令和4(2022)年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をもっと楽しむために、原作である『吾妻鏡』を読んでみようコーナー! 房総半島の旅はまだ続くよ!
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相模と伊豆の境、石橋山に平家側の武士に大敗してしまった頼朝様は、船で房総半島に逃げた。
治承4(1180)年7月4日。房総半島の有力豪族、上総広常(かずさ ひろつね)と千葉常胤(ちば つねたね)を仲間にすべく、それぞれに使者を派遣したのだった!
上総広常と千葉常胤の返事
和田義盛(わだ よしもり)が上総殿の返事を持って帰って来たのは、6日の夜の事だった。それによると、上総殿は「千葉常胤と相談した上で参上します」とのことだった。しかし、千葉殿の元に向かった安達盛長(あだち もりなが)殿はまだ帰って来ていない。
9日。安達殿が千葉殿の元から帰って来た。どうやら安達殿は丁寧におもてなしを受けた。そして「頼朝様が今いる場所は、ゆかりの地でもなければ要害でもありません。はやく鎌倉に向かいましょう。私は一族郎党を率いて参ります」という返事を持って来た。
なんで「鎌倉に行け」と言ったの?
千葉殿が何故鎌倉に行く事をすすめたか。それは頼朝様の先祖、源頼義(みなもと よりよし)公から代々引き継がれた屋敷が鎌倉にあること。そして鎌倉は三方を山、一方を海に囲まれた天然要塞であったからだ!
千葉殿がこの時そう進言しなかったら……もしかしたら幕府は安房国にできていたのかもしれない。
そして頼朝様は、千葉殿が来るまで周りの神社にお参りした。これはのんびり観光……というわけではなく、神社を味方に付けるという意味もあったと思う。
千葉常胤参上!
千葉殿が頼朝様の元にやって来たのは、それから8日後の7月17日。ちょっと遅れたのは千葉殿がいる下総国の目代が平家の家人だったため、まずそいつを討ち取ってきたからだ。
やってきた千葉殿を見て、頼朝様は「これからは父のように扱おう」と言ったらしい。そして千葉殿は「本日の贈り物です」と……ドラマでは目代の首を差し出したが、『吾妻鏡』では源頼隆(みなもとの よりたか)殿。
頼隆殿は、河内源氏。頼朝様の遠い親戚だ。平治(へいじ)の乱の時に、頼朝様の父・義朝様の身代わりとなって討ち死にした源義隆(みなもとの よしたか)殿の息子で、千葉殿は源氏の貴種として大事に育てていたらしい。これには頼朝様も大喜びした。
ちなみに、頼隆殿は森氏の祖。織田信長の小姓として有名な森蘭丸の先祖なのだ!
上総広常大遅刻!
上総殿が頼朝様の元に来たのは、さらに2日後の19日。頼朝様はこれに大激怒して許す様子も無かった。
ドラマで描かれた通り、上総殿は頼朝様の器を見るためにわざと遅れて来たのだ。大軍勢を率いる上総殿を喜ぶようでは、大将の器なしとして討ち取って平家に差し出そうとしていた。ところがこの態度を見て、改めて従うようになったという。
ドラマでもこのシーンの頼朝様、めっちゃくちゃカッコよかったもんなぁ!
北条時政、甲斐国へ向かう
安達殿が千葉介殿の返事を持って来る前日、7月8日、甲斐国(山梨県)に向けて、北条時政(ほうじょう ときまさ)が出発した。これは甲斐国の源氏である武田信義(たけだ のぶよし)殿たちを味方につけるためだ。
一方その頃、甲斐の武田殿は石橋山合戦の顛末を聞き、頼朝様を探しに駿河国(静岡県)へ行こうとしていた。頼朝様は安房国にいるんだが、そんな事は武田殿は知らないから、ひとまず近い駿河国へと探しに向かおうとしていたんだな。現代ならLINEで一発で連絡取れるんだが……ままならない。時政急げ! 光を越えろ!
けれど平家方の軍勢が、隣の信濃国(長野県)にいるという。これは信濃国の木曽義仲(きそ よしなか)殿を攻めようとして返り討ちにされた平家軍だ。そこで武田殿はまず信濃国に出陣して、平家軍を蹴散らしたのだった。……強いなぁ武田軍。
そして上総殿が仲間に加わった後、またこの状況を武田殿へ伝えるために使者が出発する。時政は無事に武田殿たちと会えたようで、鎌倉に向かっていた。
7月24日、時政たちは新たな使者と合流して話し合い、頼朝様とは駿河国で会う事となった。
ちなみに、時政たちがいたのは石和御厨(いさわの みくりや=山梨県笛吹市石和町 )。そう、石和温泉がある場所だ! ……ぜってぇみんなで温泉入ってたろ!
平家もやってくるぞ!
一方、平家も黙っているわけじゃない。平維盛(たいらの これもり)殿を総大将にして東国へと出陣準備を進めていたのだ!!
頼朝様と武田殿は無事合流できるのか! 平家軍をどうするのかは……次回に続く!
「鎌倉殿の13人」13人って誰のこと? 人物一覧
「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。「鎌倉殿の十三人」は、鎌倉幕府の二代将軍・源頼家を支えた十三人の御家人の物語です。和樂webによる各人物の解説記事はこちら!
1. 伊豆の若武者「北条義時」(小栗旬)
2. 義時の父「北条時政」(坂東彌十郎)
3. 御家人筆頭「梶原景時」(中村獅童)
4. 頼朝の側近「比企能員」(佐藤二朗)
5. 頼朝の従者「安達盛長」(野添義弘)
6. 鎌倉幕府 軍事長官「和田義盛」(横田栄司)
7. 鎌倉幕府 行政長官「大江広元」(栗原英雄)
8. 鎌倉幕府 司法長官「三善康信」(小林隆)
9. 三浦党の惣領「三浦義澄」(佐藤B作)
10. 朝廷・坂東の事情通「中原親能」(川島潤哉)
11. 頼朝の親戚「二階堂行政」(野仲イサオ)
12. 文武両道「足立遠元」(大野泰広)
13. 下野国の名門武士「八田知家」(市原隼人)