これは8頭の馬を指す言葉だ。日本にはまさか1頭で9蹄を持つ馬がいるとはなぁ」
この馬を飼うかどうかを巡って、喧々諤々の議論が行われたようです。
「占いによれば、この馬を飼うには幕府はまだ力不足。飼えない馬を無理に飼うのは縁起が悪い。だから千里の彼方へ放ってしまおう」ということになって、陸奥国(青森県)の外ヶ浜に放つことになりました。
なぜ外ヶ浜なのかは理由は書かれていませんが、当時の鎌倉幕府支配圏内で、一番鎌倉から遠い場所が外ヶ浜だったのかもしれません。
しかし、吾妻鏡の筆者は最後に「逆に飼う事で縁起が良くなるかもしれないのに」と残念そうに付け加えています。「珍しいから幕府で飼おう派」も少なからずいたのかもしれないですね。
9本足の馬の正体は?というか、馬の足は指なの!?
この奇妙な9本足の馬は、現代の私たちから見れば「突然変異体だろう」という事が想像つきます。鎌倉幕府の人たちにも特に「神の使いだ」とか「妖怪だ」といった反応は見られず、「変わった馬だ」という反応です。
武士たちにとって馬は身近な存在でしたので、多足の馬も希に見たことがあったのかもしれません。実際に江戸時代に6本足の馬が見世物となっていた記録や、戦前の昭和に7本足の馬が生まれた記録などがあります。
しかし9本足は今まで誰も見たことがないほどに非常に珍しかったのでしょう。
他の多足馬の記録や写真を見ると、通常は1本の足に蹄が1つですが、間接部分から枝分かれして、蹄が2つだったり、3つだったりするようです。
馬の脚は、人間でいうところの中指が発達したもので、蹄は中指の爪にあたります。膝に見えている所は手首・足首にあたり、骨格を見るとそこから4本の指の骨がちゃんとあります。
この9本足の馬はどのような足を持っていたか、正確なことは絵が残されてないので分かりませんが、「遠くへ放そう」としていることから、少なくとも歩行には問題がなかったと考えられます。
9本足の馬の悲しいその後
この9本足の馬が再び吾妻鏡に登場するのは、1年後の事です。建久5(1194)年6月10日、とある御家人の家来が逮捕され、禁固刑に処されました。
あの9本足の馬を陸奥国に移送する途中、この男は「縁起が悪いから」と勝手に判断して、馬を矢で射殺してしまったからです。なぜ男がそう判断したかは定かではありません。
話し合いで出て来た「幕府で飼うのは縁起が悪い」という言葉は、おそらく「戦にも使えない馬を、ただ愛玩するだけに飼うのは、幕府の財政を圧迫しかねない。そうなったら将来的に困る事になる」という意味の「縁起が悪い」という意味だと思いますが、この男は言葉のまま「縁起の悪い馬」と解釈したのでしょうか。あるいはただ単に「気味が悪い」と思っていたのかもしれません。
男の所業はすぐにバレて、その後行方をくらましてしまいました。この男の主人である御家人に命じて捜査したところ、1年経ってようやく捕まえ、刑に処したという記録です。
現代でも動物愛護法により、みだりに動物を殺害すれば禁固刑に処されることもありますが、当時は動物愛護というよりはおそらく「頼朝様が生かして放す事をお決めになった馬を殺すとは何事か」ということじゃないかな、と思います。
「お前の家来が頼朝様の馬を殺した。お前の命令か? 違うと言うなら、お前が探し出して連れて来い」などと言われたら、必死に探そうとするでしょう。すぐに家来が見つからなかったということは、本当にこの御家人は無関係だったのかもしれません。
具体的に、死んでしまった馬はどうしたのか、男は何日間逃げて、どこで見つかったのか、どのくらいの期間刑に処されたのかなどの詳細な経緯は書かれていません。
もし、ちゃんと陸奥国まで移送して野に放つことができたら。あるいは幕府で飼うことができたら。そもそも陸奥じゃなくて、馬の故郷の淡路へと返せばよかったのに、など色々考えてしまいます。
馬にとっては一体何が幸せだったのでしょうか。ちょっと残念でモヤモヤする結末ですね。
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1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
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10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
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