令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』予習シリーズ! 今回は山内首藤経俊(やまのうち すどう つねとし)殿! ちなみに山内首藤までが氏で、名が経俊だ!
う~む、正直言って今回の人物は、キャスト発表されるほどの人物? と首を傾げてしまう感じだな。……いや、坂東の武士たちが全員頼朝様の味方をしたわけじゃないっていうのを描くとしたら、出てくることは出てくるだろうけど……。
山内首藤経俊殿ってどんな人物?
先ほど書いた通り、経俊殿は「源氏ゆかりの家人だったけど、頼朝様の挙兵に従わなかった人物」だ。
山内首藤氏は源氏代々の乳母
まず山内首藤氏は「藤」の字がある通り、藤原家の流れなんだが、先祖は例によって諸説ある。元々は京の武士で、源氏代々の乳母を夫婦で務めていたらしい。経俊殿の母も、頼朝様の乳母「山内尼(やまのうちの あま)」である。
経俊殿の曽々祖父が「前九年の役(ぜんくねんの えき)」・「後三年の役(ごさんねんの えき)」で源義家(みなもと よしいえ)公に従軍する。その功により相模国鎌倉郡山内庄(現・神奈川県横浜市栄区とその周辺)を貰って「山内首藤」を名乗った。
山内首藤経俊殿と頼朝様の確執
そして時が経って平治元(1159)年。源氏が平家に敗けて没落してしまった「平治(へいじ)の乱」が起こる。経俊殿は22歳で元服はしていたが、病気に罹っていて不参加だった。そして経俊殿の父と兄が従軍し、2人とも討死してしまったため、山内首藤氏の家督を継ぐこととなる。
この出来事が、経俊殿にとってトラウマだったのだろうな……。治承4(1180)年に頼朝様は挙兵した際、経俊殿にも自分の味方になるよう呼び掛けた。しかし経俊殿は、それを罵詈雑言と共に拒絶して、相模国の平家家人筆頭である大庭景親(おおば かげちか)の元に奔ってしまう。石橋山の戦いでは頼朝様に向かって矢を放ったほどだ。
でもその後、大庭景親と同じ時期に捕まった。頼朝様は受けた恩は忘れないが、侮辱も忘れないお方だ。当然のように経俊殿を斬首することになった。
そこに駆け付けたのが、経俊殿の母である山内尼。頼朝様は乳母の嘆願にも態度を軟化させなかったが、最終的には経俊殿は助命されている。その後は鎌倉幕府の御家人として鎌倉軍に加わり、頼朝様の死後も鎌倉で真面目に働いていた。
結構なじいさんになっても幕府の儀式に参加していてな……亡くなったのも北条義時より後なんだよ。大河ドラマでは常に画面の端っこにチョコチョコいる感じかもしれんな。
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山内首藤経俊役、山口馬木也殿について
……三谷殿恒例、「名優の無駄使い枠」じゃねぇか!!!! 画面の端っこにいつもいるイケオジ誰? 山内首藤経俊? え、誰? どこが名字? って視聴者の話題になりそうな予感。
母が頼朝の乳母を務めた相模の豪族
もしかすると頼朝が途中で敗れていれば正しい選択だったのかもしれませんし、現代にも通じる点があると思って、探り探り演じていければと思っています。
そうだな。歴史の流れって後世から見ると必然的に見えたり、計画的に動いてたりするように感じるけれど、実際はその場その場での選択の連続だものな……。
オレも後世の人にバカだのなんだの言われてるけどさ、そういう所を大切にしてくれる人に演じてもらえると嬉しいものだな。
関連人物
父:山内首藤俊通、母:山内尼
兄弟:俊綱、俊秀、ほか
子:重俊、ほか
「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧
「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!
1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)
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日本の歴史3 武士政権の誕生 鎌倉時代~室町時代 朝日学生新聞社 日本の歴史