Culture
2021.07.10

クイズ!「戦いは50%成功すればそれで良い」と言った戦国武将は誰?なぜ50%でいいの?

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現在放送中の大河ドラマ『青天を衝け』では、徳川幕府の終焉が描かれています。その徳川幕府を開いた徳川家康が、冒頭にナビゲーターとして登場するのが、話題になっていますね。

さて、「戦いは五分の勝ちをもって上となし」と言ったのは誰でしょうか? 家康と同じように、優れた武将だったと伝えられている人物です。

随分と謙虚な武将だったのですね!

昭和63(1988)年放送の大河ドラマでは、名前がタイトルにもなり、中井貴一が主演しました。

さて答えは…….。

武田信玄でした!

※アイキャッチは、武田氏の家紋・武田菱(たけだびし)

なぜ五分の勝利がいいの?

信玄は「甲斐の虎」と呼ばれ、戦国最強と言われた武田の騎馬隊を率いて、周辺の勢力を倒していった人物です。軍事や内政に優れた手腕を発揮し、武将として完璧だったイメージがあります。

なぜ完全勝利ではなく、五分を良しとしたのでしょうか? この言葉の後には、「七分を中とし、十を下とす」が続きます。

五分なら次への励みになる。七分勝つと怠りを生む。完全に勝つとおごりたかぶって、味方が大敗する下地になるからと、この言葉を発したようです。

確かに、いい成績だったから調子に乗って次のテストは手を抜いて痛い目を見る、みたいなことはよくあるかも!

信玄はこんな風にも言っています。「戦いは四十歳以前は勝つように、四十歳からは負けないようにすることだ。ただし二十歳前後は、自分より小身の敵に対して、負けなければよい。勝ちすぎてはならない。将来を第一に考えて、気長に対処することが肝要である」

信玄は中国の兵法『孫子』を徹底的に学び、その教えを実践していました。『孫子』の兵法は、「戦わずして勝つ」が理想とされています。信玄はこの考えに基づいて、確かな情報から相手の欲を巧みに利用して、自らの側に引き入れる戦略が多かったようです。

信玄は暴君だった父親との関係が良くなくて、やむなく父を追放して、自分の理想とする政治を行いました。この苦い経験が、周囲に配慮した戦い方になったのかもしれません。

こんな有名な言葉も!

信玄の人柄を表す言葉として知られているのが、「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 讐は敵なり」。城をわざわざ築く必要はなく、人の和こそが重要。人の和が石垣ともなり、堀ともなる。情けをもって接すれば、人は味方になってくれる。しかし逆に冷たくあしらえば、敵になってしまう。

苦労人だったからこそ、周りの人をよく見ていたのかな…現代のマネジメントにも通じそう!

この言葉通りに、山梨県・甲府市にあった武田信玄の居城・躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)は、とても小さかったそうです。有言実行型のリーダーだったのですね。

参考文献:『戦国武将名言禄』楠戸義昭著 PHP研究所  『日本大百科事典』小学館

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幼い頃より舞台芸術に親しみながら育つ。一時勘違いして舞台女優を目指すが、挫折。育児雑誌や外国人向け雑誌、古民家保存雑誌などに参加。能、狂言、文楽、歌舞伎、上方落語をこよなく愛す。ずっと浮世離れしていると言われ続けていて、多分一生直らないと諦めている。

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平成元年生まれ。コピーライターとして10年勤めるも、ひょんなことからイスラエル在住に。好物の茗荷と長ネギが食べられずに悶絶する日々を送っています。好きなものは妖怪と盆踊りと飲酒。