現在放送中の大河ドラマ『青天を衝け』では、徳川幕府の終焉が描かれています。その徳川幕府を開いた徳川家康が、冒頭にナビゲーターとして登場するのが、話題になっていますね。
さて、「戦いは五分の勝ちをもって上となし」と言ったのは誰でしょうか? 家康と同じように、優れた武将だったと伝えられている人物です。
昭和63(1988)年放送の大河ドラマでは、名前がタイトルにもなり、中井貴一が主演しました。
さて答えは…….。
武田信玄でした!
なぜ五分の勝利がいいの?
信玄は「甲斐の虎」と呼ばれ、戦国最強と言われた武田の騎馬隊を率いて、周辺の勢力を倒していった人物です。軍事や内政に優れた手腕を発揮し、武将として完璧だったイメージがあります。
なぜ完全勝利ではなく、五分を良しとしたのでしょうか? この言葉の後には、「七分を中とし、十を下とす」が続きます。
五分なら次への励みになる。七分勝つと怠りを生む。完全に勝つとおごりたかぶって、味方が大敗する下地になるからと、この言葉を発したようです。
信玄はこんな風にも言っています。「戦いは四十歳以前は勝つように、四十歳からは負けないようにすることだ。ただし二十歳前後は、自分より小身の敵に対して、負けなければよい。勝ちすぎてはならない。将来を第一に考えて、気長に対処することが肝要である」
信玄は中国の兵法『孫子』を徹底的に学び、その教えを実践していました。『孫子』の兵法は、「戦わずして勝つ」が理想とされています。信玄はこの考えに基づいて、確かな情報から相手の欲を巧みに利用して、自らの側に引き入れる戦略が多かったようです。
信玄は暴君だった父親との関係が良くなくて、やむなく父を追放して、自分の理想とする政治を行いました。この苦い経験が、周囲に配慮した戦い方になったのかもしれません。
こんな有名な言葉も!
信玄の人柄を表す言葉として知られているのが、「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 讐は敵なり」。城をわざわざ築く必要はなく、人の和こそが重要。人の和が石垣ともなり、堀ともなる。情けをもって接すれば、人は味方になってくれる。しかし逆に冷たくあしらえば、敵になってしまう。
この言葉通りに、山梨県・甲府市にあった武田信玄の居城・躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は、とても小さかったそうです。有言実行型のリーダーだったのですね。
参考文献:『戦国武将名言禄』楠戸義昭著 PHP研究所 『日本大百科事典』小学館
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