Culture
2022.02.09

平安版『翔んで埼玉』?大蔵合戦を3分で解説【鎌倉殿の13人】

この記事を書いた人

令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をもっと楽しむために、鎌倉時代より前の歴史を学ぼうのコーナー! 今回は、源頼朝様と木曽義仲(きそ よしなか)殿の因縁の始まり、「大蔵合戦(おおくら がっせん)」だ!!

前回、頼朝様の父上、義朝(よしとも)様は、相模国(現・神奈川県)に長男の義平(よしひら)殿を置いて京にいた事を話したな。そして義朝様と、そのお父上為義(ためよし)殿との関係が悪化し、為義殿は武蔵国(現・神奈川東部・東京都・埼玉県)にいた自身の次男・義賢(よしかた)殿に命じて勢力を南下させたんだ。

ボスの留守中にカチコミちらつかせられちゃ、相模国も黙ってらんねぇよな! 義朝様はすぐに義平殿に命じて、義賢殿の元に先制攻撃を展開した! その時、襲撃された義賢殿の拠点が、大蔵館(おおくら やかた)だったので、「大蔵合戦」と呼ばれている。

なんかややこしいけど図で見るとわかりやすい!

大蔵合戦のだいたいの流れ

義朝様が相模国の有力豪族と婚姻関係を結んだように、義賢殿も武蔵国の豪族と婚姻関係を結んでいた。それが武蔵国最大の武士団だった秩父党。その棟梁である秩父重隆殿(ちちぶ しげたか)殿の娘との間に、駒王丸(こまおうまる)という男児が産まれていた。久寿元(1154)年の事だ。

しかし、秩父重隆殿は当時、伊東祐親(いとう すけちか)祖父上並みのご家庭事情があってなぁ。

秩父重隆殿は兄の畠山重弘(はたけやま しげひろ)と家督争いの最中。しかも、重隆の父の後妻は、義平殿の乳母でもあった。そこでまず、相模国は畠山重弘殿とその息子・重能(しげよし)殿と手を組み、源義賢殿・重隆殿の包囲網を築いた。

その上で、久寿2(1155)年、義平殿は相模国の武士たちを引き連れて武蔵国の大蔵館を攻めた。戦ってのはやる前から勝つ状況をいかに作り出せるかだな!

でもこの戦の状況、あまり史料が残されていなくて……相模国の誰が参加したとかはわからないんだ。一応、三浦の伝承じゃ、オレの父上(三浦義澄)が参加している。

結果は、相模国の圧勝。義平殿は暴れ回って、叔父である義賢殿を討ち取った。その時の暴れっぷりから義平殿は悪源太(あくげんた)と呼ばれるようになった。

そして悪源太義平殿は、生まれたばかりの義賢殿の息子・駒王丸にも刃を向けようとした。これは流石に、周りの相模武士たちも止めようとしたらしいんだけど、義平殿は容赦しない。

これは悪元太……。

そこで、相模国軍の同盟者である畠山重能殿が機転を利かし、斎藤実盛(さいとう さねもり)という武士に駒王丸を託して信濃国へと逃した。その駒王丸が、後の木曽義仲(きそ よしなか)殿なのだ!!

キタ―――(゚∀゚)―――― !!

大蔵合戦のその後

合戦の後、無事秩父党の惣領となった畠山重能殿は、のちに三浦義明祖父様の娘(つまりオレの叔母)を娶った。んで長寛2(1164)年に生まれた子が畠山重忠(はたけやま しげただ)だ。

ちなみに最近の研究では、重忠の生母は同じ秩父党の江戸氏の娘という説が有力だが、オレは祖父様の娘説で行くので了承してほしい。

秩父党の跡取り問題も、武蔵VS相模戦線も無事決着。めでたしめでたし……で、終わらないのが歴史ってやつだ。

義朝様・義賢殿の弟である源頼賢(みなもとの よりかた)殿は、義賢殿とめっちゃ仲良くて、兄弟だけど父子の契りをしていたほどだったんだ。報復しようとすぐ武蔵国に向かったが、どうにかこの戦闘は回避している。

さらに義賢殿は、当時の左大臣……朝廷のNo2である藤原頼長殿に直接仕えていてなぁ……。当然、討ち取った義平殿や、命じた義朝様に何かしら罰があるだろうと……思うだろ? でも当時の武蔵守は、当時の最高権力者である鳥羽(とば)法皇の側近・藤原信頼(ふじわら のぶより)殿。信頼殿は義朝様の後ろ盾だったんだ。

義朝様の父子・兄弟間だけではなく、朝廷も巻き込む大きな遺恨が残ってしまったわけなんだ。そして大蔵合戦の翌年、保元元(1156)年。鳥羽法皇が亡くなったことで、法皇の子息である崇徳上皇と後白河天皇の権力争いが勃発する……!! というわけで次回に続く!

そして神奈川VS埼玉の戦いは令和の世まで続く……。

▼埼玉大好きです!
このマンガがすごい! comics 翔んで埼玉 (Konomanga ga Sugoi!COMICS)

「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧

「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!

1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)

▼ガイドブックもチェック
NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 鎌倉殿の13人: 北条義時とその時代 (NHKシリーズ NHK大河ドラマ歴史ハンドブック)

アイキャッチ画像:『新形三十六怪撰 布引滝悪源太義平霊討難波次郎』出展;国立国会図書館デジタルコレクション

書いた人

承久の乱の時宮方で戦った鎌倉御家人・西面武士。妻は鎌倉一の美女。 いわゆる「歴史上人物なりきりbot」。 当事者目線の鎌倉初期をTwitterで語ったり、話題のゲームをしたり、マンガを読んだり、ご当地グルメに舌鼓を打ったり。 草葉の陰から現代文化を満喫中。